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太陽の季節 9


 翌日。

 琴美は迎賓館を訪れていた。

 暁貴から、影豚たちの護衛を依頼されたからである。

 まだ学生の身分だが、のんきに大学生活をおくるには澪というのは人材不足すぎる。

「アンジー。ひさしぶり」

「っていうほど時間は経ってないと思いますよ。佐藤さん」

 玄関で出迎えた影豚のひとりに微笑を向ける。

 返ってきたのは、相変わらず感じの良い笑顔だった。

 函館みらい大学の学生。その正体は琴美に対するハニートラップを仕掛けようとしたCIAの諜報員。そして現在は澪町役場に雇用され、メディア対策室勤務の町職員だ。

 有為転変(ういてんぺん)というか、荒唐無稽(こうとうむけい)というか。

「いろんなことがありすぎたからね。何年も経ったような気がするよ」

「現実と戦いましょう。佐藤さんが捕まったのは先週です」

「うん。逮捕した本人が言うんだから間違いないね」

 笑いながら肩を並べて歩く。

 どういう因縁か、同じ部署で働く同僚となった。

 ちなみに沙樹ではなく琴美がこのポジションについたのは、経験を積ませるという意味も大きい。

 すでに秘書として実績のある沙樹よりも、将来は次期魔王の秘書たるを嘱望(しょくぼう)されている琴美を育てる方を魔王は選んだ。

 わりと当然の選択だが、どういうわけか影豚のひとりは海底に降り積もるマリンスノーのように沈み、べつのひとりはルーベンスの絵を見た貧乏少年のように天に昇っていった。

「ともあれ、またよろしくね。アンジー」

「うい。こないだのことは、ディナーいっかいで水に流します」

「OK! 奮発するよ!」

 許された男が、がぜんはりきる。

 函館に明治の十二年からある老舗レストランでフルコースの予約くらいとっちゃいそうな勢いだ。

「や? 女神亭でいいんですけど?」

 きょとんとする琴美。

 謝罪ディナーとはいえ、さすがにそこまでむしり取るわけにはいかない。

 魔女の娘は節度ある淑女なのだ。

「ですよねー……」

 なぜかしょんぼりする佐藤。

 節度によって財布は守られたが、好機そのものは与えられなかった、というところだろうか。

 まあ、影豚の恋愛事情など、どうでも良いのである。

 なにしろ、もっとずっと大きな問題が、彼らの前には待ち受けていたから。

「や。アンジー」

 その問題が、気軽に愛称を呼んで片手をあげた。

 竜吉公主と魔王との初の会談がおこなわれる部屋。

 主賓の席に座した若く美しい女性。

「きらら!? なんでここに!?」

 琴美の目が見開かれる。

 知っている顔だ。

 学部の同期で、しかもけっこう親しい。

「前に言っていたじゃない。もし就職先がなかったら澪にくれば雇ってくれるって。だから、きちゃった♪」

 とてもとてもチャーミングな笑顔。

 魔王をはじめとした男どもの顎が、かくーんと落ちた。




「なんか腹立つよねー」

「まったくだよ」

 激戦から一夜明けた庁舎前広場で、カトルと広沢がこぼしている。

 もちろん復旧作業の真っ最中だ。

 野戦服ではなく作業服を身にまとい。澪町と書かれた安全帽(ヘルメット)をかぶった姿である。

「んだよ? おめーらは大物を一匹ずつ撃墜(おと)してるじゃねーか。俺なんて大物どころか総撃破数ゼロだぜ? 最悪だよ」

 両手を広げてみせるのは酒呑童子。

 この決戦で、彼はまったく良いところなく敗北してしまった。

 直属の部下である大江山クマ軍団は、三人で兵馬俑十三体を倒すという大活躍を見せたのに。

 しかも彼の敗北によって沙樹が負傷してしまうというオマケまでついている。

 戦鬼としては幾重にも面目を失したかたちで、ため息のひとつくらい出ようというものだ。

 もちろん暁貴も鉄心も、酒呑童子を責めたりはしない。

 相手が強すぎただけ。

 彼を敗北に追い込んだ雷震子を倒すため、澪は虎の子であるヒヒイロカネを用いたくらいなのだ。

「自分たちの相手だって強敵だったよっ」

「そうだそうだっ」

 憤慨する竜神と蛇神。

 すげー強かったのだ。なにしろ武吉も竜鬚虎も太公望の直弟子である。

 簡単な相手のはずがない。

「戦後のボーナスくらいほしいよっ」

「そうだそうだっ」

 にもかかわらず、広沢とカトルの勇戦に注目してくれた人はいなかった。

 仕方がない。

 酒呑童子と光が敗北するという番狂わせがおこり、首脳部はその対応におわれまくった。

 奇妙な言い方になるが、順当に勝利を収めた北海竜王やケッツァルカトルを褒め称える余裕はなかったのである。

