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ガイアの夜明け(3)

 ◆


「火ァァァッ!!」


 烈火の如き息吹とともに、悪鬼省吾が仕掛けた。圧倒的筋力が生み出すエネルギーは容易く大地を割り砕き、巨漢の身体を風の様に運ぶ。

 まばたき一つで彼我の間合いを零にするばかりか、やすやすと背後を奪って見せた。見下ろした無防備な頭頂部へと、容赦なく後家殺しを振り下ろす。


業羅(ゴラ)ァァァッ!!」


 嫉妬と怒りと性的興奮がない混ぜになった、後暗く味わい深い一撃だった。この一撃に込められたのは、旧友の仕打ちに対する思いの丈──それすなわち「NTRれたならNTR返せ」。

 お薬のチカラで思考を加速し、前向きに善処した末に導き出された答えであった。癒やらし妻と妾くのいち、両手に花の欲望載せて、後家殺しのドラムが唸る。

 だが──それ以上に、教授が疾い。


「遅いッ! 年度末に届く採用通知にも劣るッ!」


 やたら具体的かつ身につまされる罵倒を添えて、教授は鬼神の収穫を軽やかにいなした。

 双つの腕は絶えず揺らめき緩急自在、白衣の白を闇夜に引きずりイノベーティブにめまぐるしく動く。今や入神の域に達した熟練のエアろくろ、その動きを喩えるならば攻防一体ウロボロス──とぐろを巻く無限の蛇が悪鬼の脱穀を許さない。


「どうした省吾! 自慢の豪腕(パワハラ)もその程度か? オラつくばかりでは芸がないわ!」

「吐かせ! 貴様こそ防戦一方ではないか! 就職も女も、待っているだけでは手にはいらぬぞ!」


 言い返してみたものの、その舌鋒はやはり鈍い。悔しいがヤツの言うとおりだ。人智を超えたその膂力も、徹らなければ意味が無い。さりとて一介の事務職たる省吾に、これといった業はない。

 筋肉と気分の赴くままに脱穀し、精米する──肉体的強者にのみ許された、闘争の覇道とでも言うべき戦い方が彼の信条であった。

 だが所詮相手はただの人間、たとえ技量にどれほどまされど、柔らかい肉の身ごときで立ち塞がるとは、驕ること甚だしい。

 付け入る隙など必要ない、怨敵そこに在るならば、攻めて攻めて攻め抜いて、骨肉の一片までをもすり潰す──俄かにわいた怒りの熾火が己が怯懦を焼きつくし、鬼神の両目に覚悟が覗く。その身体が、無言のうちに躍動した。


 頭上に掲げた後家殺し──それをぐるりと振り回し、かかる重みを力と成す。大気を、風を引き裂いて、鬼神の槌が唸りを上げる。びゅうびゅうと速さを増した脱穀機、数多の生を啜った漆黒農具が昂ぶるままに吼え猛る。


 ──雄々ォオオオオォォォォォォオオオオオォォォ怨!!


 天地を震わす鬼哭を上げて、推して参るは農殺覇道──小細工容赦まとめて無用、おのが身を鉄塊まとった嵐に変えて、疾風怒濤の脱穀旋舞。単純にして暴悪の嵐が吹き荒れた。


 たまらないのは無職の童貞、教授の方だ。余裕綽々煽った結果がこの仕打──想定外のケミカルパワー、とても合法とは思えない。

 遮二無二にろくろを振り回しつつ、教授は必死に頭を働かせる。だが人生の荒波を思わせる暴力を前に、馬鹿の思考は木っ端に同じ。


 ガンギマリの鬼が振り回す後家殺し、そのピンが白衣の袖に食らいつく。千変万化自在の蛇が、ついに悲鳴を上げ始めた。


 必勝を確信し、社畜の鬼面が悽愴に笑み、そして瞬時にこわばった。

 殺劇の舞踏の中で、悪鬼の邪眼は確かに見た──ウラナリ野郎のスカしたツラのその下で、静かに転がる舌の根を。


 奴は──教授はとっくの昔に「練って」居たのだ。ただ一手で勝利を掴む攻めの布石を。


 奏でられたる真言は、夢に希望におもいやり、見果てぬ未来に思いを馳せる空疎極まる横文字混じりのバズワード──ただひたすらに前しか見ない、足元お留守の熱意の塊。

 精神論と暗示によって、教授の身体に根拠の無い自信が漲る。

 これこそ奥義『自意識過剰(オーバードライブ)』──誇大妄想の極地へ至る究極の自画自賛。うぬぼれが教授の意識を高次元と導き、武の頂へと手をかけさせた。かくして目覚める可能性の獣。

