13 だめかな。
「お姫様抱っことかめっちゃラブラブじゃん。アンタたちいつの間にそんな仲良くなってんの? ってかシア、顔がすごいわよ」
オルテンシア嬢を横抱きにしたまま会場と繋がっている庭に戻ると、グリシーネ嬢に話しかけられた。侍女さんがオルテンシア嬢を急いで探していたのはグリシーネ嬢が到着したからだったようだ。
グリシーネ嬢の言う『すごい顔』が気になってちらりと覗き見るとアルカイックスマイル。フォーアウト。フォーアウトって言葉は新鮮な響きがある。
思い当たるのは、目上の身分の人相手に抱えられたままで顔を合わせたとかか。しかしどっちの足を痛めたのか聞いておらず、どうやって下ろせばいいのか逡巡しているとオルテンシア嬢が表情を変えず口を開いた。
「リシー様、このようなはしたない格好でのお目通り真に申し訳ありません。ですけれど、少々事情がありまして……。ですので、部屋を用意いたしますのでそちらで仕切りなおさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「面白そうだし良いわよー。じゃあシア、私は行くから……ダイス、案内してくれる?」
「畏まりました」
俺が何を言う間もなく話は終わり、ダイスと呼ばれたオルテンシア嬢の侍女さんがグリシーネ嬢を連れて行ってしまった。
あの人ダイスって言うのか。というか侍女さん侍女さんって頭の中で勝手に呼んでたけど彼女は侍女なのかどうなのか。女主人に最も近いところで仕事をするそれなりの出身の女性使用人を侍女って言うらしいみたいなことをどっかで聞きかじったことはあっても、具体的に何をする役職なのかを知らない。ひょっとして俺が頭の中で侍女さんと呼んでいた彼女は侍女さんではない可能性がある?
現状とは関係のないことを考えて気恥ずかしさを誤魔化し、どこからともなく現れた女性使用人に案内されて邸内を進む。その間、オルテンシア嬢の顔は見ない。よく磨かれた花瓶に反射したオルテンシア嬢の顔はアルカイックスマイルだった。俺はきっと今も何かを間違え続けているというのに、それが何かはまるで分からないのだ。
途中会話もなく、女中さんに連れられて入った部屋のソファにオルテンシア嬢を下ろしてミッションコンプリート。婚約者といえど女性の治療に同席するのはアウトだと俺の常識が教えてくれるので、オルテンシア嬢が怪我をして云々をハイドロフィラ卿に伝えるとか何とか言って逃げよう。
「ケント様」
ソファに下ろされた後はずっと俯いていたオルテンシア嬢が、ぽつりと俺を呼んだ。逃げられない。適当な理由で逃げ出そうとしたのがバレたのかもしれない。
「そこの者に案内させますので、リシー様のお待ちくださっている部屋へ先に行って頂けますか?」
「わかった。ちゃんと怪我を診てもらってね」
形としてはたずねられていても俺には従う道しかなかった。惚れた弱みって言っていいのかあやしい。尻に敷かれるってこういう関係を言うのだと実感している。俺、多分余程のことじゃないとオルテンシア嬢に逆らえないわ。失敗した時の仮面のようなアルカイックスマイルが怖い。部屋を出て少し離れたあたりで聞こえた、オルテンシア嬢の声とよく似た雄叫びの様な絶叫の様な声ははオルテンシア嬢とは無関係だ。淑女が人払いして叫ばないといけないほどの鬱憤がどれほどかは知りたくないので別人だ。
「で、なんでお姫様抱っこなんてアンタにしては大胆な真似してたのよ?」
あー。このざっくばらんな話し方に癒される。
護衛や従僕などを連れている客を通すための部屋なのか、俺とグリシーネ嬢と彼女の護衛や側仕えっぽい男性四名女性三名、ステルス中の俺の護衛四人も含めると十三人が入っても余裕ある広さだ。お茶会で見慣れた顔の彼らはおっさんが就けた人間のはずなので、未婚の男女が同じ部屋に二人きりでいたときの証人になりうる。ついでにグリシーネ嬢の言動にも慣れている。それに対する俺の言葉遣いにも慣れている。
「気づいたらオルテンシア嬢と庭を歩いていて、躓いたオルテンシア嬢が足首を怪我したけど急がないといけないってことで俺が運んできた」
簡潔かつ要点を抑えた完璧な説明だ。
「初っ端の気づいたらって何よ。気絶して体が勝手に動いてたわけ?」
