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第5章 誰が為に竜は闘う その2





「あら? 同居人さん、船が見えますよ」



朝の食事を終え、今日も今日とてトーテムポールの製作に出かけようとしていた私に、ユグドラシルはそう語りかけた。



彼女の示す方角を振りかえると、腹からちゃぽんと音が立った。



昨日の決意もむなしく、私は今朝も存分にユグドラシルの樹液を堪能してしまった。


朝起きれば芳醇な樹液の香りが漂ってくるこのウロの中で、欲求に抗うことは非常に厳しい。

起きてそのまま樹液にむしゃぶりつくという一連の流れは、私にとっては魂に刻み込まれた行為となってしまっているからだ。

私が新たな寝床に引越すその日までは、ダイエットなど到底不可能であろう。



まあ、その事はさておき、今はユグドラシルの示す方向に目を凝らす。


小さな小船が一艘、海流にのってこの島に向かって流れてきている。

小船の上には人影はなく。大きな箱が一つ載せられているだけであった。



はて? あれは何か、と先代の竜の記憶をたぐると、思い当たるものはすぐに見つかった。




あれは人間の生贄を乗せた船だ。

 



今から300年ほど前のこと、この地を征服しようとした人間達は、大艦隊をひきいてこの島へとやってきた。

先代の竜は自ら人間の国を襲うことなどはなかったようだが、相手が攻めてきたのであれば話は別である。

彼は、咆哮と爪と炎により、ただ一匹で人間の艦隊を全滅させた。

その後竜は、人間達が二度とこのような考えを思いつかぬようにと、大陸まで飛んでゆき、一つの都市を灰塵に帰した。


竜の力に畏怖した人間達は、一年に一度、7人の処女を生贄にささげると誓い、二度とこの島に手出しすることはなくなった。

それ以降毎年この季節に、人間達は船に乗せた生贄をこの島へと運んでくるようになったそうだ。


この島に近づくのを恐れた船乗り達は、近くまで中型船でやってきては、小船に箱の中に閉じ込めた生贄を積んで、満ち潮に乗せて流すのがいつのまにか慣わしとなっていた。


箱に閉じ込められた生贄達が、次に日の光を浴びるのは竜に喰われるときである。



…ふむ。これは如何にしたものか……。



現在、肥満するほど食料には事欠かぬうえ、知能をもった生き物、ましてや未来溢れる人間の少女を食すなど、非道な真似ができるわけもない。

ここは少女達を家に送り返し、このような生贄などもはや必要がないと人間達に伝えるべきであろう。

 



私はユグドラシルに行ってくると告げた後、海に浮かぶ小船に向かって飛び立った。


閉じ込められて震えているであろう、哀れな少女たちを早く救ってやらねばな‥と、思いながら。







海上に浮かぶ小船は、満ち潮に乗ってこちらにまっすぐに進んでいた。



ひとまず小舟を浜辺に引き上げる。記憶のとおり、船の上には箱の他には一人の船員もいなかった。


生贄たちが閉じ込められている筈の、3メートルほどの横長の箱は、中の人間が逃げ出したり海に身をなげたりすることを防ぐためであろう、鎖で外から厳重に封をされていた。



中から声などは聞こえないが、例年通りであるならば7人の少女たちがこの先に訪れる運命に怯えながら、小さくなっていることだろう。

 

爪で鎖を切り落とし、上蓋を外す。中の少女たちを驚かさぬように、いかに声をかけるか思案しながら。





果たして、箱の中には少女が一人いるのみだった。



私は、少しだけ疑問に思いながらも、少女に声をかけようと口を開こうとする。




その瞬間、私の胸は閃光によって貫かれた。















「人が竜に勝てないといわれる理由は二つあります。」

 


蛇のような双眼が、蝋燭の炎に不吉に揺れる。

ここは竜の島より遥か1000キロ離れた人間の都。法王の私室の中で、魔導師の低い声が響いている。



「一つは咆哮です。300年前の大戦で10万の兵がなす術もなく海に沈んだ理由はここにあります。竜の咆哮は人間の精神に直接作用するものです。魔法による防壁も、耳を塞いでも意味はありません。例え何十万、何百万の兵を集めようとも、竜の咆哮を前にしては大海に落ちた蟻のように無力です」

 


