12 それはフラグだ。
襲撃を警戒しながら屋敷の警備状況を見直し、ちょっと過剰かなというという程度に多重の結界で敷地を守る形で安全対策を強化した。その間、攻撃は受けていないように思える。宮廷で俺の新しい噂を流されても分からないしそっちはどうでもいいので、直接的な暴力の話に限定した攻撃は受けていないというのが正しい表現か。
おっさんに屋敷の防衛について聞き取りをすると、大身の貴族が王都に構えた別邸の守りでも進入遮断結界二、三枚と中を物理的にも魔法的にも覗けなくする幻惑結界一枚くらいが外からわかるくらいだという。結界を張る術封器そのものや動力源の維持にかかる手間と費用を考えれば妥当だ。中小規模の家は侵入遮断結界と幻惑結界一枚で上等な部類だそうだ。お金かかるもんね。細かく言えば屋敷の大きさや使用頻度なども加味しなければならないので目安でしかない。
ハウス夫妻の所見も似たようなものだったので計画書の原案をすぐ練った。
聞き込み三件という調査の結果、敷地ぎりぎりに進入遮断と幻惑の結界を一セット……に見せかけて一枚目とは性質を変えた侵入遮断結界を二枚と非殺傷制圧結界を二種類一枚ずつを幻惑結界で隠して敷設。屋敷の本邸周辺はより強力なものを一セット。各部屋もそれぞれ結界で包み、常駐させるものとは別で緊急時用のものを瞬時の展開ができるよう仕込む。
敷地を囲む塀の角にある置物も常駐監視用ユニットを内蔵したものと置き換えているし、それが侵入者を察知した際は神経介入式インプラントデバイス”ネインド”を介して俺とバイオロイド達の頭に警報が響く。
他所の家の実態は知らないが、ここまですれば襲撃に対応する時間は作れるはずだ。
屋敷の購入直後から安全面を重視しておらず、むしろ軽視していたのは戦闘もこなせるバイオロイドを配置していたのもあって設備面における防衛の重要性に俺が気づいていなかっただけだ。使用人組や第五世代四人組のバイオロイドはみんな気づいてた。気づいていて、問題はないと結論していたと本人達が言っていた。
屋敷に手を入れていると十五日はあっという間に過ぎ、今日はオルテンシア嬢の誕生日パーティだ。俺も一応招待されているので、表向き婚約者である以上バックレられない。おっさんの言いつけた用事でもない限り。おっさんには出席を命じられている。
緊張であっぷあっぷして流れに身を任せていたらオルテンシア嬢と並んで庭を歩いていた。ぼんやりとハイドロフィラ卿と奥方に挨拶をした記憶がある。AIの管理するデータベースには俺の行動記録が俺の五感情報で残っている以上、しっかりと振り返ることもできるがそんな苦行はごめんだ。オルテンシア嬢が怒っている様子は見受けられないので派手な失敗はしていないはずと自分に言い聞かせる。
――アル。俺、朝からの記憶が一部うろ覚えなんだけど変なことしてたか?
