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第二章 黒き血筋

第二話章です。タイトル通り堅の家族が登場します。

第二章 黒き血筋



堅と小雪が合同で捜査を行うことが決まってから二、三日経ったある日の放課後。


「ケ~ンちゃん♡」

「あ?」


帰り支度をしていた堅に小雪が話しかけてきた。


「どうした小雪? そんな気味の悪い声出して」

「き、気味の悪いとは失礼な。ま、いいけど……それより、今日これから堅ちゃんの家に行ってもいい? 色々と打ち合わせしたいし」


堅の台詞に小雪は少々棘の刺さるものを感じたが、気にせず用件を述べた。


「今日? 俺は別に構わんが。ちゃんと親父さん達に言ってからにしろよ」

「大丈夫。今日は堅ちゃんの所で晩御飯ご馳走になってくるって言っといたから」


小雪はVサインを掲げながら言った。


「あっそ」


堅は少し呆れ顔になって、こりゃ当分諦めないな、と心の中でゴチた。


堅の家は曽祖父の時代から道場を経営していて、道場と母屋が廊下で繋がっているという構造をしている。母屋の造りは純和風で、庭には六畳一間だが一応離れもありそこには堅の祖父が隠居しているが、今は老人会の旅行で出かけていて不在だった。二人は今、母屋の玄関の上がり場に立っている。


「ただいま」

「こんにちは~」

「はぁ~い」


二人の声に返事が返ってくると、奥から和服に割烹着を着た女性が出てきた。女性の名は『黒岩流美子くろいわるみこ』、れっきとした堅の母親である。年齢は既に四十を超えていたがその肌は瑞々しく街に出ても二十代後半以上に見間違えられたことはない。顔つきや身体つきは名のとおり流れるような美しい線をしている。そんなほっそりとした身体でありながら、流美子武術の達人で剣道を始め柔道・空手・合気道・長刀は段位を取得していて、最近テコンドーにも興味を持ちだしていた。また、頭脳も明晰で、T大の法学部を主席で卒業したほどだ。まさに「才色兼備」・「文武両道」が具現化したような人物だ。


「はいはい。堅、お帰り。あら小雪ちゃん、いらっしゃい」

「おばさん、こんにちは」


小雪と流美子がにこやかに挨拶する中、堅は


「挨拶はその辺にしとけよ……取敢えず俺の部屋でいいか?」


と小雪を促した。堅としては厄介事を先に片づけておきたかったのだろう。


「うん。いいよ。じゃ、おばさんまた後――」

「待ちなさい」


部屋に行こうとした堅と小雪を流美子が遮った。


「堅、まず小雪ちゃんを居間にお通しなさい。あなたの部屋へはそれから」

「へ?」


流美子の言いつけに堅は素っ頓狂な声をあげた。


「だってそうでしょ。いくら幼馴染だからってお客様はお客様。まずは客間にお通しするのが礼儀です」

「だったら何で客間じゃなくて居間なんだよ」

「小雪ちゃんはあなたの幼馴染だし彼女の両親は私たちの友人、つまりは家族も同然。帰ってきた家族を客間に行かすのは変でしょう? だから居間」

「何かさっきと言ってることが違う……」

「『親しき仲にも礼儀あり』です」

「……分かったよ……」


堅は流美子の言い分に矛盾を感じ多少納得のいかない部分もあったが、子供のサガか母親には逆らえないし逆らったらどうなるのは十分承知していたので、しぶしぶながらも了解することにした。


「じゃあ居間に行って茶でも飲んでからにするか」

「うん」


堅は小雪に提案し、小雪もそれを諒解した。


「それじゃ先に居間に行って待っていてね。お茶とお菓子を持っていくから」


そう言うと、流美子は廊下の奥に消えて行った。


「んじゃま、あがれよ」

「うん。そう言えばおじさんは?」


スリッパに履き替えた小雪が堅に尋ねた。


「ん?ああ、今の時間帯なら稽古中だな……ほら」


小雪が耳を澄ましてみると、何処からかエイ! とか、ヤー! 等の掛け声が聞こえてきた。


「ほんとだ」

「だろ。じゃ、さっさと行くぞ」

「あ、待ってよう」


小雪は慌てて堅の後ろについて行った。


「はい、お待たせ」


流美子がティーカップの載った盆を持って居間に入ってきた。中身は自家製のハーブを流美子独自のブレンドで淹れたハーブティーだ。カップからは白い湯気が立ち上っていた。


「わぁ、いい香り」

 

