28 ループ再生してやろうか。
俺がオルテンシア嬢を迎えるに当たって用意した屋敷はそれなりに大きい。大ホールのある東館や客室の並ぶ西館に使用人寮が三つと各種庭園、迷路だってあり敷地は相応に広く、それらのメインを張る本館は無駄にでかい。
その本館に相応しい、玄関ポーチというより車寄せというべき玄関先の屋根上に座り込ん早二時間。俺はどうやってオルテンシア嬢に話を切り出すか未だに悩んでいた。
グリシーネ嬢に言われたとおり気遣いというものは受ける相手の負担になれば害でしかなく、コミュ障をこじらせた俺がオルテンシア嬢に配慮しているつもりだった諸々を、彼女が実際のところどう感じているかを確かめなかればならない。
そして、そんなもんを易々とこなせるならばそいつはコミュ障ではないという逃げ腰な心の声を捩じ伏せられず無駄に時間を浪費している。
「こんなところで一時間も何をしていらっしゃるのですか、旦那様」
ちょっとした思いつきで徐々に徐々にステルスレベルを下げてダイス女史がどのあたりで気づくかという遊びをやっていたら、とうとう本人が来てしまった。あーもう逃げられないー。
「ダイス女史がどの程度で気づくかなと」
「左様でございますか。私が気づいたのは丁度一時間前です」
で、だからなんなんだと視線で問いかけてくるダイス女史。
さー、逃げられない理由も出来たし当たって砕けて逃げ帰りましょうか。もうおうち帰りたい。
「オルテンシア嬢、ちょっと話したいことがあるんだが無理をしない範囲で都合をつけられるのはいつごろになるかな」
どうよ。予定があるのですぐにはって感じのことを言ってもらってそのまま有耶無耶に逃げ切れそうな訊き方。俺はいつでも逃げの姿勢を諦めない。
「はい。私はすぐにでも問題ありません」
そして当然逃げられない。
ダイス女史に案内してもらってオルテンシア嬢が居る談話室に入ると、オルテンシア嬢は掌に乗るくらいの鳥の彫刻をぼうっと眺めていた。忙しそうだなと思いつつグリシーネ嬢に対する言い訳作りが目的の六割を占める逃げの姿勢で声をかけたら、快く応じてくれた。アルカイックスマイルではないので怒らせていない。いや、あの表情は怒ってるわけじゃないかもしれないんだったか。
「ありがとう。じゃあ、どこか丁度いい場所で……」
俺、この屋敷で話し合いに相応しい場所を知りません。談話室っていう名前だしこの談話室でいいのかな。それ用の部屋あったりするのかな。
ちらりと困ったなって視線を向けると、オルテンシア嬢はしかたないなあと呆れた感じの笑みを浮かべた。お。無言のままに通じたらしい。
「では、私の部屋へ。ダイス、何か飲み物を用意してくれる?」
「畏まりました」
ダイス女史は颯爽と去って行ってしまわれた。
「ケント様、さあこちらへ」
立ち上がったオルテンシア嬢に普通の微笑で促される。
いや、あの、女性の部屋に入るなんて俺にはハードル高いんでできれば別の部屋が良いかなって。てか、なんでちょっと話したいことがあるって言われて私室に通すのか。淑女にしてはその辺ちょっと無防備すぎませんかね。
言いたいことはあっても言っていいのかどうか。これって言っちゃったら『お前尻軽だな』みたいに受け取られないかな。これから話し合いをしようってところで相手を怒らせるのはどうなのか。でも今まで言おうか悩んで黙っていたことをお互いに口にしてみましょうって話し合いをしたいのにその直前に今までと同じく口を噤むのは腰が引けすぎの気もする。
動かない俺を見てオルテンシア嬢が不思議そうに小首を傾げる。
女性の私室に無闇に踏み込むのは躊躇われるって言おうと口を開きかけ、私室って別にイコールじで寝室じゃないって気づいた。寝室じゃないなら別に大丈夫じゃね。プロイデス王国のその辺の判断基準は知らんが、オルテンシア嬢の私室って本人の寝室の他にダイス女史の部屋とも繋がってるはずだし日本で言うと姉妹で暮らしてる家のリビングに上げてもらうくらいじゃないかな。多分。
「ああ、うん。わかった」
俺の明らかに不自然な挙動に対して、オルテンシア嬢は曖昧に頷くだけで追及してこなかった。これってやっぱり、オルテンシア嬢も言いたいこと飲み込んでるってことなんだろうな。
