32 なんでそんな食いつきが良いんでしょうか。
「この国だと結婚記念日はどう過ごすものなのかな」
翌朝、早速オルテンシア嬢に訊いてみた。
「けっこんきねんび、ですか?」
言葉そのものを理解していらっしゃらない?
「結婚した日を記念して夫婦にとって特別な日にしようって考え方なんだが」
「あ、いえ。言葉の意味は存じております」
じゃあなんだと考え、直ぐに答えが出た。一応結婚したって形になっていても実態は雇用契約だってことかー。最近順調に仲良くなれてる気がして一般的な記念日だし食事に誘うのに丁度良いって思考がおかしいと全く気付いてなかった。冷静になると『初めての結婚記念日だし初めて夕食に誘う理由として丁度良い』なんて理屈はおかしい。おかしくないのか? だめだ。自覚できるほどテンパってる。
「すまん。ちょっと今のやり取りはなかったことにして欲しい。時間も時間だし出仕するよ」
「ええと、はい。行ってらっしゃいませ」
帰ったらまた顔合わせるのか。今日は帰りたくないなあ。
「てなことが今朝ありまして」
「で?」
一音で返すのやめようぜ、グリシーネ嬢。心が折れる。
「幸いというべきか食事の件は言ってなかったものの、それもまだ早いんじゃないのかなと」
「そこまで戻んの? 戻りすぎでしょ」
「最近の俺は調子こいてたなって思いました」
「あああもうめんどくさああああい」
おう。唐突にどうしたグリシーネ嬢。壊れたのか。
「ピースが忙しいって言って私はピースに会えないのに、なんで、一向に進展しない面倒くさい両想い共の相手しなくちゃならないのさあああ」
あれ? ピースって多分王子様だよな。忙しいって言ってたのかなり前じゃないのか。そうだ。丁度結婚式の日にグリシーネ嬢が言ってた気がする。長期出張でもしてんのか?
グリシーネ嬢は壊れ、俺はそれを眺めて申し訳なくなり、おっさんは泰然と執務を続けるおっさんの執務室にノックが響いた。
おっさんが執務机の置物に触れて暫し沈黙すると、扉が開く。魔法のドアフォンって言うとファンタジーなのに実態は普通のドアフォン。見慣れると何も面白くない。
「失礼します。国王陛下、プロイデス王国第一王子がパインズ――」
「ピース!」
グリシーネ嬢のぶちかましを受けた王子様がうめき声とともに自身の婚約者を抱きとめた。グリシーネ嬢も邪魔しないようにって我慢してたんだよ。努力は認めてあげて。でも面白そうだし『不敬であるぞ』とか叫んだほうが良いかな。
「おっさん、良いのか?」
「あの娘にも長いこと我慢を強いたからな。暫くはそっとしておけ」
「さいですか」
感動の再会っぽい感じの二人を放置して、俺は食事の件を進めるべきか取りやめるべきか悩み、おっさんは執務に戻った。
少し前までの俺ならば、朝のオルテンシア嬢の反応が良いものではなかったことを鑑みて結婚記念日の食事は即座に諦めただろう。下手な行動は極力避け、安全が確保されている場合のみ攻めに出るスタンスだった。そして全部失敗している。
オルテンシア嬢とのちょっと赤裸々な話し合いを経た今の俺は、なんであんな反応を取ったのかを直接訊くべきだと言っている。自分の内側に篭ってうだうだ悩まず、本人に当たって砕けるべきだと方針を変えたはずだと。そして砕けたら多分立ち直れない。
「国王陛下――」
「硬い。面倒だ。ただでさえ忙しいのに無駄に煩わせるな」
俺が進むか退くかの二択で延々迷っていると、王子様とおっさんのやりとりが聞こえた。おっさんひでえ。
「はぁ。では父上。パッサオル渓谷に現れた大型モンスターの討伐を報告します。幾人かの騎士が目覚しい働きを見せ損害は軽微。事前の被害予測を大きく下回る形で今回の件は終息しました。戦場は――」
「詳しいことは書面でまとめて出せ。急ぎ報告すべきことはあるのか?」
ああ。王子様はモンスターの討伐に行ってたのか。用意して行って戦って帰ってで一年かかるなら、余程遠いところでモンスターが発生したかよほど強かったのか。単体で強力な個体ならおっさんが出張ってさっさと片付けるだろうし、大本はさほど強くないものの増殖力に秀でたモンスターだったのだろう。多分、王子様に戦場の経験をさせるとかが理由じゃないかな。
鍛錬都市二つと王都しか知らない俺にとってはパッサなんとかがちょっと気になるものの、王子様がどこで何やってたかに興味はない。王子様と久しぶりに会えてグリシーネ嬢が上機嫌になった今が好機。
「グリシーネ嬢……」
王子様がおっさんと話し始めたのでソファに戻ってきたグリシーネ嬢に声をかける。
