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数日後の、今度は誰にも咎められない時間帯。太陽が真上にある昼間。

アレクサンドライトがティリと連れだって向かったのは貴族街の一角の、有閑マダムたちが集う上品な店舗が軒を連ねる場所だった。その一つの小さくも優雅な喫茶店に足を踏み入れ、二人は深窓の令嬢…リリーナ・フレイムミルと向き合って座っている。

先日彼女の邸宅…実際の持ち主はウインドマリー家でリリーナの婚前までの宿泊地として使っているらしいが…でも慣れぬ高級感から酷く緊張したが、この喫茶店も流石貴族御用達。落ち着くどころではなかった。

メニューもろくに見れないティリに変わり美しきすみれ色の瞳の令嬢は、ケーキと紅茶を二人分注文を取りに来たウエイトレスに頼んで、ゆっくりと話し始めた。


「調べたところ、ゴードンは確かに件の置時計を持っていないようです。ゴードンのお父上は先代様と一緒に復興の手助けをした方ですから贈呈されているはずなのですが」


リリーナがそれとなく置時計の話題を振ったところ、口をもごもごさせながら今は手元にないようなことを言ったらしい。やはりメルの言う通り、クラブ『アスター』にあった時計は元をたどればゴードンのもので間違いはないようだ。彼ほど厳格な男が金では買えない価値のものを他人へ譲渡するなど信じられないが、現実がそれを証明している。

どの口がウインドマリー辺境伯の浮気と放蕩を責めているのだろうな、とアレクサンドライトは呆れながら思った。

育ちの良い令嬢たるリリーナもまた、己と同じ思いだったのだろう。苦いものを噛みしめたような顔で「何故…」と小さく呟いている。


「お恥ずかしい限りです。まさか、ゴードンが…、あんな大事なものを誰かにあげてしまうなんて…」

「リリーナ様…その、」

「ああ、すみません。それで少し気になったので、ゴードンが件のクラブに出かけることについて調べてみたのですが…」


気遣うティリにリリーナはてのひらを前に出して遮って、自ら聞き込んだことについてのべた。ゴードンがクラブ通いをそう簡単に主人の婚約者に漏らすはずがないので、他の使用人たちの噂話をちらちらと聞いてみたらしい。

どうやら老執事のクラブ通いは使用人の間では有名だったようで、少し下世話な表情で語る彼らにリリーナは驚いたと言う。ロイロットやエリウットもその事実を耳にしたことはあったようだが、借金をするわけでもなく派手でもない遊びの範囲にとどまっているそれを咎めるまでにはいかなったようだ。

そこまで説明して、リリーナはふと目を閉じて何事かを思案し始める。


「花街へ行く頻度はそれほど高くありません、が、ロイロット様が知っていたとなると、やはりゴードンと同じクラブを選ぶのは少し妙ですよね…」

「確かに…かち合ったりしたら、気まずいだけじゃすみませんし…」

「その場で喧嘩…なんてことになりかねねえよな」


『アスター』は高級クラブなので教育の行き届いた従業員の口は堅いだろうが、それでも他の客の目がある。花街で辺境伯とその執事が言い争いをしていたなどと、下品なゴシップ誌が妄想も交えて書き連ねるだけでは済まないはずだ。

