17 君達二人はおにぎりを満喫しなさい
結婚式に続き披露宴も恙無く終わった。花嫁衣裳も良かったが、盛装のオルテンシア嬢も実に良かった。彼女は俺と会うときに気合を入れたと感じるような服装はしてくれないので、これでもかと華やかに着飾った彼女はとても新鮮だった。デートのときの地味だった衣装に関しては怖いので理由を聞いていない。
この国の上流階級における披露宴は日本の物とまるで違う。と思う。俺の両親は親戚付き合いそのものがほとんどなく、十五でこっちの世界へきた俺は必然的に日本で結婚式も披露宴も出席した記憶がない。俺が抱く日本の結婚式と披露宴は、教会か神社で結婚するよって言って会場移してプラスチックのケーキにナイフ刺してお父さんお母さん今までありがとうで全部だ。自作の弾き語りもするっけ?
俺の壊滅的なイメージの日本式披露宴はさておいて、この国の披露宴だ。今回は我が家の一番大きなホールとそこに面してる庭が披露宴会場になった。暇を持て余した予備待機のバイオロイドも全て含めたうちの使用人がフル稼働で料理の提供と客の応対をして、新郎新婦の俺とオルテンシア嬢は招待客の挨拶回り。一通り回った後はそれぞれ好きなようにって事でオルテンシア嬢とは別行動。オルテンシア嬢は招待客の中でも同年代の子達と楽しそうに歓談し、俺は旗艦で一休み。夕方ごろにまた屋敷へ戻って帰っていく客をオルテンシア嬢とお見送り。本日の俺のお仕事は終了。
会場の後片付けは久々のお仕事らしいお仕事を貰えて元気いっぱいのバイオロイド達が楽しそうにやっていた。楽しいならいいんだ。暇させてばかりで本当ごめん。バイオロイドの労働意欲は本能みたいなものだしな。
オルテンシア嬢も本日の業務は終了。主役に相応しい化粧を落とし、服も俺が見慣れたよく言って落ち着いた、飾らずに言って地味なものへと着替えた。装飾品も服に合わせた感じになっている。
やっぱり普段着はそうですよね。正直言うと、今日から一緒に暮らすし今まで見たのとは違う雰囲気の格好とか見られるかなと期待していた。有り得ないけど寝巻きみたいなのにガウンだけの格好でばったり俺と会ったりとかね、とかね。そんなはしたない服装で部屋の外を歩くのは侍女さんが許さないし、そんなことをする上流階級の女性は日本的感性においてガラス張りのトイレを使うようなものだってグリシーネ嬢に言われてる。結婚したらって話をグリシーネ嬢として、こっちと日本の価値観の違いを教えられたのだ。夢も希望もなかった。
「旦那様、少々よろしいでしょうか」
なんとか合法的に気を抜いた服装のオルテンシア嬢と屋敷内でエンカウトできないかと考え込んでいたら我が家のハウス・スチュワードとエンカウントした。スチュワートさんが俺を探すほどの用事とは珍しい。
「どうした? 何かトラブルか?」
「いえ、確認しておきたい事項があるときに偶然旦那様をお見かけしたもので。瑣末事でありますが、少々お時間を頂けないものかと……」
大したことないのか。良かった。結婚式後数時間、屋敷に腰を落ち着けてすら居ない状態でオルテンシア嬢が『もう耐えられない』って言い始めたんじゃないかってちょっと心配したわ。杞憂ですよね。
ハウスさんの確認したいこととは、朝夕の食事で好きなものは何ですかというものだった。えー。まじで瑣末事じゃん。
そもそも俺は、オルテンシア嬢がこの屋敷に住み始めてもエントランス脇の小部屋で旗艦に出入りする生活を変えるつもりはない。寧ろ、この屋敷が実質的にオルテンシア嬢のものであり、その女主人がこれからは腰を据える以上はなるべくエントランスといつもの小部屋と先生のレッスンに使ってる小ホール以外へ入らないよう気を遣うつもりだ。俺んちじゃなくてオルテンシア嬢の家ですもの。
端的に言えば、俺がこの屋敷で食事を採ることはない。俺が用意して間に合わせで屋敷を支えていたバイオロイドの使用人組も屋敷本来の主人であるオルテンシア嬢の好みで入れ替えられていく事を考えれば、使用人を新しく雇う際には所定の契約書と契約の術封器を使ってもらうとはいえこの屋敷の食事が俺にとっていつまでも安全である保証はない。
他人に言えない事情は伏せて、俺は今までどおりこの屋敷を帰宅の通り道にするだけで住む事はなく食事もこれまでと同じく用意する必要はないと伝える。
「左様でございましたか」
なにその残念な人を見る目。このことは事前に説明しておいたよね。あれ? てことはこの辺りの地域の風習か何か絡んでるのか?
