16 詐欺師にだまされる寸前っぽい顔だ。
結婚式は恙無く終わった。裏事情があって仮とはいえ、花嫁衣裳のオルテンシア嬢は俺の視界から他の全てを消し去るくらいに良いものだった。
本当の結婚式ならなにか感じるものがあったのかもしれないが本当の夫婦ではないと思うとどこか冷めてしまい、神様の前で誓いの定型句を口にするのを見届け役の司祭さんに確認してもらうだけだと問題が起こりようもなく、俺個人にとってはなんだか微妙な感じで式は終わってしまった。
俺にとって盛り上がりがなかった反面、誓いのキスのような風習がないのは、相手が嫌がる素振りを見せても俺が興奮しすぎて配慮できないなどという失態を晒さずに済んだという意味でとても助かった。キス一つで何をおおげさなと、他人のことなら俺も思う。しかし普段性的な欲求が薄い分、自覚していなかった性衝動が何かの弾みで噴出しやしないかと自分で自分を心配しているのだ。
俺の下半身事情はどうでも良い。いや、いつもは考えない事を考えている時点で俺の頭はピンク色に染まっているのかもしれない。だって花嫁衣裳を纏ったオルテンシア嬢は俺にとってそれほど衝撃的だった。美しいとか可愛いとかではなく、衝撃的だった。他の人にとっちゃ『わー花嫁さんきれい』で済むような平々凡々な花嫁姿だと客観的な認識も出来ている。そもそも、オルテンシア嬢の顔の造詣自体が良く言って化粧映えする顔立ちだ。美醜どちらにおいても特徴らしい特徴はない。
オルテンシア嬢の、より正確にはプロイデス王国を含む地域の花嫁衣裳はドレスより神事の正装に近く、装飾品の類もほとんどない。服自体も白い生地に質感の違う白い糸で施された刺繍が刺されているだけで、その刺繍も光の加減が変わらなければほとんど見えない。この刺繍に白ではない色の糸を使うと、日本人的には白米に金箔かけて豪勢なご飯と主張するようなものだとグリシーネ嬢が教えてくれた。日本の感覚とこっちの感覚のすり合わせはほとんどグリシーネ嬢頼みになっているなあ。
花嫁を飾るほぼ全てともいえる刺繍。花嫁衣裳の刺繍は自分の家、自分自身、結婚相手の家、結婚相手の四つの意匠が必要で、上流階級の花嫁さんは表から見えないところに本当の恋人から贈られた詩を縫い取ることもあるそうだ。どろどろしてるね。
基本的に男性は花嫁衣裳に触れてはならず、『この心を捧げたあの人と本当は……』なんて事実が周囲の女性から漏れることもありえない。どんな事情であろうと花嫁衣裳が絡んだ恋愛模様を暴露しちゃった女性はあらゆるコミュニティから爪弾きにされるんだとか。
「それ、俺に言う必要あったか?」
「べーつーにー」
我が家というかオルテンシア嬢のための屋敷で披露宴開かれる前にオルテンシア嬢が着替えたりしてるのを待ってると、グリシーネ嬢が寄ってきて花嫁衣裳に関連した現実的に怖い話をしてくれた。貴族の恋愛や結婚についてはそういうものだと思っていても怖いものは怖い。
つーか、お前王子様のところに帰れよ。また因縁つけられるじゃないか。
「シアの花嫁衣裳の刺繍手伝ってる時にそういう話教えられてさ、誰かにずっと吐き出したかったんだよ」
「俺がとばっちり食ったじゃねえか」
「同郷の誼でちょっとくらいいいじゃん」
ああ、もしかしてオルテンシア嬢の本当の恋人のことでも知っちゃったのか。それで俺とも友達だから教えてやりたいけど、今後のことを考えると言えないみたいな。
あれ、コイツ俺のこと友達だと思ってんのかな? 俺は思っててもそういうのって言葉で確かめるもんでもないし……まあいいか。
「あれだ、どっかの公爵家だかにドナドナされた女、転生者じゃなかったか」
一年位前に俺の結婚がどうたらって話をおっさんとした時そんな話をした覚えがある。
自信がなくてAIにその会話ログを探させると、神様の御神託を受けて断言してる。
「え。そんな人居るの? 聞いたことないよ」
グリシーネ嬢が嬉しいと不安が半々くらいの顔で訊いて来る。詐欺師にだまされる寸前っぽい顔だ。
「ああ。神様に転生者だって御神託を受けた覚えがある。俺が受けた御神託だけじゃ不安ならおっさんに調べてもらえばいいんじゃないか?」
同性――現同性で似た境遇と話したいこともあるんだろう。俺は昔も今も男だが、グリシーネ嬢は前世は男だったって言ってたし。
