52 お散歩しませんか?
俺とオルテンシア嬢の関係進展を第一の目的としてグリシーネ嬢が企画した今回の旅行であるが、南の島に滞在し始めて十六日、王都を出発してからだと十九日目にしてようやっとオルテンシア嬢と一歩近づいたような気がする。今日が王都を出発して二十日目だから、王都への帰路三日半を除けばこの島に居るのはあと一週間もない。その七日の間にできればもう一歩くらいオルテンシア嬢と近づきたい所存。手を繋ぐのはかなり慣れてきているので肩を抱くとか……それはまだ早いな。
「シア、なんか機嫌良いね?」
「そうですか? そう仰るリシー様こそ。オリザ様も」
「そうですね。やはり、昨夜のような機会があると昔を思い出しますので」
「あー。貴族らしいお付き合いも悪いわけじゃないけど、やっぱり私達って前世の価値観の影響を受けるよね。でも、私とオリザはそうだとして、シアもああいうのが好きなんだ?」
「私はケント様と一緒に居られる時間が多かったからでしょうか」
「んん? それだけじゃないでしょ。なんかあったぽいね? 言ってみ? 言ってみ?」
朝食を皆で揃って食べて談話室に移動したわけだが、お嬢さん方は朝から元気だ。男二人に視線を向ければ俺と同じく少しばかり居心地悪そうにしている。ジルは全体を見てとても楽しそうにお茶を飲んでいる。俺はARで戦場の様子を見る作業で逃避しよう。
艦隊を任せているアルとブルックに落ち度があるはずもなく、安定の一進一退を繰り返している。ただ宇宙怪獣型神兵の底上げが進んでいるために、戦線へ出てくる神兵が神様の鍛錬場に居る神兵の区分で言えば上級になっているんじゃないかと報告書に書かれていたのは気になる。神様やりすぎじゃないですかね。じわじわと力を取り込んでいる所為で実感がなかったものの、このゲームを始める前と比べると宇宙船の各種性能が五割増し位になっている。前に神様の鍛錬場下層でやった戦争ゲームの比じゃない速さ。常軌を逸した強化ペースだ。リポップとバージョンアップ自重しろってクレーム入れようかな。
「行ってきまーす」
ふと気づいたらグリシーネ嬢とパインズ王子が出かけていくところだった。今日はそれぞれバラけるっぽい。
「ケントさん、確か入り江で遊べる舟があると仰っていましたよね」
オリザ嬢に直接言ったっけか。グリシーネ嬢に入った覚えがあるし、そっちから聞いたのかな。
「ああ、あるよ。入り江は西で……昨日西にいったのはオリザ嬢たちだったな。入り江に小屋があっただろ。あそこに舟を入れてあるから、自由に使ってくれ。うちの使用人たちに言えば出してくれるから」
「ありがとうございます。では、使わせていただきますね」
オリザ嬢とウォルティース公子は右手を鳩尾に当てる感じのプロイデス王国上流階級でのありがとう的な仕草をしたあと、二人連れ立って談話室を出て行った。謝罪の仕草もそうだが、俺がああいったプロイデス王国での習慣に馴染むのはいつになるのか。謝るのもお礼言うのも俺は未だに会釈しそうになる。
「王子殿下とグリシーネ様はミニダンジョンへいらっしゃるそうだ。護衛はケントさんのところの使用人を連れて行くといっていたので大丈夫だろう」
今回の旅行、婚約者同士とかで行動するとジルが余るのは仕方ないとはいえ、こいつが一人で何するのか気になる。
「私は……島をぐるっと回ってみようかな。さほど大きくない島だし、一日もあればおおよそ回れそうだ」
常人には移動手段があっても難しい大きさだけどな。館と三箇所の砂浜、ミニダンジョンを結ぶ形でしか道を舗装してないもん。それに島の中心付近にあるミニダンジョンの北側はまったく手を入れていない。今回の旅行は館の周辺を手入れしておけばいいやと島の北側半分は今のところ放置したままなのだ。
「事前調査は済ませてあるが、なにかあったら教えてくれ。一応気をつけろよ」
俺の言葉に頷き、軽く手を振ってジルは談話室を出て行った。挨拶代わりに手を振るのは市民階級ならありでも大貴族の嫡男になったジルはだめなんじゃないのとか思った。まあ、ジルも神様の鍛錬場に通っていたし、貴族的には下品なものでもジルは気にしていないが。
