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ゲーム・スタート 2


「HEYHEY! 死は最悪の選択だZE! Oops!?」

 良い調子で謎言語を垂れ流していた暁貴の顔面に書類が押しつけられた。

 悲鳴も謎言語だった。

 どうでもいい。

「伯父さんうざい。殺して良い?」

 犯人は美鶴。

 弑逆(しいぎゃく)の決定的瞬間であるが、同席者たちはおおむね美鶴と同意見だったので、華麗なまでのスルーをみせた。

「気にしないでね。山田シェフ。いつもの発作だから」

「発作て……」

「伯父さんは、馬鹿なことを言わないと死ぬ病に罹患(りかん)しているのよ。なまあたたかく見守ってあげて」

「最近、美鶴が冷たい。光との婚約なんか絶対に認めるもんか」

「よし。殺そう」

「まあまあ美鶴さん。お気持ちは判りますが血を分けた肉親じゃありませんか。ここはこらえてこらえて」

 襲いかかろうとする美鶴を羽交い締めにして押し止める五十鈴。

 笑っている。

 ひどい話である。

「あの……私はどうすれば……」

 途方に暮れるさすらいの料理人。

「まあ、冗談はともかくとして、だ」

 真顔に戻った暁貴が、ひしゃげてしまった煙草を灰皿に押しつけた。

「お前さん、もう帰る家なんかねえだろ。改めてうちで雇ってやるっていってんだよ。料理の腕は五十鈴ちゃんが太鼓判を捺すくらいだしな。ただ、何も訊かずに、全部なかったことにするってわけにもいかねーから、語れることは語っちまえって話だよ」

 足を組んで笑みを浮かべる。

 邪悪な笑顔だ。

 姪に虐げられている姿とのギャップに、スパイはくらくらしてきた。

 呑み込まれるものか、と、決意を込めて魔王を見返す。

「雇われるつもりはない、証言するつもりもない、といったらどうします?」

「どうって、んなもん決まってるだろうが」

「殺しますか」

「え? なんで?」

「なんでて……」

「普通に出て行ってもらうだけだぜ? 今日まで働いた分の給料を清算してな」

 澪に付くつもりのない者を澪で雇用するわけにはいかない。

 当然のことだ。

 かといって、行き場のないスパイを一匹殺して意趣返しをするような陰性と、暁貴は無縁である。

 とどまるつもりがないなら出て行ってもらう。

 その際、今まで働いた分の給料を渡すのだって、しごく当たり前の話だろう。

 なのに、どうしてこう違和感のみがいや増すのか。

「魔王陛下……失礼ですが、何か誤解をしているのではないですか? 私は澪に悪意を持って近づいた諜報員ですよ?」

「うん」

「や、うんではなく。なんで私を雇用するとか、金を渡すとかいう話になるんですか。わけがわからないですよ」

 混乱の小鳩を頭上に何匹も舞わせながら山田が言いつのる。

「めんどくせーやつだな。お前さん。自分がスパイだってことを外して考えろよ」

 スパイだと知れたスパイは、もうスパイとして役に立たない。

 ゆえに、ただの料理人として生きれば良い。

「まあ、どうしてもスパイ稼業が良いってなら、うちでもそういうの作る予定だから、そこで働くって手もあるし」

「なんでそこまで……」

 そこまでする理由が判らない。

 殺してしまえば良いではないか。その方がずっと後腐れがないだろう。

 ふ、と笑った暁貴が五十鈴に視線を送る。

 つられるように山田も澪の大シェフを見た。

 柔らかな微笑。

「五十鈴ちゃんが言っていたよ。たいした腕前だってな。それは佐緒里ちゃんや美鶴も認めてんだ。したらよ、そんな腕の良い料理人をこんなくだらねぇことで死なせるのはもったいないだろ」

