太陽の季節 8
「ちょいと琴美さんや。お座んなさいな」
母親が言った。
安寺家のダイニングである。
ぼろぼろになった服を着替えるため戻った沙樹と琴美。
交代で軽くシャワーを浴び、さっぱりしたところで、母が娘に話しかけた。
「なによ?」
「ていっ」
座った娘の額を指先で弾く。
デコピンである。
「あいたっ!?」
額をおさえる娘。
「あんた、相打ち覚悟で飛び込んだでしょ。ああいうのやめなさいね」
なにか言い返そうとした琴美だったが、意外に真剣な沙樹の瞳に、思わず黙り込む。
母の手が移動し、娘の頬に触れた。
「心臓が止まるかと思ったわよ」
その手に自らの手を触れさせて娘が微笑する。
「実際に止まったじゃない」
「琴美。あんたは戦士だから、戦うなとは言わないわ。でも、生還してこその勝利よ。死んだら負け。それは憶えておいて」
「……うん。ごめん」
「あと、あたしが大怪我したの、ゆうぞーには内緒にしておいて」
「……切れるとおもう? やっぱり」
「間違いなく」
「だよねー」
琴美にとっての父親、沙樹にとっての夫はとても心配性だ。
あと、ものすごいラブラブなので、沙樹に怪我をさせた連中をけっして許さないだろう。
中国まで殴り込んで、責任者をぶっ飛ばしかねない勢いだ。
そんなことをしちゃったら、寒河江まで巻き込んでの大騒動になってしまう。
「ちょっと怪我をしたけど、西遊記チームが助けてくれた、くらいにしとこうか」
ろくでもない想像を、頭を振って追い出しながら娘が提案する。
「そうね。そのゆかりちゃんだっけ。その子には後でちゃんとお礼しないと。命の恩人だしね」
玄奘三蔵のことである。
談合の結果、彼女も巻き込んで口裏を合わせようということになった。
きっとそれが万人のためなのである。
「とにかく。あんたはあたしの宝物なんだから、無茶はせんでおくれってのを言いたかったのよ」
「それは私も同じよ」
くすくすと笑い合う母娘。
命を捨てて娘を助けた母親。もし逆の立場だったら、琴美も同じ行動を取るだろう。迷いもなく。
「いやいや。そういってもらえるのは今だけさ。好きな人ができたら親のことなんてどーでもよくなんのよ」
「なによそれ」
「体験談」
「説得力あるぅ」
「実際さ。将太くんと佐藤くん、どっちが好みなのよ?」
「む?」
「あの二人があんたを好きなのは知ってるんでしょ?」
「なにいってんのよお母さん。将太くんは年上の女ってのに憧れてるだけでしょ。佐藤さんが私に近づいたのは任務だろうし」
なにいってんだこいつ、という顔をする琴美。
珍獣でも見るような目で、沙樹が娘を見た。
自分に似ても父親に似ても、けっして恋愛に疎くはならないはずなのだが。
育て方を間違ったか。
信一や信二と一緒に育ったせいで、こいつの男性を見る目がちょっととんでもないことになってしまっている。
魚顔筋肉の男らしさやストイックさを超える男でなくては異性として認識しないだろうし、魚顔軍師の思慮深さや優しさを超える男でなくては異性として認識しないのだ。
外見によって評価を変えないのは美徳ではあろうが。
まったく無意識に、無自覚に、実剛以上の唐変木に育ってしまったようだ。
「うん。まあ、そうね。がんばれ」
茨道を歩む佐藤や将太くんのため、謎の激励をする沙樹だった。
べつのドラマもあった。
町立病院に戻ったノエルを出迎えた葉月は、挨拶もそこそこにシスターを集中治療室に連れていった。
多くの機械に囲まれたベッドに寝かされていたのは老婆である。
「村田のおばあちゃん……!?」
ノエルに、戦うよう背中を押してくれた女性だ。
彼女を送り出した後、容態が急変してICUに運び込まれた。
日本人女性の平均寿命をすでに二十年ほど超えている高齢の人である。いつ何時なにかあっても、べつにおかしくはない。
「のえるちゃん」
枕頭にたつシスターに気付き、老婆が薄目を開ける。
ちらりと視線を走らせると小さく葉月が首を振った。
看取ってくれ、という意味であることを、ノエルは察することができた。
子供たちもすでに他界し、その子供たちは澪を捨て、身寄りとてない老婆である。