男の朗々としたスピーチの観客はただ一人。赤紫の法衣をまとった男が上座に座り、厳かな顔でうなずきを繰り返すのみである。



「もう一つ、人が竜に勝てないと言われる理由は竜の身を守る鱗にあります。竜の鱗を傷付けることは、鉄や鋼ではかないません。その上、高い抗魔力まで持っています。魔法や剣で人類が竜を傷つけることは不可能です。詰まる所、竜とは無敵の生き物なのです。しかし、神話の時代、英雄と呼ばれる一握りの者は、確かに竜殺しを成し遂げました。古代の英雄達はいかにして竜を滅ぼしたと思われますか? 法王陛下」



「古代兵器によってか…」



魔導師に問われた男が、苦しげに返答した。


魔導師の独演のただ一人の観客は、法王ピオ2世。すなわち、この聖都の長とされる人物である。


野心を持たず、純粋な信仰心のみを持つ人間として知られ。聖人にもっとも近い男ともよばれている。後世の歴史家には、法王としては最大の長所と欠陥を兼ね備えた男と評される男である。



「その通りです。古代の神兵器は竜の持つ二つの武器、つまり鱗と咆哮を無効にします。古代兵器の中でも最高の攻撃力を誇るヴァルキュリアの槍は、竜の鱗すらたやすく貫くことでしょう。そして、問題の咆哮ですが…」



「既に心を喰われてしまった者には、竜の咆哮は届かぬか…」

 


後悔の色を隠さぬ法王の言葉に対して、魔導師は顔の半分で笑った。




「神の奇跡を呼び起こすには生贄が必要ということです。あの娘には憐れなことをしましたが、世界樹を救うために命を失うのであれば本望というものでしょう。我々は、なんとしてでも予言の実現を食い止めねばなりません。『世界の外より訪れし災厄、殻を破り、星の全てを喰らわんとす…』」


 


魔導師が刻詠みの巫女の予言を諳んじる。


10年前、予言の巫女が残した言葉は聖都の元老院を揺るがした。

何者か、想像すらできない恐るべき存在が突然現われ、世界を滅ぼそうとする予言である。


当時、それを聞いた12人の枢機卿達は騒然となったが、続く巫女の言葉に、皆が聖樹の為に祈りを奉げたという。




「『‥されど聖樹はその運命を裏返す。星の流す血は聖樹の血となり、星の死は聖樹の死へと変わる。聖樹の亡骸を肥やしとし、人は悠久の繁栄を得るであろう』…か」

 



後の句はピオが続けた。聖樹が星の代わりに血を流す。すなわち、世界の崩壊を聖樹ユグドラシルが身代わりとなり引き受けるであろうという予言の結末を。



予言の時期と竜の寿命、殻を破るという表現から、その何者かが新たに生まれる真竜であろうということは元老院はすぐに察した。


当時より敬虔と実直で知られていたピオ2世は、信仰の要たる世界樹を守るために立ち上がるべきだと声を荒げた。

世界樹の為に、ヒトの力で竜を滅ぼすべきだと。


しかし、残りの11人の枢機卿達はそれに真っ向から反対する。


理由はただ一つ。予言の最後の一行『聖樹の亡骸を肥やしとし、人々は悠久の繁栄を得るであろう』という一文にある。



世界は世界樹を失うかわりに、長い繁栄のときを迎えるという約束は、政治との結びつきによって腐敗した信仰にとっては大いなる福音となった。

 

自らが何の手を下さなくとも聖樹が世界を守ってくれる。


聖樹を失うのは痛いが、もともと島に住む竜のせいで、巡礼はおろかその姿を拝むことも不可能であった世界樹である。

たとえ失われたところで、信仰に大きな支障がでるものではない。

むしろ命を賭して世界を救った存在として、世界樹を仰ぐ教団は更なる信仰を集めるであろう。

 


おまけに予言どおりにことが進むならば、災厄、すなわち竜もこの世界から消えさるはずだ。


竜さえ滅べば、世界樹の島を征服するのも簡単なことである。


世界樹の島には、大量の鉱物や、金銀、魔法石が眠っていると言われている。

聖樹の亡骸を肥やしとし、人が永遠の繁栄を得るということは、人間が世界樹の島を手に入れるという意味であろう事は間違いない。

ならば竜には手を出さず、日々世界樹のために祈ることこそが、教団の使命なのではなかろうか。

 


