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02

時計塔での片付けを終えて、家主であるトストが帰宅したのは随分と遅い時間…ティリとアレクサンドライトが食事の準備をしてテーブルについたときだった。

もしかしたらウインドマリー家の老執事ともうひと騒動あったのかもしれない、とアレクサンドライトは邪推したが、どうもそうではなかったらしい。

家主は相変わらずの仏頂面で、孫娘であり弟子のティリが腰かける椅子のそばまで来ると、上等な布にくるまれた何かを丁寧に食卓に置く。一抱えほどある大きさで、それなりに重みがあるものが包まれていることは、テーブルに置いたときに響いたごとり、と言う音でわかった。

食べ物を食べるところに…とは言わず、椅子から立ち上がったティリは不思議そうに首を傾げ、その包みを覗き見る。


「おじいちゃん、それはなあに」

「クラスタイン氏から預かったものだ。修理の依頼をされてね」

「クラスタイン?あのおっちゃんか」


食物を食べることは出来ないくせにテーブルをともにしたがるアレクサンドライトは、背もたれに寄りかかりながら小太りの商人を思い出していた。

『ウインドマリー』でも5本の指に入ると言われる有名な商人、マリス・クラスタイン。

クラスタイン商会の長を務める、最近中年太りが気になる人の良さげな紳士である。穏やかな見た目に反してなかなかのやり手で、戦後飛行船の運行業者にいち早く注目して、一財産築いた成金商人だ。

トストとは旧知の仲で、飛行船の点検はもちろん、ちょっとした日用品の修理も依頼してくれるうえに払いもいい、気前のいい人物だった。


まるで近所の知り合いを呼ぶような口調のアレクサンドライトに、家主は冷徹に眼鏡を光らせて睨む。


「アレク、彼はお客様だ。不遜な口を利くな」

「はいよー…。んで、その依頼品はなんだ?」


謝罪の声よりも好奇心が上回る己と、包みから目を離さない孫娘に、トストはやれやれと肩を竦めたあと慣れた手つきで包みをといた。

はらりと布の端がテーブルに落ちると同時に現れたのは、鈍い金色の輝きの長針と短針。年季の入った木組みで綺麗な長方形を形作っており、まわりには精巧な天使のレリーフが彫られている。上部には文字盤が、下部には振り子がついているが、今はそのどちらも動いていない。


芸術作品のような出来の、置時計だった。

華美であるが派手すぎないその存在感に、覗き込んでいたティリはもちろん、成り行きを見守っていたアレクサンドライトも「へえ」と感嘆の声をもらす。


「これって…終戦30年目に作られた置時計だっけ?」


翡翠のような緑の目をことさらキラキラと瞬かせてティリが訊ねると、彼女の祖父は何かを懐かしむような顔をしながら「そうだ」と頷いた。


「『テトラトル』と『リングリラ』の職人がともに作ったものだ。両国の貴族と復興に協力した者に配られた…いわゆる記念品だな」

「へえ、あのおっちゃん、やっぱり凄かったんだな」

「アレクサンドライト」


ぴしゃり、と鋭く怒られてしまって、アレクサンドライトはぷしゅ、と小さく蒸気を吐き出しながら聞かないふりをする。視界の端でティリが苦笑している。

二人の様子に肩を竦めながらトストは、改めて孫娘であり弟子である少女に向き直り、「ティリ」とはっきりとした声で名を呼んだ。


「この時計は、お前が一人で直してみなさい」

「え?私、が…?」


告げられた言葉にティリは動きを止めて祖父を見上げ、アレクサンドライトも胸の歯車ががちりと強く鳴ったのを自覚してトストを凝視する。

動揺と驚愕が満ちるダイニングの中、老職人だけが一人冷静で「そうだ、お前だ」と弟子の言葉を反復した。眼鏡越しの瞳は厳しいが、嘘や冗談を言っているようには見えない。もちろん、トストは酔狂でこのようなことを口にする男ではないことは、アレクサンドライトもティリも知っている。