手に取ったカップから香る芳香が小雪の鼻を擽った。


「これ、新しいブレンドですか?」

「あら、分かる?」

「もちろん。おばさんの淹れるハーブティー最高ですもん♡」

「そう? おばさんうれしいわ♡……それに引き換えうちの男たちは……」


流美子が、カップに口を付けている堅の方に目を向けた。


「?」

 

堅はわけが分からず、ただ疑問符を浮かべ怪訝な顔をするだけだった。


「はぁ~。」


流美子がなにやら重たげな溜息をついた。


「まぁ、まぁ」


小雪が眼に見えて落胆している流美子を慰めていると――


「――なんだ、小雪ちゃんか」

「!」


突然背後から掛けられた声に小雪は跳ね上がりそうなほど驚いた。


「なんだ、おじさんか。驚かさないで下さいよぅ」

「ははは。スマン、スマン」


小雪に声を掛けたのは堅の父親、『黒岩厳くろいわげん』。流美子と同様、小雪の両親二人は厳の大学時代の友人である。端正な顔つきはしているが、髪はボサボサで顎には無精髭が生え放題。しかし、元刑事のうえ、現在は道場の師範をやっているので年の割には引き締まっていて、中年太りとは縁のない身体をしている。服装もさっきまで稽古をつけていたため普段着ではなく黒地で襟裾に赤い線が引かれた道着を着ていた。


「ちょっと、あなた」

「ん?」


「お客様の前なんだから、シャワーを浴びて着替えてからお話をして下さい。みっともない」


道着のままで居間に来た厳を流美子が窘めた。


「良いじゃないか、別に。お客様って言ったって小雪ちゃんだろう?何の問題も無いじゃないか。昔は堅と三人で一緒に風呂に――」

「いいからシャワーを浴びてくる! 汗臭いったらありゃしない!」


確かに、厳は門下生に稽古をつけたばっかりだったのでかなり汗臭かった。


「へいへい。分っかりましたよ。」


厳は渋々ながら出て行った。


「あ、そうだ」


風呂場に向かう厳を見送った後、流美子が思いついたように声をあげた。


「小雪ちゃん、今日はうちで晩御飯食べて行きなさいよ。」

「え、良いんですか?」


本当は食べていくつもりで来ていた小雪は、流美子の誘いに態とらしく聞き返した。


「よく言うよ」


それをしっている堅は小声でボソッと呟いた、が小雪はそれを無視した。


「良いのよ、別に。ミゾレ達には私から電話しとくから」


だが流美子はそんな遣り取りには気づいていない様だった。ちなみにミゾレと言うのは小雪の母親で流美子と厳の大学時代の同窓だ。


「い、いいえ自分でします!」


さすがに気が引けたのか、小雪は少々後ろめたい気持ちになった。


「あらそう? じゃお願いね。おばさん腕に縒りをかけて作るから」


そう言うと流美子は夕餉の支度のため居間を出て行った。


「じゃあ行くか」


カップを空にした堅が小雪を促した。


「うん!」


小雪も堅に続いて居間を後にした。


――ガチャ、パチッ――


堅は自室に入り明かりを点けると自分の部屋に小雪を招き入れた。


「取敢えず好きなところに座ってくれ」


そう言うと自分は椅子を引き寄せて座った。


「うん」

 

雪は傍にあったクッションを抱いてカーペットの上に座った。


「……けど何時来ても何にも無い部屋だよねぇ」

「そうか?」

「うん。何か『男子高校生』って言う感じがしない」


確かに堅の部屋はベッドや机、本棚に箪笥という必要最低限のものしか置いておらず、高校生らしいものと言えばパソコンと音楽プレイヤー位しかなかった。


「もっとこうさ、ベッドの下に如何わしい本が隠されているとかさ、ビデオの中身がタイトルのじゃなくてエッチなものだったりするとか、そう言う『いかにも男の子』って感じの無いの?」


