07 幻滅とは個人的に良い言葉だと思う。
「おお。共に出かけるなど、知らぬ内に随分と進展しているな。存分に楽しんで来い」
おっさんに休みをくれないかと頼むと快く受け入れてくれた。本来先生のレッスンに当てられるはずだった日を休みに変えるそうだ。
駄目元だったけど酷いおっさんだ。断ってくれよ。もっと職務に励めとかさ。
この国の外は詳しく知らないが、この国の貴族にとっても公にできる恋愛関係の男女が一緒に出かけて買い物なり外食なりするのはなにもおかしいことじゃない。公にできない恋愛関係の人達は隠れ家を用意したりしてインドア趣味を楽しむ。信頼できて腕の立つ護衛を抱えている人は郊外へ遠乗りとかもする。
オルテンシア嬢がグリシーネ嬢から教わった日本的恋愛観におけるデートというのが正しいかどうかは知らない。付き合ったら一緒に出かけてそれをデートって言ってるんだろうくらいが俺の認識だ。恋愛弱者の俺にこういった機微を理解しろということに無理がある。『星の海を冒険しよう!』に十歳ではまって以来、こっちに来た十五歳になるまでで八千時間はプレイしていたある種のゲーム廃人なのだ。五年でそれだと平均して一日四時間はプレイしてた計算になる。しかもそれはセーブデータに残ってる通算時間であってロードで巻き戻った分は除外されている。そんな俺が日本人の一般的な恋愛観を語れるはずもない。
本音を言うなら、オルテンシア嬢とのデートはうれしい。デートするってだけでなんか仲のいい男女って感じがする。しかしいざデートしてしまえば、彼女の期待に応えられず落胆させ今までより一層の距離を感じることになるだろう。ほとんど諦めているとはいえ、ちょっとくらい、そう、空からお金降ってこないかなってレベルで初恋を実らせたいという願望もあるのだ。
まあ、恋愛弱者かつコミュ障は伊達ではないとの自覚を引き締めなおし、被害を最小限に食い止めて結婚契約はなかったことにという最悪のケースは回避すべく努めよう。オルテンシア嬢を逃がしてしまえば、形だけであっても結婚できる相手を次に見つけられる可能性はほぼ皆無だ。このプロイデス王国に俺を繋ぎとめようと狙うおっさんの公人の部分に付け入る隙を与えてはいけない。精神的な特殊な攻撃を受けている節はあれど、多分オルテンシア嬢はまたとない最良の相手なのだ。この思考がすでに汚染されてるのかなあ。もし本当に攻撃を受けてるなら、事前の資料にあった習得スキルなしって情報も初対面の時に見せてもらったカードも当てにならないよなあ。
不安で胃を痛める十日は遅々と進み、ある意味苦痛から開放されるデート当日を迎えた。たった十日で胃に穴が開きかけたほどの経験したことのないハードな十日だった。やっと苦痛から開放され、今日のデートという試練が終わればまた新しい艱難辛苦が俺を待っている。
着慣れないこの国における上流階級の衣服を纏い、約束通り王都にあるハイドロフィラ邸へとオルテンシア嬢を迎えに行く。道中何度となく逃げ出したくなったが、逃げ出すなら失敗した後でも大差はないと自分に言い聞かせた。デートに失敗したってオルテンシア嬢に見捨てられるかは未知数ですし。儚い希望でも捨てずに置こう。
今乗っている箱車を牽いている走竜は、船で行っていた品種改良により生み出された結構有能な二頭を初お披露目のつもりで連れてきた。輝きのある濃いブラウンと、光の加減によっては黒にも新緑にも見える濃い緑の仔達だ。オルテンシア嬢の髪と目の色に合わせたのはサプライズになるかなというつもりだったんが……自信なくなってきた。髪と目と同じ色の労働用の獣を連れてきてまあステキってなるか。ならないよな。どうしよう。騎乗用ならペット枠にかぶってる分問題はなさそうなんだが
走竜たちをすぐにでもワープで入れ替えて無難な色合いの仔達に入れ替えるかを悩んでいるとハイドロフィラ邸に到着してしまった。
気づかない内に同行していた従僕が先触れに走っていたのか屋敷前で車が停まると使用人に出迎えられ、一度屋敷内に通された。
オルテンシア嬢に用意した屋敷ってこういう来客の対応はどうなってるんだろう。とりあえずで男女のバイオロイドで頭数揃えてハウス夫妻に預けたものの、来客の出迎えってどの役職がやるものだったっけか。庭師が出迎えて専門の女性使用人が取り次いで専門の男性使用人が案内をするとか、ぼんやりとしか覚えてないな
