配られた五枚のカード 4
「暁貴さん。明日の面会予定なんだけどさ。私も同席して良いかい?」
午後の副町長室。
腹心の総務課長と談笑していた巫暁貴に、町立病院から戻った八尾こころが話しかけた。
「そりゃかまわんが、どうしたんだ? 藪から棒に」
「や、製薬会社の人だっていうからさ。ちょっとよしみを通じておきたいかなって」
「相変わらず悪いことを考えてる顔だね。こころくん」
高木敦也総務課長が笑う。
現在、町立病院の改革は急速に進んでいる。
その指揮を執っているのが、こころとシスター・ノエル、そして医師団のリーダーである唐澤葉月だ。
奇しくも全員、今年二十六歳になる新進気鋭のトリオである。
「容姿を論っちゃいけないと、信二から何度もいわれてるのに。奥さんにちくってやろう」
「すいません。もういいません。ゆるしてください。しんでしまいます」
一秒で言い負かされる高木。
人面鬼と異称を取る総務課長には、明確な弱点ができた。
婚約者たる寒河江の姫だ。
惚れた弱みとか、そういう次元の話なのかどうか、たぶん本人にも理解できていないだろう。
とにもかくにも、澪の男たちは女性に弱いのである。
たとえば暁貴なら妻の菊乃に、その後継者の実剛なら婚約者の芝絵梨佳に。
べた惚れしちゃってるから、そこを突かれると弱いこと弱いこと。
「世界が震え上がる魔王の陣営がこのていたらくとは、嘆かわしい限りだな」
悪意のない口調で言って笑うのは萩鉄心。鬼の頭領にして、魔王の盟友だ。
こいつは、自分は女には弱くないと思っているらしい。
にやりと笑った副町長。
「佐緒里ちゃんに、お前が悪口を言っていたと、あることないこと吹き込んでやろう」
「うむ。俺が悪かった。今夜飲みに行こう。おごるぞ」
一瞬で負けを認め、モノで釣ろうとする鬼。
ちなみに佐緒里というのは鉄心の娘で、いろいろあって巫家に下宿している。かなり仲の悪い父娘だったのだが、しばらく前から修好関係が成立しており、鉄心としてはそれを崩したくないのだろう。
「ほら。やっぱり女に弱いじゃねーか」
弱点だらけの魔王陣営だ。
「平和だねぇ」
呆れたように言って、肩をすくめるこころだった。
「げどよ。こころちゃん。明日会うのは営業マンだぜ? 今の時点で顔を繋いだって、たいした意味はないんじゃないか?」
そのこころに暁貴が問う。
「むしろ今の時点だからだよ。高木さんなら判ると思うけど」
視線を向けられ、若き総務課長が頷く。
「ですね。商戦はすでに始まっています。受注業者を選ぼうか、という段階になって顔を出すのは、すでに手遅れですよ」
最初から役人だったわけではない人面鬼は知っている。
どんなビジネスでも、初動が命なのだと。
病院改革が推し進められている現在、医薬品の需要は加速度的に増えている。
常勤の医師だけで二十名もいるのだから当然だ。
診療科目も多岐に渡る。
内科と外科しかなかった一年前とは違うのだ。
もちろん、必要なのは薬だけではない。医療機器もその周辺器具も、澪で生産できる類のものではないのだから、外部から買い求めなくてはならない。
この件に関して魔王陣営は金を惜しむ気がないため、必要なものは必要なだけ買い揃えて良いとの許可を、すでにこころには与えている。
投入される予算は、三年間で十兆円。
名実ともに将来の北海道の中核病院たることを期待されての金額だ。
むろん、建物を新築する建造費や、肝となる霊薬の研究費は別口に計上される。
医療産業からみれば、降って湧いたような上客の誕生だ。
製薬会社も医療機器メーカーも、このビジネスチャンスに食指を動かさないわけがない。
「この時期に営業を送り込んでくることは想定の範囲内です。大手よりも中堅が速いのも含めて」
「そゆこと。だから今後も会談には同席させてもらいたいんだよね。私の手が空いてないときはノエルでも良いし」
高木の言葉を引き継ぐこころ。
暁貴が、うんざりしたような顔をした。
