21 がんばれー。
俺のサポートを受けて神兵との連戦を始めた『雪薔薇』ジルは、十日とかからず単独で最下級の神兵を圧倒するようになった。
なにかしらの才能がなければそもそも神兵と互角に渡り合うことすら出来ないが、これほどの成長の速さはそれだけジルの執念がすさまじいからと言っても良い気がする。俺が最下級の神兵を相手に連戦できるようになるまで一月はやりあったはずだ。ちょっと嫉妬する。
ジルの戦い方は、話に聞いて想像していたよりもずっとシンプルなもの。氷の茨で相手を絡め取り、ひたすら殴り蹴る。腰の細剣など飾りだと事前に聞いていても、抜くことすらないとは思わなかった。氷の礫や氷の剣といった魔法らしい魔法は使わず、手足を氷の茨で包んでほぼ肉弾戦一本。距離を詰めるための牽制でしか見栄えする魔法は使わない。相手を捕らえる氷の茨も展開の速さと強度にのみ特化しており、特殊な力は与えられていない。
オルテンシア嬢の侍女さん……ダイス女史も無手が基本って聞いたなあ。俺の知っている戦闘力の高い女性一位と二位が拳系。過去の女英雄にその系統で有名な人でも居るのだろうか。
「ケントは私が戦っている姿を見た後はいつも微妙な顔をしているな。何か不味いところでもあるのか? ずっと考えていたんだが自分では分からなかったんだ」
「いや、ダイス女史が戦っているところは見たことがないんだが、彼女も無手なんだろう? 同じ人の影響を受けたりしているのかなと考えてた」
「いや、ダイスさんは私よりももっと技巧派だよ。魔法が多くて、私とは正反対だ」
ジルが懐かしいものを思い出すような表情を見せたのが気にかかる。あなた、古い知り合いって言うほどの歳じゃないでしょう。
「知り合いなのか?」
「ダイスさんと知り合ったのは私が二十くらいの頃だ。ふふふ……私ももうすっかり……」
そういう意味での年月かー。
「自分は男だから体も男になりたいって言ってこんな努力続けられるのに変なところを気にするんだな」
ジルは小さい頃から肉体的性別と精神的性別の不一致に苦しんでいたらしい。俺は専門家ではないのでそれに関してどうこう言うつもりもアドバイスもできないが、本人が言うならそれでいいと思う。
そして悩みに悩み。苦しみに苦しんで出した結論が、『神様の鍛錬場で自分を磨き続ければいつか男になれる』なんて日本で生まれ育った俺からすると突飛な発想だった。まあ、少なくともプロイデス王国に性別適合手術の執刀ができる医師などいないだろうし、そもそも手術というのが一般的ではない。困難に直面した場合、俺の知るこの世界の人はまず真っ先に魔法でどうにかならないかと考え、魔法でどうにもならないと判断した後に魔法を使わない手段を模索する。この世界ではそれで大概なんとかなり、ジルは『神様の奇跡を自力で勝ち取る』という魔法に頼らない結論を出しただけだ。この世界の神様は条件を整えればしっかり奇跡を与えてくれるという、根拠と言えなくもない根拠もある。
ジルの治療はいらんところだけ順調で本質的には何の進展も見られない。
順調なのは一点。力を得て、個体としての存在に磨きをかけるごとに女としてより美しくなっている点だ。
今のところは『男女それぞれの究極の美を突き詰めれば中性的なものになる』と、どこで聞いたのかそれとも咄嗟に思いついた誤魔化しなのかも俺自身わからない理由でなんとかなだめている。
「ふ……男だって三十まで異性と手を繋いだことすらない人は少数派じゃないか」
「俺の居たところじゃ町中で石投げればあたるくらいに珍しくもなかったよ」
俺だって日本式魔法使い資格に向かって着々と歩みを進めている。そこら辺のアドバイスも俺には無理だよ。ヤるのが目的ならプロを雇え。
