23
50年前の生き残り、銀色の機械人…『刺す者』は凍てつく氷のような青い瞳で真っ直ぐにアレクサンドライトとティリを射抜いている。
あまりにもあっさりと言われて、咄嗟に言葉が出てこない。頭脳回路のなかで、気の利いた言い回しを探すことさえできずに、ただ彼の顔を呆然と見つめながら立ちすくんでいた。
三人はしばらく視線だけを交し合っていたが、じきにスティングはそれを鼻で笑うように短く蒸気を吐き出して口を開いた。
「機械の暴炎が起こった時、私たちはちょうど遠方での実験の最中だった。事故が報告されて戻った時には全てが炎の中に消えていた…」
「……」
「消火作業と救援作業に追われて、気付けば辺境伯はここで起こったことを隠し通すと決定なさっていた…もう誰も異を唱えられる段階では無かった」
何処か後悔を滲ませるような口調で語りながら、スティングは視線を塔へと向けてその煤けた古い金属の塊をじっくりと見つめる。その青の瞳にはもう冷やかなものは宿っていない。何処か懐かしむようだが寂しげで、辺境伯を止められなかったことを悔いているのだろうかとアレクサンドライトは考えた。
その時目を逸らされたことで緊張が解けたのかふと息を吐いたティリが身を乗り出して、望郷のスティングに問いかける。
「あの…それでウインドマリー家はこの施設と事故のことをずっと隠してきたんですか?すぐに破棄しなかったのは何故?」
「…簡単に言えば時間と金が無かったに過ぎない。事態が収拾したあともせいぜい事故の傷跡を誤魔化すくらいしか出来なかった。後は50年間、このままだ」
「まあ、こんだけでけえ施設ならな…。処理するにしたって目立ちすぎるか…」
言いながらアレクサンドライトは先が見えないほど広大な施設を、今一度ぐるりと見回した。
蒸気を拭き出し動く機械たちよりも、屍となってしまった金属の塊たちの方が多い異様な空間。ここが機械の処刑場だと感じた己の感性は、外れていなかったということか。
施設の機械たちは『生きている』のではなく細々と『生かされていた』のだ。ずっとずっと死ぬことも許されずに、ウインドマリー家の体面を50年間守り続けていた。
同じく歯車の心臓を持つアレクサンドライトはその様子を哀れに感じたし、憤りも覚える。こんな目に合わされるために、彼らは生まれてきたのではない、とスティングに掴みかかって殴り飛ばしてやろうかと思った。
ふつふつと沸き上る己の怒りを敏感に察知したのか、ティリがアレクサンドライトを押しのけてスティングの前に立つ。緑色の瞳でじっと銀色の機械人を見つめながら、静かな口調で言った。
「ウインドマリー家の方はこのことをずっと知っていたのですね?その…ロイロット様たちも?」
「いいや、知っていたのは当時の辺境伯様と一部貴族のみ。先代様は先々代様が亡くなったあとの遺言状で…。ロイロット様は先代様に直接教えられたのだ」
「…先代様は事故で亡くなった、はずですよね」
訝しげにティリが問いかけると、スティングは一度頷いたあと「ついてこい」と短く言って再び階段を上り始める。
どうやら階層はスティングが収まるはずの12階で最後では無いらしく、階段は塔の屋上まで続いているらしい。アレクサンドライトはティリと顔を見合わせて、遠ざかる銀色の背中を追った。
「先代様はロイロット様と王都での会議に出席中の事故で身罷られた。乗っていらっしゃった馬車が横転してな…打ち所が悪く、病院に運ばれたが手の打ちようがなかったのだ。最後の時に先代様はロイロット様を枕元に呼ばれ、この施設のことを打ち明けられた」
「…じゃあ、結構最近のことか」
「ああ…。だがその事故には奇妙なところがあった」
「奇妙?」
アレクサンドライトが嫌な予感とともに思わず声をあげると、スティングは肩越しに振り返りその予感を肯定するように小さく頷く。
「馬車の車輪に細工を施されたのだ。ロイロット様はそれを見て、お父上の死は偶然ではないと感づかれた」
「…!あ、そうか!ロイロット様はお父上の死の疑惑について調べていたんですね!」