 慢心帯びてひときわ輝く無職の身体、綺麗なお目目は恍惚として──やおらに牙むく夢見がちな殺意。


「怒ゥおぉぉぉぉ嗚呼ァッ」


 繰り出したのは半身に構えて拝み刀の電光石火、触れなば切り裂く亜光速の刺突──音などやすやすと置き去りに、大気を貫き怨敵めがけ、総身を鏃と化しての乾坤一擲。


 戛然──雲耀にも満たぬ間に、激突は果たされた。

 交錯──世界が死に絶えたような沈黙。

 鮮血──夜陰にあってなお鮮やかな、熱く赤い生命の潮が戦場に弧を描く。


 ……その飛沫が大地にシミを作る頃、両者の時間は再び動く。振り返ってはニヤリと笑い、くずおれたのは黒の悪鬼。

 重たく鈍い響きを残し、覇王省吾が膝を折る。苦痛のを覚える胸元に、まざまざ疾走る横一文字──滴る血潮の生ぬるさが、その威力を物語る。見事にすぎる一太刀は、悪鬼をして感嘆を漏らさせた。


「ぬぅぅッ……この速さ、この切れ味、そしてそのしぐさ! まさか……まさかコレは……江戸しぐさ!」


 拝み刀を血濡らすままに、宿敵が振り返る。明鏡止水の面持ちだったが、正鵠を射られてたちまちに崩れた。敵ながら天晴の洞察に、ついつい舌がよく回る。


「ご名答! あの一撃でよくぞ見抜いた! 遡ること江戸時代、かつての幕府や明治政府がその力に恐れをなし、闇へと屠った伝説の秘拳、『江戸しぐさ』! 貴様に刻んだのはその一つ、人垣切り裂く降魔の利剣──横切りしぐさよ!」


 その芳名を耳にした途端、省吾の中に震えるものがこみ上げた。よもや──よもやの隠し球、仇敵はまだ手札を持っていた。しかもその存在が捏造とまで言われた拳とあっては、さしもの悪鬼も戦慄を禁じ得ない。


「………俺としたことが、力量を見誤ったわ。貴様、いつから江戸っ子に?」

「いつもなにも、私の生まれはM田市よ! どうだ立派な江戸っ子であろうが!」

「難しいところだな! イマイチ神奈川と区別がつかぬ!」

「クッ、それは見解の相違というもの! ……まあいい、時の幕府の虐殺を生き延びたこの拳、貴様に一体どこまで受けきれるかな!?」

「小賢しいッ、捏造された伝統など一捻りにしてくれるわッ!!」


 怒号一閃、またしても省吾が先手を取った。先にもまして苛烈を極める殺戮農法、脱穀とは、農業とは何かを問う凄絶な暴力だった。

 全身全霊、生涯に一度撃てるか否かの絶対打撃、しかししぐさを極めた男にとっては遅すぎる一撃──会心の一打にやすやすと空を打たせ、自称江戸っ子があざ笑う。


「無駄だ! 今の私は第六感──いわゆるロクが効いている!! 隣国のミサイルでも地震でも、立ちどころに予知してみせよう!!」

「ならFXでも始めればよかろう! 貴様何故投資しないっ!?」

「数字はよくわからないッ!!」


 悲しみにじむ叫びと共に、教授が更にギアを上げる。軽佻浮薄も甚だしい、羽毛のように軽やかな身のこなし──職業や収入に囚われない、三脱の教えに満ちた自由なしぐさが悪鬼を惑わす。さながらボウフラのような生活態度は、社畜省吾に軽蔑と同時に羨望を抱かせた。


 何故だ──何故我はああじゃない? 何故有給がおりない? 何故新卒が回ってこない……!?


 かねてよりの不満と疑念が、省吾の心と身体を呪縛する──その瞬間の教授の目には、精強を誇る鬼の身体が、社会のつらみに押しつぶされそうなちっぽけな子鬼に見えた。

 勝機を見て取り、教授が仕掛ける。手刀(てがたな)ちょいと小粋に切って、今一度の横切りしぐさ。決着へ向けて意気揚々、怪鳥じみた猿叫のこしてひた走る。


「ケェェーーーーーッ」


 勝利の道行塞がば塞げ、御首(おんくび)頂戴奉る──無職の手刀が鞘走り、脱サラ願望に揺れる勤労の志士へと抜き放たれる。

 だがそれこそが罠だった。勤労、納税、ローンを背負った社会の走狗に、同じミスは許されない──窓際への恐怖と保身への渇仰が、己の縛る疑問や迷いの鎖を打ち破った。数多のつらみをねじ伏せた省吾が首筋に涼しさを覚えたと同時、起死回生のひらめきを得た。


「──働けいッ!!」


 ごく真っ当な叱責と反撃は、両親の嘆きを代弁するプレッシャーに満ち満ちた震脚だった。戦鎚を思わせる無骨な脚撃が教授の軸足、中足骨を砕いて深々と大地に串刺しにする。夢追い人に現実を突きつけ、省吾の顔が喜悦に歪む。

