47 ……死ぬかと思った
「けんちゃんへーたーれー」
「うっせーばーか。教育係さんにスラング使ってたことまた言いつけるからな」
お昼を食べて食休みをはさみミニダンジョンの探索を再開したが、グリシーネ嬢がちょいちょい罵倒してくる。争いが低レベル過ぎる所為か、俺がグリシーネ嬢にばかとか言ってもパインズ王子は無反応だ。言い合いの原因たるオルテンシア嬢は幸せそうな顔でポニーよりも大きくなった子犬型フレンドに食べ物を与え続けている。
「けんちゃんさいてー。そんなことしたらけんちゃんはインポだって王城で触れ回ってやるから」
「……それ、なんか意味あんのか?」
王城で広まってる俺の悪い噂なんて王城の庭の砂利石と同じくらいある勢いだぞ。ひょっとしたら俺がインポだって噂はとっくにあるかもしれない。
「ついでに、王子様の婚約者がインポなんて叫ぶなよ。それこそ教育係さんに言いつけるぞ」
「うん。ちょっと自分でもどうかなって思った」
つーか、なんでお互いにパートナー放置して俺とグリシーネ嬢で親交を深めてるんだよ。お昼の時の恥ずかしさを誤魔化してるだけですね。グリシーネ嬢はパインズ王子に食べさせたりしてたっぽいし。俺とオルテンシア嬢はどっちも意識しすぎて会話すらなかった上に、俺は人外が標準装備するサイコキネシスっぽい不思議パワーで手を使わずに食べてオルテンシア嬢はダイス女史にフォローしてもらってた。
「話は戻るんだけど、けんちゃんはシアに対してもっと積極的になっても良いんじゃないの?」
「無関係の人がわさっと居るうえ当事者がどっちも居るのにその話するのか?」
そういう恋愛どうのって話はどっちも揃ってるところでするもんじゃないんじゃないのか。
「あんたたちは相手に言いたいことを我慢し過ぎなの。この間だってシアが――」
「リシー様?!」
お、おお。フレンドと戯れるオルテンシア嬢が凄い早さと声の大きさでグリシーネ嬢の口をふさぎにかかった。はしたないですよお嬢さん。
「けんちゃんもシアもお互いに思ったこと全部言うくらいじゃないとまた変な行き違いで悶々として私がとばっちり食うでしょ」
「行き違いの原因のひとつになった人の言葉は重みが違うな」
「ぬぐぐぐ」
呻き声をわざわざ口で言う必要あるのか。
「皆さん、次のアトラクションが見えてきましたよ」
「次はどんなのだろうねー」
オリザ嬢もアトラクションって言い切っちゃってる。
「なにあれトロッコ?」
グリシーネ嬢の言葉に促されて俺も視線を向けると、八台くらい繋がったトロッコがあった。傍の立て看板によると一台四人乗りで飛び出してくるエネミーを打ち落とさないといけないらしい。
「これって、ジルとダイス女史の二人できたときもこんなにトロッコ多かったのか?」
「私たちが来たときは一台だけだったよ。それより、人が乗るための座席もあるのにトロッコと呼ぶんだろうか」
「立て看板にトロッコシューティングって書いてあるんだからトロッコなんだよ」
この世界にあるほとんどの物は神様が命名しているので細かいことを考えても仕方ない。俺としては、読むときにARで翻訳を表示したり書くときにARで表示してトレースして誤魔化すんじゃなくしっかりとプロイデス王国の文字を学ぶべきかを悩むという現実逃避したい。これって手を繋いだままだと俺とオルテンシア嬢が並んで座らなくちゃいけないよな。二人並ぶと結構ぎりぎりの幅なんですが。
「あの横幅で二人座るとなると……ジルとダイス女史はどうしたんだ?」
ダイス女史はどこの国出身か知らないし種族も違うのでわからないが、未婚の男女で密着とはジルとしてはアウトだろう。ミニダンジョンの中でも手を繋いでいないので知らないうちにお付き合いをしていましたってわけでもない。
「前と後ろに分かれて乗ってたよ」
ああ、四人乗り……ジルとダイス女史を巻き込んで俺とオルテンシア嬢は手を繋いだまま前後に分かれれば……。
「旦那様。彼の神は大人しく奥様と並んで乗り込めと仰せです」
俺がどうにかオルテンシア嬢との接触を控えめにできないかと悩んでいたら、立て看板に俺とオルテンシア嬢を名指しで座席を指定する追加ルールが加えられたのを見たダイス女史に冷たい声で諦めろと言われてしまった。