―――つまり…。

彼の言葉を正しく理解したらしい。彼女の緑の瞳がいっそう輝いた。


「うん、いえ、…はい!わかりました!絶対にこの時計を直してみせます!」


日用品の修理とはいえ、一から任されることは今まで無かったティリである。これを上手く修繕することが出来れば腕を認められ、一人前に近づく。ゆくゆくは大きな仕事を任せてもらえるようになるかもしれないと考えたのか、彼女の頬は紅潮して生き生きしていた。

同様に嬉しくなったのがアレクサンドライトである。椅子から立ち上がるとティリに近寄り、「やったな!」と感激に言葉をもらした。


「めでたいじゃねーか!よし!今日は祝おうぜ!ティリの一人前祈願ってな!」

「え!ちょ、ちょっとそんなの早いよ!まだ取り掛かっても無いんだよ!!」


慌てた様子でこちらを見上げる彼女に、アレクサンドライトは大仰に笑うと「いいじゃねえか!」とトストを振り返る。己の期待に満ちたセンサーの輝きとティリの助けを求めるまなざしを受けた家主は、特に何も言わず肩を竦めただけだった。

それを了承をもらったと判断したアレクサンドライトは、ぎゅりん、と胸の歯車を楽しげに鳴らして、困ったように眉毛を垂れ下げたティリに緑と赤のセンサーを戻した。


「よっしティリ!今からケーキでも買ってこようぜ!それからチキンとプティングと…」

「もう!アレクってば!!そんなに食べられないよ!それに私早くお仕事に取り掛かりたいの!」


困窮した様子から一転、頬を膨らませて怒りをあらわにした彼女は、ぷいとアレクサンドライトから視線を逸らしてしまう。彼女はそのまま乱暴な仕草で椅子に座りなおすと、テーブルに置いたままになっていたスプーンを手に取った。


「それにご飯はもう出来てるでしょ!無駄にするつもりなの!?」


つっけんどんに言われて、今度はアレクサンドライトが困って、ぷしゅと蒸気を吐き出す番。トストはまたしても他人事のように肩を竦めると、「少し調子に乗りすぎたな」と己に耳打ちして置時計を抱えて作業場へと消えていく。

その言葉にはしゃぎすぎたことを荒めて自覚した。険しい顔のティリをおずおず眺めながら、アレクサンドライトは所定の席へと静かに戻る。

すっかり湯気が消えてしまった肉団子スープをすすっていたティリは、己の様子をちらり、と見たあとやおら口を開いた。


「でも…ありがとね、アレク。喜んでくれて」


その声がいつものように優しく暖かいものだったことに気付いて、ふとセンサーをティリへと向ける。金色の髪の毛から覗く彼女の顔に笑顔が戻っている。

はにかむその表情にきん、と歯車を回しアレクサンドライトは、少し笑って「おう」と答えた。



夕飯も終わり、ティリは早速時計を直すべく、作業場に缶詰になった。

トストの作業場はこの家の中では一番広いスペースを取られている。

二つの作業台と、それを照らす専用のライト。壁に取り付けられた棚には電動ドリルやポリッシャー、レンチなど使い込まれて年季の入った工具が詰め込まれていた。

その他にも旋盤機やグラインダーもろもろの加工機も置いてあり、繁盛期にはトストやティリが日中フル稼働させている。無論、今は夜中。機械たちは仕事を終えて沈黙しており、作業場は静寂に包まれている。


楽しみにしていたラジオ放送を聴き終えてティリの様子を見に行ったアレクサンドライトは、作業台に向かって黙々と修理を続けるティリの背中を見た。

錆色の機械たちの中、ティリの金髪だけが生きている。絹糸のようなその隙間から覗く真剣な表情をしばらく見つめたあと、アレクサンドライトは「ティリ」と声をかけて彼女の元に歩み寄る。