 だが教授に痛みはない。痛くないと思い込め。痛いと思うから痛いのだ──前時代的な精神論と脳内麻薬が生み出すナチュラルハイが、教授の感覚を都合よく塗り替えた。

 瞠目する間もあらばこそ──教授の目に光が灯る。


「うっかりしましたっ!!」


 いっそさわやかなほどの謝罪とともに、渾身の頭突きが悪鬼の顔面に食い込んだ。。肉を切らせて骨を断つ、『うかつ謝り』の完璧なさからいしぐさ(カウンター)──想定外の反撃に、省吾の全身が痺れに打たれた。寸毫の意識の断絶。後家殺しが掌から滑り落ちる。


「まだだぞ、省ちゃんッ!! こんなものではまだ終わらんッ!!」


 なおも教授は止まらない。昂ぶりのままに友を呼び、怒りのままに敵を討つべく躍動する。白衣の袖を翻し、両腕を悪鬼の首に巻きつける。蜷局を巻いた双腕が、獲物の頭蓋を引き裂くように閃いた。これぞ江戸しぐさ()めの型、『傘かしげ』──頚椎をねじ切られ、支えをなくした頭蓋が失速


 直前の独楽のように回る。思考と肉体の連結が完璧に絶たれ、悪鬼の身体がビクリと跳ねる──省吾は、捻れた視界に永劫を見た。


(──つッ……!)


 ──強い。まさかコレほど強いとは。年収、社会的地位、配偶者の有無、万人が認めるステータス、その全てで勝っている。だというのにコレは何だ? 何故俺が押されている? 何故、ヤツに追いつけない? その差は何だ、どこからくる? 一体どこで読み違えたというのだ!?


 きりきり舞いの悪鬼の背中で、白衣姿の死神が踊る。

 とどめの一撃を放つべく、ろくろを巻いて意識を高める。止めるすべなど見当たらない。指先一つ動かない。詰まるところの王手積み、それでも心は受け入れぬ──決着を、敗北を、胡散臭い伝統を。


「さらばだ強敵(とも)よ! このしぐさを餞に、故郷の土へと還るがいいッ!」


 激情と惜別を込めた一撃は、江戸しぐさ秘中の一手──マナーに則り狭い座席をこじ開ける、思いやりと情緒に満ちた粋でいなせな超必殺。

 せっかく座席を開けたのに、何故隣に座らない? 小さな親切受け取れぬ、その察しのの悪さが気に入らぬ──迸る逆恨みを力に変えて、教授の拳が光って唸って轟き叫ぶ。


「こぶし・腰・浮かせ(エコゲージMAX時 623623+PPP)だァァァッ!!」


 マナーと善意を一点に集約した教授の右拳が省吾の背後、腰椎のあたりを突き上げ、捻じり、そして穿つ。

 解き放たれた力の奔流が、出口を求めて悪鬼の巨躯を駆け巡る。私利と私欲にまみれた省吾の魂、そのどす黒い精神を、暑苦しいまでの思いやりが焼き払っては清めていく。


「嫌だッ! 嘘だっ! こんなモノで俺は絆されぬぞッ!! ひと駅ぐらい自力で立てる! 自己満足に対価を求める、その卑しさが気に食わん!! 俺は………俺はァァーーーーーッ!!」


 良識を盾にした暴力に、ついに鬼の心が悲鳴を上げる。教授は手を緩めない。活火山の如き威容を、拳一つで持ち上げた。きしみを上げる省吾の脊椎。──それに呼応するかのように、省吾の中で臨界寸前だったエネルギーがついに爆縮を始める。

 ここに来て唐突に思い出された自然への愛が、炸裂の引き金だった。


「おおおおおおおおッ!! ネイチャァァーーーーーッ!!」


 絶拳を振りぬき、鬼の巨体を天高く舞い上げた。打ち上がったその影が、いやにゆっくり虚空にあそぶ。一秒、二秒、たっぷり五秒も遊泳し、そして──。


 ──豪爆。


 原初に帰った世界から、あらゆる色が抜け落ちた。

 鬼が抱えた邪な欲望が教授の放った偽善と欺瞞が反発し合い、内側から爆発したのだ。太陽が落ちたような凄まじいエネルギーが田舎の夜空を真昼に仕立てあげる。


 友愛の光の中、重力の軛に引かれ、鬼神の身体が堕ちていく。否、すでに彼は鬼ではない。

 俗世の呪縛を断ち切られ、ついでに出世の望みも絶たれた男の安らかな寝顔が、死闘の終わりを告げていた。


 再び夜が降りてきて、教授は友が墜ちた場所へと目を向けた。巨獣となった妻が待つ、失くしたはずの彼が本来還るべき場所へ。

 決着の感慨が胸にこみ上げ、天を仰いで独りごちる。


「──だから私は言っただろう。………働いたら負けだ、と」

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