配られた五枚のカード 7
「さざなみ製薬の鈴木さん、な」
手渡された名刺と目前に立った男を等分に眺め、暁貴が口を開いた。
副町長室の応接セット。
テーブルの上には、手土産の菓子折が置かれている。
なかなか気の利いたことだが、本来なら受け取ってはいけないものではある。
賄賂と取られても仕方がないから。
ただまあ、魔王さまはそんなことを気にしない。
もらうだけもらって、便宜を図らなければそれで良いと考えているのかもしれない。
とにかく、せっかくいただいた東京銘菓を突き返すことなど、できるわけがないのであった。お菓子の大好きな彼としては。
そんなんだから、ぷよぷよするのである。
「はい。お見知りおきいただければ幸いです」
ごくありふれた紺色のスーツをまとった男。
中肉中背で、顔立ちにも特徴的なところはない。
街ですれ違ってもまったく印象に残らないだろうな、と、同席しているこころが分析した。
「見知るだけでいいのかい?」
やや意地悪な言い回しを、暁貴がした。
取引を持ちかけなければ、営業マンとしては商売にならない。
「そうですね。せっかくですので、美味しいものを食べさせてくれる店などを紹介してもらえると助かります。何日か逗留しますので」
鈴木が人好きする笑顔を浮かべる。
商売の話はしない。
まずは顔つなぎ。
「そうだなあ。やっぱ暁の女神亭ってことになるんだけどな。オススメとしては」
暁貴としては、そう応えざるを得ないだろう。
大の男にカレーというのもどうかとは思いつつも、街が運営するレストランだからだ。
「こっちってことなら、話は別なんだけどな」
右手で、くいと何かを飲む動作をする。
飲酒ができる店、という意味だ。
爆発的に増える労働者をあてこんで、飲食店業界も活気づいている。中には女性しかいない店だってあるのだ。
「副町長もいける口ですか?」
「澪豚の魅力は、カレーやザンギだけじゃねえぜ。トントロを煮込んだヤツでハイボール。これが最強だ」
「それは、ぜひ試してみたいですね」
「だったら、良いところがあるぜ」
鈴木が乗ってきたため、暁貴の機嫌が良くなる。
イナカモノにありがちな、おすすめしたがり病だ。
とにかく他人に何かを紹介したい。
そして、美味しいだろう? 面白いだろう? と、同意を求める。
自分はこんなことを知っていると、自慢したくて仕方がないのである。
都会からきた人間には、鬱陶しいことこの上ないだろう。
田舎を嫌っているはずの魔王ですら、この奇病からは自由ではいられないらしい。
「よければ、案内しようか?」
「暁貴さん」
良い調子で誘いをかけるおっさんの袖を引っ張り、こころが制動をかけた。
まったく、初対面の営業マン相手になにをやっているのだ。
「鈴木さんは仕事できてるんだよ」
「あー わりわり」
ばつが悪そうに頭を掻く。
穏やかな微笑を浮かべる鈴木。
「いえいえ。ぜひご相伴にあずかりたいものです」
「そうこなくっちゃ」
ばんと、暁貴が手を拍った。
ようするに、自分も呑みたいのである。
「ったく……」
こころが大仰にため息を吐いた。
とはいえ、さすがに今夜すぐに、というわけにはいかない。
とてもそうはみえないが、こんなんでも魔王にはいろいろと仕事があり、予定もあるのだ。
一両日中に誘うとの言葉をもらい、宿泊先のビジネスホテルの名を告げて、鈴木は副町長室を出た。
同時にふうと息を吐く。
彼のような人間にも澪の噂は聞こえている。
人外がどうこうというのは眉唾ものだが、彼らが一年足らずで北海道どころか日本にまで強い影響力を持ったことは事実なのだ。
嘘か誠か、総理大臣ですら用事があるときは、呼びつけたりせずに出向くという。
ネタとしては笑えないし、事実だとしたらもっと笑えない。
その澪の実質的なリーダーである副町長との会談である。緊張するなという方がどうかしているだろう。
ノーネクタイの首元をさする。
クールビスが全国的に実施されて十年。寒冷な北海道でも、六月からはノーネクタイになる。