「つーことは、今後もどんどんくるってことか。薬売りたちは」
「行商人じゃないんだから」
言い回しが気に入ったのか、天界一の知恵者がくすくすと笑った。
さて、魔王は薬売りとばかり会っているわけにはいかない。
現在、澪の実質的な最高決裁権は副町長の暁貴であり、無投票の町長選がおこなわれる十月には、名目上も彼が最高権力を握ることとなる。
ある程度の部分は部下たちの裁量に委ねている暁貴だが、彼自身が決済印を捺さなくてはいけないことも数多い。
住民生活課課長補佐からあがってきた、新人の登用に関する上申もそのひとつだ。
澪において、職員の採用は各部局の長に一任されている。
地方自治体としての体裁を保っていられないほど、現在の澪は急速に量的な膨張を続けているのだ。
ただ、さすがに幹部候補の登用については、暁貴と鉄心と高木が直接に会わなくてはならない。
つまりカトルが連れてきた人物は、将来的に澪の柱石となりうる人材である、と、判断されたということである。
「謎すぎる……」
ぼそりと中村が呟いた。
彼こそ、住民生活課課長補佐たるカトルが伴った、将来を期待される人材だ。
わけがわからない。
通された部屋で、ぽつんと一人、面接官を待ちながらここまでの経緯を思い出してみる。
失業し、職を求めて、景気が良いといわれる道南の田舎町にやってきた。
駅前で変な少年に出会った。
役場に連れてこられた。
促されるまま、履歴書と職務経歴書を提出した。
受け取った少年の目の色が変わり、幹部候補としての採用があるかもしれないと言われた。
なんとその少年は、本当に澪の幹部だったというオチだ。
「意味わかんねー……」
整理しようとしたが無理だった。
なんだこの状況。
「またせちまったかい?」
扉が開き、中年がふたりと三十代と思わしき男が入ってくる。
やや慌てて中村が席を立ち、直立不動の姿勢を取った。
「あー 緊張しねえでくれ。べつにヘマをしたって、それで採用を取り消したりしねーよ」
やたらとフランクに笑った中年男が、彼の正面に座し、持参したプレートをテーブルに置く。
副町長、巫暁貴と書かれた。
左右に座った男たちの前には、顧問と総務課長というプレート。
自分で持ってくるのかよ、というツッコミを呑み込み、中村が一礼する。
「まずは簡単な人定質問をさせてくれ」
身振りで着席を促し、暁貴がいくつかの問いかけをおこなった。
氏名、年齢、生まれ、学歴などだ。
簡潔に中村が答えてゆく。
このあたりは普通の就職面接と違いはないだろう。
「二級建築士。まずこの資格だけで、お前さんの採用は確定だ」
「はあ……そうなのですか……」
思わず間の抜けた返答をしてしまう中村だったが、けっして簡単な資格ではない。
実務経験なしで取得しようと思えば、建築系の大学なり工業高等専門学校を卒業してはじめて受験資格がもらえる。しかもなお、合格率は五割を切る。
ちなみに一級建築士となれば、これに何年かの実務経験があってはじめて受験でき、合格率は二十五パーセントほど。
俗に、三大国家資格に数えられるくらいである。
他の二つは医師免許と司法試験だ。
そこまでの格式はなくとも、二級建築士という資格は充分に価値がある。
「お前さんも見てきたなら判るだろうが、澪ではちょっとした建設ラッシュが起きている。街で建てるものもあれば、民間で建てるものもあるが、とにかく人手が足りてない」
「はい」
「だから、お前さんが澪町役場に就職を希望するなら、資格持ちってだけで合格用件は満たしたようなもんだ」
「……恐縮です」
副町長の言葉が冗談なのか本気なのか判断がつかず、結局、中村が選んだのはごく無難な返答だった。
「で、問題はここからだ。幹部候補として中核に食い込むか、それとも、平凡な一職員として生きていくか」
正面に座った男の唇が歪む。
まるで悪鬼の笑みのように。
とくに美男子でも醜男でもない中村の顔。
平凡なその顔を、汗がひとすじ伝う。