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貴族が避暑地として使い、あまたの別荘が建っている地区は、ウインドマリー郊外の広い土地だ。
50年前の戦争で最も被害を受けた場所であり、『機械の暴炎』が起こったのもこの近くであると聞いたことがある。何もかもが炎に焼かれ人が住めなくなった土地を貴族が買い取り、数年かけて避暑地にしたのだ。
今はこの地でウインドマリーだけでなく、テトラトル全土の貴族や裕福層が癒されに訪れている。だが今はシーズンオフで、アレクサンドライトとティリが降りた瀟洒な駅のプラットフォームに人は少なかった。
ウインドマリーとは違う蒸気に汚されていない晴れやかな空を一瞥してアレクサンドライトは、隣できょろきょろとあたりを見回しているティリに尋ねた。
「そういや、トストは辺境伯がウインドマリーを出たことは知ってたんだよな…」
「うん、そりゃあそうだよ。だから私たちを街から出させたんだと思うよ」
こちらを振り返って告げたティリに、アレクサンドライトは「だよな…」と蒸気を吐き出す。
恐らくゴードンから知らせを受けたときに、ロイロットのことを聞かされたのだろう。自分たちに対する老執事の態度からして、八つ当たり気味に声を荒げられたのかもしれない。
トストからしてみればいい迷惑だっただろうなと申し訳ない気持ちと同時に、巻き込んでしまった彼のためにも早くロイロットの足取りをつかまなければとアレクサンドライトは思った。
ティリはひとしきりプラットフォームを観察した後、汽車の中でも見ていた折り目だらけの紙を取り出し再び読み始める。熱心な様子にアレクサンドライトも、ティリの後ろから彼女の手元を覗き込んだ。
「それ、リリーナから貰ったって言ってたよな」
「うん、ロイロット様の足取りはエリウット様が調べてたみたいだけど…、ウインドマリー家の別荘の住所も書いてあるよ」
「そいつは頼もしいな」
ティリの手の中にあるそれは上流階級の人間が好んで使う上質な紙で、細いが丁寧で美しい字がみっしりと並んでいる。恐らくリリーナの字だろうが、謝罪に始まってロイロットの足取りまでがつづられていた。
紙は小さく降りたたたまれて、先日帰ってきたバイクの座席の下に入っていたらしい。恐らくリリーナは喫茶店で話した『貴族間で流行っていたお遊び』の真似をして、自分たちに情報を伝えようとしたのだろう。
(トストがバイク見てこいって促したから…もしかして感づいてたのかもしれねーな)
意外と食えない男だ。頑固そうな分厚いレンズの奥の瞳を思い出しながら、アレクサンドライトはぶしゅうと低く蒸気を吐き出しつつティリとともにリリーナの手紙を読む。
繊細な彼女の字は、泥棒騒動と襲撃騒動で捕まった男たちが全員ロイロットと懇意にしていたと証言していること、自分たちが機械兵器に襲われた日にロイロットがお供を連れてウインドマリーを出ていたこと、ロイロットは避暑地域の切符を買ったらしいことを告げている。
そしてゴードンの独断による自分たちへの仕打ちを、エリウットとともに止めていることも書かれていた。
しかし頑固な老執事はもちろん、ウインドマリー家や体裁を気にする一部の人間がすべてをアレクサンドライトたちのせいにすることに強固な姿勢を見せているらしい。それは戦争を知った世代であればあるほど顕著で、何かを恐れているようだとリリーナは言っている。
「そういや、ゴードンもなんか怖がってたよな。…そんなにあの戦争が怖かったってことか…」
「―――…私たちにはきっと想像もつかないようなことがあったんだろうね。…あ、ねえ、アレク」
