02 魔皇討伐隊(解散)
「こ……これが『魔皇の城』なのか?」
神託騎士ラヴィンを首長とする『魔皇討伐隊』の面々は、彼らの基準からすると奇天烈極まりない建物を見上げ、恐懼とも感嘆とも驚愕とも言えない表情をして声を上げた。
先の声は、討伐隊の武勇面の核を成す戦士のものである。戦士の名前はグロースといい、元傭兵ながら、現在のグリフ王国で千人の戦士団を束ねる『千人長』の地位にある。
もちろん王国における軍官としての官等は、上から数えた方がはるかに早い。分厚くたくましい身体に馬上剣と見まごうような長剣を携え、全身鎧を軽々と着こなしている。
「これは四角いな」
「ええ、四角いですね」
「しかも白いな」
「ええ、白いですね」
「でも教皇猊下の私邸よりも小さいな」
「そもそも、この建物を『城』と呼んでいいのでしょうかね」
「窓が全て透明なのはどういうことだ?」
「玻璃(水晶)だと思いますが、これほど透明な玻璃もこれほど沢山の水晶も、私は見たことがありません。壁の隅々まで玻璃を溶かして塗ったように光っているし、石を組んだ継ぎ目も無い。まるで山ほどもある岩を削りだして、磨いて造ったようです。もしかしたら魔術によって成るものかもしれませんね」
「それはずいぶんと金がかかりそうだな」
「教皇猊下がマールス神の威光を借りて、教徒や臣民から全ての財を徴収しても不可能だろうと思いますよ」
「今の言葉、異端審問にかけられたら『車裂きの刑』だよな」
「『奇跡』と『魔術』の区別が付けられるなら、喜んで全財産を喜捨しますよ。だいたい聖人の『異能』や『魔法』を『奇跡』と言いつくろって、私腹を肥やしているのは誰でしょうかね?」
「サムスの親父っさんは、その辺のさじ加減は絶妙だよな」
「神職に置いておくのが惜しいです。ああいう一本気な御仁こそ、魔術を極めるべきだと思いますがね」
――と、後ろで漫才のようなやり取りをしているのは討伐隊の目と頭脳を担う『予定だった』巡見使と魔術師である。
巡見使はブリンクと名乗り、世慣れた飄風を思わせる人物だった。見た目の軽薄さは、間諜として必要だから身につけたものと思われる。
魔術師は通り名らしい『クロウ』と名乗ったが、『対外的に偏狭な人種の代表格と言われる魔術師』というより、厳格な戦闘部隊の母性を代表するような、柔らかな物腰の美青年だった。
『親父っさん』扱いされたサムスというマールス教の高位神官戦士は、顔に立派な髭をたくわえた壮年の男性だったが、「すまんがワシは少し休ませて欲しい」と頭を抱えて『異教の地のマールス教会』へと引きこもった。どうやら、現地のマールス教聖典の中身を確認しに行ったらしい。
余談だが、皇兄殿下こと柳太一郎直々の配慮によって小童の案内が付けられのだが、討伐隊の誰もが『身分在る小姓』と思っていた少年が実は解放奴隷の自由民であると知り、一同は後から驚いた。
後からサムスが「どこをどう見てもただの市民だった、平民と区別が付かん」と真剣な表情で独白して、一同をうならせた。
本来はもう一人、レーネという名の女戦士が居る。
彼女は『討伐隊』に万一の場合があった時のために、馬と荷物の番をしている。
黒髪の、見た目はラヴィンのような美少女なのだがラヴィンより五年は年長のはずで、身の丈ほどもある戦斧を軽々と振るう女傑だ。こと瞬間的な判断力に秀でていて、多少の危機があっても確実に退路を確保してくれるだろうと、討伐隊の面々は全幅の信頼を置いている。
そう、ここは彼ら『魔皇討伐隊』にとって『確実な退路が必要な場所』であるダナン領の主都、『漂着都市』こと『主都ダーナ』であった。そして現在地は、その最奥の中の最奥であるはずの『魔皇城』の前、である。
彼ら『魔皇討伐隊』が、彼らの言うところの『魔皇城』へと駒を進められたのは、ラヴィンを見舞った魔皇こと柳二郎が、直々に一同を招待したからである。しかも国賓待遇で、主都ダーナにはすでに『グリフ王国大使館|仮)』まで用意されていた。
今のところ寸毫も文句の付けようがない歓待ぶりで、派手なパレードが無い方が不思議に思えるほどだ。
『死戦』とか『血戦』とか『決死』という言葉を呑み込んでグリフ王国を出立した『討伐隊』としては、拍子抜けどころか事態の推移に脳の回転が追いつかないことおびただしい。ラヴィンはともかく他の討伐隊員は、こと荒事においては『万夫不当』とか『一騎当千』とか『三国無双』という剛の者ばかりである。実際、ダナン領までの旅で百人単位の盗賊団を文字通り『掃滅』せしめ、その戦闘能力を証明していた。