「王様かぁ……。生命力が漲ってる感じで苦手なんだよね。ていうか怖い。そういうきれいな格好してるけんちゃんも実は怖い」
おっさんが怖いってのは理解できる。王様やってるおっさんは一国の王たる威厳を纏ってるし。だが、きれいな格好の俺が怖いってなんだ。いっつもライダースーツと似てるパワーアシストスーツ着てるし、お茶会にもそのまま行ってるし、俺の場合は旗艦の外に居る時まともな格好をしている方が少ない。
「俺のは見慣れてないだけじゃねえの?」
「そういう格好のけんちゃんも全身からぐわーってなんか出てて怖い」
ぐわー? 俺とおっさんの共通点といえばそこらの人間よりも神様の鍛錬場で力を溜め込んでるくらいか。
「オルテンシア嬢の侍女さんは? ディセントラ女史って言ったっけ」
「ダイスさん? 実はまだ慣れてなくてあの人も怖い。騎士さんもみんな怖いし。私の護衛してくれてる人も慣れるまで怖かった」
ビンゴ。ビンゴとかなつい。
侍女さんについて詳しく聞けば、侍女さんが自分に暗示をかけて非戦闘員に擬態してた間もずっとその『怖さ』を感じていたという。
まーじーでー。何この高感度センサー。
「じゃあ、おっさんの近くに居る文官にも怖い人居ないか?」
「居る。灰色の髪をいつもオールバックで固めてて細い眼鏡かけてる鷲鼻の人が文官で一番怖い。……なんかわかったの?」
「名前は忘れたけど、その人は下手な騎士より強いぞ。ペンでインク飛ばして鉄板に穴開けられる人だからな。多分、グリシーネ嬢はこの世界の人や神様が『力』と呼んでいるものを感じているんだろう。モンスター殺して強くなれる理由のやつ。神様の鍛錬場中層だと相手が何であれ殺すと『力』を取り込める」
「モンスター倒して手に入るのは『経験値』じゃないの?」
「この世界で『力』を溜め込んで手に入るのはレベルのようなもので区切られた段階的な強さじゃなくて、もっと曖昧で客観的な尺度のないものだよ。神様の鍛錬場で他の生き物を殺して手に入れた『力』で物作りの腕が上がるとか俺も未だに納得できない」
「それだって、『経験値』を手に入れて例えば『鍛冶のスキル』にポイント振ったとかじゃないの?」
説明を始めて間もないのにもう面倒になってきた。俺だって感覚的に把握してるだけで人に理解させられるほどしっかりわかってるわけじゃない。
俺が明確に理解しているのは三つ。
神様の鍛錬場で手に入る『力』で技術を底上げしても、神様は『スキル』として認めないこと。
神様の鍛錬場で得た力はその人の意思や欲求を満たそうとしてその人の能力を底上げするが、ゼロにいくつ掛けてもゼロと同じく習得していない技術は底上げされないこと。
意識的にどういったところを伸ばしたいのかを絞って『力』を注げるものは少なく、大体の奴は満遍なく肉体的に強くなって得意なことがちょっと上手くなる程度だということ。
そんな内容をがんばってグリシーネ嬢に教えた。
「やっぱり『経験値』や『スキルポイント』と何が違うかわかんない。自動割り振り制でしょ」
「しらねーよ。細かいこと気になるなら神様に聞け。神様の鍛錬場の下層でふらふらしてたらそのうち相手の方から顔見せてくれるぞ。絶対に、地上で神様を呼び出すなよ。そんなことすりゃ処刑で済めば御の字だ」
この世界の神様は地上に限れば天災と同じだ。地上に出てきた神様は碌な事をしないと人々は知っている。日常的に神様に感謝をささげるのは『現状で神様の与える恵みに満足しているので余計なことはマジで勘弁してください』って意味も含んでる。
「ピースにもシアにも何回も言われてそれくらい分かってますぅ。それより、なんで鍛錬場で手に入れた力で上手くなってもスキルにならないの? 神様が手助けしてくれてるならズルじゃないし、形は違っても努力してるじゃない?」
「ズルだよ。神様が断言してる。下駄履いて身長誤魔化しても背が伸びてるって言わないだろ。あと『神様の鍛錬場』な。省略しないで『神様の』をつけろ。理由は……面倒だし王子様に聞け」
前に聞き流した気もするがピースって多分王子様だよな。
「ピース、最近忙しいって言ってあんまり会いに来てくれないもん……」
