配られた五枚のカード 2
ごくありふれた全国チェーンの居酒屋が合コンの会場である。
こじゃれたダイニングバーなどに移動するのは、二次会以降のことだろう。
一通りの自己紹介が終わり、歓談を楽しむというムードになったきと、琴美に話しかけてくる男性がいた。
まあ、そのために男女同数で集まっているのだがら、異性チームに話しかけなくては意味がない。
「飲まないんですか?」
感じの良い声。
飲み会に来てるのに飲まねえのかよ、という口調ではない。
わりと無造作な髪型と、柔らかな表情。
少しだけ又従弟に似てるな、と、思いながら琴美が微笑する。
「車なので」
ハンドルを握るジェスチャーをしながら。
運転者は飲酒できない。
それ以前に、未成年なのだから飲酒は認められていないのだが、大学生に成人云々を語るのは野暮というものだろう。
「そりゃすごい。車もってるんだね」
「べつに珍しくもないと思いますけどね」
田舎である。
自家用車の保有率はやたら高い。
一家に一台どころか一人に一台くらいあったりする。これがまた田舎が貧困になってゆく原因だったり、廃れてゆく原因でもあるのだが。
「でもその車は、親のお下がりじゃなくて、君のためだけに用意されたぴかぴかの新車、違う?」
にこにこと男が笑う。
自分の推理力を誇るように。
琴美が驚いてみせた。もちろん演技である。
どうせ他のメンバーから情報を集めたのだろう。
もし表情や仕草からそこまで読みとったならたいしたものではあるが、そこまで至っても琴美はべつに驚かない。
伊達に幼い頃から信二と姉弟同然に育ってきたわけではないし、今だって彼の弟子ともいえる将太くんがいるのだ。
多少の観察眼や知謀など、子供だましにしか見えない。
「良く判りましたねー」
それでも話題に乗ったのは、社交辞令というものである。
「じつはさっき、君の友達から聞いたんだよ」
「そこで、推理の根拠を披露するんじゃないですかー?」
「いやあ。すぐボロが出ちゃうからね。情報をもらって、いろいろ考えてはみたんだけどさ」
何も思いつかなかったと、照れたように頭を掻く。
飾らない口調に、今度こそ演技でなく琴美が微笑した。
「あらためて、佐藤です。二回生だけど、一浪してるので二十歳」
「安寺琴美です。親しい人はアンジーって呼びますよ」
ビールジョッキと烏龍茶のグラスが軽くぶつかり、涼やかな音を奏でた。
澪の駅前には、巨大な掲示板が置かれている。
求人掲示板だ。
XYZとか書き込むためのものではなく、この街を訪れた求職希望者が、すぐに仕事を見つけられるようにするためである。
設置するにあたって、じつは澪町役場の建設課と観光課との間で一悶着があった。
観光を旗印とする澪なのに、玄関口たる駅前で小汚い労働者がうろうろしていたら、環境客が萎縮してしまうだろう、というのが観光課の主張である。
たしかに観光事業というのは、綺麗な部分だけをみせる商売だ。
金銭と引き替えに、客は楽しみを享受する。
裏方の苦労を知るために、高い金を払うわけではない。
観光課の主張には一理あり、幹部たちも熟考を重ねたが、結局、建設課の要望通り駅前掲示板は設置されることとなった。
というのも現在の澪は、まだまだ完成ではないからだ。
客を集めるのはもちろん大切だが、それ以上にしなくてはならない事が多すぎる。
施設も設備も未完成なままでは、満足に客をもてなすことなどできない。
まずは町づくりが先だ。
三年。
わずか三年後には、いくつかの大手製薬会社が澪に拠点を置く。
それまでに、道路拡張、上下水道の完備、利便性を高めた公共機関の再配置、温泉郷の再開発、公共交通網の整備、自家用車に頼らなくても良い住みやすい街並みの構築、さらには防衛施設と避難施設の建造、すべてを完成させなくてはならないのだ。
