配られた五枚のカード 6
山田が披露した料理。
テット・ド・フロマージュ。
日本風にいうなら、ブタの頭と足の煮こごり、というあたりだろうか。
頭肉と豚足をとろとろになるまで煮込み、型に入れて冷ましたものだ。
フランスの伝統的な家庭料理である。
あまり日本人が食べ慣れたメニューではない。頭肉や豚足に忌避感のある人も少なくないだろう。
だが、さすらいの料理人は、あえて選んだ。
良い豚肉でなくては作れない料理。
澪豚の魅力を極限まで引き出した一品。
「食べたことのない味です。でも、なぜか懐かしく感じます」
試食し、ほうとため息を吐いた五十鈴が感想を述べる。
凝った料理ではない。
ブイヨンとたくさんの香味野菜で煮込んだ材料を固めるだけ。かかるのは時間だけで、さほどの技術を必要するものとは思えなかった。
「なのに、どうしてこんなに心に響くのでしょう……」
「それは、貴女の料理が心に響くのと同じ理由です。私の根っこなのですよ」
山田が微笑する。
幼少のうちに修行に入り、研鑽を積んできた。
フレンチの心。
華やかなコース料理にばかり目がいくが、これが根っこだ。
けっして上等とはいえない、ともすれば破棄される部位をもちいた家庭料理。
「お見事です。山田シェフ」
「いえ、これは私の腕というより素材の素晴らしさにつきます。あと、私の根っこを思い出させてくれた貴女の料理の力です」
わだかまりを解く笑顔。
けなしていたくせに。
咄嗟にどう反応して良いか判らず、五十鈴が曖昧な笑みを浮かべた。
「じつは、食堂に現れた貴女の姿を見たとき、私によぎったのは嫉妬の感情でした」
「というと?」
「正直に言いますね。あのカツカレーはじつに美味かった。ですが、説教臭さを感じたのです」
「はい」
「だから、作ったのは相当に修行を積んだ年配の料理人だろうと思いました」
どこまでも基本に忠実に、技術に溺れず、奇をてらわず、余計なアレンジを加えず、料理とはこう作るのだと語っているかのように。
「鼻持ちならないと思いましたよ。客に説教を垂れるような料理を出すなんて、どんだけ上から目線なんだと」
「そんなつもりはまったくないのですが……」
「はい。貴女を見て、それは誤解だとすぐに気付きました。そこにあったのは母の愛なのだと。そして感じてしまったのです。強烈な嫉妬心を、劣等感を」
若くして、これほどの腕と才能を持った五十鈴に。
「そんな……私は特別なことは何もしていませんよ」
「そうなのでしょうね。貴女の為人を感じました」
どこまでも真っ直ぐに、誇り高いまでに愚直に、誰かのためを思って作られた料理。
澪の大シェフの心根そのままに。
「私が半ば忘れていた根っこを、思い出させてくれました」
どうして料理人を志したのか。
それは食べた人の笑顔が見たかったから。
かつての自分がそうだったように。
だからテット・ド・フロマージュを作った。
料理人、山田の根幹。
幼少の頃に食べた料理を、憧れを、感動を再現した。
「料理とは奥が深いですね。いや、良い勉強をさせてもらいました。五十鈴シェフ」
右手を差し出す。
「こちらこそ」
女勇者が、がっちりとそれを握りかえした。
「ところで、山田シェフの今後の予定は?」
「とくに何も。私はフリーランスですので、依頼があればどこへでも伺いますが、いまのところ差し迫った仕事は入っておりません」
だからこそ、評判の澪豚料理を食べにきたのだ。
そして思った以上に収穫があった。
「山田シェフさえよろしければ、澪に残りませんか?」
瞳のあたりに決意をたゆたわせ、五十鈴が申し出る。
「は?」
面食らう山田。
あまりにも唐突な申し出だ。
もちろん澪の大シェフがこんなことを申し入れたのには理由がある。
現在、彼女がこなすべき仕事は多い。
第一は戦士として、勇者のひとりとして澪を守ることだ。
第二は、孤児院の院長。
どちらも五十鈴にとっては疎かにできない大切な仕事である。