もちろん堕落したロイロットがいまさら醜聞を恐れるとは思わないが、ゴードンに口うるさく言われるのは避けたいだろう。

謎めいた辺境伯の行動にアレクサンドライトの思考回路が根を上げそうになったとき、ふとリリーナが思いついたように口を開いた。


「もしかしたらロイロット様はゴードンと密通していたのかもしれません」

「…え?」


アレクサンドライトとティリが首を傾げると、リリーナは周りを気にしてか少しだけ声を押さえて、二人にだけ聞こえるように小さく続ける。


「あの、『アスター』に寄贈されていた置時計には小さく隙間が作られていたのですよね」

「はい」

「昔、貴族の男女がひそかに文通するために社交場にそういった置物を置くことが流行ったらしいのです。お二人はあれを真似しているのではないかしら…」


何とも風流な貴族の遊びだとアレクサンドライトは思ったが、確かに置時計に造られた隙間は折りたたんだ手紙くらいなら入りそうである。

与えられた情報を総合して想像で補ったリリーナの推理だが、なかなかそれは真実に近いのではないか。しかし、それならば一つ疑問が残る。


「あんな場所でする必要はねー…ですよね。普通に家で話せばいいんだし」

「…うーん、家の人に聞かれたくは無かった、とか?」


言い終わってからリリーナは、「少し苦しいですね」と笑った。

言う通り、人の耳を気にして文通という手段を取ったとしても、わざわざクラブにまでおもむく必要はない。ウインドマリー邸には手紙の受け取り場所となりそうな部屋や置物が多数あるだろうし、わざわざ外に出れば出るだけ見つかる可能性も高いはずだ。

可能性が一つ無くなっても、リリーナが再び考えをめぐらせ始めたとき、ウエイトレスがケーキと紅茶を運んできた。


そこでしばらく話し合いは一旦停止する。

先日リリーナに出されたケーキとはまた違った形のそれに、ティリが目を輝かせてフォークを刺す様子を、アレクサンドライトは眺めていた。緊張してたわりには貴族の家で食べたケーキの味が美味しかったと覚えていたようだから、こちらも楽しみなのだろう。

しばらくティリは甘味に舌鼓を打っていたが、ふと目を瞬かせてクリームの付いた唇を「もしかして」と動かした。


「ゴードンさんが別の誰かと密通していて、ロイロット様がそれを調べていた、とか…?」


ぴたり、とアレクサンドライトはもちろん、リリーナの動きも止まる。深窓の令嬢はあまりにあっけにとられたからか、フォークを唇に咥えたままだ。

驚く二人ぶんの視線を受けてティリは考えをまとめるためか四方を見回してから、「だって」と続ける。


「ロイロット様は酔っていなかった。女の人に本気になった様子も無かった。だったらあの場所に行くことが目的だったのかなって」

「なら…ロイロット様がホステスのメルさん、と言う方を懇意にしていたというのも…」

「ゴードンのことを調べていたからか?」


アレクサンドライトたちがぽつりぽつりとティリの言いたいことを繋げて、三人は顔を見合わせる。完全に予想であるが、先ほどの推理の穴は埋めてある。自分たちの考えは、次第に次第に真実へ近づいて行っている予感がした。

ならばゴードンは誰と密通をしていたのか。ホステスのメルは置時計に仕掛けがしてあることを知らない様子だった。ロイロットが内密に探らなければならない人物が、あのクラブに通っているのか。


再び考えを巡らせようとして…しかしアレクサンドライトとティリは思考を打消し、「これ以上は」とリリーナを見つめた。その視線に気づき、リリーナもはっとした様子で背筋を伸ばす。

深窓の令嬢は神妙な態度の二人に向けてにっこりと微笑むと、優雅に頭を下げた。


「今まで、ありがとうございました。お二人が色々調べてくださってとても助かりました」

「いや、そのよ…」

「すみません、中途半端な形になってしまって」


あまりにも申し訳なくて、ティリはもちろんアレクサンドライトも恐縮して頭を下げる。

すでにリリーナには、自分たちがウインドマリー家と『時計塔のアレクサンドライト』に対する噂の出所を調査することをトストに止められたということを告げている。今日は先日のことも含めて最後の話し合いだった、というわけだ。