廊下を歩く間も互いに無言。雑談らしい雑談なんて一回きりのデートの車でオルテンシア嬢が家具について語ったときくらいしか記憶にない。あの時にしても俺は相槌を打つだけでほとんどオルテンシア嬢が喋っていたし、俺とオルテンシア嬢が知り合ってから双方向のコミュニケーションが成立してるのは挨拶くらいかもしれない。
俺としては真面目に恋愛してるつもりだったけど、グリシーネ嬢にコミュニケーション不全を指摘されて思い返せば客観的に見て好き嫌い以前の話だわ。
それでも、長いと十年単位の付き合いになるし初っ端から無理をして関係を険悪なものにしたくなかったとか、仕事とプライベートの境が明確に出来ない雇用関係なので出来る限りオルテンシア嬢のプライベートを侵したくないとか、俺としてはちゃんと考えていたつもりだった。そこのオルテンシア嬢の意思がないという点を見落としてるのが根本的な間違いだとグリシーネ嬢には言われてぐうの音も出ませんでしたが。
「――ではケント様、少しお待ちいただけますか?」
オルテンシア嬢とどういう風に会話すればいいのか考え込んでいたら、気づけばオルテンシア嬢の私室のソファに腰を下ろしていた。話し聞いてなかった。とりあえず、待ってろって言われたのはわかったので素直に頷いておく。
「ありがとうございます。手早く済ませますので」
さっとお辞儀してオルテンシア嬢は入ってきたのとは別の扉に消えていった。
どこへ何しに行ったのかわからないオルテンシア嬢と、お茶を入れに行ったダイス女史をじっと待つ。人の部屋で一人にされるって居心地の悪さがすさまじい。
オルテンシア嬢はともかく、ダイス女史が遅い。お茶入れるって言って分かれたものの、この部屋の隣に軽い給仕用の設備あったんじゃなかったのかな。ぼんやりとしか思い出せないが、一応用意された俺の部屋にはそういう部屋がついていたはず。あれ? じゃあ、ダイス女史ってどこ行ったんだ?
今更の疑問に意識を集中して居心地の悪さを忘れようとがんばっていると、オルテンシア嬢の出ていった扉が開いた。
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
開口一番謝罪するオルテンシア嬢は、今までに二度見たガウン姿になっていた。その後ろに一仕事終えた感じで給仕用ワゴンを押すダイス女史が居る。
ダイス女史はお茶を入れるのとオルテンシア嬢の着替えの用意をしてたのか。それに、オルテンシア嬢の印象がさっきまでと違うのは薄ら化粧してるからかな。
気合を入れて話し合いに臨むため化粧をするのはまだ理解できる。バットしかし、なんでそんな薄着になってんの。
俺が戸惑っていると、楚々とした仕種でオルテンシア嬢が俺の隣に腰を下ろした。ダイス女史は満足げな表情で二人分のお茶を用意している。
俺の肩とオルテンシア嬢の肩が拳ひとつ分も離れてない。近い近い近い。四人ぐらいがゆったり座れる長さのソファだしもうちょい距離おいても良くない? オルテンシア嬢が身じろぎすると紅茶とは別の柔らかく優しい香りがそっと俺の鼻をくすぐる。香水かな。香水って日本じゃ一括りにされがちで――
「オルテンシア嬢、隣だと話しがしにくいから対面に移るよ」
思考がそれやすい悪癖に助けられた。女性との不意な急接近は俺には刺激が強すぎる。
我を取り戻すなりとっさに声をかけて立ち上がったので所作が乱暴になってしまう。今ぐらいの触れ合いで慌てるのは女性慣れしていないと丸分かりで、ものすごい恥ずかしい。本題にすら入ってないのにもう帰りたい。
「少々はしたなかったでしょうか。申し訳ありません」
ぱっぱとテーブルを挟んだソファに座りなおすとオルテンシア嬢に謝られてしまった。恥ずかしがってるのがバレてるとわかってさらに恥ずかしい。顔が熱い。
オルテンシア嬢の顔もダイス女史の顔もどちらも見られないほど居心地が悪く、ちらりと二人の様子を窺う。
ダイス女史はとても楽しげに悪戯っぽい笑み。楽しそうで何よりだと毒づきたい。
オルテンシア嬢はアルカイックスマイル。『このへたれが』と怒られてる気になる。グリシーネ嬢は恥ずかしいとか緊張してる時にこの表情を見せるって言ってたけど、オルテンシア嬢が自分でやって自分で照れるってどうなのよ。
「オルテンシア嬢が自分でやっておいて恥ずかしがってるのか?」
