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今まさにティリの胸を貫こうとしていた鋭い針が、寸でのところで止まった。

スティングがその冷たく青い瞳をにわかに点滅させる。鋭い武器を備えた銀色に輝く彼の腕には、薄く汚れた鋼色のワイヤーが絡みついていた。強固な炭素鋼のロープは力強く引かれ、スティングの武器が少女に届くのを阻止している。


無論そのワイヤーを放ったのはアレクサンドライトであった。

ティリの命が損なわれるかもしれない刹那、熱のこもっていた頭は逆にクリアになり咄嗟に走りださずに済んだ。だが腕に取り付けられたワイヤーを上手くスティングの腕に引っかけられたことで、アレクサンドライトの体内に再び熱い怒りが燃え上がる。


「そいつに、触るな!!」

「ならばここにいろ、アレクサンドライト。お前では私は止められない」

「うるせえっ!!いいから!!ティリから離れろっ!!」


発声回路が壊れるのでは無いかと錯覚するくらいの音量でがなり立て、アレクサンドライトはいまだスティングの腕に絡みついたままのワイヤーを力強く引いた。

スティングは己の力を侮っていたようだった。嘲笑うかのように薄く蒸気を吐き出して逆にアレクサンドライトを引き倒すべく踏ん張る―――が、瞬間、その体がぐらりと揺れる。

彼の銀色に輝く体はワイヤーの力でがくんと崩れ落ち、そのまま地面に叩き付けられてこちらへと引きずられた。


「…な!」


予想外の馬鹿力に強か体を打ち付けた機械人は、素早く立ち上がろうと体勢を立て直す。しかしアレクサンドライトはそれを許さない。ティリとの距離が開いたと見るや否や、倒れた体の上に飛び乗り渾身の力でその顔を殴りつけた。

があん!と金属と金属がぶつかり合う悲鳴のような音が響き渡る。そばで少女が「アレク!」と叫ぶように己の名を呼んだことを感じたが、アレクサンドライトは己の下にいる機械人を攻撃することしか考えられなかった。

があん!があん!と連続して殴りつけ、ふと湧き出てきた悔しさに再びがなりたてる。


「お前は!!主人が!ロイロットが死ぬと言ったから手を貸したのか!!これから死ににいくロイロットを見送ったのかよ!」

「…っ!」

「あいつは!死ににいったんだろう!!国の為に!ウインドマリーの名誉のために!!」


アレクサンドライトの怒りの入り混じった訴えに、ティリが「どういうこと?」と呟いた。無論すっかり思考回路に熱がこもってしまったアレクサンドライトは説明できるわけなく、感情に任せてスティングに攻撃を加え続ける。

その間にも様々な感情が重なり合い漏れた言葉が、暮れかけた日の中に響き渡った。


「立派だよ!ああ立派だ!!辺境伯としてその心がけは素晴らしいよ!だが!リリーナは!エリウットはどうなる!?」

「…ぐ、あっ!!」

「ロイロットが責任とって死んで!何も聞かされないで!!どんだけ絶望すると思ってるんだよ!それに!お前は!!」


眼下にある青い瞳に僅かな感情の色が混じった気がした。無論自分たちの瞳などただの無機物でしかない、人のそれと同じく生き生きとした感情を浮かべられるわけでもない―――が、アレクサンドライトはスティングがショックを受けたのだと感じた。

感情の揺れ動きを間近に見てやるせない気持ちを抱いたアレクサンドライトは、「お前は!」と今一度大きく叫び腕を振り上げる。


「お前は悲しくなんねえのか!!お前の主人がいなくなるんだぞ!!」


ひゅご!と聴覚器官のそばを今までで一番鋭い音が通り過ぎた。強い力を込めた拳はまたしてもへこみ傷ついたスティングの顔に当たる―――と思われたがしかし。


「何も感じないと!思っているのかっ!」


拳のうねりを上回る鋭い声が、アレクサンドライトの動きを緩める。それが隙になったのだろう、スティングは腕を持ち上げると己の拳を受け止め、反対の手を振り上げる。

驚く間もなかった。スティングの反撃はえぐるようにアレクサンドライトの顔面に命中し、髙く響き渡るほど鈍い音を立てる。己の顔の中でがしゃん!と何かが破壊されたような感覚がしたのと同時に、体が思わずのけぞった。

