04 五歳児と同じくらいまで成長したと褒められました
「どうだ、順調か?」
オルテンシア嬢との結婚契約を結んで三月ほど経ったある日、おっさんが唐突に訊ねてきた。目頭を押さえて首を回しているし執務の合間の息抜きなんだろう。このおっさんも肉体性能で言うならホモ・サピエンスとはいえないレベルなんだけど書類仕事は疲れるそうだ。ちなみに、神様の鍛錬場で得た力をそっち系につぎ込んだ文官さんはペンにつけたインクを飛ばして石の壁に孔を開けたり、書類で鉄板を両断したりする。もちろん書類を捌く手はハチドリの羽ばたき並に早い。
余談はさておき順調かとだけ聞かれてもわからないよ。とりあえず屋敷のことでいいか。
「屋敷は初めの一月で住めるようになってたな。今は細かい調度品を揃えたり庭に植える物を吟味しているとか聞いた」
一応毎日屋敷に帰るものの、邪魔しちゃ悪い気がしてハウス・スチュワードさんの報告を受けたらすぐ船にワープしているので細かいことは知らない。家具選びとかに関わっていない所為か自分の家って感じがしないんだよなあ。まあ、あの屋敷はオルテンシア嬢の為に用意した物であり誰の物かといえばオルテンシア嬢の物だ。
「その分だと作法も恋も進展はなさそうだな」
おっさんがやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。
「作法はそれなりだな。かろうじてテーブルマナーの及第点をもらえたのを考えれば今回の先生は物凄く有能だ」
詩やダンスや立ち振る舞いは貴族の五歳児くらいに上手くなっていると先生に褒められている。
「一目惚れしたと言っていたじゃないか。詩を優先しろ」
この国の貴族にとって恋愛の第一歩はダンスか詩。ダンスパーティで相手をして貰ってお喋りに持ち込むか、お喋りしているときにさらっと詩を詠んで興味を引いてダンスの申し込みを受けてもらうか。知人つながりのお茶会で知り合ってとかの場合も良い詩をすらすら詠めないとアピールの機会も作れない。
実際、オルテンシア嬢とのやりとりも事務的な簡素な物だけだ。ちょっとした雑談すらない。それにしたってハウス・スチュワードさんが居て毎日何かあれば報告する以上、二重チェックでしかない。
オルテンシア嬢に一目惚れして本来なら近づくチャンスも多いというのに、ある意味オルテンシア嬢との関係は順調ではあっても俺にとって好調とは言いがたい。
「生まれ育ちから価値観まで接点がない相手だ。別にダメならダメでいい。あんたの退位まで付き合いは続くし、その間でちょっとでも恋人として触れ合えたら上々だろ。先にオルテンシア嬢が生涯のパートナーを見つけるとは思うよ」
人としてはかなり長いであろう寿命を得ているおっさんは、先々王も先王も神の鍛錬場には通わずに人らしい寿命で亡くなられていることもあって平均的な在位年数で息子に譲位して隠居すると言っている。俺の傭兵契約も一応おっさんの退位に合わせて切れる。オルテンシア嬢とは長くて三十年くらいの付き合いになるはずだ。三十年も同じ屋敷で暮らせばオルテンシア嬢も俺に対して多少の情は湧くんじゃないかな。
しかし、日本で十五年こっちで五年くらいでだいたい人生二十年目にしての初恋だというのに、俺の常識にある初恋と比べると熱量とでも言うべきものが驚くほど少ない。多分、個体として強くなりすぎたせいなのだと思う。俺の寿命がどうなっているかは知らないが神様の鍛錬場で得た力の量に相応しい年齢まで生きると神様もおっさんも言っていたし、死ぬまでの期間が長いほど子孫を残す本能が弱くなるのは必然とかネットで見た覚えがある。そういうもんなんだろう。ネットで見たってのはさておいても、本来ヤりたい盛りの二十前後において自分での処理すら必要としない程欲求が弱いのは事実だ。しかし、毎日バイタルチェック機能がついた水槽で眠って体に異常がないか調べてるので肉体的な原因でのEDは心配ない。
「公人としてはお前がこの国に根を下ろしてくれれば言うことはないのだがな……。私人として、お前の友人を自称する身としてはもう少し人生の彩というものを理解してもらいたいというところか」
おや珍しい。おっさんがわざわざ友人であることを強調するのは心底俺のことを考えてくれている時だ。