「あんまり根つめんなよ。それの他にもやる仕事はあるんだろ?」

「うー…、うん。わかってる。がんばりすぎない」

「お前のわかってる、は信用できねえよ」


一度集中してしまえば空腹も眠気も忘れて機械と向き合う。トスト譲りのその癖は、彼女の美点であり欠点である。

何度見てきたかわからない光景を記憶回路の中で再生させながら、呆れ混じりに金属の腕を組む。金属が触れ合うがちゃん、と言う音にずっと背中を向けっぱなしだったティリがようやく翡翠の瞳をこちらに向けた。


「ありがと。心配してくれて。…でももうちょっとやって起きたくて」


困ったように笑う彼女を作業台から無理矢理引き離す術など、アレクサンドライトは持たない。腕を組んだままティリと見つめ合って、やがて諦めたように蒸気をぷしゅう、と長く大きく吐き出した。


「夜更かしすんなよ」

「うん」

「次見たときに寝てなかったら強制的にベッドに放り込むぞ」

「はあい」


目を細めて笑ったティリに対して今一度蒸気を吐き出すと、アレクサンドライトはゆっくり踵を返す。背後で彼女が去っていく己の背中に、「ありがとね」と再度礼を言った声が届いた。

何かあったらすぐにそばに行けるように、隣の部屋で夜のラジオでも聞いていようか。そんなことを考えてきゅるきゅると歯車を回した。



年季の入った形のラジオから流れる好みでは無いパーソナリティの声と音楽が途切れたのと同時に、アレクサンドライトは壁際の柱時計にセンサーを向けた。もうすぐ今日が終わろうかという時刻である。この街に住む年頃の娘たちはもう既に明日に備えて眠りについている頃だろう。

その年頃の娘に該当するはずのティリは、無論いまだにベッドの準備すら済ませていない。作業場から彼女が出てくる気配はないので、恐らく集中して時間の経過を忘れているに違いなかった。


―――約束は約束だからな。


新製品の魅力を語る販売員の声を切り、アレクサンドライトは椅子から立ち上がる。張り切るのはいいが、今夜中に直せと言われたわけではないのだ。最初にかっ飛ばして納期間際に力尽きてしまったら、落ち込むのはティリである。

やれやれ心世話の焼けるお姉ちゃんだぜ、と小さく呟きながらアレクサンドライトは作業場に続くドアを開けた。


「おい、ティリ。そろそろ寝ようぜ…」


と、彼がドアの隙間から顔を覗かせた―――刹那、

がしゃん!と何かが割れる音と外の空気が侵入してきた冷たさが、アレクサンドライトの声をかき消した。


「ちょっと!貴方たち、誰?何するつもり?」

「ティリっ!!」


ただならぬティリの声に、アレクサンドライトはドアが壊れることも気にせず乱暴に開け放ち駆け出した。

薄暗い作業場の中…台の前で真っ青な顔をした少女が黒ずくめの二人組に羽交い絞めにされている。それをセンサーが拾ったとき、アレクサンドライトの頭の回路がかっと熱くなったのを他人事のように感じた。


「てめえ!!ティリを離しやがれっ!!」


発声回路が焼き切れるかのような声で怒鳴る。勢いを殺さず彼女の元へ向かい、手を伸ばす。こちらを振り返った不審者がアレクサンドライトを見た。彼らは布で顔を覆い隠しているが、骨格で男とわかった。

男たちはためらいもなくティリをこちらへ向かって突き飛ばす。よろめいた彼女を受け止めてその顔や体に目立った怪我がないことを確認すると、男たちを睨みなおす。彼らは二人の様子を気にした様子も無く、窓枠に足をかけて出て行こうとする。

見れば床には粉々になったガラスが散らばっており、先ほどの音はこれを叩き割ったものだったのだと気づいた。


「待って、待ってよ!返して!!」


腕の中でティリが血相を変えて叫ぶ。彼女の視線を追えば、男たちの腕の中に、今日トストから修理を言い渡された置時計があった。


「これが時計塔のアレクサンドライト…?」

「調べるのはあとだ、行くぞ」


彼らの唇が小さくそう動き、そのまま夜の街へと飛び出した。

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