26 この場の皆同じ事思ってるわ。
「ヘタレてんじゃねえぞこのヤロー」
グリシーネ嬢よ、またスラング使ってたって教育係さんに言いつけるぞ。この間タイミング悪く聞かれてこってり絞られたろうに。更に言えば俺が行動に移していない理由の内、へたれてるからっていうのは四割に満たない。精神に干渉してくるっぽいよくわからないオルテンシア嬢のアレを、せめて実際にそんなものがあるかどうかだけでも突き止めておこうという慎重論がだいたい六割だ。四捨五入すれば俺はへたれてない。
そんなことを言えようはずもなく、本日もグリシーネ嬢に活を入れられる。もういっぱいだから。十分活入ってるから。
グリシーネ嬢が口を滑らせて俺とオルテンシア嬢が両想いの可能性がゼロではないかもしれないと俺が考え始めたのはもう一ヶ月前。まだ俺は具体的な行動を起こしていない。だって精神に干渉を受けて思考を誘導されていたら洒落にならん。
オルテンシア嬢が俺に対して発揮する、脳みそが蕩ける感じのよくわからない空気。
オルテンシア嬢がグリシーネ嬢に対して発揮したっぽい、感情の触れ幅が大きくなるよくわからない空気。
どっちも放置できるものじゃない。原因がわかってもわからなくても困るんだけどな。
「もう神様か本人にでも訊けばいいじゃん。それで終わりじゃん」
「こういう場合、神様は面白がって答えてくれない。オルテンシア嬢に直接訊いたって嘘か本当か俺に分かるわけないだろ。同じこと何回言わせるんだよ」
「アンタこそ私に同じ事何回言わせるのよ。直接訊いて来い」
いつの世も相容れぬもの同士が語らおうと平行線だ。俺は曲がる気なんてないし、グリシーネ嬢も譲らない。
「人の恋路なんて外からニヤニヤ見守ってろよ」
「どっちも私の友達なんだし、両想いなら応援するでしょ」
グリシーネ嬢のやってることは応援と表現するより追い立てるか嗾けるが正しい。とにかく突っ込めとしか言わないもん。
「私は痺れを切らしました」
「あんまり聞かない言い回しだな」
「うるさい。今日ここにシアを呼んでいます」
「ケントは貸してやる。他所でやってくれ」
仕事してる横で数日おきに同じやり取りを聞かされても無視していたおっさんが、面倒ごとに発展する気配を感じて部屋主権限を発動した。
「嫌よ。だってこの二人、放っておいたらまるで変化がないんだもん。第三者がお節介を焼かないとずっとこのままになっちゃう」
「おぬしがいればここである必要はなかろう。他所でやってくれ」
とても疲れた顔でおっさんに言われたので、グリシーネ嬢も諦めて部屋を用意してもらった。
今までは俺の勤務時間中にちょっと顔出してせっつくだけだったのに、彼女はなぜこんな力技に出たのか。何かありそうでちょっと気になる。
俺とグリシーネ嬢が待っていた部屋にダイス女史を連れたオルテンシア嬢が通されてかれこれ三十分。最初の挨拶が終わるなり全員が黙り込んでいる。オルテンシア嬢とダイス女史がいるのでグリシーネ嬢の供回りは部屋から追い出されており、部屋の中は四人だけだ。
ダイス女史が使用人然として口を開かないのはいつものこと。
俺はこのままうやむやのうちにお茶だけ飲んで解散にならないかとぼけっとしている。
グリシーネ嬢は五分が過ぎた辺りで不機嫌な表情となり、俺にこのヘタレがと視線を突き刺す。
オルテンシア嬢はもはや見慣れたアルカイックスマイル。呼び出したの俺じゃないのになんで俺怒られてんの……。
この場をセッティングしたのはグリシーネ嬢だからして、話し合いはグリシーネ嬢が担うべきと視線を向けても、グリシーネ嬢は何も言わない。
オルテンシア嬢の仮面のような笑顔は怖くて見られないがちょいちょいカップを口に運んでも衣擦れ一つ聞こえない。オルテンシア嬢はご令嬢としては簡素な服装ばかりで、今日も貴族らしくはあるものの飾り気の少ないシンプルな格好なんだが、それでも衣擦れ一つ聞こえないって臨戦態勢っぽくていつも以上に怖い。
「俺なんでこんな追い詰められてんの……」
やべ。ぽろっとこぼれちゃった。
「なんでって、アンタがやるべきことやらないからでしょうが」
