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どう!と派手な音をたててアレクサンドライトとティリの体が機械兵器のコックピットにめり込むように落ちると、下からぐう、とヒキガエルのようなうめき声が響いた。同時に、傍若無人に振舞っていた機械兵器が、ぴたりと動きを止める。運転手が潰れてしまったせいだ。
体全体に響いた衝撃は予想していたものの大きく、体内の回路と歯車がぐらぐらと揺れる。人間で言うところの眩暈という状況だろうかと一瞬思ったが、自分でさえこんな状態になったのに、華奢なティリが心配になって目を向ける。彼女はアレクサンドライトの胸の中で体を丸めながら「ううう」と唸っていた。
一応意識があることに安堵しながら、アレクサンドライトは声をかける。
「おい、ティリ、大丈夫か…?」
「う、うう…平気、だけど、ちょっと胃が気持ち悪い…」
ワイヤー移動での遠心力でか、それとも先ほどの落下でか、気分が悪くなってしまったようだ。しかし目立って怪我はない様子で、青い顔をしながらもティリはゆっくりとアレクサンドライトの上から体をどかし、機械兵器の上に立った。
緑の瞳が心配そうにコックピットの中を覗き込む。アレクサンドライトも慌てて立ち上がり、ハッチの縁に体をどかす。
運転席では人間と機械人、二人分の体重を受け止めた男が鼻血を出しながら伸びている。もしかしたら怪我をさせてしまったかもしれないが、自業自得と思って諦めて欲しかった。一応胸は上下しているので、生きてはいるらしい。
だがそれよりも心配しなければならないのは、運転席の後ろ。ティリが身を乗り出して、声を張り上げる。
「リリーナ様!リリーナ様!大丈夫ですか!」
乱れた黒い髪を垂らしたまま囚われの淑女はしかし、ティリの声に反応を示すことなくうずくまっている。嫌な予感がしたアレクサンドライトはコックピットに乗り込むと、手を伸ばしてリリーナの体をゆすった。
「おい!リリーナ、大丈夫か!?おい!」
「…う、」
「リリーナ様!」
己の呼びかけにわずかに身じろぎ声を上げたリリーナに、ティリが喜び名を呼ぶ。それに呼び起こされるように、リリーナはゆっくりと顔を上げてすみれ色の美しい瞳を開いた。
しばらくぼんやりと瞬きを繰り返していたが、やがて虚ろだった瞳がこちらをとらえる。ほっとした様子の自分たちを見て、リリーナの桜色に色づいた唇が「あ」と開かれた。
だんだん状況を思い出してきたのだろう、きょろきょろとあたりを見回して、自分の状況を確認している。顔はやや蒼白で血の気が無いが、大きな怪我をしている様子も痛がる様子も見えない。最悪の事態は免れたのだろう。
「びっくりしたぜ。怪我とかしてねーか?」
「怖かったでしょう。どこか、痛いところはありませんか?」
「アレクサンドライト様、ティリ様…わたくしは…」
安堵とともに彼女の体を心配する二人を、リリーナはゆっくりと見上げた。そしておもむろに運転席に倒れている男に視線を向け、口元に手を当てて「ひ!」と小さく叫ぶ。かたかたと震え始めてしまった哀れな令嬢に、ティリがコックピットの中に入ってその背中を撫でた。
「大丈夫です、この男は気絶しています。もうリリーナ様を害すことはありませんよ」
「ちが、ちがうのです…、そうじゃないのです。この、この方は…この方は…」
自分で自分の体を抱きしめるようにして腕を手のひらでさするリリーナは、唇を震わせながら懸命に言葉を絞り出そうとしていた。
まるで酸素の足りない魚のように彼女は、一度、二度、口をぱくぱくと開閉させたあと、恐怖を紛らわすためかそばにいたティリの顔を間近で凝視して告げた。
「この方は、ロイロット様の…幼少期のご友人…。ロイロット様に私をさらうように命じられたと…」
「え…」
「おい、それはどういう…!!」
