小説が上手く書けなくてクソムカつく件について
俺は小説を書きに書きまくるが、まったく上手くなる未来が見えない。
俺は多分、誰よりも小説というモノ、その構成するモノ全てを、親の仇のように恨んでるんだろうよ。
このような恨みの念、憎悪を、小説を書くときに、感情を乗せるって意味で想うのはどうだろうか?
俺が小説を上手く書ければ、つまりは小説ってゴミ野郎に一泡吹かせた的な?
俺は、小説って奴をぶっ飛ばしたいのだ、凌辱の限りを尽くして、ゴミって唾棄したい気分だ。
小説を書いていると、吐き気がするのだ。
小説を書いていると、怨敵と一緒に居て、常に殺し合いをしたくなるのだ。
常に小説というモノに、無限大に不幸にさせられるんじゃないかと、俺は真に危機感を、焦燥感を抱いているのだ。
小説をぶっ飛ばした、小説を、この世の中から散りも残さず、存在の根底から抹消してやりたい。
俺は小説によって、無限大に不幸にさせられたのだ。
だから仕返しがしたい、やり返したい、当てつけをしたい、憂さ晴らしをしたい、それが小説ならば最高だって事。
俺は俺、小説を書くモノだ。
俺が求める至高点は、プロット無しでもプロット有りレベルの小説を書く事だ。
もし可能ならば、小説によって、自給自足的に無限大の娯楽が手に入るのだ。
俺は純真で純粋な子供のころ、そう思って、今まで無限とも思える途方も無い努力を、研究を、小説にのみに費やした。
だが結果として、俺は小説に裏切られ、残ったのは膨大な徒労としか言えないモノばかりなのだ。
こんな事が許されていいのだろうか?
いいや認められない、許せない、我慢が成らない、小説に仕返しをしなければ、俺は絶対に気が済まないのだ。
あんな純真で、小説に期待し、小説を愛し、小説を己の希望とし、小説を一途に思い信仰していた、この俺を、
小説は完膚なきまでに裏切りやがったのだ、決して許せない事だろう。
もし仮に、俺に恋人などというモノが居たとして、その絶対の愛を誓った相手に、裏切られたとしても、これほど絶望すまい。
俺は小説をゆるさない、殺す。
小説を殺しに殺して、無限大の不幸のどん底に追い落とし、死なせる、消滅させると、この場に誓いたい気分だ。
俺はそのように小説を死なす為、殺す為に、凌辱の限りを尽くしたいが為に一心に、
全身全霊で日々書くのだが、どうすれば、最大点で捗るか、今だに何もかも見えない、五里霧中なのだ
俺が思うに、描写しにくい所を、飛ばすってのは、どうだろうか?
つまり、日常を書き易くやって、描写が難しい戦闘とか、組織間抗争は、書かないのだ
それは日常のパートで、そういえばああいう事あったよね、あの戦闘は凄かったよね、で間接的に語らせるのだ
最高ではないだろうか、この技法
俺は物語を描きたいのであって、別に描きたくない所まで描きたいわけじゃないのだ、つまりそういう話だ
「ああ、あの後は、凄かったぜ、敵の隊長が、ヤバくて、青銅の剣がヤバくて、実はおばさまが黒幕で、、、」
ってクソがくたばれ!
ゴミ屑だった、こいつはゴミ屑だ。
この小説を支配する全て、全てが全て別名がゴミ屑ひとでなし、なのだ。
ならば、時系列が前に進んでるって事にするのはどうだ?
いつか過去編みたいに戻って、書くって言って、最後まで逃げ切って、書かない
はあ、俺は小説を書く人間として、面汚しだなぁーって思う。