――いたのだが。
「あのぉ……その、魔皇さん。いくつか伺いたいことがあるんですが……」
何かがすっかり消沈したラヴィンが、おずおずと二郎に問いかけた。くじいた足は、すでにサムスの『奇跡』によって癒されている。
サムスは数少ない『神の奇跡』の体現者で、こと彼の持つ『癒しの奇跡』はマールス教では希少である。サムスは怪我の治療や、どこをどう勘違いしたか不老不死まで求めて殺到する信者や貴人を避けるため、その身は一年と定住出来た試しが無い。
それはともかく、魔皇は笑顔で言葉を返した。
「ケイマンさん、よろしければ二郎と呼んで下さい。名字では兄と区別が付きませんし、今回は公式訪問では無いので『柳総領事』というのも堅苦しいだけですから。あと『魔皇』という表現は、個人的にはきっと正しくないと思いますし」
「これは参った。俺達は隊の存続意義を失ったぞ」
基本的な性分が豪放磊落らしい千人長の戦士は、大仰に額に手を当てて、やはり大仰に天を仰いだ。
「グロースさん茶々を入れないで下さい! その……ジロウさん、ジロウさんとお兄さんは『異界人』なんですよね?」
「はい、そうです。チキュウという世界のニッポンという国から来ました」
魔皇改め二郎がそう言うと、クロウの瞳が好奇心に輝きだした。何かと知的探求心を満たしたがるのは彼の悪癖ではあるのだが、あらかじめ了解している千人長どのが片手を上げて制する。
クロウはかろうじて自制した。
「では、噂の『千の賢者、万の武将、百万の軍勢』はどこに居るのでしょうか?」
「あー、それですか……」
二郎が、ばつの悪そうな顔をする。こりこりとこめかみを掻く姿は、まるでいたずらが見つかった子供のようだった。
ラヴィンからすればもっともな問いであろう。『魔皇討伐隊』などという名前だけは大仰な『超少数による超精鋭部隊』が編成された理由は、「話半分でもそんな軍勢とは戦えない」という、王宮側の誠に腰の引けた理由だったからだ。
傭兵として根無し草歴が長いグロースでさえ、「教皇猊下は精鋭部隊で敵国の君主を闇討ちするのか」と、『銘酒の口を切ったら水どころが酢が入っていた』というような、渋い表情を隠せなかったものだ。
それはともかく、『百万の軍勢』の話である。
「『ソレ』なんですが、居ると言えば居るし、在ると言えば在ります。ただ、皆さんが考えているようなものでは無いと思います」
「おや、魔皇陛下は謎かけがご趣味かな?」
ブリンクが、皮肉めいた表情と言葉を投げかける。一種の挑発である。
ブリンクとしてはこの技法で、いくつもの外交的対人摩擦に勝利してきたものだ。
しかし魔皇陛下は特に怒るでもなく、「誤解させたらすいません」と素直に頭を下げた。一瞬ブリンクは、自分がずいぶんと大人げない事をしたように思えてしまった。
「まあ『百聞は一見にしかず』と言います。噂の『百万の軍勢』の所へご案内いたします」
二郎はそう言うと、ラヴィン達を彼らの言う『魔皇城』へと案内し始めた。継ぎ目のない総玻璃張りの、四角い白亜の建物である。
この時点ではラヴィン達も、「大きいが、さすがにこの建物に百万の軍勢は入るまい」と思っていた。クロウだけが思考を続け「もしやこの建物は異界に通じているのでは?」と考えた。
その思考はある意味正解であり、間違いでもあった。
確かにその建物の趣は、『異界』と言って差し支えないと思われた。清涼な空気と静寂があり、人気はまったく無い。
しかしそこには、軍勢どころか武器防具の類も見当たらなかった。
その代わりに存在するのが、大量の書架と無尽とも思える量の、本また本。
何をどうやって造ったか分からない机と椅子がびっしりと並んでいて、むしろその秩序と静謐さを乱すような行為がためらわれるほどだった。グロースは文字通り『完全武装』していたため身動きするたびに金物が音を発し、そのこだまに恐縮して思わず首をすくめてしまった。
「ここは、僕が図書委員をしていた学校――こちらで言う私塾の大きなものの、『図書館』です」
『魔皇討伐隊』の面々が、周囲を見渡す。十分な時間をかけて彼らの現状把握と理解が追いつくのを待って、二郎は言った。