やっぱりピースは王子様か。そうか。王子様忙しくて寂しいのか。恋愛相談は他所でしてくれ。同性の友達――
「話しずれ過ぎだろ。転生者で公爵家だかの女の話だったよな」
「はぁ……だからけんちゃんはモテないんだよ」
うるせえ。初恋のオルテンシア嬢に好かれたいとは思っても不特定多数にモテたいとは思わない。モテるモテないの話をするならオルテンシア嬢に好かれるための話をしろ。
「で、おっさんに調べてもらおうかって」
「んぅ……けんちゃんにお願いしていい?」
「わかった。俺がおっさんに頼んでおく。しっかし、なんで結婚式当日に花嫁以外の女とこんな仲良く喋ってんのかねぇ。オルテンシア嬢を出せ」
「結婚式当日の花嫁にそんな時間あるわけないでしょ」
わかってるっつの。今だって披露宴の準備をしてる最中だ。俺が自分の準備をぱっぱと済ませたせいで一人時間が浮いてグリシーネ嬢の相手をしている。グリシーネ嬢が俺の相手をしてくれてる可能性もある。
「忘れてたが、王子様どこ行ったんだよ。お前と二人で来て……たっけ? 最初から一人だったか?」
「今日はずっと一人ですぅ。さっき言ったじゃん、ピースは忙しいみたいって」
いらんことを言った俺は、グリシーネ嬢の愚痴を聞く羽目になった。恋愛関係の愚痴を聞かされても俺にはどうしようもない。せめてなにかアドバイスしてくれる人のところで吐き出せよ。公爵が関わってるらしい転生者の女がコイツと仲良くなってくれますようにと祈ったら御神託を授かった。前の御神託の念押しされてもそれを受け取るのが俺しかいないせいで他に信用されてねえんだっつうの。
「王子様だししかたないって分かっててもやっぱり寂しいって思うのはどうしようもないしさ」
「グリシーネ嬢、おっさんに調べてもらおうって言ってた女、そいつは転生者だって神様が念押ししてきたぞ」
「私も早く一人前に――念押し? 誰が? てかいつやりとりしたの? スマホでも持ってんの?」
スマホはないが似たようなもの持ってるって言ったら欲しがりそうだなぁ。インターネットはなくとも、外には出せないものも日常生活で知ったものも全部まとめたデータベースを見てれば暇つぶしには困らないし実用的な利用法もある。連絡相手が俺しかいなかろうと電話もメールもできるなら便利だし。
「スマホはないしおっさんが調べたわけじゃない。神様が間違いねえってもう一回教えてくれた。さっきも言った御神託ってやつ」
「そんなホイホイ御神託? くれるなんて、けんちゃんって巫女なの?」
俺は女じゃねえ。
「神様の鍛錬場下層で神様と知り合って馬鹿なこと一緒にやってたらメル友になった」
「メル友って。ライン使いなよ」
「メールもラインも他のSNSもない。神様が一方的に話しかけてくる――神様がこっちの会話を聞いて勝手に言いたいこと言うだけだ」
実際には常に電話してるのと何も変わらない。神様の方で電話機を放置したり聞こえてきた会話に反応して話しかけてくる感じだ。
「え。アンタいっつも神様に見られてんの? 気持ち悪くない?」
「気持ち悪いがどうしようもない。この世界の神様はそういうものなんだよ。『どうしようもないものだから頭を下げて出来る限り目を付けられないようにやり過ごす』ってな」
この世界に存在する限りみんな神様に見られてる。あえて俺と他の人との違いを上げるなら俺と誰かの会話に口出してきて見られてるって事を意識させられるのと、俺が旗艦を召喚せずどこにあるか分からない状態で旗艦に入ったら俺を見ないって約束を神様としてるのと合わせて二点だ。約束の代償は俺が持っていた宇宙戦艦三隻。直せないように壊して改造してどこかの地下に埋めるって言ってた。まじめに歴史を調査したりしてる人たちが見つけたら過去に超文明があったとか思っちゃうんだろうなあ。神様は愉快犯だし仕方ない。
「まあ、転生者だって事前にわかってても会うための段取りはおっさんに丸投げするし、おっさんに頼むのは変わらない」
「そっか」
丁度話が一区切りついたところで、使用人組バイオロイドの一人からオルテンシア嬢の用意が整ったと”ネインド”を介した連絡が来た。グリシーネ嬢と一緒にいるので普通に呼びに来るよう指示する。
さて、本日のメインイベント後半戦始めますか。




