29 俺チョロイなあ。
俺の気遣いが独り善がりで無意味だと主張する俺と、その心が大切で嬉しいのだから無意味ではないと主張するオルテンシア嬢の言い合いはダイス女史の投げ遣りで御座なりな仲裁によって打ち切られた。
一息入れる為に三人で紅茶を飲む。お茶菓子は小さなクッキー、サブレ、ビスケットの色んな味盛り合わせ。オルテンシア嬢は夜間の甘味を遠慮したが、食べたもの魔力に変換するファンタジーなメディスィンでねじ伏せた。たこやきパーティーの失敗を踏まえて魔力酔い対策もしたので問題ない。
俺は味に関係なくサブレを多めに食べ、オルテンシア嬢は抹茶やあんこ系を狙い撃ち、ダイス女史は端から順に楽しんでいる。
やべえ、このお茶会は幸福感がすばらしい。
俺とオルテンシア嬢が二人で飲食する場合、いつもグリシーネ嬢のお茶会に二人がそれぞれ呼ばれて顔を合わせてたこともあり、なんとなくオルテンシア嬢と触れ合ってる感じはしなかった。
しかし今この場は違う。間に誰かを挟んで同席したのではなく、俺とオルテンシア嬢二人の意思で一緒に居るのだ。ダイス女史はオルテンシア嬢と会うときはほぼいつも一緒なので違和感などない。多分、使用人に慣れるってこういうことなんだろう。
「さて、落ち着いてことだし本題に入ろう」
できればいつまでもこの幸せ空間を満喫していたいが、既に九時を回っている。あまり遅くなるとオルテンシア嬢の明日に響いてしまう。ホモ・サピエンスじゃない俺やダイス女史は十日や一月くらい睡眠が皆無でも問題ないので考慮しない。
「本題……」
両手で包み込むようにカップを持ったオルテンシア嬢が、ちょっと潤んだ瞳のどこかぽやぽやした表情と間延びした口調で鸚鵡返しに問いかけてくる。大丈夫かこの子。酒は部屋の中にない。お酒の一部は好きでもアルコール臭そのものは好きじゃないのもあって弱い酒でも直ぐに気づける自信がある。オルテンシア嬢の体内と室内どちらの魔力濃度も平常値。体温で言えば微熱ともいえない程度でしかない。
え、何で酔っ払ってんの。
「体質の所為では?」
ダイス女史に視線を向けると肩をすくめて大したことなさそうに言われた。
体質って言うと『波長の合う人と精神が共振する』んだったか。
「もしかして、オルテンシア嬢の感情やらが相手に影響を与えるだけじゃなく、オルテンシア嬢も相手の影響を受けるのか?」
「少なくとも、完全な制御が出来ていない今はその通りです」
よくあることだと、ダイス女史は紅茶とお茶菓子を楽しんでいる。
「これ、どうすれば……」
「今のところ、原因から離れたあとは放っておくしか対処法は見つかっていません」
『原因』の部分で視線に力を篭めて人のほっぺたつつきやがった。視線に物理的な影響力を持たせるな。
できれば今夜の内にこれからの付き合い方について話しちゃいたかったんだけど、オルテンシア嬢はもうまともに会話が成り立ちそうにない。しまりのない幼い笑みで俺とダイス女史を交互に見てはうんうん頷き、紅茶を口に含んでは目を細めて満足げに頷き、お茶菓子を食べてはぱぁっと輝くような笑顔で頷き、たまに俺と目が合うとにへらっと目じりが下がる。
正気に戻ったらどうなるんだろ。
仕方なくダイス女史にオルテンシア嬢を任せ、引き上げることにした。
俺が部屋を出る時に振り返って小さく手を振ると、オルテンシア嬢は満面の笑みでぶんぶんと音が鳴りそうなほど手を振り替えしてくれた。ああいうのを幼児退行って言うのかな。
翌朝。出勤すべくいつもの小部屋へ旗艦からワープし扉を開けると、居心地悪そうに足踏みしているオルテンシア嬢がエントランスにいた。朝のエンカウトは初めてだ。
「おはようございます、ケント様」
「おはよう、オルテンシア嬢」
アルカイックスマイルでも怒ってないと理解したものの、刷り込まれた印象を一夜で払拭することは俺にはできない。
「お、怒ってないです。緊張と恥ずかしいのとで……あの、昨夜は醜態を晒してしまい申し訳ありません」
何かと思ったら昨日のあれか。個人的には心を許してくれてる感じがして嬉しかったんだが、まあ、本人にすれば恥ずかしいよな。俺だったら暫く顔合わせられないレベルだ。
