08 趣味が悪いってわけじゃないけど……
この国、というよりプロイデス王国を含めたこの地方一帯では、誕生日を祝うのが一般的だ。余程困窮しているわけでないなら、農民であっても家族の誕生日にはちょっと頑張った料理を作るし、貴族を含めた富裕層となれば贈るもの一つ一つに意味を持たせ、贈り主によって意味が変わるものもある。
例えば富裕層ならば男子が五歳を迎えた日には両親が訓練用の剣を贈る。収入や労働力に余裕のある家では子供に神様の鍛錬場で武術を学ばせる前段階として、家庭教師を雇って家で基礎を教えはじめるのが大体五歳であることから風習として根付いたそうだ。
また、小さな頃より婚約者がいる場合は毎年互いに指輪を贈り合い、それを並べて飾ることもあるそうだ。当人が小さな内は両親がやりとりをして指輪を用意するものの、大きくなれば自分達で指輪を用意し、指輪とは別に贈り物を見繕うことが多い。
他にも夫婦間、兄弟、親戚、親しい友人と特別な意味のある贈り物がそれぞれ定着しているとオルテンシア嬢が締めくくる。
誕生日の贈り物についての講義を受けている場所は二頭の走竜が牽く箱車の中。ハウス夫妻の薦めに従い手配した車に乗ったのは今日が初めてだが、乗り心地はなかなか良い。オルテンシア嬢を迎えに行くときは乗り心地など気にしていられる心境じゃなかったことを思えば、今の俺は大分落ち着いていると判断できる。この箱車は最近評判の良い工房の既製品だとハウスさんに聞いた覚えがある。既製品でこれほど上等なら、細部にまでこだわった特注品になればどれほどのものになるか少し好奇心が刺激される。オルテンシア嬢もそういった評判は聞いていたようで満足いただけたようだ。この箱車を作った工房は車軸のカバーに独特の意匠をさりげなく施すため知識があれば一目で分かると言われた。侍女さんもこの車には及第点を与えても良いという感じで、外観を眺め、中に乗ってと二度ほど頷いていた。
細かいことは知らずハウス夫妻に丸投げして購入した馬車とはいえ、オルテンシア嬢に気に入られて何よりだ。どこで大きな失態を演じるかわからない今日という日において、間接的であっても俺への好意に繋がりそうであり、なおかつ気分良く過ごしてもらえるならなんでも良い。
箱車はさておき、ハイドロフィラ邸につくまで無駄に悩んだ走竜二頭に関してはまあまあの採点を勝ち取っている。
なんでも走竜の交配により望んだ体色を持つ個体を産ませるのはとても難しく、何かに合わせた色の走竜を用意するのは金に飽かせた趣味と見られるため、デートに際してオルテンシア嬢の髪と目の色に合わせた二頭に車を牽かせているのは『ちょっと無理しすぎじゃないのかなあ』という感想をいただくことになるそうだ。
オルテンシア嬢と侍女さんは俺がお金を持て余していると知っていてもどういった経緯による資産かは知らない故に、二頭の走竜については『趣味が悪いってわけじゃないけど……』という形で落ち着いた。マイナス評価じゃないなら勝利と言える。問題はない。
オルテンシア嬢の贔屓にしている宝飾店に入ると、咄嗟に臨戦態勢をとりかけた。あちこちで品の良い配置で飾られた宝飾品が光を反射していたのだ。狙撃銃のスコープ、ビーム、鏃、槍の穂先の類かとびびった。宝飾店でそれは事案発生中じゃないとありえないと自分に言い聞かせて心の平穏を保つ。
俺の右腕が一瞬強張った事に気づいた侍女さんが不審そうな視線を向けてきた。攻撃を受けたのかと勘違いしたとは言えるはずもなく、店内を見渡すふりでそっと顔を背ける。
オルテンシア嬢はいつも同じ侍女さん一人しか連れておらず、未婚女性に対するお目付け役にしては見た目が若いと思っていたら護衛も兼ねていたりするのかもしれない。
光り物や美術品を品定めする感性などなく、ガラス玉と水晶玉とダイヤの区別も怪しい俺に宝飾店で贈り物を選ばせるなどバクテリアに俳句を詠ませるようなものだ。粘菌に迷路を解かせるって研究をしていた人なら俺に審美眼を教えられるかなあ。
今日は現実逃避をしてばかりと自覚があっても、現実を変えられなければ同じことの繰り返しになる。
