第2話 知恵と美
廊下に貼られた試験の順位表に人が集まっている。
彼等は今回のテストの結果に悲喜交々の声をあげていた。
「うわー、また順位下がったー!」
「遊んでるからだって……って私も下がった」
「やーい仲間仲間!」
「うっさい!」
そんな人達を無視して、私は自分の順位を確認する。
いつも通りの場所に書かれた順位を。
私、笹井千叡の名前が書かれた一位の順位を。
「笹井さんまた学年一位だって」
「やっぱ頭良い人は違うわー」
周囲の人間の羨望と嫉妬の眼差しが心地良い。
思わず口元がにやけるのをこらえるのに必死だ。
「ねぇねぇ、笹井さんっていつもどんな勉強をしてるの? 塾は通ってないんだよねぇ」
クラスメイトの一人が何度聞かれたか分からない質問をしてくる。
それに対する私の答えもいつも通りだ。
「別に、普通に授業を聞いて帰ったら予習復習するだけよ」
なんて、ホントは大嘘。
◆
「本当は、魔法少女になって悪者と戦ったご褒美に頭を良くしています。なんて言っても誰も信じてくれないわよね」
セーラー服に似た魔法少女衣装に身を包んだ私は、夜の街を跳躍する。
魔法少女ジニアスチエ、それが魔法少女となった私の名前だ。
……って言っても自分で付けた訳じゃないからね。
魔法少女に変身すると、スマホに登録した魔法少女変身アプリが勝手に命名するんだから。
なんでも本来はランダム設定で名前を付けるみたいだけど、特に強い願いがある場合はその願いに沿った名前を付けるのだとか。
とはいえ、いくらなんでもジーニアスはどうかと思う。
ともあれ、私はジニアスチエとして夜の街を駆ける。
魔法少女の敵にして世界の平和を乱す魔物ペルヴを求めて。
ううん、自分の願いを叶える為の餌として。
「そろそろ新しい願いが叶いそうだから、なるべくポイントの高い敵を倒したい所ね」
魔法少女はペルヴを倒す事でポイントを貰える。
そしてそのポイントに応じた願いを叶えて貰えるというシステムだ。
「でも最近願いポイントが高くなってきたのよねー」
魔法少女のサポートを行うマスコット的存在スペローが言うには、願いを
叶えるという事は、世界を歪めて結果を捻じ曲げる事なんだという。
だからささやかな願いは低いポイントでも叶うけど、大きな願いを叶えるにはとてもたくさんのポイントが必要になる。
「小学校のテストで100点とる程度の賢さだったら、すぐ叶うんだけどなぁ」
お察しの通り、私の願いは賢さだ。
ペルヴを倒した対価の願いを頭を良くする事につぎ込んできた。
何故って? それは当然皆に賞賛される為よ!
勉強が出来ればクラスメートだけでなく、先生や親にも褒められる。
ご近所から出来の良い子供だと思われる。
頭が良ければ進学も就職も思いのまま。
自分でも承認欲求が強いのは認めている。
だってしょうがないじゃない。
昔の私は頭が悪かったんだもん!