これらが、ピオ2世以外の枢機卿たちの意見であり、決定であった。

敬虔のみが取り柄のピオ2世は、それを覆すだけの政治力など、持ってはいなかった。 

 



それから一年たち、二年たち、枢機卿達が近い未来に巻き起こるであろう、世界樹の島の領地分配の為の牽制と根回しに力を注ぐ中、ピオ2世だけは世界樹を救いたいという思いを枯らすことはなかった。



そして今から5年前のことである。ある朝、ピオ2世の部屋に、一匹の鳩が舞い込んできたのは。


鳩の足には一枚の手紙が括りつけられていた。手紙にはこう記されていた。



『世界樹を救うため、人の手で竜を滅ぼしたくはありませんか』



法王は手紙の主に密かに、しかしできうる限りの援助を約束した。


そして、法王のみが鍵をもつことが許される場所、古代兵器が納められた部屋へと魔導師を導いた。



灰色に光るヴァルキュリアの槍が、そこに在った。

 


その後今から一月ほど前に、魔導師は約束どおり、尋常ならざる魔力をもったヴァルキュリアの槍の使い手を作りあげた。

ここ数十年、一人も現われることがなかったヴァルキュリアの槍の使い手を。



もっとも、その使い手がまだ幼き少女であることには、流石にピオ2世も驚きを隠せなかった。

少女に向かって涙を流しながら「すまない、すまない」と繰り返す法王を前にしても、心を失った少女の瞳が揺れることはなかった。



「まだ、悔いておられるのですか? 法王陛下」



魔導師の男の声により、ピオ2世は深い回想から浮かび上がった。



「古代兵器は人の身で操れるものではありません。古代兵器を用いる者は皆、残らず心を奪われてしまいます。しかし、だからこそ竜の咆哮に抗えるのです。心と魂を失う事のみが、小さき存在が強大な敵と闘う為のただ一つの手段なのです」

 


神代より伝えられし古代兵器が滅多に使われぬ事には理由がある。


古代兵器を使用できるものは、桁はずれに強い魔力を持つ者でなければはならない上に、一度兵器と『融合』してしまえば、兵器に魔力と命を吸い尽くされるその日まで戦闘兵器として戦い続ける宿命にある。

要するに、人を選びすぎる捨て駒なのだ。



「‥古代兵器に魂が喰われたものを、元に戻す手立てはないのか?」



法王は魔導師に尋ねる。その答えが存在しないものと知りながらも。


法王として生きるには優しすぎる男は、世界樹も、少女も救うことができないかと、今なお悩み続けているのだ。



「陛下、魂の死とは肉体の死よりも遥かに決定的なものなのです。例え世界樹の葉を与えたところで欠けた魂を補うことなどできませぬ。いかな魔法も妙薬も、かの少女を元に戻すことはかないません。はるか古代に存在したというエリクシールでもあれば話は別ですが…」



魔導師が、もはや何度目になるかも分からない否定の言葉を繰り返した。



この世に、あの少女を救う手段などはもはや存在しない。ピオにできるのは、せめて少女の魂がヴァルハラの野で神々に愛されることを祈ることのみだ。

法王は天上へと旅だった少女の魂の安らぎを願い、頭と心臓と臍の三点を、三つの指で結んだ。



「作戦は完璧です。手はずどおりに進んでいるなら、そろそろアレが竜と遭遇する頃合いでしょう。ヴァルキュリアの槍は必ずや竜の心臓を貫きますよ」



魔導師の男は遥か西の方角を睨む。目には見えぬが、そこに竜の島が有るはずだ。



「(姉さん‥、あなたの無念は私が晴らして見せます)」

 


男の小さなつぶやきは、法王に届くことはない。



法王は知らない。


今から20年以上前、ある美しい娘が白竜の生贄となっていたことを。


その娘の弟が、姉の復讐のみを信じて生きてきたことを。


その為に、一人の才能と魔力あふれる少女をとある村から奴隷として買いとり、槍の使い手として育て上げてきたことを。




弟は幻視する、姉が死んだ遥か遠いあの島で、今まさに竜が息絶えようとする光景を。

 


自らが作り上げた兵器によって竜が滅ぶ、その甘美な想像を。

 


瞼を閉じる。血の海で醜くあがく、忌まわしき竜がそこにいる。

 



男の夢想の中、ヴァルキュリアの槍は竜の頭を吹き飛ばした。

 









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