自然、レストランのコックとしての役割は、二の次になってしまう。いかに量産型能力者とはいえ、三足のわらじはなかなかにしんどい。
もし山田がシェフとして暁の女神亭に常駐してくれるなら、五十鈴の負担はかなり軽減されるだろう。
「ですが、私は流れ者ですよ?」
当惑顔のまま山田が告げた。
フリーランスの料理人といえば格好良くきこえるが、ようするに根無し草である。
自分の店を持っているわけでもなく、誰かに雇われているわけでもない。
現実、仕事としては、団体客に対応しきれないレストランなどのヘルプがほとんどだ。
そんな人物に、澪の看板たる暁の女神亭を任せようというのか。
彼でなくとも戸惑うだろう。
仮に五十鈴が認めても、上が認めるとは思えない。
「もし上層部が渋るようでしたら、私個人が山田シェフを雇いたいと思います」
決然と言い放つ女勇者。
大シェフたる彼女は高給を食んでいることは間違いない。間違いないが、自分の給料の中からもうひとり雇用できるほどのはずはない。
「無茶苦茶ですよ……私は島左近ですか……」
戦国時代の名軍師である。
彼を幕下に迎えようとした石田三成は、自らの禄高四万石のうち、なんと二万石を俸禄として与えた。
ちなみに、左近と佐和山城は、三成には過分なものとして謳われている。
それほどの逸材を召し抱えたにもかかわらず、三成は彼の献策をほとんど受け入れずに関ヶ原で敗退してしまった。
「私は、三成どのよりは柔軟かと思いますよ」
微笑する五十鈴。
今度は彼女の方から右手を差し出した。
少しだけ躊躇った後、山田が握り返す。
澪に、二人目の大シェフが誕生した瞬間であった。
「またあったわね。佐々木さん」
いつもの公園。
沙樹がベンチに座る青年に話しかける。
いつもの朝。
微笑する佐々木。
「偶然と言い張るつもりはありませんよ。ここにいれば、沙樹さんに会えると期待していましたから」
気弱そうな笑顔である。
自信が持てなくなっているのだろう、と、沙樹は推測した。
「一流のナンパ師なら、もうちょっと気の利いた台詞回しをするものよ」
「たとえば?」
「そおねぇ。ここで出会ったことに運命を感じるとか?」
「……ここで出会ったことに運命を感じます」
「一字一句そのままいうなっ」
笑いながら怒り、佐々木の隣に腰掛ける沙樹。
出勤までの短い時間、おしゃべりに興じようという意思表示だ。
公園から役場までは五分もかからない。
「あたしなんか待ってどうするのよ?」
「沙樹さんは、この街でたったひとり、俺に話しかけてくれた人です」
それはそうだろう。
ベンチに腰掛ける男に、普通は話しかけたりしない。
「嬉しかったんですよ。誰にも必要とされていないんだろうなって思いがちでしたから」
「ふうん?」
沙樹は同意も否定もしない。
彼女自身、べつに佐々木を必要と思っているわけでない。
声をかけたのは単なる好奇心とお節介だ。
かといって、それをそのまま告げるほど、蒼銀の魔女は無情ではなかった。
「馬鹿みたいですよね。人にまみれた、人の顔色をうかがう東京の生活に嫌気がさして田舎に逃げてきたのに、誰にも話しかけられないと寂しさを感じるなんて」
「そんなもんじゃない?」
つねに人間は、無いものを求める。
賑やかな環境にいれば静けさを、静かな環境にいれば賑やかさを。
「巨乳の女の子と付き合っていれば、たまに貧乳を抱きたくなるでしょ」
「あの……女性がそういうたとえを使うのは、どうかと思うのですが」
「なにをいまさら。うぶなネンネじゃあるまいし」
「それは誰に向けた台詞なんですかっ」
つっこみを入れていうるうちに、佐々木の顔が明るくなってゆく。
もちろん沙樹はカウンセリングの知識など持っていないが、とにかく周囲には面倒くさい野郎どもが多いので、手慣れたモノだ。
ちなみに、一番面倒くさいのは、彼女の夫である。
「あの……沙樹さん。食事とかに誘ったら怒りますか?」
「んー? どーかなー?」
曖昧な返事。
だが魔女の右手が、それとなく左手を隠した。
薬指を。