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深窓の令嬢との出会いから一夜明け、アレクサンドライトはティリとともに再びウインドマリーの花街に足を踏み入れていた。

先日の失敗から学び、今度は日が暮れてからの潜入である。トストの目を盗んで外出するのは心苦しかったが、花街の活動時間は日が落ちたこの時しかない。効率的に動いて短時間で戻ろうと最初に決め、二人は職人街とは違う活気のある街へと繰り出した。


アレクサンドライトは行きかう人々の顔をセンサーに映しながら、静かに蒸気を吐き出す。酔った男たちの赤ら顔、客引きをする女たちの口紅の赤さ。響く声も独特の甘さと傲慢さがあって、聴覚センサーがいかれてしまいそうだった。

夜の花街は、日の光の中で見るよりも毒々しく鮮やな光にまみれている。もしかしたら人間の見る『夢』とはこんな色をしているのではないかとふと思った。

ちらりと隣にいるティリを気遣えば、雰囲気にのまれないようにしているためか体が強張っている。アレクサンドライト自身もあまり長居はしたくない場所だと思ったので、予定より早く調査を終えたいと願った。


ウインドマリーの花街は酒をメインに出す飲食店を中心に構成されている。一般市民が安酒を楽しむスナックからバー、貴族の接待にも使われるという高級クラブまで様々。

基本的に合法な店が立ち並ぶが、中には非合法でかつ性的な接待をする場所もあるともっぱらの噂だ。大きな通りにある店はまだ健全なのかもしれないが、自分たちがリリーナとスティングの言い争いに遭遇した場所などは一人で行くには危ないだろう。

だが今回はそこまで足を延ばす必要はないと二人は考えている。尋ね人であるロイロット・ウインドマリーは金持ちかつ目立つ人物であるからだ。


「なあ、ここら辺で辺境伯のロイロット・ウインドマリー様を見たことあるか?」


アレクサンドライトが声をかけたのは、いかにも敷居の高そうなクラブの前で客を見送っていた黒服の男である。まだ成人になったばかりにも見える年若い男は、唐突に現れた背の高い己に少しだけぎょっとして眉をひそめた後、「お客様のことは他言できません」と首を横に振った。

店員の口が堅いのは良い店である証明である。しかしそれでは少しだけこちらに都合が悪いので、そっと顔をのぞかせたティリが、小さな声で黒服に告げた。


「辺境伯様の婚約者のリリーナ・フレイムミル様から頼まれたんです。最近ちょっと夜遊びが激しいから様子を見てきてくれと。ほらこれ、リリーナ様から預かった家紋です」


ポケットからフレイムミル家の家紋が刻印された指輪を取り出して、ティリは黒服に見せた。リリーナが何かあった時に自分の名前を出してくださいと預けてくれたものである。

貴族の家紋は基本駅に複製を禁じられている。明らかに一般人であるティリが持つには不自然だが、黒服は一瞬たじろいで、そして迷った様子であちらこちらを見渡した。もちろん誰が助けてくれるわけでもなく、アレクサンドライトたちの身分を証明するものが出てくるはずもない。

しばらく彼は考えた様子だったが、時期にまあいいかと結論付けたらしい。二人に顔を近づけて、喧騒に隠れるくらいに小さな声で言った。


「うちの店にはいらっしゃったことはありませんが、『アスター』という店によく行かれるようです。通りの向こうの…ほら、赤い看板の店です」


男の瞳がちらりと動き、アレクサンドライトとティリはその視線を追う。ここ一帯は貴族や商人など成金連中が常連の高級クラブが連なっているらしく、そこにあった店も小奇麗で落ち着いた外装をしている。いかにも懐の温かそうな上等の服を着た男が、派手なメイクをしたホステスに誘われて扉をくぐったところだった。

二人は黒服に礼を言って、上品なワインレッドの看板が掲げられたそのクラブに向かって足早に歩き出す。


「それで、どうする?侵入するのか?」

「うーん、リリーナ様の家紋があれば中に入れるだろうけど…ロイロット様がいたとして会ってくれるかな?」

「家のもんが来たと思って逃げられるかもな…、ん?ティリ、あれ」


件の店『アスター』の扉から出てきた人影が視覚センサーに映り、アレクサンドライトはくいとあごを動かしてティリの視線をいざなう。自分よりも夜目の利かない少女は目を細めてすぐに「あ、あのひと!」と小さく声を上げた。