またジルがダウナー入って面倒になってきたのはさておいて、ここ数日ジルは情緒不安定なんじゃないか。俺の協力を得られて今度こそはと気合を入れなおした反動か、一対一で最下級の神兵を余裕を残して殺せるようになってからテンションの上がり下がりがすさまじい。精神的なコンディションは戦闘能力に直結するのでどうにかしないと下手をすると死にかねない。いくら強くなっても神兵との戦いは殺すか殺されるかしかない。俺だって指先一つで殺せる最下級の神兵相手だろうと絶対にもう油断しない。何度か油断して殺されかける度に肝に銘じなおしている。
さて、どうやってコイツの精神面をケアしようかと悩み始めると、ジルがじっとこちらを見つめていることに気づいた。
「どうした?」
俺が問いかけた後もジルは暫く何も言わず、一方的に居心地の悪い沈黙を押し付けられる。
「ねえ、ちょっと私と一発ヤらない? ていうかもう私と結婚しない?」
「死ね」
ああ、しまった。いつもよりちょっと女っぽい言葉遣いと声音に取り繕っていない本音がこぼれてしまった。
「なんでだよ。いいじゃないか一回くらい。結婚は別にしても私美人じゃないか。日々順調にキレイになってるじゃないか。何が不満だこのヤロー」
今の言葉でジルの望む奇跡を神様が与えない理由を理解した。奇跡を求める人間に最も重要なため、わざわざ確認することもなく最初からあるものだと思い込んでいた。
「ジル、お前、実はもう諦めてるだろ」
問いかけですらない俺の断定にジルは顔を歪めて視線を逸らした。
神様の奇跡を乞う第一歩は他者には理解も共感もされない熱意。何ものも省みず全てを引き換えにするほどの狂的な渇望。
そこまで強く願わなければそもそも神様に届かない。唯人の思念なんざ神様にとって雑音にすらならない。例外は俺みたいな何かのきっかけで目をつけられたお気に入りか、神様が常駐窓口に指定している神子くらいだ。今代の神子は転生者っぽっておっさんが前に言ってたな。
「諦めてはいないさ。言い換えれば、諦め切れていない」
思考が逸れかけたところでジルが口を開いた。その声には諦念が滲んでいる。
「私が神様の鍛錬場下層で戦っているのは惰性だ。諦めきれないのに他にどうしようもなくて、ありもしない可能性に縋るしか出来ない」
フツーの悩みだ。可能性を最初から保障されてる奴は一般的に言って異常か恵まれてるかのどちらかだろ。
ただ、そんなフツーの奴が神様の奇跡を授かるなどありえない。
ジルの治療が最初の一歩で躓いていることに今更ながら気づいた俺はどうすればいいのか。オルテンシア嬢の居る王都から距離を取るついでに面白半分で首を突っ込んだとはいえ、ジルの悩みは本物だと感じるし、悩みが本物ならそれによって負った傷も本物だ。元来他人に対して関心の薄い俺でも、情が湧くことくらいある。バイオロイド達は俺が生み出した責任があるから別枠だが、オルテンシア嬢とか、グリシーネ嬢とか、おっさんとか、ダイス女史とか幸せにになれればいいねと思うくらいの情はある。オリザ嬢は他人と言い切るほどではないが友人ってほどでもない。で、ジル。性別云々の面倒くさいところを除けばイイヤツで、友人として長く付き合っていけそうな気がする。
……友人なら、迷惑をかけあうものだ。多少の迷惑を許容できる、損得だけじゃない間柄を友人と呼ぶって何かで読んだ。
俺がささやかな決意を固めると、人の頭の中をのぞいていたことが疑いようのないタイミングで御神託を授かった。会話を聞かれるのは諦めたが頭の中は勘弁してくれよ。
「ジル。ジル。ジルジル」
俺がぼうっと考え事をしていた間、ジルもジルで物思いに耽っていたらしい。名前を呼んでも反応がない。
「いたっ。そんな力いっぱい蹴ることないだろ」
手っ取り早く足を蹴ったらクレームがついた。
「呼んでも反応がなかったから仕方ない。それに俺が力いっぱい蹴ったらお前の下半身は跡形もなくなってるぞ。十分加減してる」
俺の暴論に何か言いたそうな様子で口をもごもごさせていたがジルは結局何も言わなかった。押しに弱すぎる
「今から一ヶ月以内に上級の神兵を殺せたら体を男にしてやるってよ。代価はお前が溜め込んだ力の一部。俺が手伝っても今のお前じゃ無理な条件だ。『成功が約束されたわけじゃない無駄な努力』を続けるか?」
「やる。行こう」
