51 どうで、しょうかっ
さすがに指揮官としての教育を受けているパインズ王子とウォルティース公子はジオラマ君を使ったウォー・シミュレーションでも強い。操作に不慣れだった一戦目二戦目のゲームは俺もそこそこやりあえたが、四戦目にはもう思考速度の加速という人外スペックを活用しなければまともに相手にならなくなった。王子も公子も半ば職業軍人だし、素人との差といえばそれまでだ。ジルは最近まで貴族の子女らしく英雄級と目されては居ても軍事には触れさせてもらえなかっただろうに、なぜか対等にやり合っている。ジルは本当に有能だな。
朝には男だけでどうなるかと心配していた俺も、女性陣の帰ってきた夕方には男三人と楽しくジオラマ君で遊んでいた。女性陣は女性陣で海遊びを存分に楽しめたようだし、男性陣も男性陣でなんだかんだ楽しくやれたと思われる。未だにグリシーネ嬢が嫉妬男と呼ぶウォルティース公子も俺の前じゃまともな人だし、王子とも話しの内容に気を遣えば会話はできるのでストレスは特に感じず済んだ。ジルとは二人で酒飲める程度には仲が良いので言わずもがなだ。
女性陣が屋敷に戻ってきてからは夕食まで皆でゆったりと過ごし、海遊びの為に用意した遊び道具や水竜の感想をいただいた。大凡好評だった。ボード系が多かったとの指摘は改善していこうと検討する所存。でも海ってボード使う遊びばっかりじゃないのよさ。術封器で海水を直接動かしてウォータースライダーとか作ってみよう。
「じゃ、私とピースは東に行くからー」
「私とウォルトは西へ行きますね」
夕食後は二組とも夜の砂浜デートに行ってしまわれた。
「私は部屋に戻っていますので」
ジルは悪戯っぽい笑みを浮かべて去っていった。
残ったのは俺とオルテンシア嬢とダイス女史。クリスもデボンも見える範囲には居らずダイス女史は使用人然として控えているので実質二人きり。砂浜は三箇所それぞれが島の東、南、西に面し、名前をつける人もいないので東と南と西で呼び分けており東と西はそれぞれグリシーネ嬢とパインズ王子、オリザ嬢とウォルティース公子がデートしている。
これって俺もオルテンシア嬢を誘って南の砂浜に行く流れか。俺が誘うの? 他の二組はお嬢さん方が男の手を引っ張って行ったよ? ちらりと隣を伺うとアルカイックスマイルなオルテンシア嬢がこちらを見つめている。
「……少し、夜の散歩に行きませんか?」
「はい、喜んで」
俺の精一杯の誘い文句にオルテンシア嬢はアルカイックスマイルのままでも嬉しそうな声音で頷いてくれた。後頭部に刺さるダイス女史の視線もモールス信号でかろうじて及第点と仰っている。ダイス女史にモールス信号を教えたのはグリシーネ嬢かオリザ嬢か。俺の日常生活を補助してるAIが解読してくれなかったら俺には何言ってるかわかんなかったぞ。俺はモールス信号読めないからな。
十日くらい前に何も考えずざっくばらんな仕草でエスコトートしてしまったのは反省している。今回は先生に仕込まれたプロイデス王国の作法に則った、あまり仰々しくない形でオルテンシア嬢に手を差し出す。オルテンシア嬢はちゃんと嬉しそうな淡い笑みで手をとってくれたし、ダイス女史も視線のモールス信号で及第点をくれた。ぎりぎりじゃない及第点をもらえるとは俺も成長しているのかもしれない。
ミニダンジョン探索を一週間も続けたおかげか、いまや手を繋いで歩くなんて慣れたものだ。手汗が出ないように汗腺を閉じ、右手の体温を低く保つようにスーツの温度調整機能を変更し、意識し過ぎないように触覚を鈍くするところまで切り替えるのに一秒とかからない。いや、癖でグローブ脱いだけど、ミニダンジョンじゃないんだし脱ぐ必要はなかったのか。でもわざわざ手を解いてグローブはめるのもどうなのか。
ちらりとオルテンシア嬢を窺うとにこりと返された。うむ。幸せゲージが溜まる。
「ケント様。あの、今もお手の温度を……?」
具体的になんと言えば良いのかわからかなかったようで、とてもぼんやりした質問をされた。手を繋いでて俺の手がどうしたっていう話なら、俺がオルテンシア嬢と手を繋ぐときに手汗を減らそうとしている努力のことだろう。