そもそも、俺は普段従僕すら連れていない。登城も下城もステルスを起動してるし、城に入ったらステルスのまままっすぐおっさんの執務室に向かって帰りも同じ。おっさんが城に帰ってすぐの一月は城内で生活してたし要所でのチェックは受けてたけど、嫌がらせで無駄に時間食うばかりでおっさんの執務室に着くまで半日かかったりしたのを理由に特例を認めさせて、その後は執務室への出入りと護衛についている時以外はほとんどステルス状態だ。防犯的には俺に対する厳格な立ち入り禁止区域が定められ、そこで姿を見られた場合は目撃者と俺自身に術封器を使った審問を課して事実確認を行った上で理由如何によっては双方どちらも処刑すらありうる罰則が定められている。本当なら執務室から直接船にワープしたいが、ワープは目立つ発光をするしおっさんにもどこかにある船とワープで行き来しているのを秘密にしている。安全圏の確保はおっさんが相手でもあんまり妥協はしないつもりだ。おっさんが薄ら勘付いてるのは俺も知ってるし隠しきれてるとは思わなくとも、隠すつもりがあると見せ付けることに意味がある。
全く関係ないことを考えながら通された部屋で椅子に腰掛けオルテンシア嬢を待つ。
こうやって何もせず待っていると、城の人間に受けた嫌がらせを思い出す。ちょっと待ってで数時間放置は序の口だ。ここで同じ嫌がらせを受けたらオルテンシア嬢とのデートをなし崩しに有耶無耶にしてしまえるかもしれないなんて考えて精神の安定を保つ。俺がここで待たされてオルテンシア嬢に報せか届かず俺がすっぽかしたことになれば全面的に俺が悪いことになるとは分かっていても、俺自身がそうではないと理解していれば良い。俺って若いなあ。こっちにきたのが十五歳で年齢相応の精神年齢だったとしても、その後に成長している自覚がないんだよな。主観時間で今がだいたい二十歳としていても、精神年齢が追いついてない気がする。精神は他者との関わりがないと熟成されないみたいなのをどっかで見たし、コミュ障極めてステルスばっかりしてるせいで成長しないのかな。
ことここに至っても考え事に耽り現実逃避を続ける俺のいる部屋の扉がノックされ、オルテンシア嬢が来たことを告げられた。もう逃げられない。
部屋に入ってきたオルテンシア嬢はなにやら毅然とした面持ちだ。
彼女は髪と目の色合いや顔のつくりという基本の素材が客観的に見て地味な印象を受けるのだが、今日はなんだか地味目の化粧と装飾が少なく灰色がかった淡い緑色の地味な雰囲気を加速させる簡素なドレスを着ていた。そういや、彼女の着る物って灰色っぽいのが多いような気がしないでもない。服装が地味なら装飾品も木製っぽい腕輪と金属っぽくない耳飾しかない。
しかし、うん。わざとらしいほどに地味だ。おっさんが言うには社交界などで貴族から受けるオルテンシア嬢の評価は『才女であると窺えるがあらゆる面で目立つところのない女性』なのだそうだ。俺がいつも感じる、樹齢数百年の巨木が纏う様な泰然として心を落ち着けてくれる空気というのを俺以外から聞いたことはないという。
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
言葉通りに申し訳なさそうな表情のオルテンシア嬢が深々と頭を下げた。
あれ? この国の貴族って謝罪で頭を下げる習慣はなかったはずだ。いつも一緒に居る彼女の後ろの侍女さんも驚いている。
「顔を上げてくださいオルテンシア嬢。その謝罪はグリシーネ嬢から?」
「はい。リシー様とケント様の故郷では、こうやって頭を下げることで謝罪するのだと」
ダメだろ。頭を下げる謝罪自体が貴族としてアウトという点は別にしても、彼女は貴族籍にあって、俺は役職はともかく身分は平民以下だ。平民として認められるための『この国に所属している』という最低限の条件すらおっさんが誤魔化しているはずで、下手をすれば自由民とは名ばかりの浮浪者とすら言える。
この国において上位者から下位者への謝罪なんて言葉一つあれば上等なもんで、間違いを認めないことすら多い。貴族同士にしても右手を胸に当てて首を前に傾ければ上位者に対する謝罪として十分なのだ。過去の転生者や転移者の影響を受けたのか、市井では片手を立てたゴメンゴメンの仕種で余程重大じゃない謝罪なら通用する。
つまり、俺の故郷の習慣などをグリシーネ嬢に教わって俺との異文化交流しようという努力はとてもありがたく、オルテンシア嬢が俺に歩み寄ろうとしてくれているだろうことは嬉しいのだが、この国におけるルールやマナーを乗り越えてまでしなくても良い。オルテンシア嬢が俺に合わせるよりも先に俺のほうがこの地に適応しなければならない。