アレクサンドライトがリリーナの言葉に問い返そうとしたと同時、遠くから大人数の足音が響いてくる。ちらりと背後を振り返れば、警邏隊の制服を着た男たちが慌てた様子でこちらに向けて走ってくるところだった。
まさかこんなに短期間で二度も警察の世話になるとは、と自分たちの運命に自嘲しながらアレクサンドライトは警邏隊がすっかり停止しきった機械兵器を取り囲む様子を見つめた。
◆
警邏隊の到着のあと、機械兵器に捕らわれていたリリーナは警察官に肩を貸されながら病院へと運ばれた。目立った外傷は無いようだったが、か弱い令嬢にとって明らかにショックが大きい出来事。専門的な検査を受けて、ゆっくり休む必要があるだろう。
一方でアレクサンドライトとティリは事情聴取を求められ、警察署に足を運んでいた。
この前入った部屋と同じ広い会議室のような場所に通され、順序だてて体験したことを語った。もちろんウインドマリー家に起こった醜聞のことと、自分たちがそれに関わったことはふせてある。醜聞をどのくらい人に伝えていいかわからなかったからだ。
警察官はメモを取り一通り聞き終えたあと、何事かぼそぼそと話し合って部屋を出て行った。
「おせえな…」
「そうだね…」
「ひまだぞ…」
「そうだね…」
残された二人は手持ち無沙汰で、会議室の窓から見える灰色の空をぼんやりと眺めていた。
とても雑談する気力など残っておらず、口から出てくる言葉を脳みそや回路で選別する手間すら面倒くさい。先ほどの機械兵器暴走事件で手に入れた情報は二人も気になっていたが、議論しようという体力をひねり出すのも億劫だった。
それに自分たちはもう関わりをやめた。あとはウインドマリー家なり、警察になり任せておくべきことだろう。
頭の隅でそんなことを考えながら、アレクサンドライトはぶしゅう…と無気力に蒸気を吐き出す。隣でティリも、ふわあと小さくあくびを漏らしていた。
ちょっと寝ちまってもいいんじゃねえのか、そう彼女に声をかけようとしたとき、ふと廊下を歩く足音に酷く乱暴で神経質なものが混じったことに気が付く。
かつかつかつ、と硬質な靴が廊下を早足で歩き、徐々にこちらに近付いてくる。嫌な予感をアレクサンドライトが抱えた瞬間、ばたん!と大きな音をたてて扉が開いた。
「貴様ら!いったいなんてことをしてくれた!!」
扉が閉まるより前に、自分たちに向けて怒鳴ったのはウインドマリー家執事ゴードンだった。
予想通りの人物に、アレクサンドライトは左右違う色のセンサーをちかちかさせ、ティリは驚きに緑色の目を見開く。
神経質な老執事は呆気に取られる二人を鋭い目でぎろりと睨むと、やはり早足でつかつかと近付いてきた。
「よくもリリーナ様を危険な目に合わせてくれたな!あのお方に何かあればわが国はまた戦火に包まれる可能性があるのだぞ!!それに、捕まえたあの男…!まったく余計なことを…!!」
「アア?てめえ、さっきから何言ってやがるんだ?ぎゃあぎゃあうっせえな」
「あの、ゴードンさん。一体どういうことですか?」
すっかり興奮しきっているゴードンに、アレクサンドライトは悪態をつき、ティリはそれを咎めることなく少しだけ怒ったような表情で問い返す。疲労しているところにいきなり怒声を浴びせられれば、自分たちでなくても苛立つ。
だが老執事は二人の怒りなど気にも留めず、顔を赤くして怒鳴り続けた。
「貴様ら!貴様らがリリーナ様を巻き込んだのではないか!両国の国交問題だ!争いが起きる、また再びあの恐ろしい炎を、貴様らは蘇らせたいというのか!!」
ゴードンはかっと目を見開き顔を歪ませて、手のひらで覆った。その指の隙間から、「恐ろしい、あの戦いは、もう二度と…」と、まるで呪詛のような声がぶつぶつと漏れるのをアレクサンドライトは聞く。体がぶるぶると小刻みに震えているのがわかった。
その様子に何処か薄ら寒いものを感じながらも、わずかな怒りを糧に二人は口を開いた。
