27 笑えよちくしょう。
たこやきおいしいよぉ。
神様のおかげでなんとも言えない感じにオルテンシア嬢の特異体質について確証が得られた後、全く関係のない頭を使わないことで休憩しようとカニパーティーを開催した。今は更にその後に開催したたこやきパーティー中だ。
スカっとすることが目的なので超胃腸薬と食べたもの全てを完全に魔力へと変換するファンタジーなメディスィンを全員で服用しているので解除の為の薬を飲まない限りいくらでも飲み食いできる。副作用として、体内で食べ物から変換された魔力が体外へ放出されて室内の魔力濃度が上昇傾向にある。
「うへへへへへへへ」
魔力に酔ったグリシーネ嬢が壁を見つめてずっと笑っている。
「私だって……私だって……」
魔力に酔ったオルテンシア嬢が空のカップを持ったままずっとすすり泣いている。
「貴女との約束、忘れる前に決められるところを決めておいた方が良いかな」
「忘れることを前提にするのは如何かと思いますが、前向きな姿勢は認めましょう」
約束を完全に忘れていたのでこの件に関しては何も言えませぬ。
俺とダイス女史はこの程度の濃度では魔力に酔わない。神様の鍛錬場で力を高めれば自然と魔力が増え、自身の魔力が増えれば魔力酔いもしにくくなる。
たこやきを食べながらちょぼちょぼと話を詰め日程以外はおおよそ決まった頃、グリシーネ嬢とオルテンシア嬢は淑女らしからぬ有様でテーブルに突っ伏して眠っていた。
「じゃ、お開きって事で」
「畏まりました。お二方は私にお任せください」
任せろと言われたし任せる以外にどうしようもないので二人はダイス女史に任せて、俺はおっさんの執務室へと戻った。
俺がオルテンシア嬢との距離を詰めることに積極的になれなかった最大の理由は排除された……と思ったのだが、脳みその蕩けるような空気と大樹の下で木漏れ日を浴びてまどろむような穏やかな心地にしてくれる空気はどちらもオルテンシア嬢の体質に由来するものなのかを確かめなければ安心できない。どちらもオルテンシア嬢の体質によるものならば、感じる空気の違いは何が原因なのかも知りたい。
そんなことを思えど本人には言えていない。だってニュアンス間違えたら人体実験させてくださいになりそうだ。最近俺がオルテンシア嬢と顔を合わせるときには常にアルカイックスマイルな気がするものの、できる限りあの仮面のような笑みは見たくない。あの笑顔怖い。
「お帰りなさいませ、ケント様」
見た目が小動物の護衛用人工生命体でも贈ったら久しぶり笑顔を見られないかなとお仕事終わった帰り道で考えていたら屋敷のエントランスでエンカウント。エマージェンシー、エマジェンシー。俺、この屋敷のエントランスで不意打ち食らう回数多くないか。そういう罠でも張られてんのか。
そしてその格好も相俟ってデジャヴュ。オルテンシア嬢は今まで一度だけ偶発的に俺の帰宅を出迎えてくれた時と同じ感じで薄着だった。ベルベットに似た生地のガウンの下は多分寝間着。オルテンシア嬢の寝る時ってどんな格好なのかと想像しかけてすぐさま振り払った。初めて顔合わせてから二年ぐらい経つし、幼さが抜けてきてる最近はそういう事を考えると洒落にならん。
二年か……。あれ? 俺、オルテンシア嬢の誕生日って一回しか祝ってなくない?
がんばって思い返してみると、結婚して初めてのオルテンシア嬢の誕生日は出張中でした。まじか。誕生日のプレゼントなんてしてないし、しかも出張帰りに贈った物が他の女の選んだもの。まじか。更にその後に他の女が口出した置物を屋敷に置こうとしてたわ。そりゃあ、作り直した鳥かごの置物渡そうとした時に怒られますよね。
オルテンシア嬢にとって『自分の誕生日は出張中だった夫が月単位で遅れた誕生日プレゼントくれるかと思いきや外で女作りましたという宣言にも等しい行動をとった』一件は、てっきりオルテンシア嬢は貴族の恋愛をしてるんだろうと大事に感じてなかったけどオルテンシア嬢には恋人いないらしいし大事じゃね。それ以前にジルに関する誤解といたっけ?