「いいじゃねえか。おめえらほどの剛の者なら勝って当然。いちいち心配したり褒めたりしたら、かえって失礼ってもんだろうよ」

 酒呑童子が笑う。

 そこまで持ち上げられれば、広沢もカトルも悪い気はしない。

 ふふんと鼻を鳴らしたりして。

 ふ、計算通り、という趣旨の黒い笑いを内心に隠し、酒呑童子がもう一押しする。

「あっさり負けちまった俺としては詫びのひとつも入れねーと気が済まねえ。つーわけで、今日の昼飯は俺のおごりだ」

 言葉に応えるように、庁舎側からカートを押した五十鈴が姿を見せる。

 初夏の風に乗り、食欲をそそる香りが流れてきた。

「しゅてるん。ホントにこんなに食べられるんですか?」

 さすがにちょっと心配そうだ。

「みんな大好き澪豚ザンギ。四十キロほど作ってもらったぜ」

 酒呑童子の宣言に広沢やカトルだけでなく、作業員たちも歓声をあげる。

 澪の男で、これが嫌いだというヤツはひとりもいない。

「さあ野郎ども! たらふく食ってくれ! 世の中は!」

『肉だ!!』

 謎の唱和をして、一斉に群がってくる男たち。

 もちろん広沢やカトルも。

 好物で釣る。

 策士、酒呑童子であった。




「そもそも、アンジーに諜報機関が近づくように仕向けたのって、仙界じゃない? そういう仕込みをしておいて、監視もしない、状況の把握もしないって、ちょっとありえなくない?」

 竜吉公主こと、麻妻水晶が告げる。

 いわれてみずともその通りだ。

 謀略の初手、それは諜報機関による澪への接触(ちょっかい)だった。

 これは、いちはやく察知した依田と信二が上手く立ち回ったことによって事なきを得たが、諜報機関が動くように鼻薬を嗅がせたのは仙界である。

 彼らは決戦の前に澪の戦力をある程度まで削ろうと考えた。

 もちろん諜報機関には諜報機関の思惑があるし、派閥や国家の利害が複雑に絡み合うわけだが、いずれにしても澪が混乱するのは仙界にとって損にはならない。

「じゃあ、きららは監視するために私に近づいたの?」

「最初はね」

 問いに肩をすくめる女子大生。

 至近にいた方が監視もしやすいしコントロールもしやすい。たとえば、琴美が自家用車で通学していることや、それがぴかぴかの新車であることを、さりげなく佐藤に伝えたのは水晶である。

 もちろんCIAがその程度の情報を掴んでいないわけがないが、琴美に接近するための第一段階として、同級生から明かされた方が活用しやすい。

 ようするに佐藤は、無自覚のうちに水晶から情報と指針を与えられていた、ということになる。

「でもまあ、失敗したらしたでいいかなーとか思ってたわけよ」

「なんで?」

「決まってるじゃない。アンジーをはめるのが嫌だったからよ。知り合って二ヶ月しか経っていないけど、(わたし)は親友だと思っているわ」

 だが、水晶自身の心情とはべつに、事態はどんどん進んでいった。

 ジェット機にでも乗っているかのような速度で。

 澪はスパイたちを抱き込み、次々と仕掛けられた情報戦を見事に切り返してゆく。業を煮やした太公望が放った先兵も、簡単に退けられた。

 威力偵察を兼ねた先制攻撃も、なんら得るところなく撃退される。

 ならばと魔王の伴侶を誘拐する手に出たが、それすら短時間のうちに奪い返された。

「にっちもさっちもいかなくなって、全軍での突撃。バカなのかと思ったけど、やっぱりバカだったわねー」

 くつくつと笑う。

 ひどい言い様である。

 結果だけ論じれば、たしかに太公望はすべての策で失敗しているが、タイミングといい手段といい、充分に澪の心胆を寒からしめた。

 無能扱いは少しばかり可哀想だろう。

「だから君は、ノエルを殺さなかったのかな?」

 こころが問う。

 竜吉公主が戦いを望まなかったとしても、長上から命がくだれば従わざるを得ない。

 まして中華神話は上下関係が非常に厳格だ。

「その程度で妾の罪が消えるとは思っていないけどね。侵略者なんだし」

「いや。その罪を一人の戦士に帰するのは筋違いだろう」

 依田が言った。

 大略を練り上げた者こそが責を負うべきだろうし、そもそも責任者自体がすでに死んでしまっている。

 犠牲の羊(スケープゴート)を作っても意味がない。

「まあ、あなた達はそういうだろうと思ってたわ。でも、それじゃ妾の気が済まないから、昨夜一晩考えたのよ。なにか良い責任の取り方はないかって」

 いちど言葉を切る水晶。

 ゆっくりと右手の人差し指を秀麗な顔に向ける。

「妾を人質にして、仙界との交渉に役立てると良いわ」

 言い放つ。

 ふたたび参列者たちの顎がかくーんと落ちた。



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