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配られた五枚のカード 3


 澪防衛の要である出撃拠点。

 有事の際にはここが司令部となるが、もちろんそんな情報は公開されていない。

 物産館、というのが一般に知られている名称である。

 そしてこの物産館にはレストランが併設されていて、『暁の女神亭』という仰々しい名前が付けられている。

 どのくらい仰々しいかというと、この店のメニューは一つだけ。

 真・澪豚カツカレー。

 たった一品でレストランと名乗っているのだから、たいしたものである。

 ちなみにあと二品ほどメニューはあるのだが、そちらはテイクアウト専用だ。

 名前負けの暁の女神亭。

 しかし、二月のオープン以来、客足が途切れたことはない。

 一品しかないメニューで、三ヶ月以上を戦い続けている。

 なかなかに希有(けう)な事態だろうが、一日(いちじつ)、ちょっとした騒動があった。

 食べ残しをした客が現れたのだ。

 普通に考えれば、妙でも珍でもない。

 どんな食堂だって、すべての客が完食するなどということはありえないのだから。

 ただ、暁の女神亭は違う。

 これまで、米粒のひとつたりと残した客はいなかった。

 澪の大シェフたる薄五十鈴(すすき いすず)が、満を持して放った真・澪豚カツカレーだ。

 必中必殺を誇る彼女の矢のように、食した者の心臓を寸分の狂いもなく射抜く。

 呼び覚まされる郷愁。

 明日へ向かう勇気。

 抗することができるものなど、滅多にいない。

 にもかかわらず、その客は半分以上残した上、料理人を呼びつけたのだ。

 場は騒然となった。

 居合わせた客は、熱狂的な澪豚料理のファンたちである。

 残しただけでは飽きたらず、料理人に文句までつけるとは!

 ホールに五十鈴が現れるのが十秒遅かったら、乱闘が起きていたかもしれない。

「お客さま。なにかございましたでしょうか」

 いつもの柔らかい物腰。

 対するその客は、やや驚いたような表情を見せた。

「貴女がこの料理を?」

「ええ」

「そうですか……」

 ちらりと視線をカレー皿に走らせる。

 半分以上残った澪豚料理。

「私は、もっとずっと年配の方なのか思っていました。でなければ、こんな、人を馬鹿にしたような料理を作れるはずがない」

 視線を戻し、黒い瞳で五十鈴を見つめる。

 べつに特異な風貌をしていない、ごく普通の男。

 怯むことなく女勇者と視線を絡ませる。

「おっしゃる意味が良く判りませんが」

「上から目線で、がんばれと背中を押すような真似は、訳知り顔の老人の専売特許でしょう」

「…………」

 意味不明な言葉。

 だが、客の多くははっとした。

 皆、感じているのだ。

 このカレーに込められた応援歌を。母のごとき愛を。

「私がこの料理を食べて感じたのは、強い憤りです。私は自分にできることを懸命にやって生きてきました。これ以上、なにを頑張れというのですか?」

 男は笑みを崩さない。

 料理の出来そのものをけなすのではなく、込められたメッセージを否定している。

 頑張れ。

 前を向け。

 たしかに耳ざわりの良い言葉だろう。

 しかし、それは馬鹿にしているのだ。

 懸命に生きる者の生き様を。

 応援などしてもらわなくても、激励などしてもらわなくとも、誰も彼も自分の人生航路を必死に漕いでいる。

「こんなに年若い女性が作ったとは、思いもよりませんでした。いままで、さぞ苦労なさったのですね」

 匙をとり、もう一口。

「なるほど、込められた思いは愛ですか」

「…………」

「ですが、貴女自身の根っこは、どこにあるのでしょうか?」

「…………」

 五十鈴は答えられない。

 女勇者の根。

 それは、本当にこの澪にあるのか。

 愛を知らぬ者が、恩着せがましく愛を説いて、それが心に届くのか。

「失礼。貴女を追いつめるつもりはないのです。どんな爺さんがこんな料理を作ったのかと思ったら腹が立ちましてね。ひとこと文句を言ってやろうと思っただけなのですよ。作ったのが若い女性だと知っていたら、こんな無礼は働かなかった。お許しいただきたい」

