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01

辺境の地、ウインドマリーは蒸気と歯車の街だ。

街中を走るのは馬車と蒸気自動車。街々を繋ぐのは汽車と空を悠々と泳ぐ飛行船。機械から吐き出された蒸気は大気を汚し、世界は鈍く鋼色に染まる。職人たちは日々頬を煤まみれにしながら仕事に精を出し、機械たちとともに街を動かしている。


ウインドマリーの人々は機械を作り、利用し、共に生きている。長い年月、それは常に自分たちのそばにあった。


この街で機械の整備の仕事―――『機械工』を生業としているトスト一家は、街の生活を支える第一人者である。

家主のトストは既に老年で髪の毛はほぼ白髪に覆われているが、腕はまだまだ衰えておらず、厚い眼鏡の奥に光る眼光は鋭い。この街で最も有名な機械工と言ったらこの男、と皆口を揃えて言うだろう。


この街を治める辺境伯『ウインドマリー家』からも信頼されており、トストは若いころより街からの依頼を多く受けていた。

今日も一か月に一度の決まり事として、ウインドマリーのシンボルである大きな時計塔の整備に、家族総出で駆り出されている。根っからの職人である彼らは黙々と地道に、しかししっかりと作業を続け、昼過ぎには全ての整備を終わらせてしまっていた。


―――ウインドマリー家の老執事、ゴードンが彼らの様子を見に来たのは、トスト一家が帰還すべく工具の整理をし始めた、そんな時である。

はなぶち眼鏡にとがり気味の顎、背筋をぴっと伸ばしてしわ一つないスーツを着ている彼は、立っているだけでぴりりとした緊張感をあたりに振りまく。今年で60になるはずだが、その貫禄とともにまだまだ衰えを知らない。

ぎらり、と視線を鋭くして執事は厳格な態度を崩さず、執事の登場に驚いた顔で顔を上げたトストに向き直った。


「時にトスト、お前の家族にアレクサンドライトという者がいるそうだな」


辺境伯執事の重く厳しい声は、あまたの歯車が連なる暗い時計塔の内部に響き渡った。

巨大な歯車と歯車のかみ合わせの音にも負けぬゴードンの声に、トストは目を瞬かせて、それに反応してか上階の機械の最終点検をしていた彼の孫娘も慌てて階段を駆け下りてくる。

たんたんたん、とこちらへ寄ってくる彼女の硬質な靴音。暗い時計塔の内部でもなお目立つ彼女の金色の髪と翡翠のような緑の瞳に、執事はぎらりと視線を向けた。


「君がアレクサンドライト…かね?」

「え…?」

「君は現辺境伯、ロイロット様にお会いしたことがあるだろう」


唐突な質問に、孫娘は緑色にきらめく目を瞬かせ祖父と視線を交わしている。二人とも口元が「え?」という形に開かれて、言葉にしつくせない疑問符が顔中に溢れているが、ゴードンはそれをおもんばかることはしなかった。

明らかに戸惑いが見られる様子だったが、執事はさらに厳しい口調で「何かいいたまえ」と苛立った様子で続ける。


「先日辺境伯がリリーナ・フレイムミル様との婚約を破棄なされた」

「は、あ…」

「辺境伯はその理由を『時計塔のアレクサンドライト』に探せとおっしゃられた。それは君だな」

「え!?」


娘は一際大きく目を見開く。新緑のような緑色が驚きに彩られているのが見えたが、ゴードンは軽くため息をついてそれを見返す。


「早急にロイロット様と別れてくれ、そして彼に、家に戻るように言いなさい。このままでは問題が大きくなるばかりだ」

「…え、えと、え…?」

「聞いているのかね?アレクサンドライトくん。はやく辺境伯を…」

「おい、アンタさっきから何を言っているんだ?」


唐突にゴードンの言葉を遮ったのは、青年の声だった。

まだ誰ぞがいたのか、と老執事がその声の方向---先ほど孫娘が降りてきた階段に目をやると、鈍く緑色に輝く大きな影が、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。


人よりもなお高い背に、大きな肩幅とそこから伸びる太い腕。

腰はやや細めだが足は長く、つま先に向かうほどどっしりと大きくなっている。

まるで大昔の騎士がかぶっていた兜を思わせる頭部の目と思わしき部分には空洞が開き、そこには緑と赤の左右違う色が光っている。

近づくことでわかったが、鈍い緑色はその者の表面を覆う装甲だった。光沢のない深い色で、ところどころに小さな傷や剥げかけた跡があるので、長い年月をこの者が過ごしてきたことがわかる。

己より大きなその姿に、ゴードンはごくりと唾をのみ、小さくつぶやいた。


「機械人か…」


人々の隣を歩くは柔らかい肉を持たぬ、歯車の心臓と硬い装甲で覆われた『機械人』。

人の生活の助けになるために生み出されたこの隣人もまた他の機械と同じように、職人とともに街の整備をしたり、ときには貴族の世話係や護衛役に使われることもあった。ウインドマリー家にも機械人の使用人が数人いる。この街では珍しいものではない。


ただゴードンが驚いたのは、こちらを見下ろす『彼』が先の戦争で使われていた完全戦闘型の形状をしていたことだ。

大きな戦が終わってから、機械人の武装は禁じられている。まあ、戦闘型の機械人はスタイルがよく、一部の人間に人気だったので武器を除去したタイプがまだ販売されていることはゴードンも知っていた。

