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ガイアは別に呼んでない

 日本最後の秘境とも呼ばれるG県の奥地に、一つ小さな村がある。


 山合いにわずかに開けた土地に、立ち並ぶ素朴な平屋、僅かな商店。道は殆どが砂利道かあぜ道で、かろうじて軽トラ一台が通れるかどうかといったところ。村の向かいの斜面にはなだらかな棚田。近くの小川から用水路が引かれ、さらさらと清らな音色を村中に優しく満たす。

 今や見かけることも殆ど無い木製の電信柱には、昔懐かしいステッカー──「世界人類が平和でありますように」。エモい。どこをとってもエモすぎる。ましてや8月半ばである。この時期、この地を訪うものは否が応でも郷愁に胸を突かれて呻くことになるだろう。

 さながら麦わら帽に白ワンピの架空の幼なじみが、人知れず人類の命運をかけて散っていくのが見えるような「にっぽんのなつ」の村。


 人口わずか八十と少しのこの村、名を溝静空(どぶしずく)村という。


 住人の一人、幡羅(はたら)木鉢(きばち)泰三(72)がその朝早くに目覚めたのは、突然の来訪者による玄関ドラムソロによるものだった。


「泰三さァん!! おやっさーん!!」


 繰り返されるフィルインの合間に裏返り気味の声があたり構わず大きく響く。この声は青年会の蟹林栄吉(41)であろう。泰三はしばし無視を決め込んだが、一向に止む気配はない。

 彼は村の顔役だ。何かあれば頼られるのは致し方無いが、この不躾には腹が立つ。とうとう耐えかね、顔を出した。


「何じゃ、こんな時間に」


 泰三の姿が玄関から覗くと、いかにもYAZAWA然とした青年──栄吉が老人の両肩を強く揺さぶった。


「おやっさん、大変だ! 農園が……俺らの食い上げが!」

「なに!?」


 瞠目する間もあらばこそ、栄吉はなおも身振り手振りを駆使して訴える。だが動きはそのシャバダバとしていて一向に要領を得ない。泰三はタオルを振り回す彼の手を遮った。


「もう良い、栄吉。儂は現場を見に行く。お主は他のものを呼んでまいれ」


 重鎮の指示を受け、若造は集落の中心へと向かっていく。

 泰三は手早く顔を洗うと、長年使い込まれた愛用の作業へと着替える。昔ながらの綿パンツに開襟シャツ。手ずからこしらえた麦わら帽を斜に被り、軍手をベルトに挟む。仕上げにレイバン(特価2499円)をかければ、村一番の伊達男の出来上がり。

 家屋を出れば、外は快晴──昨晩の通り雨で出来た水たまりが、鏡のようにお天道さまを映しだす。泰三は軽トラに乗り込むと、早朝の涼気を切り裂いた。


 ◆


 細く伸びる参道とも農道ともつかぬ峠道を、泰三は飼い慣らした肉奴隷のように攻め立てる。

 就農給付金を流用してフルチューンされた愛車YOTATAピクシー、そのエキゾーストパイプの唸りは名馬の嘶きように心地よい。

 人車一体と化したまま30度近い急カーブを益荒男じみたハンドルさばきで攻略し、寸毫の遅滞なく目的地へと駆け抜けていく。

 芸術的な走りを見せる一方、彼は焦燥に焼かれる思いを必死に宥める。


 溝静空で取れる野菜は有機栽培、それも無農薬を旨とする。それ故に形は不揃い、色艶もまちまち──だがそれゆえに、飛ぶように売れる。何故か? それもまた、無農薬だからだ。

 食の安全が叫ばれて久しい昨今の日本である。値段よりも質、そういったものを重視する顧客をターゲットとし、彼らが好む漠然ワード──「優しさ」「まごころ」「おもいやり」をたっぷりまぶして安心感を植え付けてやる。後はせいぜい、素朴な農夫を演じてやれば、意識の高いマダムや左巻きの輩が甘いウリ文句に騙され買っていく。結構なことだ。

