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『石を投げる手の行方』

掲載日:2026/10/04

「AIがそう言ったから」――その言葉で、考えることを終えてはいないだろうか。自分の判断を明け渡さないために、一歩立ち止まって考えたい。

石を投げる手の行方――透明な権威と、立ち止まる知性


ある朝、ひとつのニュース記事が目に留まった。米国のトランプ政権が公開した政府の対話型AI「America.gov」が、公開からわずか数時間で仕様変更され、大統領選の不正疑惑や気候変動など、政権に不都合な質問に対して回答を拒否するようになったという報道である。記事は、公開直後には「正しく回答」していたAIが突如口を閉ざした経緯を挙げ、政府の不透明さや言論統制の疑念を強く批判していた。


この報道を目にしたとき、真っ先に湧き上がったのは、技術的な疑問というよりも、この言説が暗黙のうちに敷いている「前提」への違和感だった。そもそも国家の政策や政治的論点において、全国民が一致する完全な正解など存在しない。賛否両論が渦巻くのが民主主義の常であるにもかかわらず、なぜメディアや人々は「AIならば客観的で、絶対に正しい答えを出すはずだ」と無邪気に信じ込めるのだろうか。


記事の行間からは、あるあからさまな物語の構図が透けて見える。客観的真実を堂々と語る「正義の先生(AI)」と、自分の嘘を指摘されて都合が悪くなり、力づくでその口を塞いだ「悪い大人(トランプ)」、そしてその横暴を義憤に駆られて告発する「ジャーナリスト」という筋書きだ。しかし、この取材自体、AIと建設的な対話を交わすために行われたものではない。最初から「都合の悪い質問をぶつければ回答拒否するはずだ」という結論を用意し、政権批判の言質を取るために仕掛けられた意図的な誘導尋問である。


問題は、その舞台裏に気づかない多くの人々が、この単純化された劇場型の構図にやすやすと乗せられてしまう点にある。「AIが答えない=やましい隠蔽がある」という短絡的な印象操作に引きずられ、自らの思考をメディアの描いたナラティブへと委ねてしまう。その根底にあるのは、AIという最新のテクノロジーを絶対的な「権威」として崇め奉る、人間の根深い弱さだ。


人間は、もともと自信のない、頼りない生き物である。自分の頭で考え、自分自身の信念を確立している人など、世の中にはごく稀にしかいない。だからこそ人は、常にすがりつける権威を欲する。かつてそれが神の啓示や絶対君主、あるいはテレビの言説であったように、現代ではそれが「客観的で中立なAI」という洗練された装いをして現れたに過ぎない。自分の都合の良い意見をAIが語ってくれれば、「ほら、AIだってそう言っている」と誇らしげに印籠を突きつける。それはまるで、先生のお墨付きをもらって友達に威張る子供の姿そのものである。


しかし、自分の意見の根拠をAIに丸投げし、思考の主導権を手放した人間は、もはや「信者」ですらない。それは道具に使われる「奴隷」である。自分で悩み、判断することを放棄すれば、結果に対する責任からも逃げられると思い込んでいる。だが、その欺瞞は倫理の根底を腐らせていく。


たとえば、みんなが集まって誰かを激しくいじめていたとする。そのとき、権威あるAIや誰かが「あいつは悪だ」と言っていることを盲信して、一緒になって石を投げてしまったとしたら、それは許されることだろうか。機械が、あるいは権威がそう命じたからといって、その人の犯した罪は少しでも軽くなるのだろうか。決してそんなはずはない。投げてしまった石の重みも、傷つけた痛みも、すべては石を握っていた自分自身の手へと返ってくるのだ。


生身の人間の独裁に対しては「自由の敵だ」と激しく怒り、血を流してまで抗ってきた人間が、感情を持たないアルゴリズムによる独裁には進んで従い、むしろ「最適解を教えてくれる」と喜んで首輪を受け入れている。これほど滑稽で恐ろしい皮肉はない。AIの背後には、学習データを選び、都合のいい安全基準を設けた、顔の見えない生身の開発者や国家権力が必ず潜んでいる。顔が見えない分、その支配は生身の独裁よりもはるかに巧妙で、逃れがたい。


私は、特定の政治勢力を盲信しているわけでもなければ、AIの技術そのものを頭ごなしに否定しているわけでもない。だからこそ、特定の陣営に都合のいい神輿としてAIが担ぎ上げられ、人々が思考を放棄していく現実に強い危機感を覚えるのだ。


必要なのは、テクノロジーを崇拝することでも、恐怖から遠ざけることでもない。提示されたもっともらしい言葉を前にして、一度足を止め、「これは本当に正しいのか」「誰にとって都合のいい結論なのか」と、自分の頭と心で噛み砕くことである。たとえ不器用であっても、自分の足で立ち止まり、自分の引き受ける責任において物事を考える。その泥臭い一手間を手放さないことだけが、私たちが道具の奴隷に堕ちず、人間としての尊厳を保ち続けるための、唯一の防壁なのだ。



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