「あー、もしや、慣習だとか風習だとか、そういった話に因んだ話だったか?」
こういうときははっきり聞くに限る。もとからゼロの威厳など考慮するつもりはない。
「旦那様は遠くのご出身でしたな」
一瞬あっけに取られ、納得顔になったハウスさん。直ぐに自分の不調法を詫び、説明してくれた。
ここらの地域では夜のお誘いは奥さんの方からする。朝の食事に合図の品を混ぜて、夫の方で受け入れるならば夜にそのまま試合開始。市民階級では古めかしいと言われる類の慣習になっているが、貴族階級では大事にしている家もある。
貴族階級の場合も市民階級とほとんど同じで、朝食に特定の品を用意したら奥さんはその日の夜を共有の寝室で待つ。寝ちゃっててもそれはそれでオーケー。タイミングが合わなくてもプレイの一環って事で。でも嫌な人は嫌なので事前に話し合っておきましょう。
そういや、お屋敷が満足行く出来になったってオルテンシア嬢にぐるっと案内された時、俺の部屋とオルテンシア嬢の部屋の他に二人で使うくらいの広さの寝室があったわ。
なんで廊下でばったり会った使用人のナイスミドルに夜の作法教わってんだ。
「そういうことなら問題ない。オルテンシア嬢との契約には俺との子供を強制しない旨が織り込まれている。俺がこの屋敷で生活しないこともオルテンシア嬢は知っている」
「左様でございますか」
主人夫妻の夜の生活まで気を回さないといけないとか、ハウス・スチュワードは大変だな。
話も終わったのでスチュワートさんは仕事に戻っていった。現場の監督役がいつまでも持ち場を離れているのは……うちのバイオロイド達は平気でも一般的にはあまり良くないもんね。
そんなこんなで特に大したこともなく結婚式も披露宴も乗り越え、その夜は旗艦でバイオロイド達をみんな集めた打ち上げを行った。普段から別のグループで仕事を与えられてる子達は何で自分達もと不思議そうだったが、細かいことはいいじゃないか。
俺の生活は変わらなくともオルテンシア嬢の生活は変化を余儀なくされていると思うので明日からはちょっと気をつけていこう。
「マレアロッサの坊主に捕まった令嬢との面談を取り付けたぞ」
結婚式から十日ほど経った日、おっさんが良く分からないことを言った。誰だよ。てかなにそれ。
「お前が頼んできた話だろうが」
こいつまじでどうしようもねえって顔でおっさんが深く深く溜息を吐いた。
最近なにか頼み事したっけか。
「十日前、お前の結婚式の日にお前から言ってきた件だ」
「ああ、ああ。グリシーネ嬢の友達つくろう作戦な」
「まあ、細かいことはいい。マレアロッサの坊主がごねた所為で遅くなったが、あとはお前の手紙で彼女に打診すればいい。それであの娘が拒否すればそれまでということになってる」
「はいはい。俺次第ね」
おっさんに紙を貰って、先生のレッスンで大分マシになった悪筆を発揮した手紙を認める。
俺の字を見ておっさんはまた溜息を吐いた。
「さあ、早く出して。お願い。私もう耐えられないの。約束したものを頂戴。さあ」
お嬢さんテンションくっそ高いですね。
俺は何も言わず、コシヒカリを使った塩むすびをそっと手渡した。
「アンタ、なんて言って連れ出したのよ」
「『魚沼産コシヒカリはないけどコシヒカリでおにぎりパーティーしませんか』」
本来であればグリシーネ嬢におにぎりを持たせて俺はもうお役御免のはずだったというのに、おっさんがグリシーネ嬢の護衛という名目で俺を送り出しやがった。オルテンシア嬢に浮気を疑われたらどうしてくれるこいつら。浮気もなにもない関係なんですけどね。
「ふう。美味しかった。でも、なんか前世で食べたのと比べると違和感があるわね。こっちで食べたお米とは比べ物にならないほど味が強いし。どっちもそれぞれ美味しいんだけど」
「体丸ごと変わってる所為でしょ。舌が別物で、育つ過程で食べたものが別物なら味覚も別物になって当然じゃない? 私もけんちゃんにおにぎりもらって同じこと感じた」
「けんちゃん?」