小雪が年頃の娘にしては些か大胆な質問をした。というかいくら幼馴染だとはいえ年頃の男子の部屋に何の抵抗もなく入っている時点ですでに大胆な気がする。


「そんなことしてみろ、俺はこの世とおサラバしちまうっての」


小雪の問いに、堅は何を分かりきったことを、と言う様に答えただけだった。


「……ああ」


堅の答えに少し思案したが、直ぐに小雪は納得して頷いた。それは流美子のことだ。流美子は超の付くほどの堅物で家族の会話でさえ下ネタは一切禁止だった。堅がその様な物を所有しようものなら一体どんな制裁が加えられるか――最悪の場合、堅が言ったように命を落とす危険性もある。


「それに、興味が無いと言えば、まぁ嘘になるが……そんなもの買う位ならもっとましなもの買うよ、俺は」

「だよねぇ。堅ちゃんがそんな物買うとこなんて想像もできないし。けど何か詰んないなぁ」


小雪がしみじみと言った


「……お前、一体うちに何しに来たんだよ?」


堅は少々呆れ返って小雪を睨んだ。


「ちょっと、ちょっと、冗談なんだからそんな目で見ないでよ!」


小雪が慌てて手を振った。


「……まぁいい。で、如何するんだ? 一応そこに事件の記事のスクラップはあるが、見るか?」

「あ、見せて」


堅は本棚から一冊のノートを取り出すと小雪に渡した。小雪はそれを受け取ると早速読み出した。ノートには地方紙から全国紙、週刊誌の切抜きまで、事件のあった順に綺麗にファイリングされていた。やはり最初の事件だけであって、一件目の記事はどれも大きく取り上げられていた。記事の内容はこうだ。


〔女子高生謎の死! 通り魔か? ――F市――

 昨日午後三時頃、F市繁華街の路地裏で女子高生の変死体が発見された。第一発見者は被害者と同じ女子高に通う友人ら数人。彼女らと、被害者を一緒に捜索した男性の証言によると、被害者は信号待ちしている間に引っ手繰りに遭いその犯人を追いかけているうちに路地裏に入り、そこで同男性の協力の下犯人を捜索していたところ、何者かに襲われ殺害された模様。

警察の情報によると、死因は大量出血による失血死とみられるが、詳しい情報は司法解剖の後発表される。

 なお、警察は通り魔、怨恨の二つの可能性を考慮して犯人捜査に当たる模様〕


以上が記事の主旨で、後は関係者、特に友人と男性のコメントが付随されていたり、専門家の意見が載っていたりしていた。


「そうそう、この後しばらく女子高生が連続で殺されていったからお父さんに、『注意しろ』って言われたなぁ」 


小雪の言う通り、その後、部活帰りや帰宅途中の女子高生が被害に遭ったので、警察は当初「連続女子高生殺人事件」として捜査していた。しかし――


「けど、そのすぐ後だったよな? OLが殺されたの」


堅の言う通り、警察がそれを公表した矢先、同様の手口で今度は帰宅途中のOLが殺害された。現場は深夜の繁華街の高架下で、友人と居酒屋で飲んだ帰りだったと見られた。それからは、若い女性が次々と狙われるようになり、警察も厳戒態勢を敷いて捜査しているが、一向に犯人に結びつくような情報や物証は出てこなかった。


「そういえば、この前もOLの人が殺されていたね」


ノートから顔を上げて小雪が言った。


「ああ、これで二六人目か……OLに関して言えば、八人目だな」


堅が神妙な面持ちで頷いた。被害者の内訳は、OLが八人、女子大生が七人、女子中学生が一人、女子高生が十人、となっている。最初の被害者の昼過ぎを除けば、いずれの被害者も、夕方または夜から深夜未明の間に殺されていた。殺害現場も遺棄現場も様々で、公園の植え込みの影や繁華街の高架下、住宅街の裏路地の死角にもあった。いずれにせよ、警察は未だに手を焼いている状態だ。