それよりも、昨夜に引き続きオルテンシア嬢と二人きりだ。今もダイス女史は使用人として控えているので三人ではない。昨日の今日で二日連続デート? ハード過ぎない? 確かに、この旅行中にオルテンシア嬢ともう一歩くらい近づきたいと思ってはいたけど、回数重ねれば何とかなる話でもないじゃない。
そっとオルテンシア嬢に視線を向ければ、にっこりと笑顔を返される。俺も何とか笑みを返す。多分なんとか笑えてる。
昨夜とは違いアルカイックスマイルではないということは、オルテンシア嬢の方は緊張していないらしい。昨夜までは俺と同レベルだったはずなのに、いつのまにそれほど恋愛戦士としてレベルアップされたのか。
「ケント様」
どうしたものかと俺が一人内心で煩悶していると、オルテンシア嬢の方から声をかけてきてくれた。
「お散歩しませんか?」
散歩。俺は結構好きだ。王都でも暇過ぎたらステルス状態でふらふら出歩いたりする。でもオルテンシア嬢が散歩を好みそうかというとそんなイメージは湧いてこない。子爵家で三女とはいえ、貴族の子女であるし庭をちょっと歩くくらいじゃないのか。
「デボンが、ケント様はお散歩がお好きだと教えてくれたのです」
オルテンシア嬢がデボンを呼び捨てにしている。バイオロイドたちとの交流が順調で何よりだ。それはそれとして、そういうことをオルテンシア嬢に教えるならクリスかと予想した俺はまだ部下の知らないところが多いかもしれない。俺もバイオロイドたちとの交流を今より増やそうかな。
「俺はふらふら歩くだけでも楽しめるが……オルテンシア嬢はそれでも良いのか?」
「はい。一緒にお散歩しましょう。そうですね……お弁当も用意して、景色の良い場所を探してそこでゆっくりしませんか?」
にこにこと幼い笑顔で提案してくれるオルテンシア嬢はとてもかわいらしい。しゃべり方もいつもとちょっと違うし、ひょっとしたら素の自分を見せようとしてくれているのかな。そうなのだとしたら、オルテンシア嬢も俺との距離を縮めようとしてくれているということで、とても嬉しい。俺も、カッコつけようとがんばりすぎない感じでオルテンシア嬢と過ごしてみよう。
「そうだな。お弁当を用意してもらってる間に俺も相応しい格好に着替えるよ」
「はいっ。私も準備をしてきます」
オルテンシア嬢は弾むような足取りでダイス女史を連れて部屋を出て行った。俺も旗艦に戻って着替えよう。パワーアシストスーツは脱ぐことになるので護衛の編成も全力を入れないといけない。これを脱いだら俺単体の戦闘能力はおっさんにも劣る。”ネインド”で体を操作すれば生身でもそこそこ戦えるものの、五感のセンサー類はまだしも運動能力じゃ英雄級と呼ばれる人の数段下だ。端的に言って雑魚。神様と宇宙戦争のようなゲームやっていてどんどん力は増えているというのに俺の生身の性能はさほど底上げされていないのだ。根拠のない自信で自分はどんな危険にも対処できるとチョーシこいてた前科があるので、こうやって折に触れて気を引き締めないと足を掬われかねない不安が根付いてしまった。今は雑魚の自覚ができていて護衛に気を配ってるので油断はしていないはず。
俺の不安はさておき、大人しくパワーアシストスーツを脱いで普通の服に着替えねば。プロイデス王国の上流階級らしい格好にするか悩んだあと、ついさっきオルテンシア嬢に無理してない感じの自分を見せていこうと決めたばかりということで日本の衣服でそろえることを決める。といっても、十五でこっちに来たうえそもそもファッションなどほとんど気にしていなかったので二十歳くらいの男がどんな格好をすればいいのかはよくわからない。街中でこんな人見かけたなというぼんやりした記憶を元に旗艦にある俺の私室のクローゼットを漁り、七分丈か九分丈かわからない薄い茶色っぽいズボン、正面に草みたいな二重螺旋みたいな模様の入った白のロングTシャツ、薄手で前を留めない七分袖っぽいサマージャケットを引っ張り出す。