きこえなーい。
いや、でも俺だってやるべきことはやってるよ。俺がオルテンシア嬢の脳みそ蕩ける空気を浴びた時に何か変化がないか第五世代バイオロイド組に観測してもらってるし、屋敷の使用人組バイオロイドも含めて旗艦の外に出たバイオロイド達の心身健康チェックは欠かしていない。何一つ成果は上がっていませんがね。
「あーもう。シア、貴女スキル持ってないのよね?」
動きを見せない俺に焦れたグリシーネ嬢が単刀直入に問いかける。直截的過ぎてコミュ障の俺でもびびった。
「はい。私は、彼の神にスキルと認められるほどの技能は有しておりません」
オルテンシア嬢は言葉とともに無地のカードを取り出して俺とグリシーネ嬢に示す。
これもなあ。見せられたってのが意識の隙を生んでそれを足がかりとして精神に干渉されてるんじゃないのかって言う疑いが拭えない。
それに、今の答え方ってなんか含みがあるように感じる。
「お嬢様。言ってませんでしたけど、旦那様には会った直後くらいから怪しまれていますよ」
ダイス女史がオルテンシア嬢へ普通に話しかけるのを初めて聞いた。いつもそっとオルテンシア嬢に顔を寄せて口元も隠して俺には直接聞こえないようにしてたのに今は良いのかな。
「貴人に仕える未婚女性の礼儀なので気をつけていましたけれど、お嬢様のぐだぐだっぷりにも飽きてきましたしこれからは肩肘張らずに旦那様とお付き合いさせていただこうかなと。私と手合わせしていただく約束もお忘れのようですし、私という存在を確り認識していただかなければなりません」
「直接聞こえないようにはしてもその分は視線と仕種で雄弁に――なんでもないです。はい。約束忘れてました。ごめんなさい。……あれ? オルテンシア嬢はお嬢様なのに俺は旦那様なの? ダイス女史を雇ってるのってオルテンシア嬢かおっさんでしょ? その呼び分け変じゃない?」
ダイス女史のちょいちょい見せるあちゃー系のオーバーリアクションに言及しようとしたら視線で前髪数本切り落とされた。刺さるような視線どころか物理的な殺傷力をもった視線とか初めて向けられたわ。
失言の誤魔化しついででふとした疑問をそのまま訊ねたらきょとんとされた。俺もきょとんと返す。
「私が御仕えしているのはお嬢様ですが、今の雇い主は旦那様ですよ?」
「知らんかったわ。給料ちゃんと貰ってる?」
顔に心底呆れていますと大書しながら勿論いただいておりますと言われた。多分、ハウス夫妻っていうかハウス夫人の管轄だな。使用人の給料といえば使用人組バイオロイド達のはどうなってんだろ。使用人組に給料払われてるなら船で研究してる子とかにも同等のお小遣いか何かあげなくちゃ不公平だ。船の外へ出ないせいでこの国のお金をあげても意味はなく、欲しいといわれたものは全部それ用の船で製造する許可を出してるとはいえどな。
「話が脱線してるわ。わざとじゃないでしょうね?」
「脱線って、こっちの世界に鉄道の類って――はい。なんでもないです」
「ダイスさん、さっきのシアに向けた言葉って、スキルではない特殊な何かをシアが持ってるって意味でいいのかしら?」
脱線という言葉をきっかけに再び話を脱線させようとした俺の言葉を視線一つで飲み込ませると、グリシーネ嬢が強引に話を本筋へ戻した。
今日のグリシーネ嬢は話の進め方が力技だなあ。
「ええ、はい。その通りです。お嬢様本人も私が指摘するまでご存知なかった体質です」
「体質かー。でも体質でも本人が制御できてたら神様がスキルとしてカードに刻むはずだ」
「それ初めて聞いたわ。ケントの言ってることが正しいなら、シアはその体質を制御できていないって事?」
俺が言ったことは事実だ。神様が言ってた。
俺とグリシーネ嬢の視線を向けられたオルテンシア嬢は相変わらずのアルカイックスマイルで暫し沈黙し、ゆっくりと説明を始めた。
「はい。リシー様の仰るとおりです。私は、私と波長の合う方と精神の共振を起こす体質を持っているようなのです。ダイスと出会うまでは強く共振する相手がいなかったので私自身知らなかったのですが、たびたび不思議な揺れを私から感じるとダイスが教えてくれて、それがどういったものか知ったのです」