出来の良いお兄ちゃんといっつも比べられて、頑張っても頑張ってもクラスメイトよりテストの点数は下。
何故分からないのかも分からない。
そんな私だったけど魔法少女になった事で全てが変わった。
初めてペルヴを倒した願いポイントで、私は頭が良くなる事を願った。
その瞬間、私は自分の頭の中に掛かっていたモヤが霧が吹き飛ぶようにきれいになくなり、教科書の内容が自分でも驚くほどスムーズに分かる様になった。
それからというもの、私はテストの度に満点をとった。
授業中先生にあてられても怖くなくなった。
お父さんもお母さんも誉めてくれるようになった。
「すごいじゃない」
「お前は我が家の誇りだな」
だから私は。
「もっともっと頭が良くなりたい!」
確かに私は頭が良くなった。
けどそれは願いが叶える範囲での賢さだ。
小学生の範囲で天才になっても、中学生の範囲ではさっぱりだった。
それに気づいた私は、更なる賢さを手に入れる為にペルヴ狩り力を入れる事にした。
目標は有名大学に入学して大学院に入り、研究室入りしてノーベル賞を受ける事。
世界中の人間から天才と褒め称えられるまで私は賢さを求める事を辞めない。
などと夢想していたからだろうか、ある人物の接近に私は気付かなかった。
「げ、ガリ勉」
ムカつく声が聞こえた。
「その声はオシャレ馬鹿」
見れば私と並走してビルの上を跳躍している派手な影があった。
見た目は絶世の美少女。
中身は小学生レベルの知能指数。
確か名前はビューティーカリンとかいう頭の悪い名前だっけ。
美しくなるために魔法少女になった、本当に頭の悪い女。
「ちょっとー。アタシの獲物を取らないでよねー。次の願いで目尻を理想の角度にするんだから」
凄い頭の悪い事を言われた。
「何が目尻よ。少しは『算数』の成績を良くしたらどう?」
「……」
「……」
お互いに武器を持つ手に力が入る。
「ふん、そんなに人に褒められたいわけ?」
カリンが私にいつもの質問をしてくる。
「当然じゃない。アンタだってそうなクセに」
そうだ、私達は人から誉められたい、認められたい。
だからペルヴを倒し続ける。
もっともっと褒められる為に。
お互いにそれが分かっているから、私達は仲が悪い。
誉められる為に、賞賛される為にとる手段が違うから。
「……早いモノ勝ちだかんね!」
「なら私の勝ちね!」
丁度都合よくペルヴの反応を見つけた私達は、一目散に目的に向かって跳躍する。
相手より早く標的を倒す為に。
◆
と、思っていたのに……
「やったー、ポイントげっとー!」
私達の目の前には、いかにも頭の許そうなピンクの魔法少女が大型のペルヴを倒して喜んでいた。
「まさか別の魔法少女に先を越されるなんてね」
まぁ普通に考えれば当然か。
魔法少女は私達だけじゃないんだからね。
「あれ? ユズっちじゃん」
と、そこでカリンがピンクの魔法少女に話しかける。
「あ、カリンさーん! お久しぶりですー!」
カリンに声をかけられて振り向いたピンクの魔法少女は、彼女の姿に気付くと笑顔を見せて寄って来る。
本当にユルそうな顔。知性の欠片も見当たらないわ。
「何よ、貴方の知り合い?」
私が問いかけると、カリンは頷いてユズと呼んだ少女を紹介してくる。
「まぁね。デビューしたての頃に知り合って一時期面倒見てたんだ」
へぇ、意外に面倒見良いのね。
ってそうじゃないでしょ。相手はライバルなのよ!
「初めまして! マジカルユズって言います!」
「ジニアスチエよ」
慣れ合うつもりは無いので、手短に挨拶を済ます。
どのみちペルヴを取られた以上、長居する理由もない。
「こいつはガリ勉でいいから」
「言い分けないでしょこの色ボケ!」
まったく、放っておくと変な事を言いだすんだから。
このバカと一緒に居ると碌な事にならないし、さっさと別れた方が良いわね。
「あっ、そうだ。せっかくお会いしたんですから、親睦を兼ねる為にも一緒に温泉に入りませんか?」
「……は?」
突然ユズと名乗った魔法少女がおかしな事を言いだした。
温泉? 今から?
「温泉って、どこに行くつもりなのよ? 今から行ったら終電に間に合わないし、そもそも今日は平日よ?」
頭の悪い人間の知り合いはやっぱり頭が悪いわね。
これ以上一緒に居たらバカが移るわ。
そうしてさっさと帰ろうとした私に、ユズは驚くべき言葉を口にする。
「大丈夫ですよ。温泉はウチにありますから!」
「……はぁ!?」
ちょっと待って、温泉が自分の家にある!? もしかしてこの子大富豪の娘とかなのかしら!?