おっさんは公人としてとか私人としてとか、どういった意図があるかを明言してくれるおかげで頭が足りない俺でも付き合いが続いている。コミュ障の俺だと貴族しゃべりなんて理解できないし、人間関係の機微なんて察せられない。こっちの世界に来てよくわからないスーパーパワーという自身の拠り所を得て人に対する無頓着さが顕著になっている気もする。
半歩間違えば暴君になりうる自分を自覚して、折に触れて忠告じみたことを言ってくれるおっさんには真摯に向き合っているつもりだ。つもりであってできているかは定かじゃない。
「俺もこのままじゃ枯れた人生になるとは分かっているがね、片思いは一人でできても恋愛は一人じゃできない。ヤりたいだけならどうにでもできるんだから心の方を重視したいのは間違ってないだろ」
プロのお姉さん方はその辺しっかりしている。おっさんと出会う前だったか、ちっとも下半身にこみ上げてくるものがないと気になって、ヤるかは別としてプロのお姉さんに一晩話し相手をしてもらったことがある。その時のお姉さんは、体のつながりと恋とは別物なのだと自論を語ってくれた。結局そのお姉さんとも一緒のベッドで寝たが行為はしなかった。恋心も抱かなかったが、あのお姉さんはカッコ良かった。
「その話、オルテンシア嬢や彼女の侍女の前でするなよ」
「こんなことを話す日が来るとは今のところ思えないし、男でもそうだが他の同姓の良いところを異性に語られて良い気分になるやつは居ないだろ。俺にだってそのくらいはわかってる」
オルテンシア嬢との関係は『どんな話をするのか』どころではなく、『話をするにはどうすれば良いのか』ってレベルだ。
彼女が結婚の準備のために俺が用意した屋敷に通っていても、大抵は俺の帰宅前に彼女は現在の自宅である王都のハイドロフィラ邸へ帰っているし、偶に泊りがけになっていることもあるようだが俺はエントランスでハウス・スチュワードさんの報告を受けたら正面階段の脇にある小部屋で船にワープする。顔を合わせるタイミングなどない。顔を合わせることもないので会話をすることもない。
俺とオルテンシア嬢のやり取りは、彼女から送られてくる青い鳥が携えた進捗状況の報告と俺から送り返す『わかった。必要なものがあったら教えてくれ』の定型文しかない。いつも同じ返信もどうかと思うものの、屋敷は彼女に任せているし俺の方で報告するようなことも何もない。俺がやっていることでオルテンシア嬢と関わっているとなると社交術のレッスンくらいで、五歳児と同じくらいまで成長したと褒められましたなんて言っても悪印象しか与えない。つまり書くことがない。結果いつも同じになる。
その辺の事情をおっさんの話術でするすると引き出され、重い重い溜息を吐かれた。
「お前の出自についてオルテンシア嬢は知っているだろうに。『社交界に興味はなかったが貴女の隣に立つために今更ながらレッスンを受けている』とでも言え。『貴女のために』だと押し付けがましい。『自分が貴女の隣に立つために』というニュアンスが大切だぞ」
「どっちにしても押し付けがましいじゃないか。オルテンシア嬢と形のみとはいえ結婚するなら必要なことだ。必要なことをやっているだけでわざわざ明言するのは器の小ささをひけらかすようで無様だろ」
「会話のきっかけ作りだ。その上に積み上げるものが大事なのだ。そうやって触れ合うのがコミュニケーションだ」
「言いたいことは分かったが俺は詩が書けない」
「貴族だからといって四六時中詩を詠んでるわけじゃない。詩は付き合いを始めるためのそれこそきっかけ作りで、あとは愛を囁く時のものだ」
おっさんが段々投げやりになってきたな。俺も面倒になってきた。
「休憩の前より疲れているように見えるし休憩になってないぞ」
「そうだな。もう執務に戻ろう」
おっさんは結局休めてないまま仕事に戻った。
その日のおっさんとのやりとりが縁でも作ったのか、数日後のレッスン中、オルテンシア嬢と三月ぶりの顔を合わせることとなった。