無防備になったへこんだ胸に、スティングは敵意を持って打撃を放つ。装甲がさらに歪んだ音がする。そのまま上体を持ち上げることが出来ずに、今度はアレクサンドライトはどう、と地面に倒れ伏した。


「がっ!!」

「アレク!!」


己を呼ぶティリの悲鳴に応えてやることも出来ない。狂ったように蒸気が漏れだし、頭脳回路にエラーが出続けている。

間違いなく何処かがいかれた。自分が人間だったらびっしょりと冷や汗が出ているだろうと感じながら、アレクサンドライトは殴られた胸に手を当てた。

金属の指が胸のべこりとへこんだ胸をなぞり、そして中央にいびつな穴が開いてしまったことを伝える。中で回る歯車と空管、動力に直接風が当たっていたがしかし、ここは決定的な損傷にはなっていないようだ。内部はまだ正常に稼働している。


問題は目だった。

直接スティングの拳が入ったらしく、いくら点滅させても左目にまったく光が灯らない。緑色の眼そのものが破壊されているらしかった。修理してもらわなければ直らないだろう。

残った赤い目で見上げると、スティングがこちらを見下ろしながら立ち上がりかけているところだった。その途中、彼は右腕に絡んでいたワイヤーを乱暴に外してアレクサンドライトに向けて放り投げた。

ぱたり、と己の足元にくしゃくしゃになったワイヤーが落ちる。

それを合図にしたように、今にも泣きだしそうな顔のティリが倒れた己に駆け寄り、破壊された瞳と胸部に視線を向ける。さらに深い悲しみに歪んだ彼女の顔が、スティングを振り返った。


「アレク…!やめて!やめてくださいスティングさん!!どうしてこんなことを!?」


ティリの悲痛な叫びが藍色の混じり始めた空の下に響き渡る。破壊され倒れたアレクサンドライトはもう敵ではないと判断したのか、スティングはかしゃんと腕の毒針を仕舞って先ほどよりもずっと冷やかな声で告げた。


「死による贖罪こそがロイロット様の望み…。ロイロット様の願いなのだ…。邪魔をするなら、お前たちをここで(ころ)していかなければならない…」

「ティリ!ロイロットは…!自分とゴードンの命を犠牲にしてリングリラに『機械の暴炎』のことを告白しに行く気だ!!」


亡霊の如きスティングの言葉を補足するようにアレクサンドライトが叫べば、かたわらのティリはその一言で何もかも理解したらしい。元から青かった顔をさらに蒼白にさせて、薄っすらと涙をたたえた瞳で銀色の機械人を見つめる。

泣き出しそうな声を抑えながら、少女は悲痛な面持ちのまま感情を訴えた。


「スティングさん、死による贖罪は一旦は丸く収まったように見えるかもしれませんけど、絶対に遺恨が残ります。第一ウインドマリーの人全員が納得するわけもない!」

「お前に何がわかる?これはロイロット様の覚悟…お前とて同じ立場なら同じ決断をしただろう」

「そんな…!」


断言するスティングには少女は眉をつり上げて反論しようと口を開くが、相対する機械人は言葉を続けそれを遮る。


「自分の父が、祖父が、大罪とも言える過ちを犯した者の気持ちをお前は考えることが出来るか?自分が罪人(つみびと)の血を引いているとわかった時、お前ならどうする?」

「…!」


途端に強張るティリの顔。それを見て何を思ったのかスティングは、自嘲的に蒸気を吐き出してさらに続けた。


「お父上が死に、真実を告げられたロイロット様の嘆きようは見ていられなかった。狂ってしまったかと思われた。人目の付かないところでは常に幼子のように泣いていらっしゃったよ」


