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配られた五枚のカード 10

「五十鈴シェフ。ちょっとこちらの味を見てもらってよろしいですか」

 山田が差し出した料理は、ごくありふれた豚肉のソテーだ。

 奇をてらったものでない。

 繊細で華麗なフレンチからは遠いような気がする。

「あ……おいしい……」

 だが、一口食べた五十鈴が思わず声を漏らしてしまう。

 オリーブオイルと白ワインの爽やかな風味が鼻へと抜ける。

 目の前に広がる景色は南フランス。

 地中海の香り。

「プロヴァンス風に仕立ててみました。やはりというか、なんというか、澪豚はシンプルな料理でこそ映えますね」

「ですねぇ」

 南フランスはプロヴァンス地方の料理といえば、色鮮やかな素材を使ったカラフルな料理というイメージだが、大昔からそんなものばかり食べていたわけではない。

 古来ギリシアの影響を色濃く残すプロヴァンスの家庭料理には、やはりオリーブが欠かせない。

「素材が良いので、ごてごてと飾り立てるのは野暮に思えてきますよ」

「私のカツも、手を加えすぎでしょうか?」

「まさか」

 ぶんぶんと手を振る山田シェフ。

 ただ焼いただけ、ただ煮ただけ、では料理とはいえない。

 自分で楽しむならそれでも良かろうが、金をもらって出す一品がそれでは、客ががっかりしてしまうだろう。

 手を加える必要のないものにあえて手を加え、より以上の美味を生み出す。

 それが料理人というものだ。

「正直、真・トンカツは美味かったですなぁ。意地で半分残しましたが、断腸の思いでしたよ」

「そうまでして文句をつけるって、どうかと思いますけど」

 五十鈴がくすくす笑う。

 屈託のない笑顔だ。

 好敵手(とも)と出会い、戦い、和解し、互いを高めてゆく。

 和食に傾いた家庭料理とフレンチ。

 ジャンルは違えど、相通じるものがあるらしい。

「ところで五十鈴シェフ。まかないはこんなものでしたが、ついでにローストを仕込んでおきました」

「さっきから、妙におとなしいと思ったら、そんなことをしていたんですねえ」

「おとなしかったのは、ソースを仕込んでいたからですけどね。ペリグーソースを作っておりました」

 トリュフとフォンドボー、ポルトガルのマデラ酒を使った豪華なソースだ。

 肉料理といえばこれしかない、というくらいに相性抜群で、フォアグラなどに添えられるのも、たいていペリグーソースである。

 ただ、山田としては、むしろ脂身の少ないモモ肉をローストして、このソースをつけたら絶品なのではないかと考えたのだ。

「いやいや山田シェフ。この厨房はあなたの料理研究所じゃないんですから」

 苦笑する五十鈴。

 目が笑っているので、迫力がないことおびただしい。

「いやあ、これほどの素材があると、つい」

「気持ちは判りますけどね」

「どうです? 今夜あたり、こいつを肴に一杯」

「私、未成年ですよ」

「おっとそれは失礼を。それではノンアルコールカクテルなどを用意しましょう」

「強引ですねぇ」

 なんとなく、気付けば山田のペースだ。

 五十鈴はもともと恋愛経験がないし、男性の扱い方も良く判らない。

 まさか同僚の御劔朔矢(みつるぎ さくや)のように、ぞんざいに扱って良いという話にもならないだろう。

 だから、こうやってリードされることに、心地よさを感じてしまっている。

 ずっと一人で生きてきて、孤児たちの母親がわりを務めることになった女勇者も多感な少女だということだろうか。

「だがしかし! そう簡単に和菓子(我が師)薄五十鈴を渡すわけにはいかないな!」

 台詞とともにばばーんと扉を開き、店内に入ってくる人影。

 迷惑な客だ。

 いや、客ではなく関係者なので、もっと迷惑である。

「ゴールデンウィークも終わったからしばらく手伝えないとかいっていたくせに。またきたんですね。佐緒里さん」

 厨房から顔を出す五十鈴。

 まあ、わざわざ確認しなくとも、こんな登場をするのは、世界に一人しかいないだろう。

「店側じゃなくて、通用口から入って欲しいものだね」

 五十鈴に続いて山田も現れた。

 は、と、佐緒里が鼻で笑う。

「通用口から入ろうとしたら、きゃっきゃうふふしているのが聞こえた上に、なにか良い匂いがしたから、正面から乗り込んでやろうと思った」