「プレッシャーに負けて緊急避難的にオートパイロットになってたんじゃない?」
最もな疑問だが俺は答えを持ち合わせていないので俺の予想を返す。誰だって極度の集中でありうる状態だ。
唐突に思い出したがクリスに作ってもらった緑の石の彫刻を渡せていない。本来はホストで主役のオルテンシア嬢へ挨拶する際に合わせて渡すものではなかろうか。いや、今日の贈り物をまとめた山が会場にあったし、会場に入る前に渡しておくものなのか……。
「急に黙ってどうしたん?」
「誕生日のプレゼントを渡し損ねていることに気づいた。本当はどのタイミングで渡しておくべきだったのかと……」
「え? こないだデートしたときにあげたんじゃないの? そん時アンタがやらかしたって聞いたわよ?」
「その通りだが、もうそんな広まってるのか。やっぱあの店嫌いだ」
「私はシアから――っと、来たわね」
ノックに反応したグリシーネ嬢が入室の許可を出す。
話しを途中で切られてしまったが仕方ない。途中でも言いたいことはおおよそ分かる。
店を起点に俺の噂が増えたのかと思いきや、グリシーネ嬢はオルテンシア嬢本人から聞いたらしい。そりゃあ、当事者と親しいなら直接聞くよな。噂の方は噂の方で否定されていないし実際に広がっていそうだ。『鈍ら』は女性に対する礼儀も鈍らみたいな。
「リシー様、ケント様、お待たせしてしまい申し訳ありません」
礼儀作法のお手本のような所作で謝罪するオルテンシア嬢。上流階級の女性だと胸に当てる手の角度や摘んだスカートを上げる高さ、膝を曲げる角度に首を曲げる角度と、気をつける点が多いと先生に教えられた。もちろん男も似たり寄ったりだ。俺はまだ上手くできない。将来的に身につくかは自信がない。
「いいっていいって。別に大して待ってないんだし、怪我の治療してたんでしょ? それとも私達を一緒に待たせてたのが気にかかるのかなー?」
グリシーネ嬢がいたずらっぽい笑みでオルテンシア嬢に問いかける。その冗談、一番ワリ食うの俺だぞ。王子様に絡まれる無駄な時間が増える。
オルテンシア嬢は敵わないなあって感じの苦笑を浮かべた。俺もグリシーネ嬢に勝てる気がしない。殴り合いとか直接的な暴力が関与しないと俺の強さはゴミ虫レベルだ。
「足はもう大丈夫です。ケント様にはご迷惑をおかけしてしまいまして……」
かけられた迷惑ってなんじゃろ。肉体的な労力は東屋との往復くらいで大したことなかったはずだ。
「お姫様抱っこで運んでもらったことじゃないの?」
表情に出してるつもりはなかったのだが、理解できてないのをグリシーネ嬢に見抜かれた。
あれは俺にとっての迷惑なお願いだったとオルテンシア嬢は判断している、と。俺としては婚約者とか恋人のよくあるスキンシップの延長上にあるくらいの認識だった。
つまり、婚約者ではあっても恋人ではない俺たちにとってもっとスマートに解決する術がありそれに気づかなかったのが俺のミスであり、オルテンシア嬢はグリシーネ嬢と顔を合わせたときに『すごい顔』と評されたアルカイックスマイルを浮かべていたことになる?
よくわかっていなかった自分の落ち度をしっかり認識した……と思う。
俺が沈思黙考している間にオルテンシア嬢はグリシーネ嬢と並んでソファに腰かけ、楽しげにお喋りしている。どちらも美少女で対面の俺の目に優しい光景だ。一目で惹き付けられる顔立ちや色合いではないオルテンシア嬢もきっと美少女だ。惚れた欲目かなあ。
二人でお喋りしてるのを何も考えず頭を空にして眺める。たまにお茶を飲んだり、お茶菓子摘んだり。さすがに祝いの席で毒殺の話を持ち出して飲食断る勇気はなかった。護衛の四人も居るし、予防薬での対策もしてあるし、余程強い毒物盛られない限り死にはしないと信じてる。
「あ、そだ。けんちゃん、アンタさっきシアにプレゼントあるって言ってなかった?」
けんちゃん……。言葉遣いは今更だけど呼び方くらいちゃんとしようぜ。
「あだ名で呼ぶな。また王子殿下に絡まれる」
「絡まれたことあんの?」
「俺は城のみんなに嫌われてる。ちょっとした理由があれば言いがかりをつけてくるやつは多いよ」
やべ。つい愚痴になっちゃった。グリシーネ嬢に愚痴をこぼしたなんての使用人伝いで王子様に知られてまた何か言われる。自爆したー。