「帰ってシアに直接訊きなさい」
端的かつ正論のアドバイスをいただいた。やっぱりそうっすよね。
「アンタ、シアがアンタのことどう思ってるか聞いたことあんの?」
「俺が本人に『俺のことどう思ってんの?』って訊けるわけがない」
「シアの方からは?」
「そんな話しはしたことない……と思う」
「じゃ、プロイデス王国の貴族の子女が男の前に出るような格好じゃない薄着でシアが何回かアンタを誘ってるのは何でだと思う? ってか、アレに反応しないとか不能?」
「呼吸とか心拍とか血流とか制御する技術があるから、反応して困ったり反応せず困ることはない」
スキップやフィンガースナップ、一輪車、両手で違う動きをするみたいな慣れないと難しい体の動かし方と同じで、身につけられる技術として生体機能を制御する方法がこの世界には存在する。止血したり緊張をほぐしたり寝つきを良くしたりしゃっくり止めたりと結構便利だ。
「薄着のシアにお帰りなさいって言われてムラっとこなかったのかって訊いてんの」
俺の方向をずらした返答がお気に召さなかったグリシーネ嬢が、突き刺すような視線と低くした声で再び訊いてくる。
「そういや、アレはグリシーネ嬢の入れ知恵だったか。オルテンシア嬢が死にそうな顔してたぞ」
三回目の話ですけどね。
「やっぱりシアに色仕掛けは無理かー。まあ、そっちは追々ってことで、結局どうすんの?」
俺がどう感じたかを追求するのをやめたグリシーネ嬢が御座なりに話を戻す。
「腹括って、帰ったら本人に訊くよ」
夫婦じゃないんだし俺とオルテンシア嬢の結婚記念日に何か特別なことをするのは変じゃない? みたいなことをオルテンシア嬢に言われたら、食事の招待は延期すれば良い。一月くらい空ければ多分大丈夫だ。
「そういや、この国で結婚記念日は祝ったりするものなのかって訊くはずだったのに訊いてなかったわ。グリシーネ嬢は知ってるか?」
「さあ? 私まだ結婚してないもん。王様と王妃様達のって国家行事で祝ってなかったんだし、当人達が良いもの食べたりプレゼントし合うとかじゃない? うちの――こっちの両親もそんな感じだったよ」
現地人代表のおっさんに訊こうと思ったらまだ王子様と話していたので諦めた。結婚記念日のことも食事に招きたいということも帰ったらオルテンシア嬢と話すって決めたしおっさんには訊かなくていいか。
「おかえりなさいませ、ケント様」
朝に俺がコミュ障かました今日も、オルテンシア嬢は育ちの良さが一目で分かる流麗な所作で出迎えてくれる。癒されると同時に、日々の日課になった今でもこの丁寧な対応に慣れない。もう少し軽い扱いでお願いできないでしょうか。表向きとはいえ俺が家長ってことになってるからこんな丁寧に接されるんだろうか。実質『家』と呼べるものが……オルテンシア嬢の苗字って今どうなってるんだ? ハイドロフィラなのかオーシィなのか。この国って結婚で苗字変わるんだろうか。
「今帰ったよ、オルテンシア嬢。みんなも出迎えご苦労」
危なくまた考え事に耽るところだった。ダイス女史の物理的な干渉力を持った視線には感謝しておこう。普段は思考速度が一般人と同じくらいだから考え込むときは意識して思考速度を切り替えないとまともに会話できなくなってしまう。逆にそういうことが出来る所為で考え込む癖がついてしまったという可能性もあるが、だからといって便利なものは手放せないのが人間の性だ。
「オルテンシア嬢。朝にした結婚記念日の話は忘れて欲しいといったんだが、仕切りなおしてもう一度話したい。良いかな?」
「はい。勿論ですケント様」
オルテンシア嬢は俺の言うこと全部に畏まりましたと勿論を返してきそうで怖い。何が怖いってなんでそんな肯定的なのか理由がわからないのが怖い。そのうち彼女の引いている一線を越えたことを言って態度を急激に変えられたりしたら、今でも人並みになったとは言いがたい俺のコミュ力が完全に死んでしまうかもしれない。
「実際には雇用契約であって夫婦ではないが、結婚した日が節目の日というのは同じだし、その日に……あー、お祝いというのも変か……」
オルテンシア嬢どうのがなくてもコミュ力は死んでいますね。
しどろもどろになった俺をオルテンシア嬢はアルカイックスマイルで見つめ、ダイス女史は冷めた目で眺め、ハウス夫妻は生暖かく見守る。
ダイス女史とハウス夫妻はわかるが、オルテンシア嬢はなぜそんな顔で俺を見るのか。その顔怒ってないんだよね? 今のこの俺を前になぜ緊張したり恥ずかしくなるのか。恥ずかしい人を見てると恥ずかしくなるあれか?