「大変だな。こう捜査が難航すると」


堅が警察に対し労いの言葉を言った。先にも述べたが厳は元刑事であるから、堅の口からも自然とこう言う言葉が出てくる。かといって厳自身がこのような台詞を言うわけは無いのだが……。


「そうそう。お父さんもこの頃……って言うか事件が起きてから殆ど家に帰ってきてないし」

「ま、だろうな」


小雪の愚痴を、堅は少々同情的に聞いていた。勿論、同情の念は小雪に対してではなく、小雪の父に、だが、


「んで、どうすんだよ?」

「へ?」

「へ? じゃ、ねえよ!」 


小雪のあまりの態度に、堅はイラッとした。


「そ、そんなに怒んないでよ。分かってるって、これからでしょ? う~んと、そうだなぁ……取敢えず、第一現場を調べてみるってのはどう?」

「……まぁ、捜査の手順としてはそれでも良いけど、もう警察が調べきっているだろうしなぁ」

「でも警察が何か見落としている可能性もあるよ?」

「まぁ、一理はあるな」


小雪の意見に堅も頷く。


「それに、私たちが調べるのは『もう一方』のほうだよ」

「もう一方?」

「そう」

「もう一方ってなんだ?」


小雪の言葉に堅は疑問を投げた。


「つまり、『裏路地を縄張りにしている不良集団が本当に被害者の荷物を引っ手繰ったかどうか』」

「ああ、なるほどな。」


堅も小雪の考えを汲み取った様だった。


「お前は言いたい事はこうだろ、もし、仮に警察の読み通り、被害者の荷物を盗んだのがソイツ等だったとして、女子高生を殺したのも同一犯か否か、はたまた引っ手繰りは誰かがソイツ等に依頼、あるいは指示したものだったのか、そもそも本当にソイツ等が引っ手繰りをしたのか」

「そ。さすが堅ちゃんよく分かってる♪」

「何年お前の幼馴染やってると思ってんだ。まぁ、お前らしいって言ったらお前らしい考えだな」

「でしょでしょ?」


小雪が身を乗り出して堅に同意を求めた。


「ああ。警察とは別の形のアプローチからの捜査ってのには賛成だな」


堅もやっと重い腰を上げようとした。


「……けどなあ」


だがここまできて、堅は少々渋った。


「何? まだ何かあるの?」

「いや、捜査するとして、大丈夫か? お前」


堅は小雪を見た。確かにこの捜査をするとなると、聞き込みの様なものと違い小雪にも大きな危険が迫る可能性がある。だが――


「大丈夫だって、私こう見えてもそんなヤワじゃないし。それに――」

「それに?」

「いざとなったら、堅ちゃんが私を守ってくれるでしょ? 『あの時』みたいに」


小雪は堅の心配など何処吹く風というように笑顔で応えた。


「……『あの時』か」


それは堅にとって、ましては小雪にとって本来は余り思い出したくない『事件』だった。


それは、堅と小雪がまだ小学生だった頃に起きた。ある日の夕方、小雪は公園に一人でいた。友達とかくれんぼをしていたのだが、隠れている途中で眠ってしまい、起きて出てきたときには一人だった。小雪が隠れた場所が良すぎたのか、なかなか見つからず、ついに皆帰ってしまったようだった。段々日も暮れてきたので小雪も帰ろうとしたとき、


「どうしたの? お嬢ちゃん? 」


声のした方を向いて見ると、そこには、リュックサックを背負ってウエストポーチを着けた眼鏡の小太りの男が立っていた。


「どうしたの?」


男は小雪に再び尋ねた。


「友達とかくれんぼしてたんだけど、皆帰っちゃった。」


小雪は俯きながら答えた。


「そう、それは困ったね……よし、お兄さんがお家まで連れて行ってあげよう」


男はどう見ても「お兄さん」という感じではなかったし、怪しいのだが、友達に置いてけぼりにされたショックと、暗くなってきた空模様のせいで、小雪の頭はそんなことを考える余裕はほとんど無かった。