「その表情に反応しちゃうのはそのうちなくなるから、オルテンシア嬢はあまり気にしないでくれ。ちゃんと教えてもらってわかってる。それに昨日のあれも醜態だとは思わないよ」
さすがに、あんな君ももっと見せて欲しいみたいなことは口にできない。本心かどうかは別問題だ。はあ、そんなセリフもいえる栗仲良くなれる未来はあるのかね。
「ああ、そうだ。昨日の今日で悪いんだが、昨日は話しそびれたことを話す機会を近いうちに作ってもらっても良いかな?」
あぶねえ。今の今まで完全に忘れてた。偶然思い出せなかったらグリシーネ嬢にしばかれるまで忘れてたって言い切れる。
「はい。畏まりました。私の方は今日の夜にでも大丈夫です」
「ありがとう。今日の夜ね。じゃ、俺は先に出るよ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
おお。行ってらっしゃいとか初めてだ。とても嬉しいです。
うっかりおっさんの許可を得ずジルのことを話しそうになっていたと気付いてさくっと了承を取り付けた以外はトラブルもなく終業し、おっさんの運動に付き合わされることもなく帰宅。一日が順調だと不安になる。
オルテンシア嬢の屋敷に着いてエントランスでスチュワートさんの一日なにもなかったという報告を受けた後にちょっと困った。今日の夜にと約束したものの、具体的な時間を決めてないしそれまでどうやって時間を潰すか。一旦旗艦に帰っちゃおうか。
「おかえりなさいませ、ケント様」
ハウスさんを下がらせてエントランスで悩んでいるとオルテンシア嬢が出迎えてくれた。この時間ってもう帰ってきてるのか。オルテンシア嬢に関しては何か問題がない限り特に報告しなくていいとスチュワートさんには指示してあるので生活サイクルをまるで知らなかった。いや、家デートの邪魔をしないように屋敷に恋人さんがいるか確かめて帰宅してた頃はいつものこの時間には帰ってきてたような気もする。意識が向いていないものって視界に入っていても気づけないし仕方ない仕方ない。
「わざわざ出てきてくれたのか。ありがとう」
朝のいってらっしゃいと夜のおかえりなさいがセットで今日は素晴らしい日だ。オルテンシア嬢のことなんてほとんど知らないのにこれだけで幸せを感じられるほど好意を抱いてるなんて、俺チョロイなあ。
俺のチョロさはさておき、急にこんなことするなんてどうしたんだろう。
「あの、ご夕食は済ませてしまわれましたか?」
晩御飯。前に聞かれたのはグリシーネ嬢にいらんこと教えられたとき。
「いえ、リシー様にも私達にはまだ早かったと注意をいただきまして、まずはもう少し互いの気持ちを育てなさいと。ですので今日は普通にご夕食を一緒に……その、いかがでしょうか」
俺の訝しげな視線でオルテンシア嬢も以前の件を思い出したのか、慌てて説明された。
お誘いに含むものがないなら、受ける理由は合っても断る理由はない。
「うん、お相伴に与ろうかな。お願いしても良いか?」
「はい。勿論です。ダイス、今夜はケント様がこちらで夕食をお召しになるとキッチンに報せてくれますか?」
作り置きの料理を時間凍結でストックしてあるし、バイオロイド達は創造主に奉仕することを生きがいにするのでこの程度の仕事が突発的に増えるのは喜びこそすれどストレスになったり怒ったりはしない。最近は基本兵装のステルス能力を向上させる研究や、実用性は度外視した術封器の技術開発を進めてもらっているので暇を持て余してる子は少ないが、有事に備えた待機という名目で浮いたままの人員もそこそこいるので普段の仕事が少なくて心苦しいくらいだ。
「じゃあ、俺は気着替えてくるよ。折角のオルテンシア嬢との夕食がこの格好だとね」
俺は何か理由がない限り、ライダースーツみたいなパワーアシストスーツをはじめとした『星の海を冒険しよう!』の一般兵用基本兵装なのでこのままディナーはまずい。
「はい。ではケント様、また後ほど」
「また後でね、オルテンシア嬢」
旗艦に戻って今日の晩御飯はオルテンシア嬢の屋敷で食べると第五世代組バイオロイドに伝えると、なんだかとても喜んでくれた。ついでに嬉々としたクリスとデボンに着飾らされた。頼みたかったしありがたいんだけど、これ気合入れすぎで引かれない? 大丈夫なの?