「ああ。オルテンシア嬢に不快な思いをさせて嫌がられてしまったら寂しいからな」
寂しいって言うか、手を繋いだときに俺の手がねちゃっててオルテンシア嬢が眉間にシワ寄せたりしたら心が折れる。オルテンシア嬢は俺の前でマイナス感情を見せることがない分、ちょっとしたことで多分立ち直れなくなる。こじらせてる自覚はある。
「そうですか……あまり、ご無理なさらないでください」
眉尻を下げてやんわりとした口調だが、心配されたのだろうか。心配されたのだとしたら何を心配されたのかわからない。言いたいことがあったけど飲み込んだとかなのかもしれない。飲み込んだらしき言葉を訊くべきか訊かざるべきか。後頭部には畳み掛けろとモールス信号が刺さる。
「俺は察しが悪いから、言いたいことがあったら直接言ってもらえるとありがたい。また前のように的外れの気遣いをして、せっかく縮まったオルテンシア嬢との距離が開いてしまうのはな……」
できる限り口調は柔らかくと心がけたが、言ってることだけ見ればさっさと言えと強要してるよな。コミュニケーション能力ってどっかで売ってないものか。
「だから、その……できる限りオルテンシア嬢の意に沿った、オルテンシア嬢の為になる気遣いをしたいと……」
毎度のことながら締まらない。成長が見られない。誰かヘルプ。
「……ケント様の体温が感じられないのは、ケント様を遠く感じてしまうんです」
おう。なかなかの破壊力だ。俺はオルテンシア嬢に視線を向けられないが、空気の動きから予想すると俺が居るのとは反対側に顔を向けたようだ。ぷいって感じ。高感度全周囲サーモグラフィーに依るとオルテンシア嬢の体温がまた若干上昇した。ほっぺとか耳の体温が高くなったらしい。
「でも手を繋いだときにねちゃってなったり、繋いでる最中に手汗かいてつるっとすっぽぬけるのも嫌だろう」
日本に居たころ、夏場は一日数回の頻度でスマホが手汗ですっぽ抜けていた。今は”ネインド”を使っているので手に持つ必要がなくてとても便利。
「ケント様と普通に手を繋いだことがないのでわかりません」
ん……なんかちょっとオルテンシア嬢っぽくない言い方だ。どういう意図があるのか判断ができず、どう反応したものか困る。今こそ援護が欲しいのに後頭部には視線を感じない。
それっきり無言になり静かに歩いていると砂浜に到着。何も言わずにちょっと視線を交わし、二人でゆっくりと砂を踏む。まだ上りきっていない月がとても明るく、その光に照らされた中を歩くとかめっちゃデートっぽい。
よし。度胸が大事だ。あれだ、今の俺はきっと自分の体臭を気にしすぎて香水を頭から浴びた人みたいな印象をオルテンシア嬢に与えていると思う。普通に手を繋いでオルテンシア嬢が嫌だと思うかどうかは普通にオルテンシア嬢と手を繋いで本人に聞いてみるしかない。だから、ちょっとだけ普通に手を繋いでみて反応を見るのがオルテンシア嬢の意思を尊重することになる。嫌そうだったらまた手汗対策を施せばいい。よし行くぞ。一度の失敗で次の機会を与えられなくなる可能性は箱にしまって脇においておく。
砂浜をゆっくり歩きながら、オルテンシア嬢の左手と繋いだ右手の汗腺を開き、パワーアシストスーツで冷やしていた右腕の体温を徐徐に戻していく。鼓動と血流と呼吸は完全にコントロールしているので緊張は表に表れていないはずだが、ある程度右手の体温が戻るとオルテンシア嬢の左手の力が一瞬強くなったのを感覚の鈍化を解いた右手に感じた。ついでに顔をチラ見される。
「ふふ。ありがとうございます」
お礼を言うオルテンシア嬢の声が弾んでいて、すぐに不機嫌になられたりはしないと一安心だ。こっちも顔をチラ見すると、口元が綻んでいる。
「俺も、オルテンシア嬢に何を思ってるか言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」
腹を括るまでに時間がかかったのは大目に見てもらえないかなとか。さすがにカッコワルくてそこまでは言えないけど。