――問題ありません、主様。『先生』より教わったことを忠実に守っていらっしゃいました。過度の失態は見受けられませんでした。
多少のミスはあったってことか。
今日もお上品な服を纏っているので護衛を頼んだ第五世代バイオロイド四人組の内のアルに”ネインド”を使って無声で訊ねると、安心できる割に不安にもなる答えを貰った。
俺の曲げた左肘に右手をそっておいて隣を歩くオルテンシア嬢は柔らかな微笑を口元に湛えている。きっと大丈夫。ほら、微笑とはいえ笑ってる。ダメだったら唇は引き結んだりする……怒ると笑顔になる人もいるよな。
「ケント様、あちらの東屋です」
意識を取り戻した俺が現状を理解できず胃を痛めていると、オルテンシア嬢が上機嫌と分かる弾んだ声音と共に東屋を左手で示す。
信頼の置けない経験則に従えば、オルテンシア嬢が子供っぽい仕種を見せるときは素の時だ。良し。今は少なくとも不機嫌じゃない。
「オルテンシア嬢、足元に気をつけて」
どんな言葉で反応すべきか判断できずに的外れではなさそうな無難な言葉を選ぶ。
「ふふ。お気遣いありがとうございます。けれど私も子供ではなく淑女ですもの。はしゃいで転ぶような真似は――」
オルテンシア嬢、それはフラグだ。
転ばないと言い切る前に転びかけたオルテンシア嬢を右手で支える。左の肘にオルテンシア嬢の右手が置かれたままなのでちょっと不恰好だ。っていうか肩ほっそいちっさい。手に力入れたら砕けそう。いや、タングステンの塊を握り潰せる俺なら人の肩も握りつぶせる。要らない事実が頭をよぎって動けなくなった。
「あの、ケント様、ありがとうございます。もう大丈夫です」
声をかけられて視線を下ろすと、アルカイックスマイルのオルテンシア嬢の顔。
そのアルカイックスマイルは二回見たことがある。俺がデートでやらかした時のだ。
「不躾な真似をごめん。怪我はない?」
転ばなくとも、躓いて足首を痛めるのは珍しいことじゃない。ヒールが高いと余計にそんなイメージがある。
「大丈夫……だと思いますけれど……」
俺の左肘に置いていた右手を離して俺の肩をやんわりと押すと、オルテンシア嬢は自分の足でしっかりと立った。体を左右に捻り、それに合わせて踵を順に上げ自分の足元を目で確認。アルカイックスマイルのままこちらを向いて自信なさそうな声音で答えた。
あの仮面みたいな笑顔、怖いんだよなあ。前に見たのが盛大な失敗を晒した時のものっていう意識が強い所為もあるし、今も何か失敗したみたいだし、拳骨を見せられた子供みたいな気分になってしまう。
すぐそこの東屋まで再びエスコートして、東屋に設えられたベンチへとテーブルを挟んで腰を下ろす。
対面のオルテンシア嬢は未だアルカイックスマイル。俺はまだ何か間違ってるっぽい。侍女さんの視線ほど雄弁な笑顔なら対処のしようがあると内心で愚痴をこぼすと、侍女さんがいないと気づく。呼びに行こう。俺には言い難い何かがあって、ここには他の人がいない。自分でパーティ会場に戻ると切り出さないのはさっき躓いて足に違和感があるのかも。
「オルテンシア嬢、足首を痛めていたらいけないから人を呼んでくるよ。いつもの侍女さんで良いかな」
「あっ……はい。お願いします」
「直ぐに行ってくる。動かないで待ってて」
俺は正解を導き出せた。
さっさと立ち上がって数歩進み、オルテンシア嬢を一人にするんも不味いかと頭を過ぎる。
「デボン、オルテンシア嬢の警護に就け」
「承知いたしました」
声に出すか一瞬悩み、オルテンシア嬢に知らせるつもりで口頭での命令を置いていく。俺の意図をしっかり理解したデボンはステルス機能を解除して一礼すると東屋に戻った。有能な部下でいつも感謝しています。
アルの先導に従い下品にならない程度の速さで歩く。こういうのはいつも誰かに見られているつもりで注意を払えと先生に何度なく言いつけられている。敵が多いと普通よりも気をつけなくちゃいけないとも。
幸い絡まれることもなく会場に面した庭へ出た。侍女さんを探そうと視線をめぐらせれば、楚々とした仕種で歩いてくる侍女さんが目に入る。そういや侍女さんの名前知らないな。
「ああ、良かった。オルテンシア嬢が躓いてしまって、違和感があるようなんです。怪我をしているかもしれなくて人を呼びに来ました」
側にオルテンシア嬢が見えないのを心配していたのか、表情の翳りが拭われた。
「畏まりました」
「こっちです」