二人が見つけたものは、客の見送りらしく愛想のいい声と態度のホステスであった。綺麗に巻かれた栗色の髪の毛、夜の商売らしい濃いめの化粧と肩のでた真っ赤なドレス。

独特のあだっぽさのあるその女を、二人は見たことがある。きゅりん、と視覚センサーの感度を上げて彼女を観察し、間違いないとアレクサンドライトは頷いた。


「あいつ、あの夜辺境伯と一緒にいたやつだぜ、ティリ」

「うん、そうだ。そうだね。アレク、ちょっと話を聞いてみよう」


甘ったるい声で「またきてくださいねぇ」と客に手を振っていた女に二人が近寄ると、彼女も気付いたようで目をこちらに向ける。戦闘型で背の高いアレクサンドライトの登場に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに表情を正して「何か?」と尋ねてくる。

表面上は薄く笑みを浮かべて上品だったがこちらを探る眼をしている。明らかに客ではない自分たちに対して妥当な態度だろうと考えながら、アレクサンドライトは「あんた、この前辺境伯と一緒にいただろ」と問う。

ぶしつけな質問にいぶかしげに女は眉毛を寄せたが、彼女が何か言う前にティリがアレクサンドライトの言葉をフォローする。


「先日職人街で起こった泥棒騒ぎの時に、辺境伯様と一緒に歩いていらっしゃいましたよね。私たちあの時あの場所にいたんです」

「ああ、貴女たちあのときの…」


ようやく女が合点がいったように頷く。ティリは彼女の様子をじっと伺いながら、「辺境伯様は今晩はお店にきていますか?」と尋ねた。女は綺麗に整えられた栗色の髪をかきあげて、「いいえ」と首を横に振る。

特に嘘を言っているようには見えない。アレクサンドライトがどうするとティリに目配せをすると彼女は少し考えたあと、何かを思いついたようで口を開いた。


「あの日の夜、どうして辺境伯様は職人街にいたんですか?何か特別な用事があったとか?」

「…それよりも、貴女たちは誰?どうして辺境伯様のことを調べてるの?」

「失礼しました。私たち、こういう者です」


不審そうなものを見る目を向けたホステスに、ティリが先ほどの黒服に対してしたように家紋の彫られた指輪をかざす。その精巧な作りの指輪に彼女は少し目を見開いた後、何かを悟った様子でため息をついて肩を竦めた。


「ここじゃなんだから、ちょっとお店入ってくれる?こっちもあまり変な意味では目立ちたくないのよ」


上品だった表情が僅かに崩れて面倒くさそうな態度を現した彼女は、店の扉を開けて二人を仲に促す。一瞬戸惑い目を合わせたが、ここで尻込みしていても何も変わるまいとアレクサンドライトはティリを守るように気を付けながら、ホステスの後に続きクラブの中に入った。


人間が酒を飲む場所に初めて入ったが、貴族の家にも引けを取らない豪華な内装にアレクサンドライトはセンサーを点滅させた。

フロアに飾られた花や調度品、壁には金色の額縁に入った絵まである。何より天井に取り付けられたシャンデリアは豪華で、酒を飲むだけの場所がこんなにきらびやかにする必要があるのだろうかと回路をかたかたと疑問で回転させた。

隣を歩くティリもまた予想以上の内装の豪華さに目を白黒させている。表情が変わらないのはここが職場であるホステスだけで、彼女はフロアで接客をしていた女性に何事か告げると、アレクサンドライトたちを奥の部屋に案内した。


どうやらスタッフルームらしいその部屋は、接客をするフロアよりも質素であったがじゅうぶんに広く、それなりに値段の高そうなテーブルと椅子が置かれている。促されて椅子に腰かけると、ホステスはやれやれと言った態度でテーブルを挟んで向かい側にどかりと座った。ふう、とため息をついてじっとこちらを見据える。


「それってフレイムミル家の家紋よね。ロイロット様の婚約者から言われてきたの?」

「え…?あ、はい」

「あたし、ロイロット様とはなんもないから」


あまりにもきっぱり言い切るホステスに、ティリはもちろんアレクサンドライトもしばらく何も言えなかった。ホステスはそんな二人の顔をじっと探るように見つめながら、テーブルに気だるげな様子で頬杖をつく。