こんな感じの人を日本の夏に見た覚えがあるし多分問題ないでしょう。装飾品はミニダンジョンのペアバングルだけだし明らかにおかしいところはないと思う。下手なこと考えずにクリスとデボンに任せたほうが良かったかな……。着替えているうちに靴を忘れていたと気づいてクローゼットへ戻ると入って正面にさっきはなかった台が置かれ、表面が毛羽立った踝丈の革靴がわかりやすく載せられていた。クリスかデボンかわからないが用意しておいてくれたらしい。ありがたく靴を履き替えた。
一式身に付け姿見を覘けば、日本の夏にそこらで見かけたような男が居た。きっとダイジョウブ。
着替え終わり、館へ戻ると使用人のバイオロイドからお弁当のバスケットを受け取る。俺、オルテンシア嬢、ダイス女史の三人分だ。俺の護衛に就くバイオロイドたちはクリスとデボンも含めて携帯食料である。俺がパワーアシストスーツを着ていない状態で護衛をする以上は万全を期さねばならないそうだ。ちょっとピクニックみたいなデートをするだけつもりでバイオロイドたちに思いの外負担をかけてしまうことになったが、本人達はやる気と満足感にあふれる顔つきだったので余計なことを言うのはやめた。彼らの価値観は彼らのもので俺が否定していいものじゃないと自分に言い聞かせる程度には居心地が悪い。製作者に奉仕することを喜びとする本能によるものだとわかってはいても申し訳ないと思うのは仕方ない。
ステルス状態の護衛チームに囲まれて館のエントランスにて待っていると、さほど時間をおかずオルテンシア嬢がやってきた。何か変だと思って観察し、違和感の原因に気づいてものすごく驚いたのを表面に出さないようとてもがんばった。オルテンシア嬢はプロイデス王国の淑女らしい装いではなく、日本の街中で見かけてもさほどおかしくない格好をしていた。ゆるくてだぼっとしたワンピースを丈違いで重ねてるようだ。色合いは全体的に森林迷彩。
「オルテンシア嬢……暑くないのか?」
それって夏じゃなくて秋とかの服装じゃないのかなあ。
「重ねているので暑そうに見えるのですが、温度調整の術封器がなくてもかまわないくらいに涼しいんですよ」
満面の笑みで言われてしまった。日頃の服が暑過ぎるとかありえそうだ。まず生地自体が――
「もしかして、この島に来てから仕立てたものか?」
「はい。リシー様とオリザ様が何種類かデザインして下さって、デボンとクリスが『いつものところ』に注文してくれたそうです」
俺がぼっちぱわー充電してるときにグリシーネ嬢が何も言わなかったのはこれかー。
「他のも、機会があったら見せてもらえたら嬉しい」
服作ってるだけで一週間も使わないだろうし、他にもなんかあるのかな。
「機会を作ってくださいね」
悪戯っぽく言われてしまった。はい。デートに誘えってことですね。本人に明言されたし、時間ありそうなところでちゃんと俺から誘わないといけなくなった。旅行前にどうしたものか悩んでたのバレてたようですね。
「面目ない……」
「ふふふ。ケント様のあちらでの姿も見られて満足してしまいそうですが、予定通りお散歩しましょう」
今日は終始手綱を握られて……いつもと変わらない気もする。
「そうだな。行こうか」
そっと右手を差し出せば、当然のごとくオルテンシア嬢の左手に絡めとられる。ミニダンジョンに行って以来癖になっちゃったかも。
その後のお散歩デートは特別おかしなこともなく、穏やかに過ごした。手を繋いだまま東の砂浜へ続く道を歩き、途中小川のそばの木陰で休んだり、海辺の小さな丘の上でパラソルとレジャーシートを広げてお弁当を食べたり。
次にこういうデートをできるなら、その時は膝枕をしてもらったり膝枕をしたりの距離感になっていたい。そしてもう一つ。街中で見かける格好ってことは、俺が頑張って決めた服装はピクニックに相応しくないと途中で気づいた。次にオルテンシア嬢と出かけるときはちゃんと人の意見を聞こうと思う。