ただあの戦争を若いときに経験したゴードンは、戦闘型の機械人にわずかな苦手意識があった。努めていても額からじんわりと汗がにじむのを止められない。


狼狽し、言うべき言葉が頭から飛んでしまった老執事に向かって、現れた機械人は呆れたような口調で告げる。


「アンタ、何を勘違いしているかわからねえが、そいつはアレクサンドライトじゃねえよ」

「…は?」


ゴートンは機械人から視線を孫娘に移す。短い金色の髪をさらりと揺らしながら彼女は、困ったように笑って肩を竦めた。


「私は…おじいちゃんの、トストの孫娘のティリです」

「…え?」

「アレクサンドライトは俺だよ。俺がトストに貰った名だ」


聞こえた苦笑交じりの声に、老執事はぎょっとして視線を戻す。鈍い緑色の機械人は孫娘…ティリと同じく肩を竦め、困ったような表情でゴードンを見つめていた。



ごとごとと石畳の上を走るバイクの音を聞きながら、アレクサンドライトはサイドカーの上で「何だったんだ?」と苦々しく声をたてて緑と赤、左右違う色をしたセンサーに空を映す。

時計塔から自宅の工房に帰る道。蒸気に汚された空は相変わらず灰色で、この錆色の街ウインドマリーを包み込んでいる。

トスト一家が住む職人街は今日も活気がいい。職人たちの威勢のいい声と金属を作る重く高い音。道行くバイクや蒸気自動車の音に混じって、機械たちが忙しなく働く音と人や機械人たちが話す活力ある声が聞こえてきた。

相変わらずの自分の故郷だが、アレクサンドライトの気分は重い。

憮然とした態度の己に、バイクを運転するティリは「何だったんだろうね」と困惑を織り交ぜた笑いを顔に浮かべていた。


「たぶん、アレクサンドライトって名前の人を探していて、うちに行き着いたんだと思うんだけど」

「だからってあの態度はねーだろーが!お前を浮気相手だと決め付けてきやがって!」

「ちょっと、アレク、声が大きいよ!…まあ、確かに今は色恋なんかには興味ないけど」


「ついでに人の婚約者を寝取る趣味もないよ」と、歯を見せてからりと笑う彼女に、アレクサンドラはその通りだと言わんばかりにぷしゅ、と蒸気を吐き出す。ティリのことを思えばあのゴードンとかいう老執事を、もっと怒ってやればよかったとも思った。


ティリは見習い機械工である。

両親を早くに亡くした彼女は祖父であるトストに育てられ、彼の背中を見て育ってきた。その彼女が祖父と同じく機械工を志すようになったのは、当然の成り行きと言えよう。

夢を追うティリには、年頃の少女のように愛や恋に頬を染めている時間はない。

だから彼女をこっそりと応援しているアレクサンドライトにとっても、先ほどのゴードンの態度と疑惑は大変不名誉なものだった。だいたい機械工見習いがどうやって貴族様と知り合おうというのか。

不敬罪など恐れず一発殴ってやれば良かったかとすら思い、今一度ぷしゅ、と蒸気を漏らす。


「…それにしても辺境伯さまが婚約解消か。『リングリラ』との関係が悪くならなければいいんだけど」

「…」


ふいに、不安からか美しい緑色の目を細めたティリの横顔を見て、怒りに歯車を回していたアレクサンドライトも口をつぐむ。

ウインドマリーも含めるこの国、『テトラトル』は50年前まで隣国『リングリラ』と敵対関係にあった。長く戦いは続き、様々な武器や機械が戦場に投入され、人も機械人も志半ばで力尽きていった。

この辺境の地は最も戦が激化した地域である。だからこそ機械技術が発展した。ティリや彼女の生まれと同じ年に製造されたアレクサンドラは知らないが、ウインドマリーの老人たちはあの苛烈さを昨日のことのように悲痛なまなざしで語っている。


あの戦から50年目の今日(こんにち)、『リングリラ』から『テトラトル』へ友好の証として一人の女性が嫁いでくることは有名だった。


「『フレイムミル』ってところを治めている人の…娘さんだったよね。いいのかな、勝手に婚約を止めて」

「いいわけねえだろ。よくわかんねえけど」


無作法者のアレクサンドライトだが、貴族間の婚姻が庶民の惚れた腫れたよりもずっと難儀で難解なのは理解できる。

こちらの勝手で婚約破棄など声高に言ったら、再びウインドマリーが…否、テトラトルもリングリラも戦火に沈む可能性がある。

それを理解しておらず私欲で放蕩に走ったというのならば、現ウインドマリー当主は本当に大馬鹿だ。


「何事も起きなきゃいいけどな。また変なこと言ってきたらもうお前のとこの機械は修理しねえぞって言ってやろうぜ」

「え、ええ…それはちょっと…」


不安げな顔から、苦いものを混ぜ込んだようなものだったがティリに笑顔が戻ったので、アレクサンドライトは安心して「かっかっか!」と快活に笑う。

この街がどうなるかはお偉い方の気分のさじ加減というのは気持ち悪いが、少なくとも隣にいる少女の笑顔だけは自分で守ってやりたいと、アレクサンドライトは考えている。

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