 丁寧に解説する。

「まったく意味が判らないんだけど……」

 謎解説だった。

 文脈とか前後のつながりとか、そういう面倒なものは鬼姫の辞書には載っていない。

 ようするに、おいしい食べ物があるなら食わせろ、という意味である。

 きっと。

 たぶん。

「……ナレーションにすら確定できない佐緒里さん語録。さすがだね、絵梨佳ちゃん」

「わたしに同意を求めないでください。巻き込まないでください」

 こそこそと他人の振りをしながら小声で会話を交わす実剛と絵梨佳。

「世の中は肉だ。人生に悲劇はふたつしかない。ひとつは肉が食べられない悲劇。もうひとつは肉を食べ過ぎた悲劇」

 とうとうと鬼姫の言葉が続く。

 女性客の何人かが、うっと胸を抑えた。

 心当たりがあったのかもしれない。

 暁の女神亭の料理は、ボリューム満点だから。

「そんな決め台詞みたいにいわれても……」

 苦笑する山田。

 五十鈴の方は、すでに諦めきった表情だ。

 なんだかんだで佐緒里とはもう一年近い付き合いである。女勇者はだいぶ汚染が進んでいる。

「山田シェフ。せっかく作っていただきましたが、私たちだけで楽しむというわけにはいかないようですよ」

「どうやら、そのようですね」

 こうして夕刻近い暁の女神亭では、時ならぬ試食会が催されることとなった。

 居合わせた客たちにも振る舞われる。

 幸運だったのか、食べ過ぎた悲劇だったのかは、誰にも判らないが。




 大学の構内というのは、高校までと違ってかなりオープンである。

 なにしろ学生数がぜんぜん違うので、入学から卒業まで一度も顔を合わせたことのない同期生、などというものはいくらでも存在する。

 ゼミならともかく、一般的な講義は百名以上が受講するし、出席の取り方だってカードを提出したり学生証を機械に通したりなどなので、名前を憶える機会もない。

 だからこそ、一度なかに入ってしまえば怪しまれることはない。

 と、将太くんは考えていた。

 まったく間違ってはいないだろう。いちいち学生証の提示を要求する大学など、そう滅多に存在しないのだから。

 ただ、それあくまで将太くんが大学生に見えれば、という話だ。

 残念ながら彼は大学生にはみえなかった。それどころか、高校生にすら見えなかった。

 最大限まで大人っぽく見てあげたとして、中学二年生といったところだろう。

 細いし、小さいし、顔立ちは幼いし。

 理由がある。

 彼を含めた孤児院の子供たちに、家庭的に恵まれていた子はひとりもいない。

 ほとんどが育児放棄(ネグレクト)家庭内(ドメスティック)暴力(バイオレンス)に晒されながら育ち、親の死後も引き取り手がなかった子供たちである。

 同年代の平均的な体格に比較すると、やはりかなり小柄だ。

 最近でこそ五十鈴の大きな愛に包まれ、たくさんの仲間たちに囲まれて、幸福な暮らしを得たかに見えるが、失った時間を取り戻すのはそう簡単なことではない。

 しかもその幸福な暮らしは、けっこう頻繁に敵襲がある、という素敵なオチまでついているのだ。

「どうしたんだい? ボク。迷子かな?」

 大学生のお兄さんが話しかけてくる。

 たしかに怪しまれなかった。

 むしろ心配された。

 屈辱の極みである。

 北海道や日本政府すら手玉に取る澪の頭脳集団(シンクタンク)のリーダーたるこの身が、迷子の子供あつかい。

 気分としては、膝から崩れ落ちて泣きたい。

 とてもとても泣きたい。

 だがまだだ。まだ心の刃は折れていない。

「いえ……僕は人を捜しに……」

 押し殺した声でお兄さんに告げる。

 込めた気持ちは「あんまりバカにしてると殺すぞ」だ。

「ああ。そんな泣きそうな顔をしなくて良いよ。心細かったね。お兄さんが一緒に捜してあげるから」

 優しく返してくれるお兄さん。

 気持ちはこもっていたが、残念ながらまったく迫力は伝わらなかったらしい。

「……僕、高一ですよ。捜してるのは両親とかじゃありません。念のため」

「おうふ……」

「そのリアクションはどういう意味なんですかね……」

 深く深くため息を吐く将太くんだった。



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