「私たちは濡れ衣を晴らそうとしていただけです。このままでは噂のせいで仕事に支障が出てしまいます」
「リリーナを巻き込んだ覚えはねえよ。…そりゃ、結果的にそうなっちまったけど、聞いたんだろ。リリーナは自分から動いたんだよ」
「……」
ゴードンは寸の間、答えなかった。あまりに不気味な間が開き、アレクサンドライトとティリは両手で顔を覆った老執事を凝視する。
やがて彼はぴたりと体の震えを止め、ゆっくりと両の手を下ろす。現れたその顔は土気色で表情が無く、まるで幽鬼。目の焦点は合っておらず、自分たちではない何処かを見ているようだった。
先ほどと正反対の、生気を無くした老人の迫力に、アレクサンドライトもティリも声も無く半歩後退する。声をかけることも出来なかった。
「貴様らは知らんのだ、あのあまりにも恐ろしい炎と、戦いと、血を…」
「戦い…」
「…あの、それは、50年前の戦争のことですか?」
「繰り返してはならん、絶対に、絶対にだ…そのためには、どんなことでも…」
まるで自分に言い聞かせるように呟いたゴードンは大きくため息をつき、一度だけ小さく俯いた。そしてすぐに顔を上げ二人に視線を戻すと、重々しい態度で口を開く。
「機械工トストの孫、ティリ。貴様は辺境伯ロイロット・ウインドマリー様と姦通し、ロイロット様を堕落させた」
「はあっ!!」
「そして機械人、アレクサンドライト。貴様はティリのために邪魔となるリリーナ様を襲った」
「何を…!!」
唐突すぎる、そして二人の名誉を傷つけるゴードンの言葉に身構えるが、彼は自分たちの視線を受けても微動だにしない。ただただ無表情でじっとこちらを見つめ、まるで発せられた全てが事実であるかのように淡々と続ける。
「世間にはそう発表する。ロイロット様とリリーナ様の婚約は確かに破棄するしか方法はあるまいが…またこの国でよき縁談を取り図るしかないだろう」
ウインドマリーの若者は選ばれないだろうがな…と付け加えたときだけ、ゴードンはアレクサンドライトたちに向ける視線を強くした。
まるでこちらを咎めるかのようなその目に、アレクサンドライトの体内の歯車が熱くぎゅるりと回転し、回路に爆発するかのような怒りが走った。意図せずぶしゅう!と強く蒸気が吐き出されて、巨体の威圧感に物を言わせるようにゴードンに詰め寄る。
「てめえ!真実を捻じ曲げてそんなに国交ってやつを守りたいかよ!!お前たちの守りたい国ってやつに、俺たちは入ってねえのか!!」
「真実だと!そんなもの和平の前で何の意味があるのだ!!何を歪めてでも私たちには守らねばならないものがある!!そのためには犠牲が必要なことは貴様らにもわかるだろう!!」
「誰かを犠牲にして守る和平こそ何の意味があるんだ!!」
「我々はいつもそうしてきた!犠牲を出してでもあの戦を繰り返してはならない!これは必要なことなのだ!!」
睨み上げるゴードンは一歩も引かない。それどころかアレクサンドライトを圧倒するかのような迫力で怒鳴り返してくる。彼の語る『和平と犠牲』が、彼の中で信念になっている証拠のように見え、あまりに鬼気迫る様子に一瞬言葉をつぐんでしまう。
老執事はその一瞬のうちにこちらから一歩下がると、怒りと困惑で固まる二人を一瞥してからくるりと後ろを向いた。そのままかつかつと毅然とした態度で部屋の外へと続く扉へと歩き出してしまう。
アレクサンドライトは慌てて「おい!」と彼を呼び止めた。しかしゴードンはこちらを振り返ることもせず、歩みもそのままに告げる。
「こんな汚点を作ったウインドマリーはしばらく針の筵の上にいることになるだろう。トストにはその責任を取ってもらわなければならないな」
「…は?」
「機械工トストは、恐らく機械工の資格を剥奪されることとなる。それを肝に免じておけ」
ティリが息を飲んだ。そんな…と、震える小さな声が響く。アレクサンドライトの怒りが再びともる前に、ゴードンは扉を開けて、ささっと外へ出て行ってしまった。




