41 いよっし。がんばるぞー
南の島滞在二日目。昨夜も使った大食堂にてみんなそろって静かに朝食を摂る。俺とグリシーネ嬢以外は上流階級出身だからか会食でもないと食事中のお喋りは元々控えめだが、いつも率先して『楽しくお喋り』の空気を作るグリシーネ嬢が昨日の今日で調子を取り戻していないのでこの面子での食事としてはいつもより静かだ。俺としては冷静になって昨夜の自分を振り返ったことで居心地悪そうにしているグリシーネ嬢がどう出るのかと興味津々である。
「この沈黙辛い……けんちゃんなんか話して」
「悪いな。俺は神道なんで食事中は喋らないんだよ」
グリシーネ嬢の様子を伺っていたら鬼のようなフリを投げられたので何も考えずに御座なりに返す。
「こっちの世界に神道なんてないんだから別に良いじゃん」
「バカ言え。信仰っつーのは何を心の拠り所として何を行動の規範にするかが大事なんだ。この世界になくとも俺は神道を心に抱いて生きるんだよ」
「なんか良い事言ってるけどうそじゃん。少なくとも毎日シアと晩御飯食べる時にいちゃいちゃしてるって聞いてるよ」
「ケント様。いつも私のわがままがご負担に……」
何も考えず口だけでグリシーネ嬢の相手をしていたらいらんところに飛び火してオルテンシア嬢が心を痛めてる。
「オルテンシア嬢。今のはグリシーネ嬢の要求を跳ね除ける為の方便だよ。俺はおおよそ無宗教だ」
生活の端々に染み付いた神道や仏教の影響はどうしようもないが、実家と縁が切れてるような今の俺は多分どこの宗教にも属していないはず。日本は仏教の家だと生まれたら子供も大体仏教に入るからね。日本人の結構な割合は無神論者でも自覚なくどっかの宗教に入ってるらしい。事実かは知らない。あー。でも俺は祖父母と会った事もないし他の親戚とのつきあいも俺はなかったし、ひょっとしたら生まれたときから無宗教かも。
「そうでしたか。ケント様にご迷惑をおかけしていないのなら良かったです」
「ちょっと、シア。今の私の扱いがぞんざいすぎるでしょ。口からでまかせで私を煙に巻こうとしてたってことだよ?」
「それも含めてのリシー様とケント様の掛け合いなのかと思っておりました」
オルテンシア嬢と晩御飯食べながらのお喋りは俺の心の潤いでもあるのですぐに誤解が解けてよかった。グリシーネ嬢の調子も上向いたっぽいし結果良し。
「ケントさん。さっきから出てる『しんとう』って何かな」
神道が翻訳されてなかったのか、ジルが『神道』を日本語の発音で言いにくそうに聞いてきた。名詞だから翻訳されなかったのかね?
「神道というのはですね」
おおっと。黙々と朝食を進めていたオリザ嬢がここで参戦。神道とはなにか。神道と混同され易い仏教との違いは何か。そもそも宗教とは何かと静かにしかし止まることなく講義を始めた。オリザ嬢ってば博識ねぇ。
オリザ嬢の話を聞きつつ俺は自分の食事に戻る。みんなと違って喋るのと食べるのとの素早くきれいな切り替えが出来ないので、俺は喋ってる間は食事の手が止まってしまう。俺はそこまでテーブルマナー上級者じゃないんだよ。
「つまり、宗教ってのはこっちのとは大分違うってことだ」
こっちの世界の宗教も色々あるが、その大元は『どこで神様を分けるのか』という一点だ。人が神と呼ぶ存在は全て同一の存在の分け身であり相が違うだけであるとその神様が断言しているこの世界では、違う相を成せば別の奉じ方をするのか分け身となれば別の奉じ方をするのか、はたまた儀式などはどこからどこまで同じものを用いるのかという違いしかないと神様が言ってた。あ、これもしかして神様の方は気にしてなくともヒトの方で気にしてる問題とかありそうだと今気付いた。
「オリザ嬢の講義はキリがなさそうだし、ここで区切って場所を移そう」
俺の乱暴なまとめ方に反応しかけたオリザ嬢の機先を制してみんなを促す。皆朝ごはんは食べ終わったので、お喋りを続けるにしても場所を移さないと使用人の皆さんの仕事が滞ってしまう。何より本館の管理をしてるのはうちのバイオロイド達だからな。うちの子に迷惑かけるなど許さぬ。すべきことがないって言うあの子達にとって最上級の迷惑をかけ続けて入る俺に言えたこっちゃないか。