自分の血の気が引く音を聞いた。
オルテンシア嬢も十七になるし、人種的にも一般的な日本人より大人びてるしでそろそろ五歳差も気にしなくて良いんじゃねとか思ってる場合じゃない。
あれでしょ、女の子っていうか女の人って記念日大事にする人が多いんでしょ。こっちの世界っていうかプロイデス王国でそうなのかは知らんが結婚記念日とか誕生日とかを忘れるのはかなりまずいだろ。
そうだ。結婚記念日。急いでARでカレンダーを確認するとあと二月くらい。なんでカレンダーでオルテンシア嬢の誕生日に合わせたアラームを設定していなかったのか。
オルテンシア嬢が淑女としてははしたないとも言えるリラックスした感じの格好でエントランスにいたことに対する疑問なんて吹き飛んで、頭がパンク気味の俺は無難に帰宅の挨拶を済ませると旗艦へ逃げ帰った。やべえまじやべえ。
「助けてくださいグリシーネ様」
翌日、無理矢理午後を休みにして貰うと、すっかり仕事のなくなった青い鳥型伝書用人工生命を飛ばしてグリシーネ嬢に会う約束を取り付けた。青い鳥をバージョンアップさせて目的の人物を自分で探し出せるようにしておいてよかった。
約束した時間に顔を合わせるなり椅子に座るより早く俺の九回裏二死走者なし十点差くらいの窮地を説明し、土下座せんばかりに頭を下げて助けを請う。
「しねばいいんじゃない」
見なくてもどんな視線向けられてるか分かるわ。
まず、オルテンシア嬢と結婚して最初の彼女の誕生日を忘れていたこと。
次に、忘れていた誕生日のあと遅れてしまったで言い訳の聞くうちに贈ったプレゼントが原因で、俺に恋人がいるらしいとオルテンシア嬢に誤解させたまま二ヶ月経ってること。
最後に、知り合って二年、結婚して一年が経とうというのに大失態を演じた一回しかデートをしておらず、まともに顔を合わせることがほぼない日々の生活。
それらを解決するアドバイスを求めたんだが平坦な声で切り捨てられた。
もはや縋る寄る辺なし。
こんな雑な扱いしておいて『初めて会った時に一目惚れしてました』なんて言っても何言ってんだこいつで終わりそう。
これから失点を回復していってその後に『知り合ったころは違ったんだけど今では貴女の事が好きなんです』って攻めていけば最終的にはオルテンシア嬢と恋人になれたりすんのか? すでに取り返しつかなくなってたりしない? 現状が俺の恋愛戦闘力の低さを物語っているのに俺の成長に期待は出来るのか?
「無理だろ。諦めるしかないな」
「頭下げた直後に諦めてんじゃない」
グリシーネ嬢に畳んだ扇で下げたままの頭をはたかれた。直前に足がぴくってしたのは蹴ろうとしたんだろうな。
頭を下げてもダメっぽいので大人しく体を起こす。
「恋愛を目的に考えると、マイナスばっか大きくてゼロに戻すだけでも絶望的なんですが。雇用関係ならセーフだろうけど、友人関係でもアウト気味じゃないですかね」
「自己完結すんなコミュ障。アンタがやらかしたーって思ったとして、相手がそれをどう思ってるのか確認したの?」
「してません。ごもっともです」
「つか、根本的な問題としてアンタさっきほとんど顔合わせないって言ったよね。どうやってコミュニケーションとってんの? 最後にまともな会話したのいつよ」
「昨日帰ったとき……は挨拶だけなので、グリシーネ嬢が俺とオルテンシア嬢を呼び出したときですね。ほら、カニ食べた時」
「十日以上前じゃねえか」
また扇ではたかれた。それはいいとして、言葉遣い叱られますよ。
「なんで一緒に暮らしてて挨拶すらないの。そもそも顔合わせないって何。ご飯の時どうしてんのよ」
「それぞれで食べてます」
「やる気あんのか」
扇で三発目。
「いや――」
契約書に『お互い出来る限りプライベートに干渉しない』って明記されてると言おうとしてグリシーネ嬢の供回りが視界に入った。あぶねえ。
「何よ。言ってみなさいよ」
「えー、結婚する前にルールを決めましてですね。その中に、出来るだけ相手の生活に口を出さないというものがありましてですね」
グリシーネ嬢が頭を抱えた。頭痛堪える仕種がおっさんと似てきてるなあ。
雇用関係の契約のことだと察したらしいグリシーネ嬢は深く突っ込まなかった。ただ、視線の温度が冷ややかって言葉じゃすまないくらい冷たくなった。
「一緒にご飯食べないって、どっちが言い出したの」
「俺です。家の中ではゆっくりしたいだろうなと」
「それ決めるとき、シアにどっちが良いか訊いたの?」
「提案したら反対されなかったので」
「どっちもどっち」