「本当?」

「本当だよ」


と男は手を差し出した。


「……」


小雪は恐る恐るその手を取ろうとしたが――

「何やってんの、小雪?」


という声に、手を止めた。男が声のした方を見てみると、そこには、素足にスニーカーを履いて、両手をズボンのポケットに突っ込んだ、見るからに不機嫌そうな顔をした男の子が立っていた。


「誰だい、君は?」

「その子の友達」

「ふーん。でも皆帰ったっていってるよ?」

「他の奴らはね。けど小雪がいなかったから戻って来たんだ」


男の疑問に、男の子は不遜とも言える態度で返した。


「あっそう……君、名前は?」

「堅ちゃん!」


男の子の代わりに、小雪が名前を答えた。堅は小雪の方を向くと、


「何やってんの?」


と、同じ質問をした。


「あのね、この人がお家まで連れてってくれるって。堅ちゃんも一緒に帰ろう」

「ふ~ん」


そう言うと、堅は二人の方に歩き出した。しかし、後堅の歩幅で五、六歩のところで立ち止まると、


「ねえ、本当に連れて帰ってくれるの?」


と男に聞いた。


「ああ、本当だよ」

「そう……」


男の答えに堅は頷いた。しかし次の瞬間――


「じゃあ、何でナイフなんか持ってんの?」


堅のこの言葉を、男は無視すべきだった。だが男は反射的にウエストポーチに手を当ててしまった。それが命取りになった。


「あ、本当に持ってたんだ」

「!」


堅の台詞に、男は嵌められた事に気付いた。


「か、鎌かけやがったな! このクソガキ!」

「さあて。どうだろう?」


堅はただ笑って応えただけだった。


「――ねぇねぇ、ナイフって何の事?」


ただ一人状況を呑み込めていない小雪が、あろうことか男の服の裾を引っ張って説明を求めていた。これにはさすがの堅も慌てた。


「ねぇねぇ」

「馬鹿! 小雪逃げろ!」


堅が大声で叫んだ。


「え?」


しかし遅すぎた。


――ガバッ! ――


男が素早く左手でナイフを抜くと、右腕で小雪を抱えるように絞め、小雪の頬にナイフを当てた。


「きゃあ!」


小雪が悲鳴を上げた。


「く、クソ! お、お前の所為だからな!」


男は行動したものの、この後如何したら良いのかは考えていなかった。一方、堅の方は先程の狼狽した様子から一転、冷静に事態を判断していた。


「あ~あ、こうなっちゃったか。まぁ、小雪が話し掛けられた時点で予想できたことだし。仕方ないか」

「な、何ぶつぶつ言ってやがる!」


男は堅が小学生らしからぬ程の冷静さを保っていたので、かなり狼狽した。


「い、いいな、そこで、お、大人しくしていろ。じゃないと、こ、この子がどうなっても知らないからな」


確かに今の男の状態からして、何を仕出かしてもおかしくはなかった。


「……しょうがないか、小雪!」

「ふえ?」

「目、閉じてろ!」

 

そう言うと、堅は右のポケットに隠していた小石を男に向かって投げつけた。


「うわ!」


男が怯んだ隙に、堅は一気に間合いを詰めると、左のポケットに隠していたものを、力いっぱい男の左手の甲に叩きつけた。それは、小石を詰めた靴下だった。しかも一つだけじゃなく二つ。実は戻ってきたというのは堅の嘘で、本当は堅も小雪と同様にかくれんぼの途中で眠ってしまい置いてきぼりにされていた。誰かの話し声で目が覚めた堅は、隠れ場所からそっと、小雪と男の様子を窺っていた。一目見て男が怪しい奴だと直感した堅は、小雪を守るために何か武器はないかと考えた。そして思いついたのがこの「靴下分銅」だった。ポケットに入れたときに不自然に膨れないかと心配したが、幸いにもポケットは袋の大きなものだったので男にバレることはなかった。


「ぎゃあ!」


男は悲鳴を上げてナイフを落とした。その拍子に小雪にかかっていた束縛が緩み、堅は小雪の手を取ると、一目散に走って逃げた。お見舞いに男の右足に一発入れといて。そして、近くの交番に駆け込むと、待機していた警官に事情を話した。警官はすぐに公園に行くと、そこには未だに蹲って呻いている男がいた。

