09 今日はスリーアウトだ。
オルテンシア嬢が予定していたデートは、一日使ってお気に入りの工房を回り俺の部屋の調度を見繕うというものだったそうだ。俺とのやり取りで悪戯心がくすぐられて宝飾店を挟みトラブルもあったが、誕生日の贈り物を俺から貰えて嬉しいと言ってくれた。
ごめん。誕生日って十日先の話だし、物を選んだのはオルテンシア嬢本人で俺は金出しただけだし、いらんトラブル起こしちゃったし、良い話って言い切れなくて本当にごめん。
工房につくまでになんとか心の平常を取り繕えた俺は、含みがない笑顔で喜びを表してくれるオルテンシア嬢に内心でひたすら頭を下げた。
笑顔一つで恋に落ちるほど男は単純だって話は本当なんだな。おっさんやオルテンシア嬢に対する疑念を今日一日は棚上げすると決めた途端、どんどん深みにはまっていく実感を得られる勢いでオルテンシア嬢の笑顔と穏やかな空気で頭がゆるゆるになる。
「いらっしゃいませ、ハイドロフィラ様。本日はどのようなご用向きでしょうか」
オルテンシア嬢が扉をくぐると渋い低音が聞こえた。首を少し伸ばして屋内を窺えば、五十代に見える痩せぎすの男性が見える。生命力に溢れた感じで、線が細い割りにあちこち筋肉がついている。こんなにまじまじと人を観察したのはいつ振りだろう。オルテンシア嬢が彼の工房による家具の魅力を語っていたのが理由で、無意識に工房の人への興味を抱いていたのかもしれない。
この好奇心がオルテンシア嬢の誘導によるものの可能性を一瞬考え、穿ち過ぎだと振り払う。そういった後ろ向きっぽい考えは脇に避けておくと決めたというのに、なかなか上手くいかない。線路の分岐器みたいに思考もすっぱり切り替えられないものか。
「こんにちは、ダグラスさん。私ね、後半年でお嫁に行くの。それで婚約中の今から旦那様の――婚約者のケント様のお屋敷に置く調度を任せていただいているのだけれど、今日は旦那様のお部屋のための家具を相談したいの」
オルテンシア嬢が掌で示し、俺をダグラスさんに紹介しつつ要件を伝える。
この工房だけで結構な数を既に注文し、納入も受けていると車の中で言っていたのに今更ダグラスさんに説明するのはなぜだ?
「遅まきながら、ご婚約おめでとうございます。何度かご注文頂いた際に毎度留守にしていたのを申し訳なく思っておりました」
疑問の答えはすぐに得られた。会えていなくて直接言ったのが初めてという単純な理由でした。
ダグラスさんはオルテンシア嬢に深々と頭を下げたあと、俺のほうへと体を向けた。
「初めまして、ダグラス家具工房の工房主をしておりますダグラスです。陛下の身辺警護を担うケント・オーシィ様のご高名は私のようなものでも聞き及んでおります」
出自も分からず、功績らしい功績もなく、目立った能力が衆目の前で示されたわけでもない俺が、一国の王たるおっさんの護衛を日中のみとはいえ一人で担うことに対する評判は控えめに言って『鈍ら』と蔑称で呼ばれるくらいには最悪だ。そんな人物の『ご高名』ってのがどんなものなのかはバカでも分かるが、俺に向けられた皮肉を真に受けての言葉かもしれないので嫌味か微妙だ。工房の作ったものについてはオルテンシア嬢が熱く語っていたけど、ダグラスさんいついては何も聞いていない。上客らしいオルテンシア嬢が側にいて彼女の関係者の俺に向けた言葉としてはどう判断したものか。
「初めまして、『鈍ら』のケント・オーシィです。育ちが育ちなものであまり物を見る目はないんですが、オルテンシア嬢が最も贔屓にしている工房ということでどんなものを見られるか期待しています」
これ程度の反撃はセーフでしょう。攻撃されたのか微妙な線ではあっても悪意がないならないで悪質な挨拶だったし、いくら良い物を作っても職人の腕と人格は別の話だ。
オルテンシア嬢は元気の良すぎる子供に向ける視線を、侍女さんは履こうとした靴に鳥の死骸が入っていたとで言わんばかりの視線を、それぞれが俺に向けてきた。
俺が責められているってことは、何か習俗的に意味のある挨拶だったのか。