この街にはそんな老人がたくさんいる。
「いま帰りました」
「勝ったんだね」
「はい。おばあちゃんのおかげで」
微笑するノエル。
それはたしかに誇張ではあるが、嘘ではない。
彼女が駆けつけなければ、澪はもっと不利な戦いを強いられたことだろう。竜吉公主の相手だって、たとえば沙樹あたりがしなくてはならなかったかもしれない。
そうなれば、勝利はずっと得難かった。
「うれしいねえ……さいごは勝っておわれるなんて……」
声が小さく、弱くなってゆく。
ゆっくりと目を閉じる老婆。
ノエルがその手を握った。
ごくわずかに握りかえされる。
心拍数を示すモニター画面から警告音が流れる。
眠るように。
明治、大正、昭和、平成と、四つの時代を生きた女性が、その生涯を閉じた。
ゆっくりと歩み寄った葉月が脈を取り、瞳孔を確認する。
「午後二時四十二分です」
「……勇者の魂に安らぎを。In Nonine Patris et Filii et Spiritus Sancti Amen」
主の元へと旅立った年長の友人のために祈りを捧げ、シスターが十字を切った。
「判った。そういうことなら私が引き受けよう」
暁貴から、仙界との折衝役を懇請された依田が軽く頷いた。
メディア対策室である。
掃討戦も終結し、影豚たちは本拠地へと戻った。
庁舎内の片づけなどは、建設課と土木課が中心となって進められている。もちろん影豚たちだって手伝おうとしたのだが、邪魔だからと追い立てられてしまったのだ。
「助かった。よろしく頼むぞ」
右手を差し出す魔王。
副町長室に呼び出すのではなく、自ら足を運ぶあたりに彼の飾らない為人が出ている。
第六天魔王は大いに好感をもったが、手を握り替えそうとはしなかった。
どーしても飲んでもらいたい条件があるからだ。
「巫。補佐役が欲しい」
「いるだろうが」
「ニキサチ以外で」
苦虫を噛み潰したような顔のハシビロコウ。
庁舎の片づけだって、ニキサチがいるから邪魔者扱いされるのである。彼女が本気を出すと、より散らかるから。
「なんだよ。さっちん嫌いか?」
「そういう問題ではない」
好きか嫌いかと問われれば、むしろ好きだ。あの間抜けっぷりが、だんだん面白くなってきたのはたしかな事実である。
だが、ことが仙界との折衝ということになれば、ニキサチでは荷が勝ちすぎる。
相手は実力行使も躊躇わないような連中なのだ。
最も弱い部分を突いてくる。
事実として、魔王の伴侶が誘拐されたりもした。
「ニキサチは私の元で修行させる。それはそれでかまわないが、腕の立つ者が一人欲しいのだ」
事が荒立ったとき、戦闘能力を持たない第六天魔王では自分もニキサチも守りきることはできないから。
ふむと頷いた暁貴。
たしかに言われてみればその通りだ。
「量産型能力者でいいか? なら九藤あたりが適任じゃねえかと思うんだが」
脳内の人名録をめくりながらピックアップする。
勇者のひとりで、信一の副将格だ。
義にも篤く冷静沈着であるため、鉄心などからのおぼえもめでたい。むろん戦闘力だって並みの量産型能力者からは頭ひとつ抜きんでた存在だ。
具体的には大江山クマ軍団と同格くらいだろうか。
「ちと弱い。兵馬俑と同じくらいの強さでは、いざとなったとき苦しいと思う」
「ぜいたくなやっちゃなあ。勇者隊を超えるようなのったら、澪の血族になっちまうだろうが」
なかなかに厳しい要求だ。
とはいえ、相手を考えれば当然の用心ではある。
「沙樹か琴美くらいしか、条件を満たせそうなのはいねえぞ?」
魔女とその娘の名前が出たとき、影豚のうちの二人ほどの肩がぴくりと動いたが、それに気付いたのは田中補佐だけであった。
「琴美嬢で良いのではないか? 修行にもなるだろう」
将来的には実剛の秘書たるを望まれている魔女の娘である。
外交の経験を積んでおくことは、けっしてマイナスにはなるまい。学生との二足のわらじになるが、こればかりは人材不足の澪ゆえ、やむをえないところである。
「んだなや。琴美でいくか」
あっさりと決定する魔王。
影豚のひとりの手が、デスクの下で小さくガッツポーズをした。