俺の提案に反対意見はなく、きびきびと皆で連れ立って日中に使う談話室へ向かう。昼と夜じゃ使う部屋すら違う上流階級凄い。
移動する途中、歪みのない透明なガラス窓の外に見えた青空は殺意がこみ上がってくるほど透き通っていた。夏で南の島だとわかってはいても、暑いのは嫌だ。いくら俺のパワーアシストスーツが空調完備であろうと、グリシーネ嬢の発案するイベントによってはパワーアシストスーツを脱がなければならない可能性がある今回の旅行において、晴れ渡る空など敵だ。ホモ・サピエンスとは呼べないスペックを手にして、摂氏で四桁くらいの温度ならプラスでもマイナスでも大差なく活動できる俺だが日本で生きていた頃の感覚は抜け切っておらず、普段の生活においては人並みの感覚に肉体を合わせている所為で気温が四十度超えたら動きたくない。
更に言えば視界に入る人たちの服装も暑苦しい。いくら屋敷の敷地内と屋内と各部屋で温度管理の術封器を贅沢に敷設していても、個人個人で温度調節の術封器を携帯していることが分かっていても、男二人のベストまできっちり纏った服装は見ているだけで汗が噴き出そうになる。プロイデス王国の価値観により夏場でも出来る限り肌の露出を抑え、透けるような薄い生地を重ね合わせた仕立てのドレスを纏った女性人も布が多すぎて暑くなるが、ベスト着てる男共よりはまだマシだ。一番ひどいのは濃紺と白の使用人のお仕着せを着込んだダイス女史だがな。夏でも肌出しちゃいけないのは貴族の子女の話でしょうになんで貴女までそんなかっちり着込んでるんですかね。
「皆揃ってるし、それぞれの今日の予定を確認しあおう。俺が把握してる限りだとダイス女史とジルにミニダンジョンの調査をしてもらうくらいだ。他の皆はどうするか考えてるか?」
窓の外を見ても屋敷の中を見ても暑苦しくて幻覚で熱中症になりそうになりながらも大きな出窓が目立つ談話室へ移動し、各々腰を下ろしたのを確認して口を開く。
「ハーイ。水着の用意に必要なこと済ませちゃいたい」
真っ先に手を挙げたのはやはりグリシーネ嬢。本当は進行役は貴女に任せたいんですがねぇ。
「わかった。デボンに伝えておく。グリシーネ嬢が採寸やデザインを今日やるならオリザ嬢とオルテンシア嬢は……」
と二人に視線を向けると頷かれた。出来ればどうするかは明言して欲しいんだが一緒にやっちゃうってことでいいのかな。
「二人もグリシーネ嬢と一緒に今日済ませるので良いっぽいな。ダイス女史のはどうするか。ミニダンジョンの調査が終わってからじゃ遅くなりそうだけど」
調査は済んでいるので遅くなるも何も無いものの、調査が済んでいないことになっているのにいつ調査が終わるなど明言できるはずもなし。
「私のものはなくともかまいません」
だよね。オルテンシア嬢と姉妹みたいに仲良くても立場は一応侍女だもんね。ダイス女史くらい力を溜め込んで人間離れしてると無呼吸で軽く一時間は水を足場にして水中を走れるし、普段の服装でも万が一の救助になんの問題もない。
「折角なんだしダイスさんも一緒に遊ぼうよ」
そしてグリシーネ嬢がそう言うってことも俺知ってた。グリシーネ嬢としては関係ない人の目もないんだし友達で良いじゃんってことなんだろう。
「私はシア様の侍女ですので――」
「一緒に遊ぼ?」
まともな理屈じゃ自分の主張は聞き入れられないと見たダイス女史が俺の方に助けを求める視線を向けてきた。グリシーネ嬢すげえ。
ダイスさんは、自分は護衛であり侍女なので主人と同じ立場・視線でいるわけにはいかないって考えじゃないかと推測するが、ダイス女史のスペックとダイス女史の主人であるオルテンシア嬢と彼女自身の関係なんかを加味すると、別に一緒に遊んでも良いんじゃないかと俺は思うので俺が味方するのはダイス女史じゃないんだ。
「今日の夜にでも時間を作ってデボンに採寸や大雑把なデザインの相談をしてもらっておけば良いんじゃない? デザインはグリシーネ嬢が詳しいだろうから、ダイス女史とデボンで考えた案をグリシーネ嬢に見てもらって細部を手直ししてもらうといい」
「いよっし。がんばるぞー」
両拳を突き上げるという淑女らしからぬ動作で気合を入れるグリシーネ嬢とは対照的に、ダイス女史は愕然とした顔を俺に向けた。ハハハ。いっつも俺がやり込められる側だから気分が良いぜ。