社交術のレッスンは基本的に俺がオルテンシア嬢に用意した屋敷で行われている。表向き俺の屋敷であるし当然といえば当然だ。オルテンシア嬢は王都のハイドロフィラ邸から十日に一度ほど足を運んでおり、俺のレッスンは月に二度ほど。小ホールにオルテンシア嬢が入ってきた瞬間は驚いたが、かち合ってもおかしくない頻度だと気づいてすぐに落ち着いた。お嬢様の方は驚いた素振りもない。俺は一応の家主だし彼女にとっては俺が居てもおかしくないか。
「ご無沙汰しております。小鳥に手紙を運んでいただいているのであまり寂しくはありませんが、お顔を見られてとてもうれしく思います」
ん。なんか口調が砕けてるし直截的なような。契約を結んだ初対面の時にはあんまり喋ってなかったから自信はないけど、貴族の子女って俺的にはもっと堅苦しい喋り方をしていたはずだ。いや、俺が知っているのと比べても意味はない。彼ら彼女らは俺の育ちを突く為にことさら自身の教養を強調せんばかりの喋り方だった。嫌がらせで話しかけてくる奴と同じ扱いはまずかろう。
「お久しぶりです。あまり、あー……教養がないもので筆不精はご寛恕いただきたく。貴女のような女性との接し方もわからないもので、えー、ご無礼があったならご指導ご鞭撻を、あー……」
やばいな俺。どういう話し方が相応しいのかも知らないのを脇においても言語中枢に不安が芽生えるレベルでコミュ障極まってる。そりゃあ、社交術の先生もどうしようもないものは後に回して間に合わなかったら陛下に誤魔化してもらおうとか言うはずだ。『オルテンシア嬢と話をするにはどうすれば良いのか』の意味がまるで違うものになったぜ。
「ふふふ。ご無理をなさらなくとも大丈夫です。陛下とリシー様よりご事情を窺っておりますので、いつもと同じようにお話ください」
言ってることは何も特別なところはないのに、彼女の纏う穏やかな空気に中てられて深く考えずにそれでいいかなって思ってしまいそうだ。
所作にも声音にも特別なところはないのだ。おっさんに聞いたときも俺が感じているようなものは感じたことがないと言われた。ハイドロフィラ卿が術封器か何か仕込んで俺を操ろうとしているなんて疑念すら浮かびかねないほど異質で不可解な空気。それでいいかなーと思いそうなのが怖いし、惚れた弱みとでも言おうか、オルテンシア嬢が多少悪意を持って俺に近づいたのだとしても場合に因っては許してしまいそうだ。限度はあるが。
「ありがたい。貴女のような人とどう接したものか困っていたんだ。もとが粗雑なものでどれくらい意味があるかは分からないが、丁寧な言葉遣いを心がける。当面はそれで許してほしい」
仕方ないなあという感じの笑みで頷かれてしまった。
当面って言っても改善される可能性は儚いというのは黙っていよう。言わなくても気づかれてるっぽいし。
しかしオルテンシア嬢のやわらかい雰囲気とは裏腹に、側に控えた彼女の侍女さんには隠し切れない刺々しさを感じる。侍女だけあって内心を隠すのは上手いだろうにそれでも隠しきれてないみたいな気がする。視線を伏せてるのも俺を睨み付けないようにするためなんじゃないかな。俺の良い噂なんてないし、実際貴族社会にも馴染めてないしで嫌われる心当たりが多すぎる。触れないでおこう。
「そちら、婚約者の方かしら。私は彼に基礎教養一般のレッスンをしているの。申し訳ないけれど名前は伏せさせてね。そういう約束なのよ」
「陛下にご紹介いただいた方で、俺は先生と呼ばせてもらってる」
おっさんにも名前は知らんで良いと言われている。どういった理由か知らなくとも、藪をつついて要らんものを刺激するつもりもない。
その後は先生と当たり障りのない会話を交わしてオルテンシア嬢は去っていった。途中で侍女さんの刺が和らいだのは、もしかすると婚約者の居る身で婚約者の整えている屋敷に仕事サボって女を連れ込んでいたと思われてたからなのだろうかと邪推してみたり。冗談を抜きにするなら、俺のことを意識しなくて済んで俺への敵意が感じられなくなったという可能性のほうが大きいと思う。侍女さんとは将来的にも直接の関わりが増えないはずで、特に気にすることでもなかろう。
「充分休みましたね。では初歩のステップをもう一度」
ダンスってなんでこんなに難しいのか。日本列島の端から端まで線路の上で新幹線と鬼ごっこしても余裕があるくらいの肉体なのにこんなに疲れてるのは不思議だ。