「なんとも……活力をもてあまし気味でいらっしゃる……」
ダグラスさんは話しかけた犬が喋ったみたいなきょとんとした顔で、俺の挨拶への感想を口にした。
単純に無礼って話みたいだ。あの失礼な挨拶にどういう返しをするのが正しかったかはちょっとおいといて、話を濁して有耶無耶にするか。
「はあ。二十になったばかりですから、まだまだ元気を持て余し気味の日々です」
「うぐぇあ゛」
踏み潰された瞬間の蛙みたいな声を出したのはオルテンシア嬢と侍女さんのどっちだ。
横を向いて確認すれば、オルテンシア嬢は感情の汲み取れない完璧なアルカイックスマイル。侍女さんは少し頬を染めて口を真一文字に引き結び、視線を逸らしている。侍女さんもあんなはしたない真似をすることがあるんだな。
……いや、なんで驚いたんだ。結婚という形で雇用契約を結ぶ事前準備として俺がオルテンシア嬢の資料を受け取ったように、オルテンシア嬢の方にも俺の資料を渡されていそうなもんだ。俺と会うときはいつもオルテンシア嬢についている侍女さんなら俺に関しても一通り知らされていておかしくないと思うんだが、侍女さんは資料を見ていなかったのかな。
「なんともはや。陛下がご自身では足元にも及ばないとの仰せで特別に取り立てたと聞いていたものですから、てっきり陛下よりも年嵩の方だとばかり……」
ダグラスさんの驚きは、俺も何度か向けられた覚えがあるので一般的なものなんだろう。神様の鍛錬場の中層や下層で力を溜め込んだ生命は、もとの種族では考えられないほど肉体の最盛期が長くなるのは広く知られている事実だ。
英雄と称される域に手を掛けた程に力を取り込んだおっさんは、三十八歳の今外見的には二十代半ばに見える。多分、五十を過ぎても三十で通る見た目になる。寿命の方もおっさんなら一般的なそれの倍くらいに届く長寿になるとおっさんも言っていた。
そのおっさんが足元にも及ばないと断言した俺がおっさんよりも若く、より多くの力をとりこんでいるのは驚いてもおかしくない……とおっさんに教わった気がする。
「より正確には、神様の鍛錬場の下層は外との時間の流れが違うので、自分で把握している範囲では外の時間で換算して二十になったところです。外で観察するに、下層の中の時間は早くなったり遅くなったりしていましたね」
俺が試した限り上限は三倍、下限は三分の一あたりの触れ幅で時間の流れが速くなったり遅くなったりしている。といっても専門家でもない俺がちょっと気になってなんとなく調べただけの話である以上、頭の良い人たちが本気で検証すればまるで違う結果になっても驚かない。
神様の鍛錬場の下層における時間の流れがその外を基準にした場合一定でないのは神様に確認を取ったので揺ぎ無い事実だ。その方が面白くなるかなと思ってやったと神様は言ってた。
俺がどうでもいい豆知識を披露すると空気が微妙になってしまった。また失敗ですね。さっきの宝飾店で一回と今二連続で、今日はスリーアウトだ。グリシーネ嬢ならこんな空気ワンパンであっても、圧倒的コミュ力の差がある俺ではどうすればいいのかまるで分からない。
いっそもう勝手に帰ろうかと悩み始めたころ、オルテンシア嬢とダグラスさんの二人は俺達がこの工房を訪ねた本題についてしどろもどろにやり取りを始め、そのうち吹っ切れたのか楽しげに盛り上がっていっている。
「あの、ケント様は本当に二十歳でいらっしゃるのですか?」
下手に混ざろうとして迷惑を掛けたりしないよう家具談義には不干渉を貫いていたら、侍女さんがおずおずと尋ねてきた。直接話しかけられたのは初めてだ。俺の前で口を開くことすら滅多にないのに。
「ええ。先ほども言ったように神様の鍛錬場下層と地上との時間の流れには差異があるので正確なところは分かりませんが、自分で覚えている限りでは二十歳程度です」
「左様でございましたか……」
その話の切り上げ方はこの際相応しいのかどうなのか。侍女さんは軽くお辞儀をしてオルテンシア嬢の斜め後ろに戻っていった。
