やってしまった。
「ねえ、君、笹本千鶴さんであってる?」
「はい?」
仕事の帰り。返事をしてから、しまった、と感じた。視線を上げかけた先にはチャラそうな男達がいた。中心でニヤニヤ笑ってる男の歯は黄ばんでいて、胡散臭さを際立たせている。
「ひゃー、怯えちゃって、かーわい」
斜め後ろに立っていたやせぎすの男が男の背後から顔を突き出して笑う。
怖い。
私はいうまでもなくびびりである。その上、キャッチはあれど、こんな暗い道で声を掛けられることなんてないからあしらい方が分からない。
「‥‥すみません、急いでますので。」
「だーめ」
同じく中心の男の背後にいるぽっちゃり気味の男が顔を歪ませて立ちふさがる。避けようとした私の腕を中心にいる男が掴んでにちゃ、と笑う。
「っ、離し、て、」
「駄目だってぇ」
勢いよく引いても微動だにしない腕に絶望感が漂う。
人数は全員で五人。中心にいる男の方に四人と、少し離れた壁に持たれかかっている男が一人。
その男はどこか見覚えがあった。
背が高くひょろりとした体型。黒髪黒目のどこにでもいそうな顔つきの男なのに、異様に存在感を醸し出している、浮世離れした男。
あいつだ。
借りた傘を返したあの日、私をじっと見つめていた不気味な男。
男は目の前で起こっていることに一欠片も興味がないようで、煙草をふかしていた。
「どんなブスかと思ったけど、以外とイケんじゃね?」
私の顔を覗き込んだ男が拘束する場所を変えようと手を離したその瞬間、私はするりと男達の間を抜けて駆け出した。
「っあ、おい!逃げんな!」
壁に持たれかかっている男をちらりと見る。
男は私と目が合ったけれど、なにもしてこなかった。振り返らずに走る。もう無我夢中だった。
走って走って、後ろの方で男を責める誰かの声が微かに聞こえて、どうやら諦めたらしいとわかっても走り続けた。
「っユダさん‥‥!!」
今日は家に来る日じゃない。そんなことなんて、はじめから分かっている筈なのに。
何故だか、無性にユダさんに会いたくて仕方がなかった。
*****
帰ってきた。帰って来れた。
怖かった。あの男達、私の名前を知ってた。お互いに顔を知らなかったし多分誰かに頼まれたのだろうけど、私の名前を知っている誰かが私に悪意を持っていることは明白だった。今まで普通に生きてきて、そこまでの悪意を受けたことはなかったからだろうか、恐怖で手が震えて鍵が鍵穴に入らない。
「あー、もう!」
あの男達が追ってきたら家がバレるぞ、と自分を叱咤して鍵を開ける。まあ、もう知られてるかもしれないけど、知り合いが家を知らなかった場合に備えて早く家に入ったほうがいいだろう。
軽く息を整えてドアを開ける。隙間から差し込まれる暖かい光に、ユダさんが来ていることを悟る。
「‥‥‥あ、来てたんですね、おかえりなさい」
「あ、ああ、ただいま」
いつもと変わらない光景。じわっと何かが込み上げてきて喉に詰まる。喉が震えて苦しい。出会った時に血だらけだったユダさんが何かを隠していることなんて分かりきってる筈なのに。下手したらあの男達より危険かもしれないのに。とても、安心する。
「先お風呂入ってもいいですか?」
震えそうな声を押さえて笑う。少しわざとらしかったかもしれないけど、仕方がない。あれだけ会いたかった筈なのに、改めて会うと何を話せば良いのか分からない。
慌てて駆け込んだお風呂のなかで、私は堪えきれなくなった感情を押し出すのだった。