訊いちゃった。恥ずかしさが強くなりすぎて変な方向で吹き出した。正直、まともな状態じゃ正面きって訊けないので暴発みたいな形で訊いちゃったのは結果良しだ。こうやって前向きに考えないと今すぐ走って逃げそうなくらい恥ずかしい。
何も言ってくれないのでやっぱり怒っててで更に怒らせたかなと恐る恐るオルテンシア嬢に視線を向けると、表情は変わらず首から上を真っ赤に染めたオルテンシア嬢が居た。え、これって恥ずかしがってるの指摘されて更に恥ずかしくなってる、俺と同じ状態って事? 助けを求めてダイス女史の方を向けば、それはもう楽しそうにカップを傾けていた。そうですね。外野にとっては楽しめるでしょうよ。
俺が一方的に攻められているわけではなく、俺とオルテンシア嬢が対等の立場だと知ったことで俺の心には余裕が生まれていた。恥ずかしさは据え置き。
でもここで今までのその表情の時も恥ずかしがったり緊張してたりで怒ってたわけじゃなかったのかを問いかけるのは、追い討ちをかけるのと同じじゃないだろうか。
発光してるんじゃないのかってほどに顔が真っ赤なまま微動だにしないオルテンシア嬢を見つめたまましばし考え込み、結論を出す。勢いに任せてしまおう。
「答えにくかったら答えなくて良いんだが、いくつか訊いても良いかな」
「はい」
今の絶対『はひ』って言ってた。すみません。すみませんがこれ解決しないと俺の一歩目が踏み出せないんです。
「一度だけデートしたとき『うぐぇあ゛』ってダイス女史が呻いたあとオルテンシア嬢は同じような表情してたんだけど、覚えてる?」
ダイス女史の居る方からカップをソーサーにぶつけたような音と人が勢いよく立ち上がったような音が聞こえたが気のせいだ。
わざわざスピーカーを取り出して俺の聴覚ログに残っていたダイス女史のうめき声を再生したのは嫌がらせや当て付けではないので、そのことにダイス女史が特別な反応を示してもそれは俺の関与するところではない。ループ再生してやろうか。
「はい。覚えています。同じ表情をしていた自覚もあります。あの、ケント様が想像以上に歳の近い方だと知って、旦那様――婚約者のそんなことも知らずにいたのかと恥ずかしくなって……」
ん? おっさんが事前にオルテンシア嬢の資料をくれたのは覚えてるぞ。てっきりオルテンシア嬢も同じように俺のことを知った上で話を受けたんだと……長くなりそうだしちょっとこれは脇においておこう。
「えっと、オルテンシア嬢の十六の誕生日に――」
日付を言っただけでオルテンシア嬢が俯いてしまった。破裂したりしないかと心配になるくらい真っ赤だ。
「あの日は、リシー様より教えていただいた方法でケント様の気を惹こうとして、あの、本当は足は痛めていなくて……今更の話ではありますが、嘘をついてごめんなさい」
「そんな可愛い嘘なら俺も嬉しいから謝らなくていいよ」
『申し訳ありません』じゃなくて『ごめんなさい』ってなんか距離が近い感じで嬉しい。
それにしてもグリシーネ嬢のお節介だったのか。しかし、俺にお姫様抱っこされて嫌じゃなかったなら嫌われてはいないと思っていいのかな。ああ、いや、一年半前の話だ。その後色々……ジルの件の誤解もあるしなあ……。
「まあ、なんにしても怒らせてるわけじゃないなら良かった。いっつも俺が失敗したかなと思ったときにさっきみたいな表情になってたし、怒ってる時の顔なのかなって」
「私が怒るようなことなどケント様は何一つなさいません。いつもいつも心を砕いてくださっていると感じています」
「心を砕くなんて大層なもんじゃないし、それも俺の独り善がりだと教えられたばかりだ。それこそ今更の話なんだけど、これからはどうすれば良いかを俺が勝手に決めるんじゃなくて、オルテンシア嬢の本当にしてもらいたいことを教えてもらいたい。今まで散々好きにやってきた分の埋め合わせもさせてもらえたらなと……」
こんな言い方をしたら、オルテンシア嬢ならそんなことないって水掛け論になるかなと思ったが、実際にそうなった。
無駄な労力と時間を省いたりオルテンシア嬢に迷惑をかけないために余計なことは言わないよう気をつけていたが、その積み重ねで言わなくちゃいいけないことも言っていなかったのかもしれない。
俺とオルテンシア嬢が頭の悪い言い合いをしていたら、ダイス女史の疲れた溜息が聞こえた気がした。