ここにきてロイロットの行動の理由が判明し、ティリがはっとした様子で声を上げてアレクサンドライトも彼女を振り返って頷いた。彼女は緑色の瞳を大きく見開いてこちらを見上げて、そしてスティングへと視線を戻す。アレクサンドライトもまた目の前にいる銀色の機械人の言葉を促すように、彼の背中を見つめた。
二人分の視線を受けて、スティングは小さく蒸気を吐き出した後話し続ける。
「ロイロット様はまずこの施設を訪れた。そして先代様の言葉が真実であるという確信を得て、お父上の死が50年前の事故に関わりがあるのではと調べ始めたのだ」
「50年前の?でも、どうして?確かにこの50年前の事故は大変なものですけど、いきなり結びつけるのは…」
「いきなりではない。そもそも以前から先代様のまわりで異変は少しずつあったのだ」
途端に険しくなった彼の声が語ったのは、先代辺境伯の死の間際のことだ。
部屋の中の物の配置が微妙に変わっていたり、出先で不手際が起こったりと些細なことばかりだったが、思えばあれは事故の予兆だったのだろう。先代自身も特に気に留めずに、彼が何気なく洩らさなければその事実さえも浮き彫りにならなかった。
そして何より疑惑を深めたのは、リングリラの者たちがウインドマリー家に接触することが多くなったという事実。
「ロイロット様の婚約関係のことでもない、国交の使者でもない、商人や美術家、時にリングリラの機械工などがかなりの数先代に接触していた」
「…つまり、ロイロット様は50年前の事実を知ったリングリラの誰かが、復讐のために先代様を暗殺したと思っている?」
「その通り。そしてリングリラとの内通者がウインドマリー家にも紛れ込んでいる」
はっきりと言いきったスティングに、質問をしていたティリは勿論アレクサンドライトも言葉を紡げずに銀色の機械人の背中を凝視した。
途端に無言になってしまった二人が自分の言葉を疑っていると思ったのか機械人はぎろりと肩越しに振り返り、冷たい青の瞳を点滅させて感情無く言う。
「ロイロット様が何故愚か者のふりをしていたと思っている?敵の…なにより身内の目を欺くためだ」
そもそも先代辺境伯が最後に乗っていた馬車は、ウインドマリー家のものだったらしい。きっちりと管理されているそれに細工をするとなると外部の者では難しく、内部にスパイがいると考えるのが妥当だろう。
それに先代辺境伯のスケジュールを知り、計画をたてるのにもウインドマリー家の内情を熟知している者がいればたやすいとスティングは言った。
しかしアレクサンドライトとティリは、内通者がいるということを疑ったわけでは無い。むしろとある予感が二人の中に駆け巡り、言葉を出せずにいたのだ。
毅然とした言葉で返すスティングに、ティリは眉間にしわを寄せながらおずおずと顔を上げて口を開く。
「あの…その内通者の疑いがある人って…もしかしてゴードン様のことですか?」
「―――…なんだ、やはり調べていたんじゃないか。そうだ…ゴードンには強い疑いがあると私たちは思っている。奴は『機械の暴炎』の被害者…我々を恨んでいる可能性がある」
瞳に宿った険をすっと抜き頷いたスティングに、アレクサンドライトはティリを顔を見合わせて「やっぱり」と小さく口に出した。
夜な夜な高級クラブに通っていたウインドマリー家の老執事、ゴードン。彼は自分の置時計を馴染みの店にプレゼントした…と見せかけて、それをリングリラの暗殺者との手紙のやり取りに使っていた。
長くウインドマリー家に仕えているゴードンならば先代辺境伯のスケジュールをよく知っているだろう。執事ならば、車庫に近づき馬車に細工することもたやすい。
アレクサンドライトの頭脳回路に下卑た笑みを浮かべながら車輪に細工している老執事の姿が浮かび、激しい怒りが湧きあがる。が、それよりも言わなければならないことがあると、改めてスティングを見つめ、憮然とした口調で言い放った。
「犯人がわかってんなら、さっさとゴードンを捕まえてくりゃいいじゃねえか。あいつのせいで俺たちは散々な目にあったんだ」