 連中など味の善し悪しなどろくすっぽ吟味などせず、ただの「無農薬」という看板に舌鼓を打てばよいのである。おかげでコチラは濡れ手に粟だ。ああいとをかし──好々爺然とした表情のしたに仄暗い想いを押し込め、走ること20分。


 ようやく農園の入り口へとたどり着いた泰三の眼前には、信じがたく度し難い光景が待ち受けていた。


 ◆


「なんと………」


 それだけを口にして、泰三は言葉を失った。

 一体これはどうしたことだ──当惑と衝撃冷めやらぬ中、泰三の両足はひとりでに歩を進める。


 溝静空大農園──村に豊穣を約束するはずの園内は、半ば荒野と化していた。

 トマト、ナス、かぼちゃにきゅうり、そして夏の王様西瓜にいたるまで、ことごとく土畑の中からほじくり返され、根こそぎ平らげられていた──ああ、何たること。


 ただひとつ無傷のままに佇むは、誰が立てたか、仲良く並んだ案山子がみっつ。泥土にまみれた布製の顔に健やかな笑みを浮かべ、抜けるような夏空を仰ぐ。そこだけ見ればエモい戦争映画の1シーンのようだが、現実は泰三怒りのアフガンなうといった風情である。


 ふと、かれの爪先にに土ではない何かが当たる。泰三はその正体を見下ろし、絶句した。冷たい躯と化していたのは、村の青年会のまとめ役、肋屋(あばらや)吉武(38)であった。


 吉武は、荒れ果てきった田畑の中に満身創痍で倒れていた。あちこちに擦り傷や打撲を負っている。常ならば客に説教を始めるラーメン屋の店主のごとく横柄なこの男が、エグザイルに入り損ねたような悲しい目をして事切れている。


 泰三の背筋に冷たいものが流れ落ちる。

 溝静空の種馬とも呼ばれた吉武である。有り余る精力を持て余し、野生動物相手に励むほどの豪の者が、こうも手酷く痛めつけられるなど誰が想像し得ようか。


 ショックの色を隠せぬまま、痴呆じみた足取りで奥へと向かう。その頃ようやく、村の者達が泰三に追い付き、それぞれがこの凶事に悲嘆に暮れた。無理もない。

 彼らの挑戦が始まった頃は、それはもう苦難の連続だった。せいぜいが河川敷でキャベツを植えた事があるか、農業アイドルのファンか──雑な知識を元出に試行錯誤を繰り返し、ようやくここまでこぎつけたのだ。

 もっともその結果として、近隣農家は激しい蝗害や病害の蔓延に苦しみ、次々と村を打ち捨てていったわけであるが、溝静空の男たちにとっては作付け可能な耕作地が広がったにすぎない。飽くなき挑戦の前には多少の犠牲はつきものであった。


 栄枯盛衰──そんな言葉が泰三の脳裏をつかの間よぎる。この地に根ざしてはや30年あまり、過去最大の危機である。全滅こそ免れたものの、半ば以上は何者かの胃袋の中だ。

 これでは村はやっていけない。冬を超すには少々イリーガルな手段(うちこわし)に出ることも視野に入れねばなるまい。いっそ今度は海岸でも作ってみるか──だがその前に、このソドムの畑を作りせしめた何者かを討たねば、泰三の気が済まない。

 泰三はレイバンをそっと外すと、老骨とは思えぬ鋭い眼光で周囲を見渡す。村のいやらしい風習に捧げる娘を吟味する古老のごとく、じとり怨讐の滲む視線であった。


 そうして田畑を見まわるうちに、ふと気づいたことがある。食べ方がきれいなのだ。枝葉や茎には手を付けず、見事に実だけが食われている。その実もいたずらにもぎ取られた形跡はなく、齧りかけが地べたに転がるといったこともない。つまり畜生のしわざではない。だとすればこれは──!!