「まあ確かに気に入られていつも指名貰ってるわよ。アフターもしたことあったけど、手出されてないし」

「は、あ…」

「色々話しちゃっているうちに酔って寝ちゃうのよね、あの人。きっとお酒に弱いんだわ。たいしてお酒のにおいもさせてない癖にさ」


お貴族様のなのにねえ、とホステスは目を細めて笑った。上品さは完全に脱ぎ捨て、あだっぽさと気だるさの化身のようになった彼女からは夜の街のにおいが強い。

その色気に取り込まれてしまいそうなところ気を取り直したらしいティリが、「えっと」と、戸惑いながら口を開いた。


「あの、先日ロイロット様と職人街にいらっしゃいましたけど、どうして?」

「ん?んー…どうしてだったかな?お店出たらロイロット様がふらふら歩き出しちゃったのよね」


特に目的もなかったはず、とホステスは話す。彼女は歩き回る辺境伯をなだめながら、ともに歩いていただけらしい。

しかし「本当はそのあと私の家で色々楽しいことするつもりだったんだけど」とあけすけに言って、アレクサンドライトは何とも言えずセンサーをちかちかさせる。ティリもどうやら気恥ずかしさを表情で現してしまったらしく、二人の様子を見たホステスがふふ、と少し愉快そうに笑った。


「今回は一線超えちゃうかなあっていつも思ってるんだけど。無いのよね。まあその方がこっちは助かるんだけど」

「はあ、…そういうもの、なんでしょうか?」

「お偉い様の浮気相手になって罰せられるのだけは嫌よ、あたし」


艶っぽい表情にしては、ホステスの返答はにべもなかった。一時の遊びのつもりが本気になり、身を持ち崩した同業者を何度も見ているのかもしれない。『お偉いさま浮気相手』になって手ひどい目に合った者も、少なくないのだろう。

しかしこのホステスはロイロットとはまだ体の関係にはなっていないようだし、彼女は仕事と割り切っている節がある。ならば何故ロイロットが『時計塔のアレクサンドライト』と浮気をしていると言う噂になったのだろうか?

微妙なちぐはぐさを感じて、アレクサンドライトはティリと目を合わせる。確かに事実には憶測や尾ひれがつくことがあるが、そもそもロイロットがホステス通いをしている情報を誰が最初に流したのか?

答えが出ずにホステスへと視線を戻すと、艶やかな女は不思議そうな顔をしてじっとこちらを観察していた。


「てかあんたたち、ロイロット様の浮気の証拠集めに来たんじゃないの?」

「あ、いえ、私たちは…」

「メルちゃーん!ちょっとおねがーい!」


ティリの声をさえぎったのは、唐突に開いた扉の向こうから現れた別のホステスだった。今自分たちの目の前にいる女性よりも少しだけ年上で服装も上品だが貫録がある。ここを仕切っている人物なのかもしれない。

メルと呼ばれたホステスは「はぁい」と気だるく返事をして椅子から立ち上がり、アレクサンドライトたちに「ちょっと待っててね」と手を振って出て行った。

残された二人は今一度視線を交わす。隣に座るティリは何とも言い難い、疑問と混乱をないまぜにしたような顔をしていた。自分にも表情があったらこんな顔をしているのだろうな、と考えながら、ぶしゅうと大きく蒸気を吐き出す。


「何かこう、中途半端だな、ロイロットは」

「うーん…そうだね。本当に、花街にはただお酒が飲みたくて来てるだけなのかな?」


調べても思考はこんがらがるばかり。やはり、ロイロットと直接会った方がいいのだろうか?ティリが眉間にしわを寄せて悩ましげな声を出して…ふいに移動した視線があるところに留まった。彼女の唇が「あ」と大きく開かれる。


「どうした?」

「ねえ、アレク。これ、この時計って」


言いながら彼女は椅子から立ち上がり、壁際に設置されたチェストへと歩み寄る。ティリの視線はそのチェストの上…アレクサンドライトも同じく目を向けると、そこに置かれていた金色の輝きに既視感を感じ、「あ」と呟く。


「おい、それって」

「間違いないよ。記念品の置時計だ…」


こちこちと時を刻む音を響かせる精巧な作りの時計。きらびやかな金色の光をまとうそれは紛れもなく、先日ティリが一人で修理し、泥棒騒ぎの主役となった置時計と同じものだった。

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