怪我を診たりオルテンシア嬢を運んだりする人を手配するかと思いきや、さあ案内してくださいと言わんばかりに見つめられて仕方なく促し踵を返す。侍女さん、身の回りの世話にお目付け役に護衛にと職務過多だと思っていたが、護衛なら咄嗟の怪我の対応も任されているのかも。想像よりも職務多くて侍女さんが心配になってしまう。
侍女さんを連れて東屋へ戻るとオルテンシア嬢がぼうっと宙を眺めていた。ちょっと間の抜けたあんな表情は俺の前で見せたことがないものだ。ひょっとして、俺と会うときは気を張り詰めているんだろうか。
「お嬢様」
声をかけた侍女さんが小走りで駆け寄る。呼ばれたことに気づいたオルテンシア嬢は緩やかな動作でこちらに視線を向け、再びのアルカイックスマイル。
ええ……俺まだ何かやらかしてるの……。もう心当たりはないよ。
言葉で教えてくれないかと直接言えるわけもなく、俺も再び足りない頭を働かせる。
侍女さんはオルテンシア嬢の前に跪くとそっと足を持ち上げ、関節を動かして様子を見る。侍女さんが何か言うとオルテンシア嬢が首を横に振った。
もしや、足を痛めていたのに呼んできた人員が足りないと叱られていた? 知らんがなー。怪我してるって分かってたなら言ってくれよー。
「ケント様、少々よろしいでしょうか」
「ん?」
自分の失点はさておいてデボンに原職復帰の指示を出すつもりで後ろを向くと、タイミングが悪くのか侍女さんが声をかけてきた。油断してかなり失礼な返事をしてしまったじゃない。先生に知られたら笑顔と溜息のコンボを食らう。
「お嬢様は足首を痛めてしまわれたようで……」
「ああ、はい。じゃ、もう一度行って人を――」
「あの、ケント様」
人を呼んでこようという前にオルテンシア嬢が決然とした顔で言葉を被せた。人の言葉を遮るなんてあからさまにはしたないことをするのは珍しいし、侍女さんも窘める様子がない。ん、あー。元々侍女さんはオルテンシア嬢を探していたし、急ぎの何かがあると。
「もしかして急がなければいけない用事が?」
「は、はい。それで、あの、申し訳ないのですけれど……」
運ぶなら男じゃない方が良いのは当然として、ここにいる女性は侍女さんかクリスかデボンか。さすがに侍女さんが運べるならそれで済ませるだろ。クリスとデボンの二択。さっき一緒にいたしデボンに頼もう。
「大丈夫ですよ。デボン、オルテンシア嬢をお運びして差し上げろ」
「承知いたしました」
オルテンシア嬢の警護についてそのままだったデボンが進み出る。
「あの、ケント様。申し上げにくいのですけれど、声で女性と分かりましたがその見た目では、あの……」
語尾濁してばっかりだね。でも後ろめたいいならはっきり言えなくて仕方ない。俺だって同じになる。そして確かにデボンはいつもどおり基本兵装フル装備なので性別不詳で顔も見えない。
「では――」
「ですので、あの、あつかましいことは重々承知しておりますがケント様に運んでいただけないかと」
ぎゅっと目を瞑って切羽詰ったような早口で言われてしまった。
デボラは嫌か。顔見えないし姿を見たのも二回目だもんな。それが性別の差を越えるかというと、個人によるものだし。
「俺はかまわないよ。でも、婚約者といっても、人の目があるところで男性に抱えられて移動するのは……どう言えばいいかは知らないけどはしたないと思われたりしないかな。大丈夫?」
オルテンシア嬢の外聞的に問題がないとして、あとは何かあるかといえば俺がちょっと気恥ずかしい思いをするくらいだ。
「誕生日パーティで、二人きりで席を外した、婚約者同士、ですもの。少しくらいなら皆さん大目に見てくださいます」
侍女さんが茶目っ気を含んだ口調で強調するように区切り区切り教えてくださった。俺の護衛はみんなステルスしていたので傍から見れば二人きりで抜け出してますわ。
からかわれたオルテンシア嬢はと視線を向けるとアルカイックスマイル。あ、はい。ゴネ過ぎてるって言いたいんですよね。俺的にはゴネてるんじゃなくて一つ一つ確認してって言うかなるべくオルテンシア嬢の為になるようにと考えてですね。
「わかった。オルテンシア嬢、ちょっと失礼するよ」
もうこの東屋に来てスリーアウトだ。余計な気は回さず、言われた通りに言われた事をやろう。
「はい、よろしくお願いいたします」
オルテンシア嬢の腰に左腕を巻きつけて、両膝を右腕で持ち上げる。横抱き完成。かっるい。いや、トン単位でも持ち上げられる俺には大抵の人は軽いものの、ドレスや装飾品含めた女性一人にしては軽い。肩を支えた時も疑問だったが、この人ちゃんと飯食ってんのか。でも百八十センチくらいの俺の胸までしかない彼女身長を鑑みると相応なのかも。病気とかじゃないと思うが、グリシーネ嬢にでも聞いておこう。