唐突な言葉に呆ける事はない。聞き返すこともない。逡巡もない。誰がそれを言ったかなんて訊くまでもない。
一般的な人間と英雄級の人間は生きる時間が違う。その身に蓄えた力で物理的な束縛をいとも容易く跳ね除ける英雄級の思考速度は一般人と比べるべくもない速さに至り、全力と平時を意識的に切り替えられなければ俺なら発狂死しかねない落差がある。
客観的に見てジルは一瞬も悩まなかったが、やると言えるまで実際にはどれほどの時間を要したのか。やると決めた思いの強さも含めて俺に推し量ることは出来ない。
『神兵狩り』を始めたジルは数時間前とは別人だった。
一人一人に声をかけ、相手をして欲しいとお願いして、人の迷惑にならない場所へ移動してから、さあ尋常に勝負。そんな、良識に囚われた、甘ったれたやりかたは捨て、見敵必殺とばかりに目に入った神兵は全て殴り殺し続ける。
俺の役割は索敵と警戒。ジルがその場の全ての神兵を殺しきる前に次の群れを探し、敵の増援を察知してジルに教える。戦いには加勢しない。ジル自身が戦い他者を踏みつけにしなければならないときに肩代わりするなど害でしかない。
騎兵でも歩兵でも技術者っぽいのでも文官っぽいのでも、人も獣も鳥も虫も植物も、目に入る限りの神兵を殺し続けるジルは狂的だ。いつかこの下層でMOB狩りを繰り返していた俺のように今のジルは狂っている。あの頃の俺と今のジルの違いは、目的意識の有無だけだ。相手をする神兵にとって、殺される相手にとってはゴミほどの意味もない違いしかない。
睡眠などとらず、移動中に俺が与えた携行食料で腹を満たして戦い続け、周辺一帯の最下級神兵と下級神兵を殺しつくしたジルはようやく足を止めた。
ゲームのボスのようにじっと動かずただジルを待っていた無手の中級神兵を前に、ジルは気圧されて足を止めざるを得なかった。
神様はこういう演出が本当に好きだな。今のジルは、中級神兵相手じゃ十回やって一回勝てるかどうか。その十分の一を力尽くで引き寄せるていどの執念を示せと神様は仰せだ。
ジルは深呼吸を一つ。何も言わない。
俺も何も声をかけない。やるとジルが言った瞬間から、あとはもう望みを叶えるか死ぬかの二択だ。手は貸すが、口を挟むことではない。
ジルが足を開いて腰を落とし、拳を構える。
中級神兵も応えるように構えた。
殴り合い。技巧を凝らし、気合を発し、殴り、蹴り、相手を殺す意思をぶつけ合う。
神兵と英雄級の殴り合いともなれば関節技も投げ技もなくなる。手足を取って折るより殴って折る方が速いし、折れても瞬時に治せるのが神兵や英雄級の人間だ。ホモ・サピエンスじゃない。掴んで投げるより殴り倒す方が手傷を与えられるし、何より体が浮いても宙を蹴って動けるので完全に崩すのは難しい。好機と見れば首を折ろうとはするが、絞め落とそうとはしない。無呼吸で三十分や一時間動くことができ、多少心臓が止まろうとも心臓が心臓として残ってればなんとかなるのが神兵や英雄級だ。逆に言えば、なぜ頭を潰したり心臓を潰せば死ぬのか俺には理解できない。
短期決戦を仕掛け命を数分で燃やし尽くすかのような怒涛の攻めを見せていたジルが中級神兵を氷の茨で完全に拘束。一瞬溜め、残り全ての力を右の拳に注いで中級神兵の頭を爆散させた。
お見事。
消耗しきって倒れたジルをあのまま放っておけば衰弱死は確実だ。俺が居ないと結局どっちも死んで勝者なしになる、辛勝と言うよりもほとんど引き分け。だが俺が居てジルを介抱する以上は気にしないでおこう。
ジルも次からは中級神兵相手でももうちょっとマシになる。まずは中級相手に一対一で連戦できるようになるのが目標だ。
最下級神兵と下級神兵の戦力比は一対三十くらい。下級神兵と中級神兵の戦力比が一対五百くらい。中級神兵と上級神兵はの戦力比が一対千くらい。種別ごとの得手不得手を加味しない単純な戦闘能力がだいたいこんなもので、一対一で神兵を殺せば最低でも殺した神兵と同等の力を得られる。
上級神兵までの道のりはまだまだ長いよジル。がんばれー。