 澪に付く気があるなら、働く場を与えてやる。

 そうでないときには再出発できるだけの資金を与えてやる。

 女勇者や鬼姫の懇請を受け、魔王の決めたことだ。

「くだらないこと……」

 天下国家をうかがう謀略を易々と切り捨てる。

「くだらないさ。この世に、飯を食う以上に重要なことなんざ滅多にねえんだよ」

 どこかの食欲魔神みたいな台詞だが、暁貴の言葉はべつに食欲から出たものではない。

 衣食住。

 人間にとって必要なものの本質である。

 衣食足りて礼節を知る、などという言葉があるように、まずは食べること。

 それが基本だ。

 謀略だ、陰謀だ、支配だ、領土だ、そんなものは枝葉でしかない。

「天下? 国家? 小せえ小せえ」

 魔王が笑う。

 山田は自分が持っていた情報が誤っていることを知った。

 味方に対して寛大で、敵に対しては容赦がない。

 違う。

 敵対した人間に対しても、わだかまりを持たない。

 なんという大度。

 なんという度量。

 自然な動作で山田がソファを降り、床に片膝をつく。

「負けました。私の完敗です。この上は、我が身をお預けいたします。いかようにもお使いください。王よ」

「そいつに関しても、お前さんの希望次第さ。どうしたい?」

「できますれば、五十鈴シェフとともに働かせていただきたい、と」

「ということらしい。どうするよ? 五十鈴ちゃん」

「元よりそのつもりです。暁貴さん。そのためにスカウトしたんですから」

 女勇者が微笑した。




 山田の雇用主は、いわゆる高級官僚どもであった。

 政治家ではなく役人である。

「つまり、組織として動いていたんじゃなくて、個人的な裁量で事を運んでいたってことね」

「じゃあ、さすらいのって部分は間違ってなかったんだね」

 巫邸の居間。

 顛末を妹から聴きながら、ふうむと実剛が腕を組んだ。

 官僚に独自の政治理念などない。

 国家百年の計など練らない。

 当たり前の話だ。

 そういうのは政治家の領分で、彼らは国民に選ばれた政治家たちが打ち出した政策を効率的に実行するための実務機関にすぎないからである。

 のだが、現実はそうではない。

 実際にこの日本という国を動かしているのは政治家ではなく官僚だ。

 各省庁の実権は、長に任じられる政治家ではなく次長クラスが握っている。

 そうしないと、選挙ごとに船頭が変わって舟が山に登ってしまうから。

「そのへんはまあ、僕たち高校生でも知ってるレベルなんだけどね」

 シニカルな笑みを浮かべる次期魔王。

 高級官僚たちは選民意識が強く、国民のことを蔭では平民と呼んでいる、などという笑えない笑い話もあるほどだ。

「解せないのは、なんで官僚が手を出すのかって部分だよね」

「そうね。彼らは政治家が失敗しようが、失政によって何兆円の損をしようが、何万人が死のうが関係ないから」

 兄以上にシニカルなことを美鶴が言う。

 官僚は責任を取らない。

 そういうのも、また政治家の領分だ。

 彼らは政治家が決めた政策を実行しているだけ。であれば責任は政治家にあるだろうし、ひいてはその政治家を選んだ国民にあるだろう。

 実務を担当する事務方に責任を負わせるのは筋違いである。

 ゆえに、日本がどういう状態になろうとも、官僚は気にしない。

 気にするとすれば、自らの身に危険が及んだときだけだ。

「つまり、官僚連中は、このままでは自分たちの身が危ないと思ったってことかな?」

「最終的はそういうことでしょうね。伯父さんも鉄心さんも高木さんも、沙樹さんまでも、役人嫌いを公言してはばからないから」

「うーん。たったそれだけのことでスパイを送り込むかなぁ」

「送り込まれたのは諜報員じゃなくて工作員よ。兄さん」

 山田という男。

 澪の情報を探るために派遣されたわけではない。

 彼の仕事は、澪の内部に食い込み、発言力を得ること。

 官僚たちの言葉を代弁するスピーカーとして。

 食に並々ならぬ関心を持っている澪に、料理の心得のある工作員をぶつけたのは、中枢に近づきやすくするためだ。

 事実、暁の女神亭には街の幹部たちも深く関与している。

 仲良くなるというのはけっして夢物語ではない。

「あざといっていうか、こすっからい計画だなぁ」

 実剛の呆れ顔。

 積極的に澪を切り崩すのではない。誰かを引き抜くのでもない。

 代弁者を送り込むだけ。

「だから確信が持てなかったのよね。琴美姉さんを連れ去るとか、沙樹さんを落とすとか、そういう判りやすい話じゃないんだもん」

「だよね。ぶっちゃけ放っておいても良かったんじゃないかな?」

「ほっといて、あとから官僚たちの目論見に伯父さんたちが気付いたら、どうなると思う? 兄さん」

 婉然とした微笑を浮かべる美鶴。

 彼女はむしろ、官僚たちのために暴いてやったのだ。

 怒らせてはいけない人がいる、ということを知らない愚かなエリートたちのために。

 無言のまま、次期魔王が肩をすくめた。



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