第25話「奇跡」
朝の鐘が鳴る。
聖王国クリアリースでは、鐘は祈りの合図だ。
鳴った瞬間、街の空気が一段沈む。人々は立ち止まり、膝をつき、祈る。
アスベルもまた、祈りの輪に混ざっていた。
無駄のない動作で背筋を伸ばし、手を合わせ、視線を落とす。
アスベル(……まあ神など信じてはいないが)
祈りが終わる。
立ち上がる流れに合わせ、アスベルもゆっくりと身を起こした。
すると、背後から聞きなじみのある声。
シンシア「おはようございます。旅人の方」
声をかけてきたのは、司祭シンシアだった。
今日も変わらず柔らかな笑み。
アスベル「おはようございます、司祭様」
丁寧に頭を下げる。
敬虔な信者の顔をする。
シンシア「毎日いらしてくださるのですね。ナハト様もお喜びです」
アスベルは下を向いて話す。
アスベル「旅の途中で、心が乱れる事態が起きました。私の両親が盗賊に殺されたのです…」
シンシアは口を手で抑える。
アスベルは下を向いたまま、ニヤリとする。
アスベル「でも…不思議なんです。」
顔を上げる。
アスベル「ここで祈ると、不思議と落ち着くんです」
心にもない。
落ち着くのは、相手の動きが読めるからだ。
シンシア「……お名前を、改めて伺っても?」
アスベル(信者は扱いやすい)
アスベル「アスベル・ノーグライトと申します」
偽名。しかし、名前は本当だ。
アスベル(真実を織り交ぜることにより、嘘が本当になる。)
“隠している”と思わせた瞬間、面倒が増える。
シンシア「アスベル様。よろしければ、礼拝後に少しお話を」
シンシア「旅人の方々が困っていないか、確認するのも司祭の務めですから」
アスベル「光栄です」
頭を下げる。
笑みを作る。
アスベル(よし。接触成功)
ただし、こちらから急がない。
相手が「面倒を見てやっている」と思う距離が一番扱いやすい。
一方、その頃。
街の東側――冒険者ギルドは、聖堂とは別の熱気を抱えていた。
土埃と汗の匂い。怒号と笑い声。
この国で唯一、祈りの空気が薄い場所。
アイミス「次の人、どうぞ……!」
アイミスが小さな机を整え、包帯を取り出す。
向かいの椅子には腕に深い裂傷を負った冒険者が座っていた。
冒険者「……治療って、いくらだ?」
ミスティ「無料だ」
ミスティは腕を組み、淡々と言う。
周りの冒険者たちがざわつく。
冒険者「無料? 冗談だろ」
冒険者「ナハトの奇跡みたいな寄付もいらねぇのか?」
アイミス「はい。寄付はいりません」
アイミス「……困ってる人を放っておけないだけです」
アイミスは笑って、傷口に手をかざした。
淡い光。傷がゆっくりと塞がっていく。
冒険者「まるで…奇跡のようだ。」
ミスティ「似ているだけだ。これはただの魔法だ」
言い切る。
群衆の中に、険しい目つきの男がいる。
司祭の使い――あるいは、聖騎士の目。
ミスティ(……巡回か)
アイミスは気づかない。
アイミス「次の方も、大丈夫です。順番に来てください」
ミスティ(だから、私とアイミスを同行させたのか)
冒険者ギルドに奇跡あり
噂は広がっていく
夕方。
宿の一室。
アスベルは机に小瓶を並べ、紙に何かを書いていた。
ミスティ「……おい。ギルドの方にて言われた通りにやったぞ」
部屋に入るなり、ミスティが報告する。
アスベルは空返事をして、小瓶を持ち上げ振っている。
ミスティ「お前、教会に目をつけられるのを待っているのか?」
アスベル「当然だ」
顔も上げずに答える。そして、小瓶にふたをする。
アイミス「でも、治った人たち……すごく喜んでくれて……!」
アイミス「本当に困ってたんです」
アスベルは黙々と小瓶を袋に入れていく。
アスベル「これで、お前たちは教会から目をつけられる。」
アスベル「明日は、傭兵ギルドで同じことをやれ」
ミスティ「アイミスが危険な目に合うぞ。」
アスベル「大丈夫だ。そのためにお前がいる。それに…」
アスベルは笑う。
アスベル「冒険者や傭兵は信仰が低い。傷を助けてくれた女の子が教会に狙われてたら?」
ミスティ「……助けるだろうな」
アスベルは小瓶を入れた袋を懐にしまう。
アイミス「その小瓶は?」
アスベル「風邪薬だ」
アイミス「……風邪、ですか?」
アスベル「まあ、そのうち分かるさ」
アスベルはアイミスとミスティを置いて、宿から出て行った。
夜
路地裏の小さな家。
扉を叩く。
出てきたのは、泣き腫らした目の母親だった。
母親「……どなたですか」
アスベル「通りすがりの旅人の信者です」
フードで顔を隠している。
アスベル「噂を聞きました。お子さんが、ずっと熱で」
アスベル「……祈りだけでは、辛いでしょう」
母親「教会に行けと言われました。でも……寄付金を用意できなくて……」
アスベルは首を振る。
アスベル「大丈夫です」
アスベル「神は、貧しい者も見捨てない」
小瓶を差し出す。
アスベル「これを飲ませてください。あなたに奇跡が起きるのを祈ります。」
母親は震える手で受け取る。
そして、アスベルは去って行った。
疑い、迷い、しかし――背に腹は変えられない。
母親は薬を子供に飲ませた。
数刻後。
家の中から、子どもの咳が止まる。
母親「……熱が……下がって……!」
泣き崩れる。
母親「奇跡だ……ナハト様……!」
アスベルは家の中の喜びの声を隠れて聞く。
アスベル(奇跡か…安い言葉だ。)
アスベルは横目でパルティア大聖堂を見る。
アスベル(さあ……教会はどう出る?)
読んで下さり、ありがとうございます。
奇跡という言葉って便利ですね。




