二
彼は自分の後ろ、建物の側面から見て正面に、屋根付きの水場を見つけた。長方形、灰色をした石の水溜めとその上にある無味な竹製の桶、そして水溜めへとちょろちょろと水を吐き続ける、水溜めと同色の草臥れた龍の石像。
「よし、目を洗おう。しかし、あの水溜めに蒟蒻の様な弾力があったらどうしよう」
其処では水だけが生きている。それはつまり逆説的には、水だけがこの世界に存在していないともいえる。
水の流れ落ちている先、あれは蓋を無くした棺桶に見えなくもない。
水場を見つける前、視界の移動に際して彼には左側を注視することが憚られた。
否、注視の必要性を感じなかった。
しかしまた、水場が自分の後ろにあるということも予感で察していた。
これもまたすでに?もしくは新たな?
彼は白く細長い道に突っ立っていた。それは丁度、寺と水場の間を区切るためにすぅっと引かれたチョークの跡の様。其処から外は一面に砂利畑。水場へ行くにも道は繋っていない。無論、砂利畑を踏んでいけばいいだけのことだとは彼にもわかっている。だが、こんなことは以前あったろうか?
「…まぁ粋狂もいいだろう」
彼は正面の砂利畑へとその歩を進めた。
泥濘
砂利らは微力ながらも己れの方へ彼の足を引き込もうとする。しかし、泥濘というには弱弱しい。果たして彼の足は少しでも彼等の僅かな蠢きを感じとれただろうか。
彼は六歩程で水場の閾を越え、目的地へ辿り着いた。
そしてまず水桶を取って水を掬い、その中に左手を入れて指を擦りあわせた。次に水桶は使わず、左の掌に水溜めから直接一掴みの水を掬い、目をその中へと駆け足で入れた。
生温い水だった。
「違う」
そして自然と水溜めへ目がいくと、彼の姿は其処に写ってはいなかった。映っていたのは後ろのあの建物の側面。
「これは目の仕返しだろうか」
すると、龍は突然水を吐くのを止めたかと思いきや、直ぐに唐紅色の液体、液体の炎を吐き出した。
水溜は一瞬でその装いを変え、映していた映像を焼き払った。
葉
その時彼にふと一つ着想の葉が落ちる。
「確かめなくてもわかる、この水溜めにはきっと弾力がある。私と同じで。だから違う」
彼は水場から右へ視界を強いて移す。眩しい。白い道の上に二人の人影。
「またあいつらか」
彼は右手の中の石を、その突がりらを、先程よりも強く握った。右手は予想通りの刺激を彼に伝えた。
気付くと左手の中にも石がある。同じく強く握った。左手は感づかれない程度に僅かに刺激を鈍く緩めに伝えた。
そして、彼は足に違和感を覚えた。体重が減って軽くなったかの様。
「足の感覚は何処に遊びにいったのだろうか、居場所と役割を忘れて」
が、その違和感は直ぐに彼に馴染んでしまい、彼が事を重要視する前に、気のせいの振りをして、意識から消えた。
そして彼は、「夢ではない」と思った。