「端的に言って、結婚記念日あたりに我が家で夕食でもいかがですか?」
ぐだぐだですわー。こんな誘われ方嫌ですわー。こんな誘い方嫌ですわ……。もう少しなんとかならなかったのかと自問しても答えは出ない。
「夕食をご一緒させていただけるのですか?」
アルカイックスマイルから一転、キラキラと輝く瞳で問い返される。期待が大きすぎて腰が引ける。いや、ただ晩御飯一緒に食べない? って感じに受け取ってもらえるほうが嬉しいんだけど、なんでそんな食いつきが良いんでしょうか。
さっと外野を窺うと、ハウス夫妻は生暖かい視線のままだが、ダイス女史の視線が護衛らしい鋭いものに切り替わっている。
「え? あ、うん。……ケント様。『我が家』というのはひょっとして……」
ああ。ダイス女史の助言を受けたのね。そしてダイス女史の目つきの理由は行き先が分からないことが原因と。ダイス女史は侍女で護衛だもんな。
「俺があの小部屋で出入りしてる、俺の寝起きしてるところでどうだろう。人を招くのは初めてだからどう評価されるかは心配だけど、俺としては結構住み心地が良いところなんだよ」
「本当ですか?! ぜひ、お願いします!」
今までに聞いたことのないオルテンシア嬢のハイテンションな大声でものすごい驚いた。満面の笑みも珍しい。期待がますます大きくなっているよ? 期待に応えられなかったらこのはしゃぎっぷりがそのまま落胆に塗り潰されると思うと恐ろしい。
「奥様……」
「うん。いえ、はい。ケント様、はしたない真似をして申し訳ありません……」
オルテンシア嬢のはしゃぎっぷりが看過できなかったらしいダイス女史に窘められて、オルテンシア嬢は顔を赤く染めると叱られる子供のように肩を竦めて謝ってきた。その肩を竦めるしぐさでダイス女史の目がまた鋭く光っている。
何で今奥様って呼びかけたんだろう。いつもお嬢様って呼んでるよね。
「いや、気にしないでいい。招待をそんなに喜んでもらえるならもっと早く踏み切っていればよかった。期待を裏切らないように力を入れて準備するから、期待し過ぎない程度に期待しててくれ」
もう自分でも何言ってるかわかんない。何言ってんだろうなこいつ。元々テンパり気味だったところにオルテンシア嬢の予想外の期待が拍車をかけて完全にテンパってるわ。でもほら、テンパリングしないとチョコ菓子って美味しくないし大丈夫。なにが大丈夫か分からない。
なんとか話を切り上げて旗艦へと逃げ帰った。第五世代組バイオロイド四人には作戦決行を伝え、同時にオルテンシア嬢がすさまじく期待していると伝えておく。きっと彼らならなんとかしてくれるさ。なんとかできなかったら俺がちょっと引き篭もるくらいだろうし問題はないさ。
ふと、脈絡のない閃きが俺の脳裏をかすめる。もしかして『初めて男の子の家に呼ばれちゃったキャッ』みたいなイベントをグリシーネ嬢に吹き込まれたりしたのではなかろうか。
すごい不安になってきた。明日中に時間を作って絶対グリシーネ嬢に訊こう。『初めてカレの家にお泊りイベント』とかオルテンシア嬢に教えてたら俺のキャパシティじゃ対応できないぞ。




