序章
そこは世界の中心と呼ばれた都市の地下深く―。地上のきらびやかな喧騒とは無関係な世界。自然のものかそれとも人の手によるものかむき出しのままの岩の壁に小さな窪みがいくつかありそこにわずかな灯が申し訳程度に辺りを照らしていた。目を凝らして見ると…その灯の中でも高い天井が見えて、そこにはかなり広い空間があることがわかる。―そして。
その片隅に何者かがうずくまっている。人か獣か。じっとまるで岩の一部になってしまったかのように。
その時。ふいに空気が動いた。壁の灯がゆらりと揺れた。姿を現わしたのは一人の男。年齢は20代くらい…頭に羽根飾り、黄金の装身具を身に着けた彼はあたりを見回した。…どこから入って来たのか―出入り口は見当たらない。男はやがて先ほどのうずくまる者を見つけて歩み寄った。男が側まで行くとその者は顔を上げた。長く伸び放題の髪、髭、そしてらんらんと輝き男を見据える瞳。―多分、二人の年齢はそう変わらないと思われる―。
「…あ…。」
男がかすれた声を出した。
「…兄上…私です…おわかりになりますか?」
兄と呼ばれた男は反応しない。まるで見知らぬ相手を警戒する獣のようにじっと相手を睨み付けている。
「…兄上…ワスカルです。」
そう言って男が兄の体に触れようとした瞬間だった。
「…!」
急に兄の方が立上がりつかみかかろうとしたのだ。咄嗟に男は身をかわしたが鮮やかな色の衣をつかまれその衣が大きく裂ける。
「兄上っ!」
男は声をあげた。兄はまるで獲物を逃した獣がじたんだを踏むように暴れまた襲いかかろうとする。だがそれは手足につけられた黄金の枷と鎖が阻んでいた。
「…兄上…それは…。」
ワスカルが小さくつぶやく。誰が兄を繋いだのか彼の目には明白だった。
「…兄上!」
兄の方は返事の代わりに叫び声をあげた。それは人としての言葉では到底ありえなかった。
「…どうして…兄上…。」
ワスカルはつぶやいた。
「…どうしてこんなことに…兄上…兄上…。」
言いながらワスカルは頭を抱えて座り込んだ。
「…どうしてこんなことをなさるのですか、父上―!」
―その叫びに答える者は―ない。