軍師の帰還 澪の危機 3
魔王城たる巫邸の守りは、けっして脆弱なものではない。
名実ともに澪の中心である暁貴の住居だ。
常に影から護衛が張り付いているし、今日だって忍者隊のリーダーである鋼・スティールハートが駐在していた。
しかし、突如として現れた太公望と二郎真君を前に、いかなニンジャマスターとはいえ、量産型能力者では太刀打ちできなかった。
彼とともに魔王城を守っていた三名の忍者は、ほぼ一瞬で殺された。
鋼も半死半生の手傷を負い、キクとぴろしきが誘拐されるに至る。
一生の不覚であった。
だが、悲嘆にくれている場合ではない。
鋼は最後の力を振り絞って、巫邸から庁舎までの数百メートルを跳んだ。
片足が千切られているため、爆薬の力まで使って。
事の次第を幹部たちに報せなくてはならない。
無能のそしりを受けるのも、処罰されるのも、それからで良い。
「沙樹。絵梨佳ちゃん」
「判ったわ」
「はい! 暁貴さん!」
事情を聞きながら、魔王が回復の力を持つ二人に治療を命じる。
拒絶などさせない。
もうこれ以上、一人でも死なせてなるものか。
断固たる意志で、最強の魔女たちが鋼を癒す。
失った手足が復元し、潰れた眼球が蘇ってゆく。
「お館さま……」
「キクを奪われた罪は、キクを取り返すことで雪げ。ぴろしきを奪われた罪は、ぴろしきを取り返すことで雪げ」
「……御意」
「うちはブラック企業だからな。死んで償うなんて甘っちょろいことは許さねえんだぜ」
唇を歪める魔王。
いつもの軽口だが、周囲にいる者は首筋のあたりに寒気を感じた。
迫力が違う。
眼光が違う。
怒っているのだ。
奴らは地上で最も怒らせてはいけない男の逆鱗に触れてしまった。
「暁貴。おちつけ」
魔王の肩に盟友が手を置く。
「俺は冷静だぜ。鉄心」
ぎろりと振り返る。
鬼の頭領がため息をついた。
「冷静なヤツが変身なんぞするか。鏡で自分のツラをみてからそういう台詞は吐け」
このとき、幹部たちははじめて暁貴の変身を目の当たりにしたのである。
白いものが混じった黒髪は、瑠璃の蒼に染まっている。
巫本家の色。
芝の成層圏の蒼も美しいが、幻想的な蒼も劣るものではない。
もちろん小太りのおっさんには、まったく似合っていない。
「鉄心……すまねえ」
「お前が取り乱したら全体が混乱する。きついのは判るが、まずは座れ」
肩を押すように上座に座らせる。
「こころ。美鶴。大至急、善後策を協議して策定しろ。連れ去ったということは、何らかの要求をするつもりだ。それまでに方針を固める」
「わかったよ」
「了解よ。鉄心さん」
軽く頷く智恵者と軍師。
殺すつもりならばその場で殺している。
誘拐したのは、人質として活用するためだ。
となれば、遠からずなにがしかのコンタクトがある。
澪はどう動くべきか、決めておかなくてはならない。
もちろん、キクを見捨てるという選択肢など存在しない。
魔王の伴侶だから、という理由ではなく、澪はけっして仲間を見捨てないからだ。
「それに、きくのんは私の友人でもあるからね。仙界の連中には、暴挙の報いをくれてやるよ」
「私の伯母でもあるわ。彼らは自分がなにをしたのか、身をもって知るべきでしょうね」
笑みを交わす軍師二人。
怒りよりもなお迫力のある笑みだ。
本拠地を割り出し、救出する。
それまでにかかる時間を計算し、その時間を稼ぎ出す方法を決める。
軍師たちの役割だ。
新函館北斗駅から澪までは、自動車でだいたい三十分ほどである。
信一が運転し、信二と楓が便乗するハイエースが国道五号線をひた走る。
「こんなデカブツで迎えにこなくても良かったのでは? 兄は車を買ったとか言ってませんでしたか?」
助手席から問いかける魚顔軍師。
「ぴっかぴかの新車に、なんでお前なんぞを乗せてやらなきゃいけねえんだよ。あれの助手席は飛鳥専用だ」
ふんと鼻を鳴らす魚顔筋肉。
見た目はそっくりである。
見分け方としては、素通しの眼鏡をかけているのが信二だ。
「ていうか飛鳥って誰ですか? アンタバカとか言う人ですか?」