比喩ではなく、猫の手だって借りたいような状況なのである。
澪全体の絵図面を描いている建設課課長補佐の言葉を借りれば、百年かかる工事を三年で完遂する、ということになる。
人手はいくらあっても足りない。
そのため、JVを組んで参加している各工事会社では、熾烈な人材確保合戦がおこなわれている。
工事会社だけではない。
彼らに食事や宿、その他のサービスを提供する飲食産業でも人材の奪い合いが起きているし、作っても作っても消費に追いつかない生産者たちも必死に人材を求めている。
誰が呼んだか、日雇いたちの楽園。
とにかく仕事は溢れるほどあり、支払われる報酬も馬鹿げた高額であり、なにかスキルを持っている人間は諸手を挙げて歓迎され、成果をあげれば感謝される。
一種異様な活気が、道南の小さな街を包んでいるのだ。
普通、このような状態になると、治安も加速度的に悪くなってゆくものである。
魔都と呼ばれた上海のように。
しかし澪にそれは当てはまらない。
北海道警察が精鋭部隊を投入しているし、それ以上に、第一隊のメンバーたちも街を巡回しているからだ。
ひとりひとりがアメリカ陸軍特殊部隊の一個中隊並みの戦闘力を持った能力者たちである。
けちな犯罪者など、小指の先で消し炭になってしまう。
こうして、景気が良くて治安も良いという、求職希望者たちにとっては、天国のような場所に、澪はなりつつある。
もちろん、問題などダース単位で数えなくてはならないほど存在しているが。
「ふむ……」
そしていま、駅前掲示板の前に、男が佇んでいた。
ありふれたスーツ姿の。
あまり肉体労働者には見えない。
「仕事を探してるのかい?」
声をかけるのは、それ以上に若い、というより、少年にしか見えない風貌の男である。
「君は?」
振り返った男が訊ねる。
「僕? 僕は通りすがりの住民生活課課長補佐だよ。名乗るほどのものじゃない」
「うん。おおむね名乗ってるね。普通は肩書きを隠して名前をいうものじゃないのかい?」
冗談と受け取ったのか、男が笑う。
まあ、たいていは本気にしないだろう。
こんな少年が、澪の幹部だなどと。
「カトルって呼ばれてるよ。で、きみは職探しに澪へ?」
気にした風もなく、カトルと名乗った少年も笑いかえす。
「中村といいます。そのつもりだったんだけど、どうも事務職の募集はないみたいでね……」
「そりゃそうさ。ここに貼ってるのは、デメンさんの募集だからね」
「デメン?」
「日雇い労働者のこと。方言だよ。若い人は使わないけどね」
北海道地方の古い言葉だ。
漢字では、出面と書く。
語源は諸説あって、工事現場の一日あたりの人数の事だとか、開拓時代に入ってきた外来語の日雇い人「day men」がなまったものだとか、さまざまだ。
「うん。今後使わないであろう無駄知識をありがとう。カトル君」
「どういたしまして。中村くん」
「ついでに、事務系の仕事の紹介をしているところを教えてくれたら、もっと感謝するよ」
「感謝は形のあるモノでね」
「仕事を探しにきた無職の人間に、過大な期待をしちゃいけないよ」
「大丈夫。出世払いも受け付けてるから」
愉快そうに笑って、カトルが中村を手招きする。
案内してやる、という意味だ。
一瞬だけためらった中村だったが、肩をすくめて後に続いた。
治安の良い澪で、まさか人気のないところに連れ込んで金銭を奪う、などいう犯罪があるとも思えない。
「まして私は失業者だし」
「奪われるお金もないよねー」
独白に、口に出さない部分を読んだかのようにカトルが応えた。
「失礼すぎる。事実なだけに、余計腹が立つよ」
中村も笑う。
透明ならざる笑み。
先を歩いていたカトルには見えなかった。