言いながらティリが人差し指でとんとん、と紙の端をつつく。うながされてアレクサンドライトがその先に視線を送ると、そこにはリリーナが今日の夕刻に飛行船でテトラトルに帰還すると書かれていた。これはエリウットが判断したらしいが、確かに襲撃者の姿がわからない以上、下手にウインドマリーにとどまればリリーナの命が危ない。
しかし自分たちに罪をなすりつけようとする一派を止める人間が一人いなくなるのもまた事実で、あまり長引かせると悪評がばらまかれてしまう危険があった。
今もまだロイロットがこの避暑地にいるといいのだが…。アレクサンドライトはリリーナの字から再び外へと視線を転じる。日はまだ高い。行動する時間はあまりないが、急がなければ。
「行こうぜ、ティリ。辺境伯サマの別荘まで、馬車か?」
「うん、そうだよ。クラスタインさんに馬車の案内も頼んであるから」
「準備いいじゃねえか、流石ティリだぜ」
どうやらあの商家の富豪に色々と手配してもらったらしいティリに先導されながら、アレクサンドライトは駅を出た。
流石は貴族が金をかけて整備した土地とでも言おうか、駅の周辺はウインドマリーとは比べ物にならないほど洒落た外装の建物が連なっている。喫茶店や土地の特産品を売る店が多いようだが…そう言えばウインドマリー家もここで茶の栽培をしているとリリーナが言っていたことを思い出した。
彼女のメモによれば、貴族の別荘地はこの区域を抜けて少しした場所にあるらしい。
アレクサンドライトはいまだ見えない目的地がある方向をぎろりとねめつけ、ティリとともに停まっていた一台のキャリッジへと歩み寄った。
自分たちを待っていた馬車は小さく、同じく小柄な御者がぺこりと会釈したのち二人の名を確認する。
体の大きい己が乗るにはその車内は少し狭かったが丈夫そうだった。二人で乗るとどうしても窮屈さを感じてしまうものの、機械人の重さで壊れるということは無いだろう。
二人が着席すると御者は何も聞かずに「ウインドマリー様の別荘までですね」と確認してから馬車を出した。クラスタイン氏からしっかりと言い使っているらしく、アレクサンドライトたちの身の上を追及したりもしない。おかげで二人は別荘につくまでの間、会話に集中することが出来た。
「ロイロット様はここに何の用があるのかな…?」
馬車の窓から外を眺めながら、ティリが悩ましげに呟く。アレクサンドライトは肩を竦めようと思ったが、その狭さから阻まれて「知らねえな」と返すにとどまった。
「とっ捕まえれば全部わかるだろ。まあ、ここにいればだが…」
「うん。…リリーナ様を襲った機械兵器とロイロット様は、やっぱり関係あるのかな…」
「まあ、関係ないことは無いだろ…」
だが機械兵器の操縦者がロイロットの旧知だと言うのは、どうも胡散臭い。彼が誰かに命じて派手に婚約者を襲う意味が見当たらないからだ。
そう言うとティリはアレクサンドライトの方へ視線を向けて、眉間にしわを寄せながら以前の調査でわかったことをまとめ始める。
「ロイロット様は何かを調べていた。リリーナ様はそのロイロット様を調べていた。二人が邪魔になったから人を使ってリリーナ様を襲わせた」
「おう…」
「ロイロット様に頼まれていたって言えば、怠け者の真似をしていたロイロット様に避難の目が集中するよね。信じちゃう人も多いと思う」
確かに堕落していると噂のたっているロイロットが大きな事件を起こしたと聞けば、何もなく信じる者は多いだろう。先日トストに文句をつけに来た貴族街の人間などは、一も二も無く鵜呑みにしてしまいそうだ。
機械兵器を操っていた者たちもそれを狙いにしていたのかもしれない。本気でリリーナを害そうとしたわけでなく、『リリーナがロイロットの命で動いた暴漢に襲われた』という事実が欲しかったのだろう。同時に彼女を脅し、動きを封じようと思っていたのだろうか。