「あの…、ロイロット様が身内の方の目を誤魔化すために演技をしていたことはわかります。お父上を奪われたそのお気持ちも。でもそのせいで私たちはいろんな人に疑われたんです。どうかロイロット様に真実を説明するように言ってくれませんか?」
喧嘩腰の己をフォローするようにティリも続いて懇願する。アレクサンドライトは目の前の機械人に何処となく嫌味っぽく高圧的なものを感じていたので頭を下げることなど億劫だったが、ちらりとこちらを見た緑の瞳に諦めて蒸気を吐き出す。「頼むよ」とぶっきらぼうに短く言った。
だが銀色の機械人はそれをちらりと一瞥しただけで、にべもなく告げる。
「そういうわけにもいかんのだ」
「ハア!?なんでだよ!!」
「今回の件、リングリラのどんな人物が関わっているのかはまだわかっていない。そして原因はこの塔…ウインドマリー側にある。慎重に行動すべきなのだ」
「っ…!まさか、また事件を隠ぺいするつもりですか!?そんなこと、何度も続けられるわけがない!秘密はいつか白日の下にさらされます、秘密が大きければ大きいほど隠し通すのは難しい!」
叫ぶようなティリの訴えにしかし、スティングは無言で首を横に振る。銀色の機械人は「そうではない」と短く言葉を発し、今にも怒鳴りつけ殴りかかりそうなアレクサンドライトを押しとどめた。
「ロイロット様はリングリラ国王に何もかもを話すつもりだ。50年前の事件。今回の婚約破棄騒動。そしてご自身の父上が暗殺されたことを」
「…なら、」
「だがそれを敵に、ゴードンに気付かれては全てが水泡に帰す。目くらましが必要だ」
―――目くらまし。
その言葉が示すものがアレクサンドライトは一瞬何かわからなかったが、己よりも先に察したティリが眉間に刻んだ渓谷を深くして「まさか」と震えた声で呟く。
「私たちのことですか?」
「な…!」
「私たちが目くらまし?『時計塔のアレクサンドライト』が辺境伯様の浮気相手だって噂も、それが私たちだっていう噂も、全部、目くらましのための嘘…?」
スティングは今度は振り返らなかった。ただその青い瞳と同様に冷え冷えとした口調で、あまりにも機械的に淡々と頷き「その通りだ」と肯定する。
ついにカッと頭に熱がこもり、アレクサンドライトはティリの脇を通り過ぎ数段の階段を駆け上がると、スティングの肩を掴んで無理矢理こちらを振り向かせた。足場が不安定な場所でともすればバランスを崩して転んでしまいそうなものだが、意外なほどに抵抗なくスティングはこちらを向き、アレクサンドライトと顔を見合わせる。
「てめえらの勝手な作戦で!俺とティリが!!トストがどんだけ迷惑したのかわかってんのか!?トストは仕事を奪われて…!俺たちは街を追い出される寸前なんだぞ!!」
「てめえ『ら』ではない。お前たちを囮に使ったのは私の独断だ。私が噂をばらまき、ゴードンたちを混乱させた」
ロイロット様はこの件については関係ない…と告げたスティングに、もしかして主人をかばっているのではと疑惑が湧いたが、銀色の機械人の青い瞳にはどんな動揺も見られない。
ただあまりにも真っ直ぐな冷えた瞳がアレクサンドライトの前にあるだけだ。しかし動揺も無い代わりに後悔も懺悔も気遣いもうかがえない。まるで無そのもののような青に、マグマが暴発するかのように怒りのボルテージが上がった。
「お前は!お前たちは!何度俺たちを犠牲にすれば気が済むんだ!俺たちはお前たちの道具じゃねえぞ!」
「そんなことは百も承知。だが一を犠牲にしても百を救う。その判断が私たちには必要なのだ」
いつかのゴードンと同じことを繰り返したスティングはアレクサンドライトが再び言い募る前に、すっと身をひるがえして階段を上った。そのままこちらを振り向かず、素早い動きで上へ上へと駆け上がっていく。
「来い、アレクサンドライト。お前たちにはもう少しここにいて貰わなければならない」
「っ!待て!!」
挑発に乗って、アレクサンドライトは銀色の影を追って階段を一段飛ばしで上り始めた。背後でティリが己を呼び止める声が聞こえたが、すでに己の頭脳回路は停止すると言う選択肢をすっかりと捨て切っていた。