「まあいいや。プレゼントを渡す機会を逃した俺が言うのもなんだが、ちゃんとした手順ってものがあるだろ。それを聞きたかったんだよ」
「いいじゃん。本人どっちも居るし今渡しなよ。そんな事言ってるとまた機会逃すよ」
否定できない。しかし間に合わせてくれたクリス達には悪いが、今日じゃなくても良いしな。元々間に合わなければいつか丁度いい理由ができた時にってつもりだったのだ。
「シアも自分で選んだものじゃなくて、愛する婚約者が内緒で用意してくれた物を貰う方が嬉しいよね?」
俺が乗り気じゃないと察してオルテンシア嬢に矛先を向けたグリシーネ嬢。そらあ『愛する婚約者』が選んで贈ってくれる物なら、好みの物じゃなくても嬉しいよね。少なくとも俺はそうだ。実用品だった場合に使うかどうかは脇において、俺のために選んでくれたって付加価値が大きい。
オルテンシア嬢は困った感じの微苦笑でグリシーネ嬢から俺に視線を移す。俺にどうにかして見せろと仰るか。寧ろ俺があなたにお願いしたい。そんなこと言えませんがね。
「分かりましたよ。でも正しい作法は知らないので無作法はご寛恕を」
両手を挙げて降参。何もない空間を摘むようにして鳥かごの取っ手を掴み、クリス達が作った彫刻を取り出す。そういやこのワープ機能っぽいファンタジーパワーってどうなってんだろ。俺が使ってるの見られても驚かれたことないし、この世界では一般的なものなのかな。
取り出したるは緑色の透き通った材質でできた鳥かごと、その中に収められた小鳥の彫刻。大きさは篭含めても人の頭より小さい。
底部は鳥の巣のように、そこから伸びる檻となる縦の棒は蔓を模し、上部は蔓が絡まりあいところどころに花があしらわれた花冠という、全体が流れるようにまとまった装飾を施されている。
メインともいえる小鳥の彫刻は生きた鳥が変じたかのような躍動感を持って止まり木を跳ね、きれいな歌声を聞かせてくれている。
底上げされて装飾で隠された部分に破損防止の結界とゴーレム化の術封器を仕込んであるので実際に動く。これはファンタジーな美術品ならではよね。ちなみに俺が一番好きな美術品を聞かれてぱっと思い浮かぶのは古瓦鳩香炉や蝶図瓢形花瓶や群鶏図香炉。どれも工芸品だったかな。工芸品と美術品の違いが分からん。
うむ。反応がぱっとしない。で、だからなにとか言われそうな空気が部屋を満たしている。
だめかな。俺は高瀬好山の『鯉』を初めて見た時と同じような感動を覚えたほど気に入ったんだけど。俺の語彙力なんかじゃとても表現しきれない、光の角度によって煌きと表情を変える篭の存在感や、骨格・筋肉のレベルで再現した本物の鳥さながらの動き。俺の趣味に合わせすぎたかな。だめかな。
「っはー。けんちゃんアンタすごいの持ってるわね。どっから持って来たのこれ」
お、おお。グリシーネ嬢が反応してくれた。
「神様の鍛錬場下層で拾った石で作ってもらった彫刻。人の頭くらいの大きさの石でさ、中の小鳥が篭の中にある状態で削り出してもらったんだよ」
「え、出入り口ないの? じゃあこの鳥どうやって出すの? 檻の部分が持ち上がるの?」
「出せないよ。出入り口もないし檻も持ち上がらない。というか、ゴーレムにする術封器の有効範囲が篭より少し小さめになってて、その外に出すと小鳥は動かない置物になる」
「篭の中でしか生きられないってちょっとかわいそうかも……」
そういう見方もあるのか。ゴーレムと人工生命体は別物で考えてたせいで思いつかなかった。固定観念に縛られてたかも。
「ケント様、この置物はジェフレイティア製ではありませんか?」
努めて意識しないように俺の視界からそっと外していたオルテンシア嬢が質問してきた。もちろんアルカイックスマイル。そんなに微妙な贈り物かー。
――クリス、あの石のこの世界での名前はわかる?
――はい、主様。オルテンシア嬢の言うとおり、あの緑の石はジェフレイティアと呼ばれています。
こっちでの名称なんて知るわけなかろうとだめもとで聞いたらクリスが知ってた。
「作ってくれた人は石をそんな名前で呼んでたかもしれない」
その後オルテンシア嬢の指示によりハイドロフィラ卿が呼び出されると、俺とグリシーネ嬢を放置して話し合いの場が設けられ、役に立たない俺は一度家へ帰された。後日おっさんを通して連絡するそうだ。




