ガイアの夜明け(1)
涼やかな秋の夜が、巨人妻の艶舞によって熱く激しく燃えていた。
風が哭き、大地は震え、山奥のつましい暮らしが音を立てて崩れていく。
冴え冴えとした星月の光を押しやって、美貌の魔獣が愛で啼く。
──アア~~~~ッ!!
裸身の巨女がむせぶ度、村の何処かで大地が爆ぜた。
家屋、あぜ道、井戸に庭──男たちが夢描き、築き上げた偽りのふるさとが根こそぎ土へと帰る。
夢の終わりと入れ替わり、始まったのは再生だ。
夫の故郷を褥とし、一人相撲で高みへ昇る夜啼き妻──満たされぬ雌肉が弾けるようにくねる度、夜露の如き玉の汗が練絹色の肌にじわりと浮かび、飛沫となって降り注ぐ。
甘露な秘蜜は夜空にあって七光り、男たちの夢の跡地を労るように湿らせた。
そして世界に生命が満ちる。
はじめはまず、五穀であった。稲麦粟に大豆小豆──古事記に曰くいつくさたなつが四方八方芽吹きを見せて、秋の野山を豊作色に染めていく。
減反政策なんのその、頭も垂れる稲穂かな──一面黄金が波打つ中で、さらなる変化が溝静空を包む。
きのこもたけのこも分け隔てなく、ことごとくが山となって元気にすくすく育っていく。
見よ、これこそが新世界──人妻が呼ぶ破壊と再生を前にして、前かがみの男たちには為す術もなく見守った。愛がスコールとなって降り注ぐ中、ただ一人の彼女の伴侶が力の限りに叫ぶ。
「もういいやめろ、やめるんだっ! 小百合ーッ!!」
「アアーッ、アナタァッ、アアーーーーーッ」
「小百合ーーーーーっ!」
悲しいかな、互いを求めるその声は、もはや交わることはない。
家庭を置き去り仕事に生きた甲斐性なしと、世界とつながり愛と孤独に溺れた妻と──すれ違いの悲劇をよそに、夜のふるさと創世事業が完遂の時を迎えていた。
現れたのは原初の風景──草葉は茂り、虫がさざめき、鳥獣達が闊歩する、果てをも知れぬ見渡すかぎりの肥沃の大地。
愛と自然があやなす奇跡に、叡智も勇気もちっぽけだった。
それでもここには、人がいる。天地の間に意志と知恵とでおのれの生を切り開く、強くしぶとい生命がある。
古から現在に至るまで、彼らはたゆまず歩み続けた。どれほど傷つき、どれほど過酷な仕打ちにさらされても、決して負けぬと証すように。彼らが意志する夢ある限り、人と大地は共に歩んで争って、飽くなき輪廻は続いていく。
果たしてこの場の勝者はどちらか、答えはもうじき出るだろう。
寝取られ夫と間男と、くのいちと人妻と。それぞれの矜持と思惑を載せて、今、フィナーレの幕が開く。
◆
夜啼きのやまぬ世界の中で、男が二人睨み合う。
かたや喜悦に酔いしれ勝ち誇り、かたや妻の痴態に臍を噛む。
「貴様……何故、小百合を狂わせた……」
「狂わせたのではない──目覚めさせたのだよ。エコロジーとスピリチュアルに」
アセンション──そう呼ばれる現象が、彼女がついに至った境地。地球意志と合一し、宇宙的レベルに進化したこの姿こそ、大怪獣ヴィーガンの正体だ。
何故大きくなるのかよく分からない。しかし理屈はどうでもいい。誰にも彼女は止められない。ひたすらに世界を愛し、世界を励まし、その活力を人妻力で蘇らせるこの世すべての命の母──届いた奇跡の出来栄えだけが、彼にとって価値あるものだ。
「もうこれでわかっただろう。人は愛なくしては生きてはゆけぬと、ほかならぬ貴様の妻が証明したのだ! ……どうするね農協悪鬼、いや、幡羅木鉢よ。よもや妻まで脱穀すると?」
もはや勝負は明らかなりと、教授の声に傲慢が滲んだ。妻の痴態に前かがみで動けぬ様子の旧き友、そのつむじを踏みにじる。待ちに待ったこの時を、至福をもって噛み締めた。
「……ああ、する。するともさ」
ゆっくりと──苦痛を力とするように、省吾の頭が持ち上がる。その手に握るは詳細不明の超法規ドラッグ、既にしこたま投与され、早くも悪鬼の形相だった。赤黒い眼光が不屈をもって教授を射抜く。正真正銘、純度100%の殺意と決意が傲慢な勝者を揺るがせた。
「貴様正気か!? おのれの妻だぞ!? あの熟れた肢体が見えぬのか!?」
「関係ない。例えいかなる事情があろうと……たとえ僕の身から出た錆であろうと……職場で立ち会う以上、みな全て等しく『敵』だ」
ぶるりと一つかぶりを振って、たじろぐ男を振り払う。あからさまな動揺に、胸のすく思いだった。肺腑で燃える熱いモノが、言葉となってこみ上げた。
「お前は俺を勘違いをしている。小百合は今でも愛しているさ。昼は貞淑、夜は女豹の理想の妻だ。だがな……それとこれとは関係ない。どんな策を、どんな罠に用意しようと、僕の成すべきことは変わらない」
「それは何だ……? 貴様をそこまで非情に駆り立てる、成すべきこととは一体何だ!?」
──出世だ、と悪鬼は言った。人生の全てであるとも。名誉と保身に取り憑かれ、非情と化した仕事の鬼がそこに居た。教授の怒りが激発する。
「この期に及んで職務をとるか、この社畜めがッ!!」
「ほざくな無職がッ! サブカル野郎のデタラメが、真に受けられて引っ込みつかなくなっただけだろうが! シェアハウス住まいのヒッピー気取りで何が教授だ、バカバカしい! 」