そういった内容のことをおっさんが俺の所属を誤魔化してる部分はぼかして、どうにかこうにか伝える。
こっちの世界に来て以来初めてこれほど頑張って喋ったわ。いつもは基本的に意志の疎通を放棄してるし、おっさん相手だと多少ニュアンスが違って仲違いしてもかまわないくらい投げやりにコミュニケーションしてるもんで正しく意図を伝えるのがこれほど難しいとは忘れていた。
ほらー。後ろの侍女さんがもっと上手く話せよって顔で俺のこと見てる。まずいまずいとは自分で思ってたコミュ力だというのに実際は洒落にならないくらいにダメだな。コミュ力ってコミュニケーション取らないと鍛えられないのに相応しい相手がいないって理由で目を逸らしていられないと自覚した。なんかもうちょっとマシになるように考えないと。
「畏まりました。この地で通用する礼法やマナーでのお付き合いをすればよろしいのですね。リシー様に教えていただいたデートの作法も上手く折り合いをつけていこうと思います」
デートの作法……ひょっとして、ちょっと待たされたのって『待った?』『今来たとこ』のつもりだったのか。そんなごく一部でしか通じないような作法なんて要らねえよ。グリシーネ嬢もわざとやってるのか、ただ趣味に走ってるのかイマイチ分からんな。
「なんとか伝えたいことが伝わっていて良かった。グリシーネ嬢の好意を無碍にするようで悪いが、オルテンシア嬢もあまり肩肘張らずにしたいようにしてくれてかまわない。俺はこうやって男女で出かけることも経験がないのでどうすれば正しいのか知らないんだ」
幻滅とは個人的に良い言葉だと思う。幻が消え失せてしっかりと原寸大の相手を捉えられるようになるのだから。キレイに言ってみたホントのところは、かっこつけてもどうせすぐにメッキは剥がれるので無駄なことはしたくないという逃げの姿勢だ。
「はい、ケント様。では、本日はエスコートをお願いいたしますね」
俺の言いたいことを察したオルテンシア嬢が小さく何度か頷くと、やわらかい微笑と共に緩やかに右手を差し出した。
ハードル高いって。てっきりオルテンシア嬢に主導されて俺が後ろにくっついて歩くんだと思ってたのに、俺がエスコートするってことは今日の予定は俺が決めなくちゃいけないんじゃないの。貴族のデートってなにするの。歌劇? 上演されてるものも知らなければ見る側のマナーも知らないよ。
根本的な問題としてエスコートってどうすれば良いの。
表情に出しているつもりはなかったが、手を取るべきかというところでまず悩んでいるとオルテンシア嬢がくすくすと笑いをこぼした。もてあそばれちゃったわ。
「リシー様の仰った通り、こういった作法もお二方の故郷では一般的ではございませんのね」
悪戯が成功した子供めいた笑みで種明かし。いや、実際に悪戯されたし、オルテンシア嬢は子供っちゃ子供だ。
十五歳か。十六になったんだったか。そこらが怪しくなってデバイスを通じて日常補助の役割をしてもらっているAIからオルテンシア嬢の資料を読み込む。誕生日までおおよそ一月。この国は個人の誕生日を祝う風習があったな。
「オルテンシア嬢。本人に尋ねるのも無粋とは思うが、この国での誕生日の贈り物はどんな扱いなのだろうか」
おっさんの誕生日は一回経験したけどあれは別枠だ。一国の王ともなればパーティよりも祭りという言葉が相応しい行事になる。王子や王妃の皆さんのも横で見ていたとはいえど、俺にとってそこら辺は無関係なのでおっさんのスケジュールがいつもと違った程度の感想しか思い出せない。
端的に言って、婚約者という立場の俺がオルテンシア嬢の誕生日にどういった対応をすれば良いのか分からない。
「そうですね……国が違えばそういった風習も違いますもの……。でしたら、今日は私への贈り物を一緒に吟味させていただきましょう。車の中で詳しく説明いたしますので、早速出かけましょう?」
どのような意図を持った質問かを数秒かけて飲み込み多少悩んだ様子間見せたが、オルテンシア嬢は俺の提案を受け入れてくれた。最終的には、大枠の目的を俺が決めたことでなんとか主導権をゆだねる口実を得た。
侍女さんのこいつどうしようもねえなって厳しい視線は努めて受け流す。贈り物の意味なんて装飾品と服と花くらいしか知らないよ。独占欲と性欲と自己主張だったか。それも日本でのものだし、うろ覚えだし、みっともないのは分かってるんで堪忍してつかあさい。