 黙り込んでしまった大シェフに頭を下げ、男が高額紙幣を何枚かテーブルに置く。

 迷惑料、という意味だろう。

 そのまま席を立つ。

 周囲の客たちの殺人的な眼光を一身に浴びながら。

「……おまちください」

 呼び止める五十鈴。

「さぞ名のある料理人の方とお見受けします。どうか、一手ご指南いただけないでしょうか」

 真剣な眼差しだ。

 困ったように笑う男。

 どうにも、引くに引けない雰囲気である。

「そんなご大層な者じゃありません。私はフリーランスの料理人で、山田といいます。厨房の片隅を貸していただけるなら、何か一品お作りいたしましょう」

「是非に」

 五十鈴の目が輝く。

 多くの人が初めて眼にする挑戦者(チャレンジャー)の瞳だ。




 安寺沙樹(やすでら さき)がその男と出会ったのは、澪にある公園だった。

 とくに何か理由があったわけでもなく、出勤するときになんとなく通った公園。

 ぼーっとベンチに座る男を見た。

 朝から暢気(のんき)なことだ、と思った。

 ただそれだけ。

 しかし、仕事を終え、帰宅するときにもその男はベンチに座っていた。

 好奇心とお節介の虫が騒いだ。

 いつもの律動的な足取りで近づいてゆく。

「リストラされたサラリーマンみたいね」

 第一声として、それは如何(いかが)なものかという挨拶。

 やや驚いたように沙樹を見た男が、微笑と苦笑の中間のような、なんともいえない表情を浮かべた。

 若い。

 黒い髪に黒い瞳。覇気は感じないが真面目そうな雰囲気。

 まだ三十には届いていないだろう。

 ただ、三十代といわれても四十代といわれても、不思議と納得してしまうような、そんな男である。

「遠からず、そうなりそうですよ。佐々木と申します」

 ベンチから立ちあがり頭を下げる。

「あたしは安寺沙樹。いちおうこの街の関係者よ」

 沙樹の名乗りに佐々木は驚かなかった。

 むしろ声をかけられたのは当然だというように、もう一度頭を下げる。

「一日中ベンチに座ってたら、たしかに不審者ですよね。申し訳ありません」

 先回りした回答。

 今度は沙樹が苦笑を浮かべた。

 べつにそこまで考えて声をかけたわけではないし、不審尋問をしたかったわけでもない。

「勘ぐり過ぎよ。そんなに先回りばかりしてると疲れちゃうぞ?」

「ですよね」

 力無く笑う佐々木。

 女が男を促し、ベンチに並んで腰掛ける。

 はじめて話した男性と一緒に座るとか、相変わらずの無警戒っぷりだが、これは沙樹だから仕方がない。

 澪最強の戦士、蒼銀の魔女たる彼女が警戒しなくてはならない相手など、そうそう滅多に存在しないのである。

「先回りしすぎて空回り。そんなことを繰り返しているうちに、心が風邪をひいてしまったようです」

 軽く肩をすくめ、佐々木が告げた。

 心の風邪。

 いわゆる(うつ)病のことである。ストレス社会の現代では、とくに珍しい病気ではなく、誰しもが罹患(りかん)する可能性を持っている。

 気配りができ、優しく、真面目で責任感の強い人物ほど発症する傾向にあるようだ。

「澪にはどうして?」

 病気の話題に深入りすることを避け、沙樹が無難な問いかけをする。

 もちろん彼女は住民すべてを把握しているわけではないが、佐々木の(まと)雰囲気(オーラ)のようなものが、こんな田舎町には似つかわしくないような気がしたのだ。

「休職して療養です。この時期の北海道は、本当に過ごしやすいですね」

「それくらいしか、とりえがないからねえ」

 吹き抜ける風は優しく、空気はからりと心地良く。

 それは、長く厳しい冬の代償。

 夏の間だけ北海道に住むことができるなら、良い部分だけを享受することが叶うだろうが。

「ですから、先ほどあなたがいったことも、あながち間違ってはいないんですよ」

 情けなさそうに微笑する。

 リストラされたサラリーマンという台詞だ。

 まだ引っ張っているのだ。

 めんどくせー男だなーとか思いながら、

「クビになったら、うちの街に就職するといいわよ。なにしろ澪は人手不足だから」

 沙樹が笑う。

 突き放すほど無情にもなれない魔女である。

 なにしろ澪の恋の女神は、ちょっと弱さのある男がストライクゾーンなのだ。

 ざわざわと、春風が木々を揺らす。

 


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