そうですね。自己紹介すらしてませんね。
「差し出し人の名前も――書いてなかったような気もするな……別にいいか。俺、大石顕人。この国の王様の聞き間違いでこっちじゃケント・オーシィってことになってる。十五歳で体そのままこっちに来た、肉体的にも日本人」
自己紹介をしつつ今日のおにぎりパーティーのため用意したものを並べる。
冷たい麦茶と暖かい玉露と暖かい玄米茶、おにぎりはツナマヨ、焼きたらこ、梅干、海老天。焼きおにぎりは味噌と醤油。箸休めに豚汁。おにぎりは全部俺が一口で食える大きさ。豚汁は小さいお椀。
これでいいか。あとは温度が変わり過ぎないようにそれぞれの温度を保つ結界を術封器で張って終わり。
「私、グリシーネ・メイクシー。王子様の婚約者。前世は男で今はちゃんとした女の子のつもり。前世の年齢は覚えてない。けんちゃんに転生者仲間が……あのちょっとあれな子以外にも居るって聞いて無理を言ってこの場を設けてもらいました」
グリシーネ嬢がなんかいつもと違う。緊張してるのかな。
「まあ。お二人とも日本に縁のある方でしたのね。私、こちらではオリザ・サティージャーと言います。前世の名前は……要りませんね。私はもうこちらの人間ですもの」
なんかおっとりした人だ。前世はいいとこの人だったとかかな。ああ……オルテンシア嬢とまたお茶会したいなー。グリシーネ嬢とのお茶会にはもうずっとお呼ばれしてないし、オリザ嬢とグリシーネ嬢が仲良くなったらもう呼ばれなさそうだなー。
二人のちょっとぎこちないやりとりを横目にカツ丼食べながら暗くなりがちなこれからを考える。
俺の最近はおっさんの後ろに立つ仕事と先生の社交術レッスンが七対三くらいだ。オルテンシア嬢は基本的に日中はどこかへ出かけているので、オルテンシア嬢が屋敷に帰る形になってからは日中のレッスンを受けていたら偶然会えたなんてことがなくなった。俺は朝も夜も小部屋とエントランスしか通らず出勤と帰宅するので顔すら合わせていない。オルテンシア嬢の生活サイクルと被る場所と時間が皆無の生活ゆえどうしようもない。
タイミング合わせたくてタイムスケジュールが気にはなってもねえ……俺とオルテンシア嬢は雇用関係なのでプライベートに干渉するのはご法度。嫌われるのはいやで『日中どこで何してんの?』と聞けるはずもなく、悶々とする日々だ。
わが事ながら女々しい。でも男らしい恋愛ってなんだろなー。
「けんちゃんぼうっとなに考えてんの? それ悪い癖だよってかカツ丼じゃん。牛丼もあんの? 親子丼は? 鉄火丼は?」
「今日はおにぎりパーティーだ。君達二人はおにぎりを満喫しなさい」
「まあ。では次回は丼物パーティーですね」
え、次回あんの。もう二人とも知り合ったんだし俺抜きでよくね。オルテンシア嬢と仲の良いグリシーネ嬢のご機嫌伺いにデリバリーするし、俺が居なくてよくね。
「同郷の方ですもの。できるならお友達になりたいと思っております。ご迷惑でしょうか?」
断ったらオリザ嬢の隣で目が細くなり始めてるグリシーネ嬢に人付き合いの何たるかを説教されそうだ。
「はあ。俺も同郷の人としか出来ない話をしたいこともありますので嬉しいですが……その、婚約者さん? はよろしいので? 結構、あー、なんというかサティージャーさんを深く愛されていると聞いておりますが」
王子との婚約が解消され、自分の家の領地へ帰って米の品種改良と栽培に乗り出そうとしていたオリザ嬢を掻っ攫った公爵家の坊ちゃんは嫉妬深いことで有名だそうだ。おっさんが言ってた。なんか恋愛関係のごたごたってかどろどろがあってどうだかとおっさんが言ってた。興味はないが一応聞けと色々おさんが言ってたような気がする。
「彼は嫉妬深くはあっても私の意思を無視する方ではありません。しっかりと説明すれば理解してくれます」
嫉妬深いって言っちゃったし、その説明ってそっちで済ませてくれるんですよね。
王子様に続いて公爵家の坊ちゃんにも絡まれる未来が垣間見える。友達って面倒だわ……。