しかし、そんなことをすれば『テトラトル』、『リングリラ』両国の関係が悪くなるのは必至。いったい誰が暴挙とも取れる命令を出したのか。
そこまで考えて、アレクサンドライトはロイロットが馬鹿のふりをしてまで何を調べていたのかを思い出した。
「まさか、ゴードンが…?」
ゴードン。
ウインドマリー家の老執事。
厳格で神経質そうな鼻ぶち眼鏡の顔を思い出しながらアレクサンドライトは呆然と呟いたが、隣でティリは眉間のしわをさらに深くして「でも」とゆっくり首を横に振った。
「ゴードンさんは両国の関係が悪くなるのをすごく怖がってるみたいだったよ。あの人がそんなことをするかなあ?」
「ポーズかもしれねえぜ。今一番怪しいのはあいつじゃねえか」
「そりゃあ、まあ…」
そうだけど、と唇を尖らせながらティリはうつむきながら何かを考え始めたる。対してアレクサンドライトはウインドマリー家の老執事に、改めて怒りを覚えた。
理不尽に自分たちを罰したばかりか、あの男は自分の主人やその婚約者まで毒牙にかけようというのか。何が目的であれ、許されることではない。ロイロットに会って、真相が全て白日の下にさらされたら一発殴ってやっても文句は言われないのではとすら考えた。
ぎりぎりと怒りで歯車を回していると、ふと窓の外の風景が変わっていたことに気が付く。
こじゃれた建物の群れはいつの間にか姿を消し、あたりには青々とした枝を大空へ伸ばした木々が立ち並んでいる。森…と呼ぶには鬱蒼としていない。丁寧に管理された人工的な林だった。
その木々の合間にぽつりぽつりと大きな屋敷が建っていて、あれが貴族や裕福層たちの別荘なのだろうなと察した。話でしか聞いたことがないが、なかなか立派な建物が多く、金が余ってるところには余ってるんだな、と何とも言えない気持ちになる。
馬車はその林の道を進み続け、やがて木々が無く開けた場所に到着した。
陽光を遮る葉や枝が無くなって、突然視界いっぱいに光が溢れた錯覚に陥る。
しばしセンサーをちかちかさせて明暗に慣らしていたが、やがて映った景色にアレクサンドライトはもちろんティリも隣で「うわあ」と感嘆の声を上げていた。
「すげえな、広い…」
「本当。それに、すごく綺麗…」
目に飛び込んできたのは、鮮やかな紫色の花畑。
地平線の向こうまで広がる一面の紫は、大気の流れとともにゆらゆらとその控えめな花弁を揺らしている。可憐なその花が動くたびに、匂いのわからぬ自分にもかぐわしさが伝わってくるようだった。
晴天の空と地上の色との対比も美しく、振り返れば道を挟んで向こう側の草原でもその景色は続いている。
蒸気と歯車の錆色の景色で育ったアレクサンドライトとティリは、その『自然』の姿にしばし呆然と見とれていた。
「これは…マロウブルー、かな?こんなにたくさん作ってるんだ」
「ああ、あの青い茶か…。へえ、茶にする前はこんな色なんだな」
ひとしきり感動しきってぼんやりと二人は呟きあう。その間にも馬車はごとごとと道を走り、やがて花畑の向こうに大きな屋敷が見えてきた。
空よりも深い青い色の屋根と白い壁が目立つ屋敷は洒落ていて、この雄大な花畑の中でも存在が見劣りしない。むしろ花畑を引き立て役にするかの存在感で、どっしりと建っていた。
睨みつけるようにその屋敷に視線を向けて、アレクサンドライトはぽつりと呟く。
「あれが、ウインドマリーの別荘か…」
「あそこにロイロット様がいるのかな…」
深刻そうに声を潜めたティリに、アレクサンドライトは「さあな」とそっけなく答える。
問題の人物がいてくれた方が事態はすんなりと進むが、果たしてどうだろうか?
二人の期待と不安を乗せて、馬車はゆっくりとウインドマリー家の別荘に到着した。