今まで馬車や竜籠、夜のお茶会は対面の席にしていたので密着しつつ隣り合って座るなんてハードルが高過ぎる。隣に座ったのなんていつだかのオルテンシア嬢の私室に招かれた一回きりじゃないだろうか。恥ずかしさとよくわからない緊張でめっちゃ逃げ出したい。
しかし、以前は気づかなかったが今の俺には心強い味方がいると気づけた。
「視野狭窄に陥っている時って客観性を持っているつもりでもアテにならないよな」
「毎度のことになりつつあるけど、急にどうしたのよ?」
俺の独り言に毎度のごとくグリシーネ嬢が反応する。流してもいいのに律儀ですわ。
「俺さ、百メートル以内なら個人個人の心音聞き分けられるくらい耳が良いんだけどさ」
「ああ、うん。初っ端から理解できないわ。それで?」
「オルテンシア嬢と顔合わせる時はいっつも緊張してたんだなぁって手を繋いでいて思いました」
「間が大分抜け落ちてるんじゃないかしらねー」
何を言ってるんだこいつと眉間にしわを寄せている淑女らしからぬグリシーネ嬢だが、オルテンシア嬢は俺が何を言っているのか理解したのか若干体温が上がって血流が早くなった。
「本当ならオルテンシア嬢の鼓動の速さで緊張してるとかを判断できたはずなのに、俺自身が緊張してそんなこと考えられなかった所為で遠回りしたって話」
「心音がどうのってそういう……ま、今更とは言え気づいたんならこれからに活かせばいいんじゃない? トロッコとうちゃーく。ぱっぱと席決めよう」
もともと俺の独り言にさほどの興味がなかったのか、グリシーネ嬢がざっくりと話を切り上げてトロッコに意識を向ける。
座るところを神様に決められた俺とオルテンシア嬢を放置して、グリシーネ嬢主導の下流れるように席順が決まった。一番前にジルとジルの近侍、二番目にグリシーネ嬢とパインズ王子、三番目にオリザ嬢とウォルティース公子、四番目に俺とオルテンシア嬢、その後ろにはクリスとデボン、あとは使用人やら護衛が同性同士で並び、最後尾にダイス女史。
「じゃあ、乗り込もうか」
「はい」
馬や牛の成体並みに大きくなったため乗る場所のないフレンドとの別れを済ませ、そわそわしているオルテンシア嬢に繋いだ手を支えに先に乗り込んでもらい、一声かけて俺も乗り込む。密着。
オルテンシア嬢の着ている服が乗馬服で安全のためにちょっと頑丈なつくりとはいえ、肩も腰や尻の辺りも太腿もぎゅっと押し付けあうような距離だとやっぱり女の子らしいやわらかさみたいなものを感じてしまう。というか気づけば繋いでいた手が恋人繋ぎになっている。意識し過ぎないように感覚を鈍くしていた所為かまるで気づかなかった。
ちらりとオルテンシア嬢の顔を窺うと、耳や少し除いている首元まで赤くなっている。恥じらいってとても良い。だから同じような状態であろう俺も何の問題もない。
「みんな席着いたね。……ジルさん、発進させちゃって」
「はい。皆さん、出発しますよ」
俺とオルテンシア嬢を見たグリシーネ嬢が呆れていた。なんだよ。仕方ないだろ。こちとら二十歳過ぎてやっとの初恋だぞ。多少拗らせてもへたれってもしょうがないだろ。文句があるなら適切な対処を教えてください。
「ひゃっ」
覚悟していないと首が後ろに倒れそうな急な発進に驚いた人達が悲鳴を漏らす。オルテンシア嬢もそれに含まれ、咄嗟に俺と繋いだ手にぎゅっと力を込めた。俺もぎゅっと返したほうが良いかどうか悩んだ数秒の内に力が和らいで、答えが出ないまま合法的にオルテンシア嬢の手の感触を楽しむ機会が失われる。なんかとても勿体無い。
トロッコは進む。急加速急減速に跳んだり跳ねたりエネミーを撥ねたり、捩れたレールに沿って天地逆さまのまま走ったり、ゆっくり停止したと思ったらレールが消えて数秒の落下感のあと下のレールにキャッチされたり。魔法か何かわからない力で乗ってる人間が座席に固定されていなかったら一部以外は全員落っこちる挙動でトロッコは走る。最初のうちはきゃーきゃー言ってたグリシーネ嬢とオリザ嬢も三十分を過ぎた頃には呻き声一つ上げなくなり、オルテンシア嬢は俺の右手と繋いだ左手はそのままで顔を俺の胸に埋めるような形でしがみついて震えている。直線のレールを走っていたトロッコが唐突に跳ね上がって右に左に側転したりバク宙すれば然もありなん。