調査を降りることに怒ることも責めることもしないリリーナは、少しだけ寂しそうにすみれ色の瞳を細めた。


「貴方がたのお陰でロイロット様の目的が何となく見えてきました。お二人に関する噂は、必ずわたくしが払拭してみせます」

「リリーナ様にお任せします。あの、本当に…」

「気にしないでください。貴女方には本当にお世話になりました。フレイムミル侯爵令嬢として、改めてお礼を申し上げます」


再び礼をしたリリーナは、フレイムミル侯爵令嬢の名にふさわしい美しさと気高さを持っていた。

その様子を見て、アレクサンドライトは痛むはずのない胸が痛んだような錯覚を覚える。機械人の自分でさえこんなわけのわからない感覚に陥るのだから、ティリはどんな心地でリリーナを見ているのだろう。

ちらりとセンサーを彼女に移すと、きゅっと噛みしめられた唇と、膝の上で強く握られた手が妙に痛々しかった。



ケーキをもそもそと食べ終えて、アレクサンドライトはティリとともに店を出た。

路肩に停車していたバイクに乗り、職人街へと向けて風を切って走る。今日は家主であるトストに来ている仕事である、蒸気自動車の修理の手伝いをする予定が入っている。流石に大物の修理だが、先日の功績もありティリに任される部分も多くあるだろうと、出かけに彼女の祖父は言っていた。

喜ばしいことなのに、ティリの表情は暗い。アレクサンドライトも明るい声を出す気持ちにはなれなかった。どうしても、リリーナやウインドマリー家に対して後ろ髪が引かれる思いがするからだ。

蒸気を吐き出しながらゆっくりと灰色の空を見上げ、暗く沈みかけた思考を一旦打ち消す。自分たちの気分と反比例して、ウインドマリーの空は明るかった。


「なあティリ。リリーナ…様なら大丈夫だろ。いっぱい味方がいるみてえだしさ」

「…うん、そう、だよね。大丈夫、だよね」


響くエンジンとともに聞こえる声は、やはり覇気がない。よほどリリーナが気になるのか、それとも『時計塔のアレクサンドライト』か。気にするな、と慰めるのはたやすいが、その言葉をティリは望まないだろう。

灰色の空から視線を彼女に向けると、ティリは酷く難しい顔をして前を睨んでいた。落ち込んでいる、と言うよりも何か悩んでいることがあるような様子に、アレクサンドライトはぎゅるりと胸の歯車を鳴らす。

「ティリ」とその名前を呼ぶ前に、彼女は小さく、ねえと言った。


「ゴードンさんが密通してて、ロイロット様が気にするような人っていうのは、かなり危なくない?」

「…あ?」

「この前の泥棒も、銃を持ってたんでしょ?もしかして、ロイロット様はもう…?リリーナ様も…」


ティリの声が震えている。あまりにも不吉な予感と想像に、アレクサンドライトは「おい」と咎めるように声をかけた―――刹那。

どおん!と聴覚センサーが破壊されるかのような轟音。背後で炸裂音とともにびりびりとした衝撃が伝わってきた。背中でもろにそれを受けてしまい、ぎゅい、と歯車がきしむ。


「…!!」

「なんだ!?」


ティリが思わずバイクを止め、二人で音のした方へと振り返る。あたりを走る車やバイクの運転手、通行人も同じく驚きに目を見開いた様子でそちらへと視線を転じていた。

ざわつきおののく人々の目に映ったのは、遠くにもうもうと伸びる黒煙。工場の煙ではない。貴族街の一角で、あのような煙があがるはずがないと皆理解している。

何か爆発が起こったのか、それとも火事か。動揺が恐怖に変化していく空気の中で、ティリが酷くか細い声で「リリーナ様」と呟いた。

あちらは自分たちがやってきた方向だ。嫌な予感が加速する。アレクサンドライトは震えるティリに視線を送ると、「行くぞ!」と声をかけた。


「何かあったのかも知れねえ!しっかりしろ、ティリ!」

「うん、うん…!そうだね!行こう、アレク!!」


はっと目を見開いたティリが、強くバイクのハンドルを握る。アレクサンドライトが深く座席に腰かけ直したと同時に、彼女の運転するバイクは呆然とする人々の合間を縫って元来た道を走り始めた。

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