聞き慣れない名前に首をかしげる。
「清水さんのことですわ。信二さま」
後部座席からにゅっと顔を出した楓が教えてくれた。
彼女に仕える護衛兼メイドである。
紆余曲折あって量産型能力者となった。
むろん信二もよく知っている人物だ。
「ファーストネームを初めて知りましたよ」
「清水さんは慎み深いですからね」
使用人としての分を弁えているというか、遠慮しすぎというか、凪邸にいるときもほとんど口を開かない。
たしか「清水と申します」とか、最低限の挨拶しかしていなかった気がする。
「で、なんでその清水女史を、兄は名前で呼び捨てにしてるんですかね」
壮絶に嫌な予感を抱きつつ弟が問いかけた。
「そりゃ付き合ってるからに決まってんべ」
「そうですか……そうじゃない可能性を信じたかったんですがね……」
「事実ですわ。信二さま。朝晩のランニングも一緒になさっておりますわよ」
もともと真っ直ぐでストイックな二人である。
相通じるものがあったのだろう。
信二が澪を離れた後、なにかと一緒にいる時間が増えた。
ごく自然な流れとして、十九歳の男と二十四歳の女は接近していった。
信一の容姿は、信二と同様かなり特殊なのだが、さすが楓の従者になるだけのことはあって、まったく気にしなかったらしい。
トレーニングマニアのカップルは、十月の札幌マラソンにも一緒に出場する約束までしている。
かなり独特なデートだ。
信二などには、ちょっと理解できない世界である。
「まあ、おめでとうとは言っておきますよ。兄。このままでは孤独死エンド一直線でしたでしょうからね」
「オマエモナー」
車内が笑いに包まれる。
それを破ったのは、楓の携帯端末に入った着信であった。
信二が、通話の邪魔をしないようカーオーディオのボリュームを絞る。
運転に集中する信一。
バックミラーの中、楓の顔から血の気が引いていくのを確認しながら。
「信二さま……」
ごく短い通話を終え、婚約者に語りかける。
「どうやら凶報のようですね」
振り返った信二の目に映る楓の顔色は、死人のそれと大差なかった。
「はい……奥方さまとぴろちゃんが、誘拐されました……」
かさかさに乾いた声。
とても自分が発したものだと思えない。
軽く頷く魚顔軍師。
彼の顔からも表情が消えている。ある種の爬虫類のように。
「兄」
「判ってる。しっかりつかまっとけ」
阿吽の呼吸でアクセルを踏み込む。
エンジンが唸りをあげ、ぐんぐんと加速してゆくハイエース。
何処とも知れない屋敷。
客間のようなところに押し込められたキクとぴろしき。
一瞬の出来事だった。
鋼と談笑していた巫家の居間に、突如として一組の男女が出現した。
太公望と二郎真君。
「お逃げくだされ! 奥方さま!」
立ちはだかった鋼が、高校の制服をまとった少女に切り刻まれながら叫ぶ。
「でも鋼くんっ」
ためらうキクに伸びくる太公望の手。
スコティッシュフォールド種の淑女が飛びかかる。
小うるさげに振った腕に弾き飛ばされ、ぴろしきが壁に叩きつけられて動かなくなる。
駈けよって抱きしめたキクの髪が鷲掴みにされた。
小さな悲鳴。
ガラスを破り、庭から護衛のニンジャたちが駆けつける。
PKブレイドをかざして。
薄笑いを浮かべ、太公望が鞭を振るう。
一人の首が飛び、一人が縦半分に切り裂かれた。
それでも残った一人が、遮二無二若者の脚に組み付く。
「逃げてください! 奥方さま!!」
「ごめんみんなっ!」
ぴろしきを抱いたまま縮地で逃れようとするキク。
だがその足に鞭が絡みつき、転移を妨害する。
背中から床にたたき付けられたキクの口から、空気が漏れた。
「そんな……」
「なかなかの忠勤だけど。無意味だったね」
嘲笑とともに、太公望の足が生き残りの忍者の頭を踏みつぶした。
動きを封じられたキク。
若者が肩に担いだ。
ぴろしきごと。
ふたたびの転移。
「みんな……っ」
キクの目から涙が落ちる。
そうして連れてこられたのが、この屋敷だ。
すり寄ったぴろしきが、キクを見上げる。
あきらめちゃだめ、とでもいうように。