「ぬおおおついに言ってはならないことを!? ええい、もう手段は選ばん!」
人生の急所をクリティカルに突かれ、ついに怒髪が天をつく。
もはや仁義も情けも不要と、とりだしたるはキャンパスノート──表紙の角が擦り切れたそれが高々とかざされた。省吾はついに宿敵がトチ狂ったと思った。しかし表紙に書かれたタイトルに嫌な予感と既視感を覚えた時、省吾は半ば無意識に、己の死を予感した。
「……まさか! まさかそれはッ!」
『Syogo's design works Vol.1』──失敗したオサレフォントは他ならぬ己の筆跡、嬉し恥ずかし過去から来たる亡霊が、省吾の心と体を内側から壊しにかかる。
やめろ、それだけはやめてくれ──懇願が喉元で渦を巻き、先刻の決意も覚悟もあっさりと打ち砕かれた。だが惜しいかな、屈服が音になるより、ページをくる教授の手がわずかに早い。
「さあこれを見よ! 貴様が17の時にせっせとしたためたアニメ化必至オリジナルヒロイン(笑)だ! ふむ、おかしいなぁ、手足はどこだぁ? バストアップばかりだぞぉ? おやこれなど既視感アリアリのキャラだなぁ? 果たしてこれで売れるかどうか、支部にうpして確かめてみるかぁ~?」
「グオゴゴゴ!! 今さらそれを持ち出すか! ならばこっちはこうしてくれる! 見ろ、大学時代にお前が書いたエロテキスト!! ヒロインの名を覚えているか? そうだユイだッ! 貴様が熱を入れあげた、ボディタッチが嬉しくも辛い思わせぶりなテニサーアイドル勅使河原由依ちゃんだ!
ヤリサーのチャラ男と寿退学決めたビッチだがな! そうと気づかず告って砕けたお前の欲望、綴ること721ページ! そら、今ここで朗読ってやろう!」
「ンンンンンン!! やめろそいつは心にキく! だから腐れ縁はイヤなんだ! いとも容易く自殺願望を抱かせる! これほど嫌な敵は居ない!」
「お互い様だ馬鹿野郎! 言っておくが、まだまだネタは残っているぞ! そっちはどうだ? 黒歴史の貯蔵は十分か!? 」
「望むところだ、パクり野郎ァァァーッ」
「……ボスもういいヨ、聞いてるこっちがココロ痛いよ」
男二人の積もりに積もった因縁に、空気を読んで沈黙すること十数分──互いに血を吐くマジックバトル、加熱の一途に待ったをかけたは、やや引き気味のジェシカであった。
ごく真っ当な制止を受けて、男二人はほぼ同時に膝をつく。魂が根こそぎ削れたような、凄惨な痛み分けだった。いや、重ねた業が深い分、教授の傷が僅かに深い。そこでジェシカはふと気づく──今ならトドメが刺し放題だと。現実主義が鎌首もたげ、女の殺意を駆り立てた。
ロマンがないと笑わば笑え、仕事は締めてナンボである。めそめそしている教授へめがけ、無情のクナイを投げ放とうとした矢先、その手を掴む袖カバー。彼女の上司幡羅木鉢省吾が、女の無粋を咎めていた。
「ドウシテ!? 今更ソイツ生かしても、査定にプラス一つもないよ!!」
部下の悲痛を受け流し、社畜の男は躊躇うこと無く言い切った。
「ここはいい、ジェシカ。 君は小百合の一人上手を止めてくれ。 ……こいつは僕がこの手で殺す。そうでないと安眠できないッ!!」
「What!? とめるったってどうすればいいの!? ぶっちゃけ手に余ると思うよ!」
「物理でもなんでもいい! 何ならくのいちの手管を使って男の味を忘れさせても構わん!! そうなれば僕の身体は君だけのものだ!」
「!!」
ジェシカの背筋に電流走る──なんともそいつは素敵じゃないか。一度は捨てた淡い夢、その残骸をぶら下げられて女の胸が激しく疼く。
「……ちょっとやる気出てきたよ。仕事になるとダイレクトにクズなトコ、不思議と嫌いになれないネ」
本音をいえば不服である。
だが出世のためなら人の未練も利用する、その卑しさがたまらない。惚れた弱みと受け入れて、乱れ果実が飛び立った。死地へ赴く間際にあって、女の顔は晴れやかだ。
「私、昔の男にドライだよ! 負けたら指輪、質屋に入れるよ!」
なんとも気合の入る叱咤を受けて、悪鬼の顔に微笑が浮かぶ。
「どうだ、いい女だろう? 部下として妾として、あれほどの女はそうはいない」
「ああ、全くだ。そして思い出したよ。脱ヲタした貴様の節操の無さをな。貴様一体、何人毒牙にかけたのだ」
「そういうお前は、頑なに童貞を守りぬいたな。高望みせず適当に妥協すれば、ここまでこじらせることもなかっただろうに」
「理想は届かぬからこそ美しいのだ! 貴様こそ恥を知れ、誠実を装ってあちらこちらをつまみ食い、そればかりか我らが憧れ、サークルの姫であった小百合くんまで毒牙にかけた!」
「お前が小百合に入れ込んでいたのは知っていた。だがなぁ辰ちゃん、よく言うだろう? ……こういうのはなぁ、早い者勝ちだ」
にちゃりと粘着く、醜悪そのものの悪魔の笑みが、開戦の火蓋であった。
「もういい黙れっ! せめて夢見るように健やかに死ねッ!!」
「上等だ盆暗ァッ!! 競争社会の厳しさとつらみ、たっぷり刻みこんでやらァッ!!」