「くくっ」
私の困惑を読み取ったのか、何やらカリンが愉快そうに笑いを堪えている。
「何よ」
「別にー。でもま、良いんじゃない? この子の家の温泉はすっごいお肌に良いしー」
さすがオシャレ馬鹿。美容に良いとあって温泉に入る事に前向きだ。
「遠慮しておくわ。帰って明日の授業の予習をしておきたいから」
なんとなく関わると碌な目にあわなさそうだったので、理由をつけて帰ろうとした私だったが、その両腕をユズとカリンに掴まれる。
「まぁまぁ、そう言わずに。温泉は体に良いですよー」
「そうそう、あんたも少しくらいは美容に気をつけなさいよー」
「ちょ、放して!」
だが二人は離すどころか更にガッシリと力を入れる。
「それでは一名様ご案なーい!」
「ご案なーい!」
「はーなーしーてー!」
◆
「はぁ……ワケわかんない」
抵抗むなしくユズの家に連れてこられた私は、あっというまに服を剥かれて浴場へと連行された。
一般家庭とは思えない程不自然に広い浴場に。
「っていうかこの浴場、家の敷地よりも広くない!?」
そうなのだ! ユズの家に連れてこられた私は、彼女の家が豪邸などではなく、ごくごく普通の一般家庭であった。
温泉と言っていたのにフタを開ければ普通の家、私の困惑は至極当然といえるだろう。
しかし賢さに自信のある私は、即座に彼女達の言う温泉の正体が何であるかに気付いた。
常識的に考えれば都心に温泉が出る家なんてある訳がない。
精々が温泉の素だろう。
カリンが意地悪そうに笑っていた理由はこれだったのだ。
となると、次はこの三人で狭い湯船にすし詰めになるのかという事実に気付き、私はゲンナリとする。
せめて少しでも湯船が広い事を期待しながら。
しかし、実際に連れてこられた浴場は、一般家庭の狭い湯船どころかまるで有名旅館の如き大浴場だった。
「何これ!?」
と思わず叫んでしまったのも無理ないと思う。
「あれ? 言ってなかったっけ? ユズっちは願い事で自分の家に日本中の温泉を引いてるんだよー」
ニマニマと笑いながらカリンが説明してくる。
「はぁ!? 正気!?」
信じられない! せっかくの願い事を温泉なんかに入る為に使ってる!?
「はい! いつでも好きな時に温泉に入れる様にお願いしたんです! ちょっと前まではお風呂のお湯だけを変えていたんですけど、せっかくだからいつでも好きな温泉に入れる様に専用の大浴場が欲しいってお願いしたんです! 結構ポイントをつかっちゃいましたけど」
あっけらかんとした物言いに私は頭が痛くなる。
「家のお風呂がこんなになっちゃって、ご家族はおかしいとは思わなかったの!?」
常識的に考えて、知らぬ間に家の風呂場が大浴場になっていたら誰だって驚くだろう。
「あ、それは大丈夫ですよ。この大浴場には私と私が許可した人しか入れませんから」
ユズが自信満々に大浴場の仕掛けを教えてくれる。
「ああそういう事。この大浴場の空間も願いの産物なのね」
常識で考えれば当然か。家からはみ出るお風呂なんて普通ありえないものね。
「大浴場のアイデアはカリンさんのアイデアなんですよー。おかげで一回一回お願いしなくて済むようになりましたー」
「それは良かったわね……って貴方! もしかしてお風呂に入るたびに願い事を叶えてもらってたの!?」
「はい! 今日はこの温泉で、明日はこの温泉でってお願いしてました」
信じられない……なんて無駄な願いの叶え方なの。
これに関してはカリンのアドバイスが正しかったと言わざるを得ないわ。
「はぁ、考えるのが馬鹿らしくなってきた……」
この子との会話で付かれた私は、ズルズルと湯船に体を沈めてゆく。
ああ、体の芯まで温泉の湯が染み渡るわぁ……
「どう? たまには温泉もいいっしょ?」
何か言ってやろうと思ったのだけれど、ユズのあまりにも無駄な願いの叶え方にショックを受けた私は反論する気力を失っていた。
「ええ、そうね……」
ユズの願いの叶え方に比べれば、このバカ娘の願いの叶え方の方がよっぽどマシだったわ。
「ああ、本当に……お湯が染みるわ……」
「はい! 温泉ってとっても良いですよね!」
能天気な返事をしてくるユズを見て、二度とこの子には関わらないと心に誓った私だった……のだけれど、運命と皮肉なもので私は今後もこの二人と幾度となく再開し、しまいには腐れ縁になっていまうという恐ろしい運命をたどる事に、まだ気付いていなかったのだった。