まあ、グリシーネ嬢がどういう意図でダイス女史も巻き込もうとしてるのかは知らんが一緒に遊ぶくらい良いと俺は思うよ。オルテンシア嬢もダイス女史と遊べそうってことで嬉しげな笑みを浮かべてるしさ。オリザ嬢が何を考えてるか俺にはわからないが。
ダイス女史は敵陣に放り込まれたとでも言わんばかりの表情でグリシーネ嬢に引っ張られていき、オルテンシア嬢とオリザ嬢を含めた四人できゃっきゃと楽しげに話し始めた。目に優しい。ダイス女史はやることがあるので開放してあげて欲しいって言いに行くのはまだ後にしよう。ダイス女史がオルテンシア嬢の侍女を続けるなら、多分これから先も似たようなイベントを企画したグリシーネ嬢に振り回されることになるので今のうちに慣れてしまいなさい。別の言い方をするなら諦めてしまいなさい。
楽しげな女性陣は良いとして、問題は残された俺を含めた男共だ。
ジルは女性の輪の外に居ることで自分は男だと認められてるようで嬉しいと移動中のどっかで俺に言ってきたし今もなんか嬉しそうなので別にいい。
パインズ・プロイデスとウォルティース・マレアロッサの二人だ。王子様と嫉妬男さん。地位とかミドルネームとかは正式な場でなければ端折って良いらしいのでとても楽なのと、今はデボンとペアで俺の護衛に就いてるアルの早い仕事のおかげでそれぞれの名前が分かる。俺が名前覚えてない人にARタグつけて名前分かるようにしておいてほしいって言ったのは昨夜で、一夜明けた現時点でもう使えるのは徹夜したんじゃないかと心配になるが終わったことだしただ感謝しておこう。タグデータをすでに用意してあって朝に顔合わせた端からタグつけたって可能性もあるしな。
アルにお礼を言わないとと思ったところで思考が逸れていると自覚する。アルの早い仕事について考えてたんじゃないよ。王子様と嫉妬男さんだよ。
俺としてはこの二人との接点が少なくて済むのは歓迎なんだが、王城を出発する時に顔を合わせた時からすごいぐったりしてるんだよなあ。グリシーネ嬢もオリザ嬢もそれぞれの婚約者がそんな状態でも気にしてないみたいだから俺も放置してたが、女性陣の楽しげな様子との対比がひどい。
「お二方とも、あまり疲れがとれてないようですね。寝具が合いませんでしたか?」
っと、言ってから気づいた。婚約者との旅行。夜を越えても疲れている男共。それはつまり。
「問題ない、オーシィ卿」
「ああ。気遣いには礼を言うが、夜中まで女性二人のお茶会に付き添っていただけだ」
プロイデス王国って上流階級の婚前交渉は忌避されてるもんな。ん? 女性二人?
「なにやら、オーシィ夫人の今後をどう応援していくかと盛り上がっていたよ」
俺の疑問顔だけで察したのか、とてもとても疲れた声で王子様が言う。俺とオルテンシア嬢には一応内緒でオルテンシア嬢応援プランを立てていたとかそんなところか。
「オーシィ卿。私は卿とあまり関わりがない故にあまり言えることはないが……強くあれ」
おい。嫉妬男さんやめてくれよ。いやさ、ウォルティース公子。今度から頭の中でもちゃんと名前呼ぶからそういう不穏なこといわないでくれ。
「……私もウォルトも何も言わなかった。良いな」
おい。逃げを打つんじゃねえ王子様。
「ケントさん」
ジルがそっと俺の肩に手を置いた。俺の味方はジルだけだ。オルテンシア嬢も基本は俺の味方なんだが、オルテンシア嬢はグリシーネ嬢の影響がどう作用するか分からんからな。
「恋愛関係のトラブルで頼られても一般論しかいえませんからね」
「俺よりはマシだろ……」
実際、オルテンシア嬢への贈り物で相談した時も俺がトチらなければ上手くいったと思うし。
「私もこの歳で相手を見つけなくちゃならないので、ケントさんの方まで手が回らないのが本音です」
「ああ、公爵家の嫡子になったのか。俺とは方向が違っても、お前はお前で大変だよな」
「その所為で今回も王都から出されましたしね」
その後、男共は男共でなんだかんだ話は弾んだ。王子様も旅行中は多少の無作法は大目に見てくれるという言葉通りいつもより楽だった。これからは王子様も嫉妬男さんもちゃんと名前覚えるようにがんばるよ。ARタグついてるしきっと大丈夫。




