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アレクサンドライトとティリの訴えは、結局ゴードンに届くことは無かった。

老執事が部屋を後にした後、取り残された二人は彼を追って前言を撤回するように要求した。が、護衛である機械人たちに邪魔をされ、ゴードンの傍らに寄ることすら出来なかった。老執事はこちらに同情を寄せることも無く、ただ冷たく「訴えられないだけありがたいと思え」と言い捨てて去って行った。

もはやティリの顔色は青白く、悲痛に歪み、体は小さく震えている。アレクサンドライトもこの状況を打破するべく策が思いつくわけも無く、ただただ消沈する少女の様子を見ていることしか出来ない。

そして二人の心は、職人街にある自宅に帰っても休まることは無かった。


「…戻ったか」


肩を落として作業場の扉をくぐった二人を出迎えたのは、いつにも増して厳しい顔をしているトスト。

眼鏡の奥に光る彼の目に何処となくぞくりとした寒気を感じながら、アレクサンドライトとティリは警察署で起こったことを説明すべく口を開いた…が、家主は目を閉じながらそれを止めた。


「既に報告は受けておる。下手をうったな、ティリ」

「…っ、はい…」

「だからわしに任せておけと言ったのだ。まあ今言っても詮無きことか…」


ふう、と軽くため息をついたトストに、ティリの顔がさらに歪む。愛する祖父に、尊敬する師に、落胆されてしまった。その心に与えられた衝撃は言い表すことなど出来るはずがない。

今にも泣いてしまいそうな彼女の横顔を見て、アレクサンドライトは慌ててトストに言った。


「と、トスト!ティリはあんたのことを思ったんだ!あんたの仕事に支障が出るかもしれないと思って…!!」

「だがそれで結局仕事が無くなってしまったのなら、意味がない」

「…!」


ばっさりと切り捨てられてしまって、アレクサンドライトは口ごもる。

たしかにそうだ、トストの言うことはもっともで、正論だ。自分たちが首を突っ込まなければ、もう少し穏便に事がすんだかもしれない話だ。悪意がなかったという言い訳で済む問題では、すでに無くなっている。

だがしかし、ティリがトストを思って行動を起こしたこともまた事実。野暮な好奇心ではない、純粋に真相を究明したかった気持ちまで切り捨ててしまうのはあんまりだった。

慰めるのも冷静に反論するのも苦手だが、アレクサンドライトはうつむく少女と厳しい目をする家主に声をかけようと必死だった。せめてトストに孫を許すように進言しようと発声回路を稼働させかけ…しかしふっと顔を上げたティリが、それを遮る。


「ごめんなさい、おじいちゃん…。今回のことは全部私の浅はかさが招いたことです…。罰は、どんな罰だって受けます…」


あまりにも悲壮な声と表情だった。

泣き出しそうなわけではない。ただただ真面目に真っ直ぐに、翡翠のように美しい瞳で祖父を見ている。悲しみの色すらその顔に浮かんでいない。だが、逆にそれがあまりにも痛々しく見えた。

アレクサンドライトは出かかった言葉をぐっと空管の中に押し込める。そして己もトストに向き直ると、彼より高い位置にある頭をぺこりと下げた。


「俺のせいだよ。俺が派手に動き回ったからこんなことになったんだ。罰なら俺だけにしてくれよ」

「アレク…」

「なあ、頼むよトスト。ティリを許してやってくれ」


普段の己からすれば、ずいぶんと力ない声である。ティリも意外に思ったのか少しだけ横目でこちらを見た後、眉を垂れ下げていた。

すっかり小さくなった二人をじっと見つめ、トストは腕を組んだ後しばらく口を閉ざす。沈黙の数秒間はアレクサンドライトとティリにとって、酷く居づらく息苦しいものだった。決してその間は短いものでは無かったはずだが、自分の中の時間を感じる機能がおかしくなってしまったのではないかとすら思う。

やがて…トストは大きくふう、とため息を落とす。びくり、と隣でティリの肩が震えた。


「こうなってしまった以上、もはや最後までお前たちが責任を持って行動するしか他は無い」

「…」

「ティリ、アレクサンドライト。お前たちはこの街を離れなさい。それが罰だ」


え…とあまりにもか細い少女の声が隣から聞こえ、アレクサンドライトはぎょっとして頭を上げる。

相も変わらず老職人は厳しい目で自分たちを見つめていた。反論はいっさい許さない、如実に語る彼の目にアレクサンドライトはぶしゅう!と強く蒸気を吐き出してトストに詰め寄った。