 

そんな事件があって、中学の時から、堅はたまに小雪のボディーガードの代わりを頼まれるが多くなった。と言っても、大きな事件に巻き込まれたことは殆どなかったし、「ボディーガード」よりも、むしろ「お守り」の仕事の方が多かった。


「……分かったよ」


根負けしたのか、堅は小雪の捜査案に同意した。


「ホント!? やった!」


小雪はクッションを抱えたまま軽く飛び上がった。


「ま、お前のお守りも、尻拭いも、昔から俺の仕事だしな」

「それ、どう言う意味よぅ」


堅の台詞に小雪は口を尖らせたが、


「二人とも、ご飯よぉ」

「は~い」

「へ~い」


流美子の呼びかけに答えて夕食にすることにした。


『いったっだっきま~す』


小雪を交えた黒岩家の夕食が始まった。世間話をしたり、厳がふざけて小雪にお酒を勧めて流美子に制裁をくらったりと、いつも以上の賑やかな食卓になった。


「あ、そうだ。母さん」


食後のお茶の時に、堅は流美子に呼びかけた。


「何、堅?」


流美子がお茶を啜ってから聞いた。


「今度の日曜に小雪と出かけて来るから」

「お、デートか?」

「ふんっ!」

「おぐうっ!」


厳がからかう様に口を挟み、わき腹に流美子の手刀をくらった。


「良いけど、何処へ?」

「買い物です。私の服を買いに」


この内容は食堂に来る前にあらかじめ決めていたものだ。堅の両親、特に流美子の前ではとても「通り魔事件の捜査に行ってきます」とは当然のことながら言えるはずもない。


「あらそうなの。分かったわ。堅、ちゃんと小雪ちゃんを守るのよ」

「分かってるって」


その後も他愛無い会話が続いた。


――数時間後――


「――じゃあ、私そろそろ帰ります」

「あら、もうそんな時間? 御免なさいね。堅――」

「分かってるよ。ちゃんと送ってくるって」

「おじ様、おば様、また今度」

「はい。また来てね」

「ヨシ達によろしく言っといてくれ」

「はい」


厳と流美子に見送られ、小雪は家路についた。勿論、堅のお供つきで。歩きながら日曜の打ち合わせをして、二人はいつもの交差点で分かれた。


――深夜――


「――何だ親父、まだ飲んでたのか」


堅が台所に行くと厳が一人で飲んでいた。


「ん? ああ。もうすぐ寝るがな。お前は? 水か?」

「ああ。何か喉が渇いたから」


そう言うと、堅は食器棚からコップを出して水を飲んだ。


「なぁ、堅」

「ん?」

「飯の時のアレ、嘘だろ?」

「……バレてたか」

「当たり前だ、何年お前の親やってると思ってんだ」


どこかで聞いたような台詞を厳はグラスを傾けながら言った。


「それもそうか。じゃあ、母さんも?」

「いや。流美子は多分気づいていない。まあ薄々感づいてはいるかもな」

「……そっか」


堅は「はあ」とため息をひとつ吐くと、


「……わりい」


とぶっきら棒に謝った。台詞こそ乱暴だが、厳はその中に本当に謝りたい気持ちが籠っていることを十分に理解していた。


「気にすんなよ。いざとなったら俺の看板使え」

「……そうならない様に努力するよ」

 

堅はそう返すと、堅は部屋に戻ろうとしたが――


「堅」


ふいに厳に呼び止められた。振り返って見た厳の顔は、食事の時や今の会話の時の様なオチャラケた雰囲気はなく、厳しいものになっていた。


「堅、分かってると思うが、事件に――」

「事件に大小は無い、だろ?」

 

そう答えて、堅は部屋に戻った。


「ふん。分かってるないい。おやすみ」

「おやすみ」


厳の就寝の挨拶に堅は背中で答えた。一人残された厳はグラスの残りを一気に煽ると、自分も部屋に戻った。外は時折強い風が吹き、道場の玄関の二つの看板を揺らした。



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