オルテンシア嬢は、侍女さんと店の人と三人で雑談を交えつつあれを見たりこれを見たりと楽しそうだ。俺には良く分からない単語が飛び交ったり、背景を知らないと理解できない話しの切り替わりがあったりと初心者には入り込めない世界ゆえ早々に撤退した。
『オルテンシア嬢の誕生日プレゼントを一緒に選ぶ』という理由での来店なので申し訳なくはあるが、俺が側で突っ立っていても少し離れて突っ立っていても大差はないでしょう。
間抜け面を晒さない範囲でぼうっとしていると、指先ほどの大きさの翡翠の彫刻が目に入る。翡翠ってそんな高い物でもないんじゃなかったか。俺の記憶違いか、日本とこっちでは違うのか。いや、翡翠って間違えやすい似た石が多いんだっけか。翡翠自体は高いものじゃなくとも彫刻の方で値が張るのかも。
ふと、資源探査系の船に採取物の鑑別機能があるのを思い出した。結構前に翡翠に似てて人の頭くらい大きさのある石を神様の鍛錬場下層で拾ったし、あれが翡翠なら彫刻にでもしてオルテンシア嬢に贈ろうか。青い鳥を喜んでいたし、鳥籠に入った小鳥とかどうか。籠彫りみたいな一つの塊から部品がいくつもあるような加工を全自動でやってくれる機材も何かの船にあった。台座部分に小鳥のゴーレム化と破損防止の結界を張る術封器もつけたら完璧だな。
「ケント様、どうでしょうか?」
俺ではありえないほどにセンスの良さそうな案を内心で自画自賛しているとオルテンシア嬢に笑顔で声をかけられた。
どうってなにがどうなのか。多分、左の側頭部にある髪飾りについてなんらかの言葉を求められている。それを見せるように首を捻っているし、この店に入るまであんなものは着けていなかった。つまりあの髪飾りを気に入り、一応は一緒に選んでいるという理由でここにいる俺の感想がほしいのだろう。
声をかけられて振り向き、瞬きする間に現状を把握する。
やべえ。振り子の共振実験器具っぽく垂れ下がってる部分が髪に絡まりそうでちょっと怖いなんて言えない。羽がモチーフだしやっぱり小鳥が好きなのかなんて感想も間違ってる気がする。似合ってるという言葉が必須で、更に具体性を加えなければならない。
「褒め言葉の語彙が足らなくてすまないが、とても似合ってるよ」
諦めて降参した。ああ、呆れられる。
俺の言葉を受けてオルテンシア嬢の笑みは苦笑になってるし、侍女さんは〆る前の豚に向けるような視線になるし、店の人はちょっと気分の良くない嘲笑っぽい笑みを浮かべている。
よし。元々機会なんて無いけど、贈り物をする機会ができてもこの店は絶対来ない。オルテンシア嬢は贔屓にしているそうでも俺には関係ない。本来こういうときは一緒に選べないといけないし、褒める時も上流階級なら私的な言い回しが必要ともわかってるし、それができない俺がこの店のグレードに相応しくないのもそれが理由で悪意を向けられて仕方のない状況だとも理解はしていようと、悪意に対して寛容になれる器の大きい人間じゃない。精神性が幼いと自覚していても一日二日でどうにかできるわけじゃないのだ。
俺としては上等な閃きを得て上向いた機嫌と、店の人の嘲笑を見た不快感の落差がすさまじい。朝からずっと誤魔化していた『オルテンシア嬢とのデートをするというプレッシャー』も合わさって気分はどん底だ。
結局オルテンシア嬢には一度見せられたきりで,その後は特に何事もなく彼女の気に入ったものを購入して店を出た。オルテンシア嬢が次回からあの店を使いにくくならないように、あの店の彼女に対する評価を下げたくなかったので俺を放置してくれたのは正直とても助かった。まあ、あんな褒め言葉しか言えない男を連れている時点で男の趣味が悪いか男を見る目がないか、何か事情があるかといった見方をされるのはどうしようもない。
悪いことしちゃったなあ……で今日を終わらせられたら良かったのにオルテンシア嬢とのデートは終わらない。店を出たら解散のつもりでいたのにまだ私に戦えと仰る。仰るというか、当然といった体で車に乗るよう無言の圧力かけられて俺は反抗することもなく屈した。
「不快な思いをさせてしまってごめんなさい」