「故郷には『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉があります。ダナン領の運営が今のところうまくいっているのは、この図書館で学んだ知識をどうにか駆使しているからです。もっとも、実務は兄の補佐が無いと何も出来ないですけどね」
屈託のない苦笑を浮かべて、二郎は言った。
「え? じゃあどうして『魔皇』とか『百万の軍勢』とかが、人の口の端に上るようになったんですか?」
「えっと、その、火の無いところに煙は立たないというか……」
ラヴィンの問いに、二郎は先ほどとは違う苦笑を浮かべた。
「この図書館の本は、言うまでもなく『僕の世界の言葉』で書いてあって、今のところ『こっちの世界の人』は誰も読めないんですよ。だからここにある本は『きっと全て魔導書だろう』と思われていて、その管理者である僕のことを、誰かが「『魔導書の王』だから『魔王』でいいじゃないか」って言い始めて」
ラヴィン達にとってはまさしく、開いた口がふさがらない話だった。
しかし、その話には続きがあった。
「で、主都ダーナの治政がうまくいって周辺諸侯の運営を任されるようになったら、『じゃあたくさん国を治めているから皇帝でいいんじゃないか? 今度から『魔皇様』と呼ぼう!』って話になったらしいです。一応、諸侯諸氏族合議の上で正式に決まった事なので、公式に『魔皇』と呼ばれても、僕は否定できないんですよね……」
封建君主というのは、一種の『国家』である。『王権を超えるのは唯一、神権のみ』という考え方はラヴィン達には馴染み深いものだ。
しかし二郎の話には、一部ラヴィン達の理解を超える部分がある。
鎧を鳴らさないよう気を遣いながら、グロースが口を開く。
「魔皇陛下――ではなく、うむ、ええと、ヤナギー総領事で良いかな? ヤナギー総領事は、ダナンの周辺諸侯から、政務を『信託』されたというのか?」
呼び名とか口調などに自身なりの落し所を探りながら、グリフ王国の千人長は二郎に問いかけた。
「はい。皆さん様々な理由でだいぶ困っていらっしゃったのですが、ダーナでの功績が評価されて、それが諸侯の方々に巷間を通じて伝わって……元々ダーナが《漂着都市》と呼ばれていたことと関係あるんでしょうけど、兄の協力もあってどうにかなんとかなっています」
今度こそ、ラヴィン達は驚いた。封建君主が、自ら領地の統帥権を差し出したというのだ。
天地がひっくり返るような話だが、実際にひっくり返っているのだから言うべき言葉もない。実を言うと原始的な議会制民主主義に似た政治形態なのだが、民主主義そのものを知らない彼らがその姿を想像しようとしても、どだい無理な話である。
「じゃあ、『百万の軍勢』は?」
巡見使ブリンクの問いに、魔皇はひどく恐縮して説明した。
「兄は以前、財務省のキャリアで……って言っても分かりませんよね。ええと、こちらで言うと『国庫を預かる官吏』をしていたんですけど、諸侯諸氏族会議でこう言っちゃったんですよね」
魔皇陛下はそこまで言うと、目を半眼にして自分の頭を指差した。
「『俺の頭には会計士が百人ほどしか居ないが、うちの弟の頭の中には百万相当の軍勢が居るぞ』」
真面目に兄の物まねをする魔皇陛下を見て、ラヴィンは思わず吹き出してしまった。
「感動した!」
そんな中で、突然響いた怪鳥音のように叫びだした者が居た。魔術師のクロウだった。
「すばらしい! 知性による統制! 真理による統治! 黄金の都や金剛石の城にも勝る英知の結晶! 私はついに楽園を見つけた! この『異界図書館』には世界の真理がある! どのような神も悪魔も真理の前には無力! 私はついに探求の楽園にたどり着いたのだ! すばらしい、すばらしい! 神よ、本当に居るなら感謝します!」
彼の為人を知る討伐隊の面々からすると、クロウの所作や発言は「完全に壊れた」としか思えなかっただろう。そしてある意味、その判定は正しかった。
クロウは、はっしと『魔皇陛下』の両手を取ると、『魔皇討伐隊』の一翼を担う人物としては、いささか以上に問題のある発言をしたのである。
つまり、
「魔皇陛下! 私を弟子にして下さい!」
と、目を血走らせながら爛々と輝かせ、グリフ王国では一応十指に数えられるはずの賢人の一人が、『魔皇』の軍門に自ら下ったのであった。
不在だった神官戦士のサムスが後にその話を聞いて、卒倒しかけたというのは後から聞いた話である。
つづく
クロウくんはイケメンですが多少残念な人だったりします。
ご意見・ご感想などお待ちしております。
2016年6月26日 全面改稿