青白い月光を浴び、潮騒を全身で感じながら、手を繋いで砂浜を歩く。オルテンシア嬢と脈絡もなく、昼間のお互いの出来事をぽつぽつと教えあう。どちらの内容も夕食後の皆と談話室で寛いでいる時に聞いているものだが、俺とオルテンシア嬢の二人だけでおしゃべりしているとまた一味違って楽しい。多分、オルテンシア嬢もそう感じてくれている。
オルテンシア嬢の体質の影響を受けて互いの内心をこれでもかと晒し合うのもそれはそれでいいかと思えるようになったが、それとは違って手を繋いで静かに歩くだけというのも穏やかな時間を感じられて良いものだった。
「け、ケント様、どうで、しょうかっ」
死にそうじゃない。そんなに顔赤くしたら血がたまり過ぎて破裂するんじゃないですか。
「とても綺麗だ。そんな刺激的な姿を見せてもらえる仲になれたのも嬉しい。だが、とりあえずもう一度ガウンを羽織って落ち着こう」
夜の散歩デートから帰ったあとオルテンシア嬢の使っている部屋に招かれてお茶を楽しんでいたが、いつもの癖で体質抑制の神器を外してしまったのがいけなかった。恋人っぽいことで俺もオルテンシア嬢も内心では浮かれていたのかちょっとハイになりすぎて日中に女性陣で海遊びをしたときの水着姿をお披露目してくれたわけだが、俺には複数の意味でレベルが高過ぎて急激に冷静になった。
「ありがとう、オルテンシア嬢。でも、まず、もう一度ガウンを羽織ってもらえないと顔を見て話すこともできそうにない。ガウンを羽織ってもらっていいかな?」
何かを言いかけたオルテンシア嬢の機先を制してもう一度頼む。その肌色の面積を減らしてくれ。
「はい」
ちょっと震えているが、裏返ってもいないしぶつ切りでもなかったので表面を取り繕えるくらいにはオルテンシア嬢も冷静になったのかもしれない。顔はまだ見られない。
日本人的感性で判断するなら、オルテンシア嬢の水着は水着という枠組みにおいてそこまで肌色面積は多くない。上も下も下着みたいなパーツがあるだろう部分にふわふわした布がカーテンみたいに巻かれているので胸周りと腰周りはぼんやりしたシルエットになる。でも、だが、しかし、括れや足のラインすら隠れるようなプロイデス王国における淑女然とした服装をいつもまとうオルテンシア嬢が手足やお腹の肌色を肌色を見せているのはとてつもない破壊力を持っている。少なくとも俺に対してはすごい破壊力を齎した。お腹はエロイ。下半身が自己主張しかけた所為で血流を制御したなんて初めての経験だ。俺にも生殖本能は残っていたらしい。
「お待たせいたしました、ケント様」
オルテンシア嬢の言葉を受けて体の向きを直すと、いつぞや見たよりも若干厚手のガウンを羽織ったオルテンシア嬢が真っ赤な顔でアルカイックスマイルを浮かべてソファに腰を下ろしている。オルテンシア嬢を手伝ったあと自分の椅子に戻ったダイス女史は呆れた顔を隠そうともせず干し肉をかじっている。辛目のお酒とサラミ、チーズ類を渡しておく。
よし。もう体質抑制の神器も手首につけている。
「俺も、オルテンシア嬢も、少々羽目を外してしまっていましたが、俺としてはとても嬉しかったです」
「はい」
違う。本音だけど違う。支離滅裂だ。オルテンシア嬢もちょっと困ってる。
「いや、水着姿を披露してもらってとても嬉しかったが、今の双方の状態を鑑みるに俺とオルテンシア嬢には早過ぎるスキンシップだったと思う」
「私もそう思います。体質に後押しされ理性の箍が外れた状態ではなく、しっかりと私が私として、ケント様がケント様としての状態でなければ意味がないと……」
俺としては洗脳されてオルテンシア嬢を好きになったわけでも好きでいるわけでもないと胸を張って言えるのでこういう触れ合いも交えて仲を深めていくに吝かでなく、今回のは役得である。とはいえ、いつかは――。
「うん。だから二人で海へ遊びに行くときはそういう格好でもこんなに動揺しないくらい仲良くなっていたいと思うし、そうなれるよう努力するよ」
俺が精一杯の言葉で気持ちをぶつけると、オルテンシア嬢は顔は赤いままでも柔らかい微笑を返してくれた。