「待て、待ってくれよ!この街を出るって?どういうことだよっ!!」

「そのままの意味だ。お前たちがこれ以上この街で動くのは許さんと言っている。ウインドマリー家の目も厳しくなるだろう…早急に準備をしなさい」

「んな…あっさり…!!」


愕然としてアレクサンドライトはティリを振り返った。

少女はすっかり表情を無くし、ただただ祖父を見つめるしか出来なくなっている。翡翠の瞳は逸らされることもなくトストを映し、トストの瞳にもまたティリの姿がくっきりと映っていた。

その姿はすでに痛々しいを通り越し、空虚さすら感じてしまう。声をかけられる雰囲気ではなかった。


―――ティリは、ずっとこの街で機械工になるために頑張ってきていたというのに。こんなことで何もかも終わってしまうのか。


何も悪事は働いていない、ウインドマリー家の…否、先ほどの言葉は怒り先走ったゴードンの独断であろうに、ティリはその責任を取って追い求めてきた夢を諦めなければならない。そんなことがあってたまるか、とトストに再び懇願するように視線を送るが、彼の言葉が覆ることは無い。

立ち尽くすしかないアレクサンドライトをよそに、祖父と孫は普段の穏やかさが嘘のような温度のない表情と声で淡々と会話を交わす。


「…ティリ、表にお前のバイクが止めてある。ウインドマリー家の方がわざわざ持ってきて下さった。確認してきなさい」

「…はい」

「チケットは自分で取りなさい。そこはお前に任せる」

「…わかりました」


こくりと頷き、ティリは「失礼します」と反論することもなく踵を返して来た方向へと戻っていく。小さな背中が遠ざかるのを見つめながら、あまりにも無情な現実にアレクサンドライトは打ちのめされる。

ティリは反抗しないのだ。己の運命を受け入れてしまったかのように見える。その姿が悲しくて、何よりも悔しい。

どうあがいてもトストの決定は覆ることはないのか。己と同じく無言でティリの様子を見つめていたトストへとすがるように視線を向けるが、老職人は重々しくため息をついたあと、やおらこちらに顔を向けた。


「アレク、お前も準備をしておきなさい。必要なものがあれば用意しよう」

「…どうしても、ティリが出て行かなきゃならねえのか?俺だけじゃなく?」

「ああ、さっきも言っただろう。それが罰であり、責任だ」

「…」


トストの声は揺るぎない。彼の意思を変えるのは並大抵のことでは無理だとわかってしまい、アレクサンドライトはがくりと肩を落とす。ティリが望むのなら、その決定だろうと貴族だろうと殴り倒す気持ちもあったが、彼女はすでにすべてを諦めてしまっている。

もはや蒸気を吐き出すことも出来なくなった己の様子を無言で見つめていたトストだったが、やがてくるりと背を向けると重々しい足取りで作業台に向けて歩き出した。


「何も必要なものが無いのなら、せめて整備だけはしてやろう。ほら、こちらに来なさい」


言いながら彼は工具を取り出して、アレクサンドライトを手招きした。そっけないその態度はいつものことだが、何となく寂しいものを感じてしばし戸惑い、二の足を踏む。無言の己を不審に思ったのか老職人は振り返り、今一度アレクサンドライトを呼んだ。慌てて彼のもとへ歩み寄る。

とっくに工具を用意し終えた彼が、己の装甲を開ける様子を見下ろしながらしばらく無言で佇んでいた。しかしやがて耐えられなくなって、アレクサンドライトはぽつり、と声をもらす。


「…わりぃ、トスト。仕事の邪魔しちまって」

「気にするな。お前たちが動かなかったところで結果はかわらなかったかもしれんしな」

「…トストはこれからどうするんだ?仕事、出来ねえんだろ?」

「今取り掛かっているものくらいは終わらせるさ。そのくらいはゴードン殿も大目に見てくれるだろう」


トストの受け答えは淡々としている。表情はもちろん動くことなく厳しく、己の歯車や空管をいじる腕も普段と寸分変わらず正確。

だがそのいつもどおりさに、先ほどのティリと同じくどこか痛々しく空虚なものを感じてしまい、アレクサンドライトは自らアイセンサーを停止させた。人間で言うところの目を閉じる行為に値するそれに、トストは気が付いただろうが何も言うことなく淡々と己の体内を整備し続ける。

かちゃかちゃと歯車と空管がぶつかる小さな音を聞きながら、アレクサンドライトはぽつり、と呟いた。


「…ティリのこと、守れなかったよ」

「…」


これに、トストは答えなかった。アレクサンドライトは聴覚センサーも停止させ、短く浅い眠りについた。

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