結局、エネミーの相手をまともにしていたのがジルとダイス女史だけのままトロッコは終点に着いた。不思議トロッコの旅一時間はさすがに長い。お嬢様方がトロッコから降りた今もぐったりしてるのは挙動が怖いとかじゃなく、単純に振り回されたのが原因だろう。オルテンシア嬢も弱り過ぎていて、俺にしがみついていてくれたことも素直に喜べない。血の気が引いて顔が真っ白だもん。
「二度と乗らない」
トロッコの終点は屋台の並んだ広場になっており、そこで腰を下ろしたグリシーネ嬢がテーブルに突っ伏してかろうじて人の声とわかるほぼ呻き声でぼそりとつぶやく。オリザ嬢はクリスの用意した浮遊式ストレッチャーに寝かされて微動だにしていない。オルテンシア嬢はなりふり構っていられないのか、俺の胸に顔をうずめたまま俺の膝の上に抱えられている。オリザ嬢のように寝かせようと動かすと今にも吐きそうな感じで唸るので下手に動かせない。やっぱり素直に喜べない触れ合いだ。
「オーシィ卿。何か、彼女たちが楽になるような物はないだろうか」
屍のようなお嬢様方を見ていられなくなったパインズ王子に大雑把な注文をされる。
「原因がわからないし、手っ取り早く浄化の術封器を使ってみようか」
このミニダンジョンのルールでは俺は積極的な行動を取れないので誰かが何か言ってくれるのを待っていたが、ルールだと積極的な戦闘行動を禁じられているだけだったと今更思い出す。治療行為はたぶんセーフだろ。
オルテンシア嬢がぐったりしたまま俺にへばりついていると歩くのも気を遣うので、まずはオルテンシア嬢から浄化の術封器を試してみよう。
「ぁ、ありがとうございます。その、私はもう大丈夫です」
とりあえずで浄化の術封器をオルテンシア嬢に使ってみると一発で健康体になったらしい。自分の現状を認識する余裕のできたオルテンシア嬢がぎこちない動作で俺から離れて隣の椅子へ腰を下ろすと消え入りそうな声でお礼を言う。正気のまま俺の腕の中に来てくれると恥ずかしさ九割幸せ一割で喜べるんだが無理か。
たぶんもう大丈夫ではあるものの、治ってすぐのオルテンシア嬢を歩かせるのも気が引けてダイス女史に浄化の術封器を預け残り二人を治療してもらう。
浄化の術封器の万能ぶりには改めて感嘆する。小はおしぼり代わりから大は海洋汚染除去や大気汚染除去までなんでもこなせる。酔い覚ましや、壊すつもりで過稼動させることで悪人の消滅にも使える。普通に使う分には二世代三世代ともつので、人の手による安定供給が難しい点だけが瑕とはいえ日本人的に新車買うくらいの気持ちで買えるにしては高性能な品だろう。俺は日本で新車買うかどうか悩んだこともないけど、たぶんそんな感じ。
「……死ぬかと思った」
「得がたい経験でした」
俺が浄化の術封器に思いを馳せている内にグリシーネ嬢とオリザ嬢が復活し、ダイス女史に浄化の術封器を返される。あとでダイス女史には一台預けておこう。浄化の術封器一つが車一台と同じ扱いならば公用車みたいなものかな。
「ジルとダイス女史の事前調査じゃまだ先は長いが、どうする? 今日はもう帰るか?」
一応意思確認はするものの答えは分かり切っている。気分はすっきりしても疲労はそのままなのでミニダンジョンの探索再開は厳しかろう。エネミーを倒したりフレンドと仲良くなって手に入れたポイントを支払えば、一度踏破した範囲は行き帰りのショートカットもできるので今日切り上げても次回からトロッコは乗らなくていい。ジルとダイス女史には、ショートカットの使用に際して俺の部下のバイオロイドたちが稼いだポイントで足らなくなったらその分のポイントをプロイデス王国の貨幣で買わせてほしいと頼んである。
「そうだね。今日はもう帰ろう……」
一同をぐるっと見回して判断を預けられていると理解したグリシーネ嬢が探索切り上げを宣言した。たぶん、無理をおして進むと言ったら今度は俺が説得役を任されたの理性的な判断をしてもらえて助かった。
「シア、オリザ、ダイスさん。帰ったら大浴場でゆっくりしない?」
「はい。リシー様」
「たまには良いですね」
ダイス女史が視線で俺に助けを求めるなどという事実はなかった。みんなでお風呂楽しんできなさい。