先ほどの冷たい声とは一転、彼の発声回路から吐き出された様々な感情がこもっているとわかる声だった。

語るうちに当時のロイロットの姿を思い出したのかもしれない。アレクサンドライトもティリも彼の脳裏に過る辺境伯のことなどわかりはしないが、それでもその声色からロイロットが受けた衝撃がどれほどのものだったのかは想像することが出来る。

そして同時に、それを見ていたスティングの心情はどれほどのものだったのだろうかと考えてしまう。


様々な感情を抱えているだろう辺境伯の従者は一度ぎらりとティリを見据えて、そして自分が感情的になってしまったことに気が付いたのかふと肩の力を抜いた。


「祖父を責め、父を責め、そして何も知らなかったご自分を責めた。葬儀ののちこの施設に来て、先代様の死を調べ…全て自分の命で清算するしかないと答えを出されたのだ」

「でも、そんな、の…」

「私はロイロット様の決意を止める言葉など持たなかった…。あれほど悲壮な顔をなさっている主人を見たことが無かった」


だからこそロイロットが愚か者のふりをすることにも何も言わず追従し、彼の調査が上手くいくように嘘の噂を流した。それで罪もない他人の名誉が傷つけられようと、主人の婚約者が悲しもうと、仕方なしと考えたのだ。そう銀色の機械人はティリと、そしてアレクサンドライトにちらりと視線を向けながら語る。

青い瞳を僅かに悲しそうに煌めかせてそれから小さく首を横に振り、スティングは自嘲的な口調でさらに続けた。


「ロイロット様が罪人なら、当事者である私の罪の方が重い。本当なら私の、私の命を…」

「スティングさん、それは、」

「…いや、そんなことはどうでもいい。ともかく、お前たちにはもう少しここにいて貰う。お前たちの評判は可哀想なことだが、時間が経てばウインドマリーに戻れるだろう」


それまでは遠くの地で静かに暮らせばいいと言い捨てたスティングの青い瞳は、もうアレクサンドライトもティリも映してはいなかった。用は澄んだとばかりに顔を背け、階段に向けて歩き出す。

このまま立ち去るつもりらしかった。


「…そんなの、許せるわけねえだろ」


ぽつり、とアレクサンドライトは呟く。漏れた言葉の小ささからか、それとももう己など相手にする必要もないと判断されたのか、スティングは振り返らない。ただ隣にいるティリが静かな己の言葉に頷いて、眉をつり上げた。

伸ばしっぱなしになっていたワイヤーを腕に仕舞いながら、どうせならトストにもっと武器になるようなものをつけて貰えばよかったなと改めて悔やむ。

ゆっくりと上体を起こそうとすると、ティリの小さな手のひらが己の背中を支えた。一度彼女と視線を交わして、先ほどと同じようにお互いに頷きあうと、改めて去っていくスティングの背中を睨みつける。


「スティング、悪いが俺たちは冤罪を受け入れるつもりはねえよ。それに、そんな話を聞いたらロイロットを放っておけねえしな」


階段に足を下ろしかけていたスティングに小さく言葉をかけると、アレクサンドライトは彼に…彼の足元に向かってワイヤーを放つ。しゅ!と鋭い音とともに己の腕から一直線に伸びた炭素鋼のロープは、今まさに降りようとしていた銀色の足首に絡み付いた。

その衝撃にスティングがぎょっとした様子で振り返るが、もう遅い。アレクサンドライトは伸びてきたティリの腕の力も借りて、思い切りワイヤーを引っ張った。

―――ぐらり、とその体が揺れる。


「悪いな!俺たちはロイロットを止めに行く!命を犠牲になんてやっぱりわかんねえよ!!」


叫んだアレクサンドライトに、スティングは答えることは出来なかった。バランスを元に戻すことも出来ないまま、階下へ向かって大きな音を立てて落下していったからだ。

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