侍女さんは俺の資料を見せてもらってないか、見た上で信じていないかだったのだろう。俺が俺の資料の作成に関わっていないなら宣誓などの術封器を用いた虚偽の排除ができていないわけで、それらを用いた場合と比べると信頼性に著しく欠けるとまともに信用していなくとも責められない。その資料を王様のおっさんが保障していないならの話だが。
俺がおっさんを神様の鍛錬場の下層見学に連れて行った話も、どこでどう転がったのか『下層へ挑んだ身の程知らずの男がいると知ったキプロテ王が単身救助に向かい見事男を救い出したことで男が心服。無理を願い、寛大なキプロテ王の側に置いて頂く事となった』なんて話に摩り替わっている。世の中言ったもん勝ちで声が大きければ正しく見えるし、人は信じたいものを信じると実体験で教えてくれた。あれは笑っちゃうくらい良い経験だ。侍女さんが俺についての資料を信じてない話とはちょっと違うか。
ひょっとしたらこの場にいる三人もその話を知っていて、『コイツあんな醜態晒したくせになに自慢げに下層の話してるんだ』とか考えたのかもしれない。俺の見た目で国王のおっさんより年上だと判断したのは……建前で言ったのかな。ああ、俺が自己申告した年齢で噂の方を裏づけした形なのか。『俺の年齢は二十歳で見た目相応。つまり英雄に近しいほど力を持つキプロテ陛下より見た目も実年齢も若い俺が陛下より強いなどありえない』てな感じで俺は俺自身で俺を貶す噂話を肯定したと三人は解釈したのかも。
んー。また悪い方向に思考が寄ってる。大したことじゃないしこの件は放置でいいか。下手に誤解を解こうとして無駄に言葉を重ねれば痛々しくなるだけでなんにもならなそうだ。
侍女さんが話しかけてきたのも一度きり。ダグラスさんがオルテンシア嬢に出来上がっている家具を見せるためあっちへ行ったりこっちへ行ったりについて回っていると、オルテンシア嬢がどういった雰囲気で俺の部屋の内観をまとめるのかぼんやりと見えてきた。
装飾はなるべく控えめにシックなもので統一。周囲から浮き上がり過ぎない範囲で気合の入った調度を何点かといったあたりだろう。屋敷に用意された部屋は使う予定がない俺は他人の模様替えを眺めている気分だ。
公的というか、外面的というか、法的というか、とにかくあの屋敷は俺のものとなっていてオルテンシア嬢が引っ越した後もそのままの予定ではあっても、本質的にあの屋敷はオルテンシア嬢のものだ。俺にとってあの屋敷は、契約に含まれている『俺の妻役をこなすに当たって必要な環境と物資を俺が提供する』範疇で用意したつもりでいる。
屋敷がオルテンシア嬢のものならば俺にとってのアウェイ。一人でいる時間が多かった所為かパーソナルスペースとか縄張り意識とかに類する感覚が俺は強いようで、端的に言って人の家で眠れないし気が休まらない。この点に関しても契約に含まれている。『俺はオルテンシア嬢の住まう屋敷へ一定期間毎に足を運ばなければならないが寝起きする場所については自由』みたいな内容だったはずだ。他に丁度良い所がないし、船にワープするために屋敷を使うつもりでいるので詳しいことは覚えていない。
細かいことはさておきそんな理由があり、この家具選びは人事なので俺が意見することはない。部屋が完成したら一度くらいは見学させてもらって終わりだ。
オルテンシア嬢とダグラスさんは図面を引くための大きな用紙を広げて新たな盛り上がりを見せている。既製品の中から購入するものを決め、完成している物では納得いかなかったり在庫のない物は特注するのだ。
オルテンシア嬢が全体的な要望を伝え、ダグラスさんが分かりやすいラフを荒々しくも手早く描き、オルテンシア嬢が細部の注文を付け加える。
楽しげなオルテンシア嬢を眺めていて今更の感想を抱く。普通、貴族のお嬢様は工房で完成間近の家具を見て回ったり、自分で倉庫に入って品定めしたり、図面を目の前で引かせて細かい指示を出したりしないよな。
侍女さんはずっとオルテンシア嬢の側で口を閉ざしている。オルテンシア嬢の行動って淑女から半歩はみだしてない? 侍女さんはお目付け役じゃないのかなあ。