四回目の扇でパシン。最初の一発は渾身といえるほど力が篭っていたのに、段々弱くなってきてる。疲れたのかな。
グリシーネ嬢は俺を出迎える前に座っていた椅子へ戻ると、静かに紅茶を口に運ぶばかりで何も言わなくなってしまった。俺もしかたなく対面に腰を下ろし、大人しく待つ。
なんだかなあ。昨日の夜、すげえやべえってなって一晩中落ち着けなかったから急いでグリシーネ嬢に相談させてもらったものの、言うだけ言ったら冷静になってそんな慌てる事かと思えてきた。正直、マイナスの大きさ見たら今までと変わってないって言うか。
ちょっと不思議なくらい焦ってたし、オルテンシア嬢の体質の影響受けてたのかなあ。
グリシーネ嬢に主導権を預けたままぼうっとしていると、カップを空にしたグリシーネ嬢が重い溜息を吐いた。
「はぁ。無駄にハイになってたけど落ち着いたわね?」
「お騒がせしまして……」
「らしくなかったのは、シアのアレ?」
俺が自覚するより先にグリシーネ嬢は気づいていたようで。でもオルテンシア嬢は体質のこと隠しているっぽいので、第三者の耳がある場でオルテンシア嬢に何かあると匂わせるのはどうかと。
「多分そう。前に一回見てるのに、やっぱあんな無防備な格好は俺には刺激が強いわ」
グリシーネ嬢は一瞬呆けて、直ぐに察して渋い顔を見せた。なんとかなったかな。
「アンタって純情よねぇ。そんなんで恋愛とか……ああ、まともにできてないわ。でも、原因はほとんど空回りじゃないの? 『小さな親切大きなお世話』って言葉を教えてあげる。気を遣うなら相手のことをちゃんと理解しなさいな。とりあえずは結婚前に決めたルールについて、二人で見直す機会を作りなさい」
俺の配慮は独り善がりだって正面から言われてしまった。反論できないのがなんとも。
「アドバイスを求めたのは俺だからちゃんと言うことを聞くが、オルテンシア嬢が言いたい事言ってくれるかどうか。俺が失敗しても、失敗したことに気づかせたら具体的な内容は自分で見つけさせる方針みたいなんだよ。毎度毎度自分が悪いとはいえ、あのアルカイックスマイルは叱られてる時だって刷り込まれて、あの顔怖いんだよ」
「アルカイックスマイル? 基本無表情で口元だけで笑ってるやつ?」
「違ったっけ?」
「さあ? でもシアが口元だけ笑ってるのが怖いの?」
「俺が失敗したかなって時はいっつもなにも言われないのにあの表情になってさ、『悪いところがある。何が悪いか自分で考えろ』って意味なのかなと。今じゃあの顔見ると叱られてる気分になる」
「んー?」
グリシーネ嬢が眉根に皺を寄せて納得いかないと言いたげだ。
「どうした?」
「具体的にどういう状況で、シアがアンタのいうアルカイックスマイルになったのか教えてよ」
俺の失敗談を話せと。唐突にひどいこと言うじゃないか。受けて立とう。俺の失敗談くらいはグリシーネ嬢の供回りに聞かれても気にしないしな。
初めてあの仮面じみた笑顔を見せられたデートのときの連続ツーアウトから始まり、オルテンシア嬢の誕生日のフォーアウトや、オルテンシア嬢の誕生日をスルーした出張から帰って出迎えられた時のこと、その数日後に鳥かごの置物を無難な素材で作り直して贈ろうとしてやらかした話。
俺の失敗談を聞き終わったグリシーネ嬢はなんともいえない表情だった。笑えば良いのか蔑めば良いのか呆れれば良いのかってところかな。笑えよちくしょう。
俺の微妙な話で沈黙に包まれた部屋の中、静かに紅茶を飲む。
「なんともいえないなあ」
「笑えよ」
「そうじゃなくて。私が知ってるシアはさ、緊張したり恥ずかしかったりするとあの変な顔するんだよね。でもシアが怒ったところ見たことないし、アンタの失敗に怒ってるっていうのも間違ってないのかなあって」
「うーん。そう言われると……うーん……」
「シアの誕生日のお姫様抱っこなんて恥ずかしがってるんだなって私は思ったのよ。ま、結局は本人に訊かないとわかんないんじゃない? 帰ったらちゃんと話し合うのよ」
グリシーネ嬢も王子様と並ぶに相応しくなるべく日々忙しくしており、午後に時間を作ってもらうのも大変だったはずなのでそのことには感謝している。しかし、最後にもにょっとする感じで〆られてしまった。
グリシーネ嬢のアドバイス通りまずはオルテンシア嬢と話し合おう。
今日は帰ったらオルテンシア嬢に時間を作って欲しいと伝えて、都合の良い日を教えてもらおう。
『私の予定を聞いてどうするおつもりですか』なんてしかめっ面で言われたりしないよな。そんなんなったら泣く。