波長とか共振とかいうだけあって、魂とかそういうものの波動がなんたらしてるあれそれなんだろうね。漠然とはそういうものかって思っても具体的なところは何一つ理解できないし察せられそうにないわ。ただ、ダイス女史は生体波動が云々で自己暗示かけちゃう人だし、オルテンシア嬢と近い何かがあるのかもねっていうのはわかった。
「あれ? シアがその体質に気づいたのがダイスさんと会った後なら、自覚してから七年くらい?」
「そうですね。そのくらいになります。ダイスに手伝ってもらって訓練を続けているのですが芳しくなく……どういったものなのか分かって六年経った今も、精々が私が誰と共振しているかが把握できる程度です」
気の長い話だな。
「つまり、その体質の影響を受けて、俺はオルテンシア嬢といると脳味噌が蕩けてあれな感じになったり、グリシーネ嬢は情緒不安定になるんだな」
「ちょっと、私はそこまで酷くないわよ。普段より感情の触れ幅が大きいなってくらいだもの」
オルテンシア嬢がこっち向いた。アルカイックスマイルは変わらない。今日はずっと表情が変わらなくて何がダメなのかも分かりません。表情じゃなくて言葉で明確に指摘してくれないかな。自分で気づかないと意味がないって教育方針なのかしら。
オルテンシア嬢がずっと怒っている理由はさておき、俺がずっと気にかけていたオルテンシア嬢に抱いた不思議な印象についてを説明されたわけだけれども、さてどこまで信用したものか。
「さて、ケントが気にしてた件は片付いたんじゃない?」
「んー。オルテンシア嬢の説明を元にそれがどういうものか仮説を立てて、あとは観察と検証とそれらを元にまた仮説を立ててって繰り返しかなー」
元々が精神に干渉されてるんじゃないかって疑念なので鵜呑みにも出来ない。実際、オルテンシア嬢の説明をそのまま信じるなら精神に対する干渉は受けていますし。
「はぁ。アンタ、なんでこれに関してはそんな頑ななのよ」
「上手くすれば大した労力もかけず俺を殺せるからしかたない」
今のところは明らかにおかしいって感じられてるからこそ事前に警戒して自力で影響を払えているが、あの脳みそだるだる状態に違和感を覚えないくらい慣れさせられたら、煮るのも焼くのもオルテンシア嬢次第になる。
即効性のある対策は何か立てられないかと足りない知恵を振り絞っていると、いつもいつも役に立つのか立たないのかわからない御神託しかくれない某神様の御神託を俺の”ネインド”が受信し、なぜかARでポップアップウィンドウを開きメールの形式で表示した。まじでなんでメールなのよ。いつもは頭の中に直接送ってくるのに。
「オルテンシア嬢の言ってることは全部本当でした」
「あぁ? 唐突になに」
グリシーネ嬢、それは淑女としてないわ。ダイス女史が眉尻ピクってさせたぞ。
「神様が御神託くれた。オルテンシア嬢の言った体質に関する話は本当だって。ありがたいんだけど、何でこんな個人の話に御神託で首突っ込むのかね。やっぱり暇だからなんだろうか」
俺の言葉に、グリシーネ嬢は口をへの字に曲げて眉根を寄せる納得いかないって感じの表情を作り、ダイス女史は普通に驚いてる。オルテンシア嬢はアルカイックスマイルで何考えてるかわからん。
俺がオルテンシア嬢に思いのたけをぶつけられない理由であった彼女の持つよく分からない空気に対する疑念は、神様のお節介によって特にこれといった劇的な山場もなく解消された。このタイミングで教えてくれたってことは、俺が直接聞いたりオルテンシア嬢が自分で説明するのが鍵だったのかなとか推測してみる。真実は神のみぞ知る。
俺もグリシーネ嬢もオルテンシア嬢もダイス女史も、それぞれが神様に対して納得いかないものを抱えたため室内は暫し沈黙に包まれた。
神様だしそういうものだと割り切るしかないと理解しているはずなのに、このなんともいえない蟠りはやっぱりどうしようもない。
「神様が言うんならそうなのよね。なんなんだかなぁ……もう……」
グリシーネ嬢の呟きがやけに大きく室内に響いた。この場の皆同じ事思ってるわ。