「まさか………!」


 泰三の脳裏に答えがかすめた次の瞬間、空間が爆ぜた。榴弾の直撃の如き爆風が、泰三の矮躯を紙細工のように吹き飛ばす。天地をさかしまにするような衝撃にもみくちゃにされながら、しかし彼は幸運だった。

 爆心地にいた吉武ら12人は即死だった。肉体は熟れ過ぎた柘榴のようにはじけ飛び、残骸が驟雨となって畑一面降り注ぐ。せめても救いは畑で死ねたその一点、農家冥利に尽きるだろう。悼む想いを振りきって、泰三は懸命に目を凝らす──土煙が収まらぬ最中、ぬらりといでる人影一つ。


「フレーーーーッシュ!!」


 甲高い奇声、いやさ鳴き声が夏空を切り裂き、溝静空の彼方此方にこだまする。

 戦慄にあって泰三の唇が災禍の素性を喝破した。


「おのれ……やはり貴様か、ベジタリアン!!」


 そう、ベジタリアンだ。

 ビタミンと食物繊維とミネラルを信望し、動物性蛋白質を忌避するあまり自らの食性を捻じ曲げるまでに至った超越者。

 この健康とエコの使徒こそ、昨今の農家にとって最大の敵であることは今や常識である。しかも、野生だ。その危険さを例えるなら、バッタ人間ならぬ人間バッタといえば、どれほど危険かお分かりになるだろう。


 それがついにこの秘境にも現れたのだ。老人の衝撃は計り知れない。


「ミネラルぅ…………!!」


 己の優位と縄張りを誇示するように、ベジタリアンが哭いた。

 泰三は動かない。否、動けない。草食とはいえ猛獣のたぐいである。人間風情がどう立ち向かえというのか。


 あおちょびたツラには似合わぬキレキレの身のこなし──大地のめぐみを存分に味わった草食男子は五体の隅々にまでガイアぢからを迸らせ、オーガニックに田畑を征く。清々しいほど澄んだ瞳は一体何を夢見ているのか──既に彼に知性はない。見たいものを見、味わいたいものを味わい、信じたいことだけを信じ続けるビリーヴァー。ただひたすらに、五感全てで自然を味わうために──そのために生命を燃やす一匹の獣は、今やこの地の王者であった。


 にんじんさん、ごぼうさん、穴の開いたれんこんさん──それまでまだ手付かずだった数々の根菜たち、健やかな眠りに身を委ねる乙女のようなそれらを一つ残らず暴き立て、肢体を包むヴェールの如き泥土ごと思う様喰らう。肥沃な土で育ったミミズが口の端からはみ出ていたが、それすらも素麺のようにつるりと啜った。虫肉はOKなのか──汲めども付きぬ疑問の前に、しかし答えるものは居ない。その異様さと圧倒的な蹂躙劇に、泰三は息を呑み、声をなくして佇むばかり。


 万事休す──県下無類の戦闘農家も、ついに滅びるさだめであったか。

 終焉を確信し、泰三は空を仰ぎ見た。相変わらずのエモい空──どこまでも広がる青の中、沸き立つような入道雲。人知の及ばぬはるかな高みで太陽が灼歌を歌う。濃い緑と血肉の匂いの中、覚悟を決めて苦く微笑む。願わくば来世こそ、JKになってチヤホヤされたい。ただそれだけの人生だった──。


 失意に沈む老人に、美食に猛る瓜実野郎が牙を向く。気まぐれサラダに羽虫はいらぬ──そう言いたげに害意をむき出し、一気呵成に飛びかかる。


 その時である。一迅の風が一人と一匹の間を吹き抜け、緑黄野郎を一方的に殴打した。その鉄槌じみた一撃で大地はえぐれ、再び土砂と屍肉が雨と降る。

 陽炎滲む視界の中、朧気にその姿を認めた時、泰三は狐につままれた面持ちだった。()、というか()、そして何故(・・)──!? 


 いずれにせよ、ガイアは彼を見捨てていない──窮地の畑の中心で、救世主が答えを紡ぐ。


「──農協のものです」

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