車がゆっくり動き出すとオルテンシア嬢に謝られた。それはさておき『ごめんなさい』か。朝は『申し訳ありません』だった気がする。この違いは意図的なものか、無意識的なものか。意味があるのかないのか。『ごめんなさい』だとちょっと親しい感じがするようなそうでもないような。
俺としては『ごめんなさい』の方が気になるとはいえ、オルテンシア嬢に頭を下げさせたままというのはよろしくない。
「オルテンシア嬢、貴女が頭を下げることではない。その場その場で相応しい振る舞いは求められて当然であって、それができないことを自覚していてあの店に入ったのは俺だ。確かに貴女に誘われなければ縁のなかった店だが、それでも最後は俺の意思によって貴女の誘いを受けたんだ。それに付随する責任は俺のものであって、貴女のものではない」
回りくどい上に分かりにくい言い方になった。テンパるといつも以上に会話が難しい。
オルテンシア嬢のデートの誘いを受けたのも、オルテンシア嬢の誕生日プレゼントを選ぶためにあの店に入ったのも、周囲にあまり好く思われない褒め方をしたのも、全部俺の意思と責任に因るものだ。
言い回しは伝わりにくかったろうが、言いたいことは全部さっき言ってる。伝わらなければまたがんばって言葉を選べぼう。
「わかりました。私も、私の責任の範疇においては罪悪感と贖罪を許されるのですね」
暫し沈黙していたオルテンシア嬢が俺の予想とは違う決着をつけた。さっきの俺の論だと否定は苦しい。
そして『わかりました』の言葉のチョイス。朝は『畏まりました』じゃなかったか。昨日以前なんて詳しく覚えていないが、『わかりました』って言い方は前からだったろうか。自信がない。
「今日はもう少しお付き合い願えますか? 次で挽回して見せます。私が本心で気に入っているといえる家具工房の方は職人気質な方で、先ほどのようなことはないと思います」
さらっと『さっきの宝飾店は付き合いもあって切るに切れない』ってニュアンスを含ませましたね。実際どうかはわからないけど、俺が気にし過ぎないようにわざと言ってくれたと思うのはちょっと自惚れとか自意識過剰に過ぎるかな。
侍女さんが御者に道々指示を出しオルテンシア嬢が本当に贔屓にしている家具工房へ向かう車中、彼女はどういった経緯で工房を知ったのか、どういったところが好みなのか、念願叶って自分の好みを前面に押し出した物を屋敷に置く目的で発注するに際してどうこだわったかをとても楽しそうに熱く語ってくれた。
頬を上気させて年相応な稚気を見せてくれるオルテンシア嬢に、ほんのちょっとしたことで大人気無くささくれた俺の心が癒された。
彼女のこんな幼い部分は、初めて顔を合わせたとき青い小鳥にぴーぴー言っていた以来か。そもそも彼女とこんなに語らうのははじめてかも……初めてだなあ。事務的なやり取りやグリシーネ嬢を間に挟んだ会話はそこそこ覚えがあるのに、個人的な趣味嗜好や雑談といえるような内容で喋った記憶がない。
今こんなに素の自分を見せてくれているのは、ちょっとくらい懐いてくれているからと思っても良いのかな。でもおっさんには感じられないっていう、俺を今以上にだめにしそうな雰囲気のことを考えると全部演技って言う可能性も捨てきれないのが引っかかる。
俺を一目で惹き付けた凪いだ湖面のような、見方を変えれば怖くもなりうる穏やかさ。あれに関してはおっさんにしか訊けていない。おっさんの嘘なんて俺には見破れないし、あの雰囲気が俺に対する精神誘導のような攻撃なら彼女を利用して俺をこの国に根付かせるのが目的だろう。
私人としてのおっさんはそこそこ仲のいい友人であっても、おっさんは公人でもある。甘えすぎれば俺はおっさんにとって友人ではなく扱いやすい駒になる。最後まで俺が気づかなければ俺にとっての友人関係は続くだろうが、そんなもの受け入れられないってのが人情だ。
最近は胃に穴が開きかねないほどのプレッシャーに耐えていた所為か、良くも悪くも節目になるだろう今日は朝から情緒不安定気味で浮き沈みが激しいな。楽しげなオルテンシア嬢に癒されていた直後におっさんに対する疑心に駆られている。
はあ。まともに頭が働いてるとは思えない今は全部棚上げしておこう。工房はまだかな。
あれ? 家具店じゃなくて工房? 家具を買うとかじゃなく特注するのか?