ただ、寒さに強い道産子には暑くても、本州からきた人間にはそうでもないため、鈴木は上着を着用していた。
二十二度という気温は、むしろ少しばかり肌寒いほどである。
「まずは上々の感触かな」
広い廊下を歩きながら呟く。
飾らない副町長の為人を知ることができた。
こちらも悪印象は抱かれなかったようだ。
第一段階としては、まず満足すべき結果だろう。
大手メーカーならともかく、中堅どころのさざなみ製薬には、何度も機会が与えられるわけではない。
一回一回の接触を大切にしなくてはいけないのだ。
その意味では、次の約束を取り付けられたというのは大きい。
しかも飲酒となれば、親和力がぐっとあがる。
歩きながら、懐から携帯端末を取り出す。
次に会うまでに、副町長の好みの歌とかをチェックしておかなくてはならない。
飲みがあれば、カラオケがあるのは必至だろうから。
「あとは……手土産だな……」
また菓子折というのは芸がない。
たしか副町長は新婚のはずだから、細君の機嫌が取れるようなアイテムが良いだろうか。
となれば女性が喜びそうなもので、しかも、うけとって気後れしない程度のもの。
手早く端末を操作する。
トレンドなどの情報をチェックするために。
営業マンの様子を、物珍しそうに見る男。
つい先頃、建設課に採用されたばかりの中村である。
「どした?」
直属の上司が声をかけた。
澪町役場と左胸に刺繍された作業服をまとった建設課課長補佐だ。
本名は誰も呼ばず、なぜか「シュテルン」という愛称で呼ばれているという謎の人物である。
ただまあ、そのような謎人物は、澪町役場に掃いて捨てるほどいるため、中村は勤続三日で悟りを開いた。
彼を役場に誘ったカトルいう子供も本名不明だし、なにしろこの役場にはオカマバーがある。
いや、さすがに酒は出していないが、第七相談室という部屋にオカマが君臨しており、オカマバーそよかぜと呼ばれているのは事実だ。
澪町役場で精神の均衡を保つコツ、それは「気にしないこと」である。
「いえ。見ない顔だな、と思いまして」
「ああー 大将のとこにきた客人だよ。たしか製薬会社の営業だ」
上司の説明に中村が頷いた。
「つーか、お前さんにとっちゃ、ほとんどの連中が見ない顔だろ」
「いやいや補佐。一週間でだいぶ憶えましたよ」
「ほほう」
「そよかせ姐さんとか。そよかぜ姐さんとか」
たぶん役場で最もインパクトの強い人物だ。
「うむ。あいつさえ憶えておけば、この街では生きていける」
適当なことをいって、上司が肩を叩いた。
「外回りいくぞ」
「あいあいさ」
「なんか、ちょっとおかしいわね」
自室のデスクに向かい、巫美鶴が呟いた。
目の前にはパソコンのモニター。
彼女の武器。
魚顔軍師不在のいま、澪の頭脳たる美鶴を力強くサポートする戦友だ。
澪で起こっていること。すべての情報が六畳間の部屋に集まってくる。
時事ネタからゴシップネタまで。
「べつに何もおかしなところはない。でも、なんかおかしい」
街に事件は起きていない。
役場に新しい人材が登用された。
レストランに新しい人材が登用された。
沙樹の様子がちょっとおかしい。
琴美の様子も、なんだか浮ついている。
製薬会社の営業マンがきた。
どれひとつとっても、おなしなことはなにもない。
まあ、恋に生きる女である沙樹の行動については注意を要するものの、それ以外はなんということもない出来事だ。
と、画面上にポップアップがあがる。
メッセンジャーソフトだ。
『こんばんは。まだ起きていましたか?』
無個性な文字の羅列。
すばやく美鶴の両手がキーボードを操る。
『まだ起きてる。どうかしたの? 楓さん』
送信者は新山楓。魚顔軍師凪信二の婚約者であり、日本国首相新山鉦辰の孫娘だ。
そして、美鶴に次ぐ澪の第三軍師でもある。
『少し気になることがありまして』
「やっぱり……」
文字を見ながら、第二軍師が一人ごちた。