クリスとデボンの着せ替えで丁度いい感じに時間が経ち、一応の護衛としてくじ引きで勝利したブルックとデボンを連れて行く。屋敷と旗艦でも”ネインド”を介したやりとりはできるので、屋敷の使用人組から連絡を受けてタイミングぴったりにエントランスに出られる。オルテンシア嬢がエントランスに入ってくるまで五分と待たなかった。
「お待たせしてしまいましたか?」
「今来たところだ」
俺の答えにオルテンシア嬢が口元を隠してくすくすとお上品に笑う。今のやりとりの何がツボにはまったんだ。
「どうかした?」
「ごめんなさい。リシー様に教えていただいたことを初めて上手く実践できたもので」
グリシーネ嬢? あー。デートの待ち合わせ場所のアレか。意図したことじゃないだけに恥ずかしい。
「わざとじゃないけど、確かに様式美の一つかな」
「リシー様も、悩んだら形から入るのも間違いではないと仰っていました」
一頻り微笑みあう。
しかし、俺にはもっと重要な点がある。オルテンシア嬢が盛装しているのだ。俺もクリスとデボンにクリスマスツリーの如く盛り付けられているが、オルテンシア嬢は正しく着飾っている。いつもの穏やかで落ち着いた、口さがない言い方をすれば地味で目立たない格好との印象の差が大きくてかなりよろしい。淡い緑色のドレスを基本とした華やかではあっても派手ではないところにオルテンシア嬢らしさがあると思う。らしさを語るほどオルテンシア嬢の事知らないし、ファッションを評価できる知識も感性も俺にはないんだが。
「そうだ。忘れるところだった。ちょっと、これを身につけてもらえないかな」
掌に乗る大きさで円く束ねられた銀糸に見えるものを取り出す。
「ケント様、それは?」
うん。俺もこれを見た目だけで理解することは出来ないと言い切れる。
「オルテンシア嬢の『波長の合う相手と魂の共振を起こす体質』を抑える神器。適当な長さに切って身に着ければ良いらしい。髪に編み込んだり、服に編み込んだり刺繍にしたり、このままポケットに入れたり、身に着けているって自覚があればなんでも良いって。あと、手にとって意識すれば色も変えられるそうだ」
「神器……」
今世界における神器は神様がくれたもの全般を指す。取引で俺が受け取った賢者の石も神器に当たる。神様がその辺で拾った石ころをくれたらそれも神器だ。
そして今回のこの銀糸の束っぽいものは俺が神様に頼んで用意してもらった。対価は俺とダイス女史の模擬戦の際にどちらも本気でやること。なんと、優しい神様は、神様の鍛錬場下層に場所を用意したうえそこでは死なないようにしてくれるそうだ。やったね。ファッキン神様。どんだけ暇を持て余してんだっつーの。
「私とケント様が本気で模擬戦を、ですか」
「うん。多分、暇なんだと思う。最近は面白い変化も特にないって嘆いてたし」
神様の言う面白い変化は、最低でも大陸規模の大戦乱レベルの話だ。人が死ぬのが楽しいとかではなく、大量の生命の生き死にも含めた変化の量と大きさが重要だと言っていた。ちょっと人間の俺には理解できない。神様との遊びで同じくらい規模で神兵との戦争をやった俺が言えたセリフじゃないけどさ。その戦争は勝者なしの泥仕合で終わった。神兵を殺せば俺の力は高まって戦力は増強され、神兵も神様がどんどん復活させたので終わりがなく、神様が途中で飽きたので終わった。
余談はさておき。
「場所は神様が用意してくれるそうだし、どっちも死なないように神様の鍛錬場上層と同じようにしてくれるってさ」
「でしたら、全力で挑ませていただきます」
キリっとしたダイス女史も格好良いんだが、問題がある。全力ってことは船も出さないといけない。口止めどうしよう。




